第97話 生命機械①
話は、わたしがみんなに連絡をした少し前にさかのぼる。
さっきから、お腹の底に響くような地響きが伝わってくる。
わたしは経験でわかる。DMT同士の戦闘だ。
ビームが地面に着弾する音。それが少なくなってきたら、DMTが踏み込んで大地が割れる音。
間近で聞いたのは2回。わたしがハシリュー村で小型Botに連れ去られそうになった時と、ゼノス君と暖斗くんが戦った時。
あの、サリッサの刺突が空気を引き裂いて、頭の上で布が千切れるような音。
001号機が現われたエンジンの重低音と、金属製のバイオリンの断末魔のような金切り音。
どちらもわたしの耳が――――というよりは、この体全部で憶えている。あの振動を体中で浴びたら、忘れられないよ。
どちらも、暖斗くんが命がけでわたしを護ろうとしてくれた、護ってくれた大切な音。
だから、わたしは信じる。信じることができるのは、とっても幸せなこと。
「赤い」
それが、取り上げられた嬰児を見た所感だった。血液の色だ。帝王切開だからだけど、通常分娩でもこんな感じだとも聞いた。
そしてやはり、小さかった。2,500g以下を低出生体重児、1,500g以下を極低出生体重児、1,000g以下を超低出生云々‥‥‥‥と記憶した知識が脳内をめぐるけど、わたしが今できることは、点滴スタンドを掴んで支えているだけ。
一体この赤ちゃんが何グラムなのか、皆目わからない。超記憶、超計算力、と人から言われても、わたしは基本無力だよ。材料となるデータか若しくは経験知が無ければ、記憶もできないし計算もできない。
せいぜい、ペーパーテストで良い成績を残せるくらいだ。――そう言うと周りから一斉に嫌われるから、点数を取りすぎないよう自重してきた。そう言いたい人達の気持ちもわかるつもりだし。
でも寂しかった。わたしの孤独は、わたししか知らない。
「贅沢な悩み」? そうかもしれない。
「努力してもできない人の気持ちも考えてよ」? わたしだって努力はしてるよ? 何もせずに知識を得ているわけじゃない。学んだからこその「超記憶」だよ?
努力。その証明のために、医療系の資格を取りまくったりもして。
でも、みんなにわかってもらう努力は無駄だった。なぜなら「わたし」はこの世にひとりしかいないから。「わたし」の苦しみは「わたし」にしかわからないから。
物心つく頃には、陰キャになってた。‥‥‥‥いいえ。そうなることこそが、自己防衛だった。
「愛依。周りを見ろ。指示を待つ間も、オペの流れを頭に入れろ。ドクター、施術者が次に何を必要とするか、思惑を巡らせろ」
「ハイ! ごめんなさい! 小児科長」
師匠の言葉で我に返った。わたしを叱ってくれる大切な人。そうだ。今は手術に集中しなければ。
施術は終了に近い。あとは予後のケアにかかってくる。
「できれば、母体は麻酔が切れるまで動かしたくない。摘出児はどうだ?」
「やはり危険な状態です。安定するまで、目が離せません」
「そうか」
執刀医の初老の先生は、厳しい表情だった。そのまま天井を見上げながら。
「地響きも大分収まって来ましたか。逢初先生。桜木先生に聞きましたが、あの戦艦で帰艦したパイロットを治す役割だったと?」
「はい。『船医枠』での採用でしたので。戦闘が終わったパイロットのケアを担当しておりました」
「では‥‥‥‥心配では無かったですか? パイロットが無事、帰ってくるか?」
先生の皺が刻まれた顔貌の奥で、キラリと目が光った。小児科長にも訊かれた。
「そうだな愛依。私も興味がある。ただ待っている、というのは精神的に負荷が多い」
わたしは思い巡らす。この旅を。あのパイロットを。
そうだった。「右手」だ。わたしにはいつも彼の熱があった。
「‥‥‥‥最初は夢中でした。次に、やっぱり心配にはなりました。‥‥‥‥でもすぐ気づいたんです。『わたしが心配しても、しなくても、外の戦闘の結果には影響を及ぼさない』って」
「ほう」
「信じることができたんです。彼のことを」
「だが愛依。それならそのまま『外の戦闘で負ける』確率は依然としてあるんじゃないか? もし負けたらどうするんだ?」
わたしは、す~~~うっと息を吸った。何だろう。いつか誰かに訊かれる気がして、胸の奥に取っておいた答えのような気がする。
わたしは胸を張った。
「戦闘で敗北する、ということは、彼が敗けるということ。だったら、わたしも敗けます。戦艦と共に、わたしも彼と運命を共にします。彼が生きるなら、わたしも生きます。それが、『信じて待つ』という、わたしなりの考えです」
ぶはっ。と小児科長が吹きだした。初老の先生の方を向く。
「先生。愛依はこの旅で随分変わりました。いや、ここまでオトコに都合のいいオンナになってしまうとは。不肖の弟子です」
「まあまあ桜木先生。私の孫弟子でもあるのだし」
初老の先生はそう取りなしてくれて。でも小児科長はさらに質問してきた。
「愛依。この短い間に何があったんだ。まあ紘国本土も戦時モードなんだが。『ふれあい体験乗艦』はそんなに破天荒なのか?」
え~~と? とわたしは考える。
「そうですね。小型Botに連れ去られそうになったり、囚われて敵の基地を徒歩で脱出したり、大型DMTに追いかけられたり、ですね」
「きゃああ!」と壁にいる女性スタッフさんから悲鳴が上がる。「お前それでよく‥‥‥‥」と小児科長に呆れられた。
「‥‥‥‥あとはゼノス君に‥‥‥‥」
と言いかけて、ハッ! と気づく。ハシリュー村、アピちゃんの家で彼に囚われたことは秘密だった。まさかあんな恰好で机の上に突っ伏して、銃口突きつけられたり言葉責めをされた、なんて言えない。
敵性外国兵との濃厚接触者、という風聞もついてきてしまう。
‥‥‥‥あと「けっこうガチ目の」プロポーズされて、変な文言で丁重にお断りしたことも。
「なるほど。肝が坐るわけだ。‥‥ああ、みんなも聞いてくれ」
わたしが押し黙った所で初老の先生は、処置室を見渡しながら一回言葉を切った。
「逢初先生。‥‥‥‥いや、愛依さん」
次の言葉に、わたしは耳を疑った。「実はね‥‥‥‥」と先生は苦笑しながら。
「ここにいる医療スタッフ、私も含めてね。実は全員、震えていたんですよ」




