第9話 右手Ⅱ①
逢初愛依さんに、スプーンでミルクを飲ましてもらいながら僕は、相変わらず彼女のピンクのエプロンが、僕の肩に当たりはしないかと気にしていた。
「あ、暖斗くん。今暖斗君が飲んでるミルクって、一応『ミルク』って呼んでるけれど、
絋国軍特製のマジカルカレント後遺症候群回復用のスペシャルサプリメントなんだからね?」
え? じゃあ「ミルク」って呼ぶの止めてほしいなあ‥‥‥‥‥‥切実に。
一応、ミルクと呼ぶなんちゃら を口に運んでもらう作業は、大分彼女と息があってきた。もう「ハイ、いち にの さん」と声をかけなくても飲めるくらいに。
だけどそうは言っても、スプーンが来るタイミングに集中しているから、返事ができない。かわりに目配せと眉の動きで返事をするルールになっている。
僕は、YESの意味で両目を1回閉じる。
「うん。運営の人が、出航前に沢山積んどいてくれたんだよね。こうなることを分かってたのかな? 戦艦なのにお菓子もたくさん積んであったし」
そう話す彼女とは、ギリギリ絶妙に体は離れている。
「でも足りない物も出てきたんだよ? だって、体験乗船は6日間の予定だったでしょう? 例えば替えの下着とか。あとは‥」
「‥‥ぶほあ!」
「あ、‥‥‥ごめんなさい! ‥‥‥またしても今のはわたしが悪いよね」
盛大にミルクを噴いた僕に逢初さんはペコリと頭を下げると、急いで首回りを拭いてくれた。
「今回は、前かけがあるから被害が少ないよ。よかった。やっぱりこの子は優秀です!」
‥‥なんて彼女は言っているが、やっぱりこの娘は天然だ、と僕は再認識した。
どうしようか? 今後のためにもツッコミを入れた方がいいのかな‥‥‥‥。なんて逢初さんの顔を見て考えていたら。
「何か変?」
彼女が言った。目を伏せている様に見えるけど、なぜか僕の目線や動きは彼女には丸見えみたいだ。
「どう? こうするのは2回目だけれど、慣れたかな?」
「こうする」というのは「ハイ、あ~ん」の事だ。僕は、眉をしかめてNOのサインを送る。
「そう。実はわたしも慣れてないよ。さんざん、姪っ子たちのミルク係をやらされたのに、まさか同級生の男の子に、だもんね。ふふ。」
逢初さんは少し、はにかんで笑った。彼女の笑顔を見ながら、僕は思い出していた。
50年前、僕らの世界を、未知のウイルスが襲った。
新型サジタウイルス。
たくさんの人が亡くなったって聞いた。特に男の人。
死亡率は女の人の倍だったって。で、3年くらいして、そのサジタウイルスの流行は何とか収まった。今でもたまに感染者が出たってニュースになるけど、弱毒性になってるから、基本大ごとにはならない。
けど、その後、この国――絋国で起こった事は大変だった。
男子が生まれない。
男子が、とにかく生まれてこない。生まれたとしてもたまにしか。
僕の中学のクラスは男子10人女子30人、だけど女だけ、女子40人のクラスもある。
どうしてそうなっちゃったかは未だにわからない。
わかってたら、国とかが何とかしてるよね。とっくにさ。
民族の違い、流行った変異株の違い、打ったワクチンの違い、専門家の偉い人達はいまだに色々言ってるけど、とにかく50年、この状態が続いてしまっている。
あ、周りの国は、またそれぞれ状況が違うらしいよ。よくは知らないけど。
僕のひいおばあちゃんがたまに僕に愚痴るんだけど、絋国は昔男女平等の国だったんだって。色々問題はあったらしいけど、少なくとも「男女平等」の看板を掲げていた国だったんだって。
でも、アフターサジタで男の子ばっか大事にされて、今どきの男の子はみんな威張っていて良くないって。暖斗はそんな風にはなるな、ってよく言われたよ。
たまに麻妃とかが、
「ウチら『ひと山いくら』のセール品だし」
とか、
「ウチらが死んでも代わりの女子はいるっしょ?」
とか言うから、今どきの女子の方が、今のこの状況を受け入れちゃってる。またそれを見てひいおばあちゃんが口をモゴモゴさせるんだけど、しょうがないよね?
だってどうしようもないんだもん。男子が少ないのは。ただ、こんな僕にも、自分の意見みたいなのはあって。
前にも1回言ったけど、それは。
「暖斗くんは何で、この艦に?」
逢初さんに話しかけられて、僕の考え事は途切れた。
「ああ、僕の場合は‥‥‥この乗艦が兵役としてカウントできるから。まさかメンバーが男子1人だとは思わなかったけどね」
「じゃあ、将来はDMTのパイロット?」
「まさか!! 軍隊は何とか回避したいよ。父さんみたいな研究者なら‥‥‥‥いや、ゴメン。僕は何も考えて無いんだよ。ホントは。逢初さんみたいにもう目標持って色々取り組んでいるって、すごいと思う」
「あれ、なんかほめられちゃった? 暖斗くんに」
「でも、逢初さんの目標はガチすぎて、ほんのちょっとだけ引いたけどね」
「あ~、ひど~い。わざと上げといて下げるなんて。ふふ。」
ニコニコと笑う彼女の笑顔を見ながら、僕はまぶたが重くなるのを感じた。
「あと、正式にはね。DMTの操縦士は『ケラメウス』って言うんだって‥‥」
このセリフを彼女に言ったはずだけれど、ウトウトしていて記憶がない‥‥。
僕はこの後、寝落ちしてしまったようだ。
だけど、この後、逢初さんが、僕にこんな事をするなんて、思いもしなかった。
あ、それは、少し後になってわかる事なんだけど。
※逢初さんの取得資格については第2章冒頭の「人物紹介2」参照。




