第13話 重婚制度①
医務室はまだ朝だというのに、例によって夕暮れの様な照明だ。早朝の出撃で朝飯を食べ損ねた僕は、またここで朝食の代わりにミルクを飲む羽目になった。
「そういえば暖斗くん。今日は『宴』をするらしいよ」
逢初さんは今、下の名前で呼んでくれてる。――僕がそう願ったからなんだけど。
「宴? パーティみたいなヤツ?」
「そう。わたしたちだけでこの戦艦を動かして、もう9日でしょう? そろそろ息抜きみたいな物も必要じゃないかって」
「ふ~ん」
「今日までの3回の戦闘で、このエリアのBotは掃空できたらしいし、敵に見つからないすごくいい停泊ポイントがあるんだって」
彼女は準備の手を止めると、こっちにやってきて温めたタオルで首や顏を拭いてくれた。
「宴」があるからなのか、いつもよりニコニコしている気がするが。
足もとに転がる物があった。
「何それ」
「あ、ごめんなさい。角薬瓶が」
「どしたの?」
「朝、艦が回避運動したでしょう? わたしドジだから、医務室全然片付けてなくて、物が落ちまくりだったの」
「ああ、それなら」
僕の自室と一緒だよ、と。
それを打ち明けて、2人で笑いあった。
「あ~。どうしようかな。言おうかな?」
「何? どうしたの?」
「う~ん。うふふ」
「何さ」
「え~。だって」
彼女は含み笑いをしながら、体を左右に振り始めた。白セーラーの上に羽織った白衣が、揺れる。
「暖斗くん。寝起きで出撃したでしょう? 目が、‥‥‥ほら」
タオルの端が目元をかすめた。
「汚れてるよ。顏洗わずに行ったから、かな?」
「‥‥そりゃあ、そんなヒマ無かったよ」
とっさに照れ隠しでぷいっと逃げた。
ばつの悪そうな顔をした僕を見て逢初さんは、あはは、と笑っていた。足をパタパタさせて。僕の表情にツボったみたいだ。
「でしょうね。だからとがめたりはしてないでしょ? 早朝の出撃、本当にご苦労様」
ひとしきり笑った後、彼女はペコリと頭を下げた。相変わらず顔が近いので、前髪が僕の頬にぐいっと近づく。
‥‥‥‥やっぱり、いつもより会話がスムーズな気がする。あ、お互いこの状況に慣れて、「打ち解けて」きたのかな。逢初さんだって、最初すごい、ほ乳瓶でミルクの時は恥ずかしがってたし。
そうか。そうかもしれない。
「逢初さん。そう言えばこの艦全然スピード出さないよね。たしか子恋さんが、『DMT1機しかないから慎重にいく』とか言ってて」
「そうよ。エリアごとに安全確認しながら進むって方針。でも、この先のエリアには村があって、そこで食料や資材調達もできるらしいよ」
「村」と聞いて、僕は身を乗り出した。首から下は動かないんだけど。
「村? 集落? 同い年の男子いないかなあ!」
「あ~。残念。迎え婚タイプの女性だけの村、らしいよ」
「そうですか‥‥‥‥」
僕はがっくり肩を落とした。動けないけど。
「でも、暖斗くんには、そこでいい出会いがあるかも知れないよ。『運命の人』とか。うふふ」
「それってさあ。女子はよく言うよね。いわゆる白馬の王子様、みたいなの。その、運命の人って出会ったらわかるの?」
彼女は、口に手をあてて少し首をかしげた。
「きっとわかるんじゃないかなあ、たぶん」
「たぶん?」
「たぶんだよ? だって、わたしだって、そういう人に出逢ったことないもん。『わあ、この人がわたしの運命の人だあ、ついにキタ!!』って思った経験ないもん」
「――――そうか。イヤ、そうだよね。僕だってまだ14年しか生きてないのに、もう出会ってるほうがおかしいか。まだ、これから、色んな人と出会うんだろうしね。まあ、ゆっくりでいいや僕は」
「ちなみにわたしはまだ13年」
「あ。そうなんだ。誕生日まだ? 何月?」
「‥‥9月」
「9月。あ、そ」
「うん」
「‥‥‥‥来月だ」
「‥‥‥‥うん」
ミルクの用意ができたので、またいつものように飲ませてもらう事になる。
彼女はその華奢な左手を、すうっと首後ろに滑り込ませてくる。首が動くと後遺症候群を発症中の僕が、少なからず痛がるから。
もう何回もやってもらってるけど、すごく優しい左手だ。
「よいしょ」
動けない僕を少し自分の方へ引き寄せると、右手にスプーンを持って、口もとへそっと寄せてきた。
「でもさあ」
飲み終わり、口を開いたのは僕だった。
「『運命の人』に出会えたとして‥‥あ、さっきの話だよ。その後の人生で、それ以上にすごい人と出会うことってあるのかなあ」
「何? 急に」
「いや、ちょっと待てよ‥‥。大人って、だいたい25才までに最初の結婚するじゃん? でも人生は100年。後の75年で、もっとすごい人に出会う確率の方が多くない?」
彼女は、スプーンを一旦置いて、思案顔。
「それは、確率論で言えばその通りよ。でも、でも、しょうがないじゃない。女の子は1人としか結婚できないし、ただでさえ男性少ないから、すっごい競争率なんだからね? もう、この人だって思った時に行くしかないじゃない」
「逢初さんもそうするの?」
「‥‥‥‥前に言わなかった? わたし、結婚はしないって」
あれ? 少し怒ってる?
「あなたは大丈夫でしょ。男の人は『何回も結婚できる』んだから」
そのまま彼女の姿は、2回目のミルクを作りにバックヤードに消えた。
「ね、暖斗くん」 通路の向こうから声だけ聞こえる。
「話題変えない? わたしはお医者様になって、1人で生きてくの。その医療つながりで思い出したんだけど、わたし、理学療法士と作業療法士の資格も持ってるのね。もちろん『わチャ験』だから、『準療法士』なんだけれども」
そう言えば、七道さんが言ってた。履歴書に書ききれないほどの資格持ちだって。
「そのPTとOT‥‥あ、療法士の事ね。データ取りながら、暖斗くんの全身マッサージをさせてほしいの。暖斗くんのメリットは回復が早まる可能性があること。デメリットは、施術の結果体調の変化の可能性があること。許可はとってあります」
戻ってきた逢初さんは、少し他人行儀な気がした。
「逢初さんって、たくさん資格を持ってるって聞いてたけど、すごいね」
とりあえず会話を続ける。
「医療系の資格はだいたい取ったよ。全部『わチャ験』だけど」
「整体師とかは?」
「一応考えたけど、整体師は実技が多いのよ。わたしはペーパーテスト専門だから、まだ受ける予定はないよ」
「‥‥‥でもすごいね。僕なんか、将来の事なんて。まだ」
「それが普通。わたしがおかしいのよ。‥‥‥‥わたしね。高校行ったら、『大学検定』受けるつもりなの」
「大学検定」。高校入学と同時に、高校卒業見込みの学力の検定受けるつもりか。
うわぁ‥‥‥‥と僕はガチでビビる。
「そうしたら、『社会人』と見做されて、正式に各種資格が取れるでしょう。『わチャ験』みたいななんちゃって、じゃなくて。高校3年の1年間は医学部受験にあてて、1、2年の時間を10分割くらいして、使える資格を取りまくる予定を立ててるの」
ああ、まずもって凄まじい。――――と、ここでふと。
疑問が湧く。
「え、ちょっと待って。学校の授業は?」
「ちゃんとやってるよ。教科書読んでるし。暗記物は家の家事の合間で」
「へええ‥‥‥‥」
なにか凄まじい話を聞いてしまった。彼女の能力も凄まじいけど、その計画性というか、信念というか。この戦艦体験乗船も、きっと君の人生計画の一部なんだね。すごい。
こんなにしっかり自分の人生を見つめてるなんて。
でもなんだろう。違和感を感じる。そう、将来の事を話す中学生って、もっと目とかをキラキラさせながら話すよね? 彼女にはそれが感じられない。何か事情が? なんて考えてたら、逢初さんの方から言ってきてくれた。
「暖斗くん。‥‥‥‥引いたでしょ。わたしこんな、ガツガツした女子なんだよ。周りにも、『あまり高学歴すぎると結婚で苦労するぞ』って言われてて」
どうやら、ぼくが感心してたのを、彼女は悪く受け取ったみたいだ。上目でチラチラ、僕を気にしながら、申し訳無さそうに言葉を続けた。
そして、愛初さんが話してくれたのは、綿国ならではの――――
――――あの制度の弊害の事だった。




