第8話 突撃する赤ちゃんⅠ②
「あっ! ごっ ごめんなさい」
僕の顔の上に倒れこんだ逢初さんのほほ。
彼女は慌てて身を起こす。
「‥‥‥‥失礼しました。もう。ミルクを飲む前段階なのに、何やってんだろねわたし」
「前かけがダメならタオルでも何でもいいよ。パイロットスーツが汚れなければいいんでしょ?」
僕はそうフォローしたつもりだったが。
「せっかく作ったのに、何かくやしいよ暖斗くん。次回までには着けやすい新型前かけにしておくから、1回だけ、こうやってもいい?」
意外と逢初さんは固執するタイプだった。僕の言葉が着火点だったのかな? 成績のいい人って、できるまでやり続ける人だって、担任の先生が言ってたような。
‥‥彼女の自分ルールへのこだわりが、「わチャ験」の成功の元だったりするんだけど、それが悪い方向に向かってしまう事もある。――――特にこの旅では。
彼女は膝上10センチのプリーツスカートのまま、足を開いて僕の体にまたがると、その両手を僕の肩の辺りに置いた。
「!!」
目のやり場に困って思わずのけぞった。といっても、頭しか動かないが。
ベッドの上。なんか逢初さんに押し倒されたような恰好だよ。
「暖斗くん。協力して。痛いかもだけど、ちょっとだけ、首を上げてほしいの。お願い」
――――これ! ダメなやつだ!! 今医務室に誰かが入ってきたら絶対誤解されるヤツ!!
そして逢初さんは、前かけの装着にムキにになっちゃってるから、自分がものすごく大胆なことをしてる自覚が多分ない。‥‥‥もしくは、僕の事を本当に「赤ん坊」と思ってるとか?
しょうがないからツッコむのは諦めて、言われた通り首を持ち上げる。
「う‥‥ぐぐ‥‥いてて」
マジカルカレント後遺症候群の状態で無理に体を動かそうとすると、筋肉痛みたいな痛みがくる。まあ、そもそも僕の意思ではあまり動かないんだけど。今回は、ヒモを結ぶスペースぐらいは何とか作れたようだ。
それを見た逢初さんは短く気合いを入れると、僕の首に両手をまわして首後ろで前かけのヒモを結び始めた。
その間、僕の目前で揺れる綺麗に切り揃えられた前髪のことは、できるだけ考えないようにした。僕の体を跨いでいるセーラー服と、揺れるスカートのすそのことも。
集中していて気付かないのか、彼女の息が首まわりに微かに当たっていた。
「よし~」
僕の顔のすぐ上で、彼女が言った。うまく結べたようだ。
彼女のピンクのエプロンとお揃いではなかったけど、タオル地の前かけは僕の首もとに無事装着された。
「やったあ。やりとげました!」
セーラー服の上に着込んだ白衣のポケットから出てきたのは、件のピンクの前かけだった。彼女はそのうさぎと犬に満足げに唇をつける。――そんなに好きなのか? その犬とうさぎ。
彼女は満面の笑みで、とても満足げにアップリケの犬とうさぎを見ているけれど、やはりこの意匠は中2男子としては身に着けさせられるのは恥ずかしい。
でもちょっと想像してしまった。――もし僕があの「犬とうさぎのピンク前かけ」を装備したら、逢初さんはそのアップリケにキスをした?
***
「じゃあ、やっとミルクね。お待ちどうさま~」
いや待ってはね~し。
逢初さんが、セーラー服に白いドクターズコートの「医者コーデ」から、ピンクのエプロン姿の、「介護コーデ」に着替えてきた。今日はシュシュで髪を纏めて上げてもいる。
「バタバタしちゃったけど、これで落ち着くね。またまぶたでお話しよ」
前回の様に、ベッドの背板を45度に上げてから、左手をするっと首後ろに廻して枕にする。僕の方に体を寄せてきて、右手でスプーンを持ちながら、逢初さんが話しかけてくれた。
僕はこの前の取り決め通りの表情でのシグナル、YESの意味で、両目を1回閉じる。
「こうやって、ミルクを飲むのは2回目だけれども。もう慣れた? 暖斗くん」
僕は眉をしかめる。これはNOの意味。
「そう。‥‥そうだよね。ふふ。わたしも。さんざん姪っ子たちにミルクあげるのをやらされたんだけど、まさか同級生の男の子に、だもんね。」
僕は、自分の肩が彼女のピンクのエプロンに当たってしまわないかと気になっていた。1回目の出撃時の「暗闇案件」のこともあるし。
けれど、彼女は心得ているのか絶妙な距離を保って、ささやかな空間を空けている。
「わたしはね。Botが近づいた時内部ブロックへ避難したんだけど、ずっとモニター中継で見てたよ。DMTって、あんな風に戦うんだね。」
オレンジ色の夜灯がともされた医務室は、静かだ。
「不思議だよ。とっても不思議。だって」
僕を見ながら一瞬だけ小悪魔の顔。
「外であんな風にどっか~ん! って戦ってたのに、帰ってきたら医務室で、こうしてわたしに抱かれてミルク飲んでるんだもんね。暖斗くん」
‥‥からの母性の顔。
「ふふ。まるで赤ちゃんみたいに」
「んん~ゔ!」
僕はスプーンで口をふさがれながらも、大きくNOのリアクションをした。
「‥‥違う? ふふ。違わないよ? あなたは不思議な『突撃する赤ちゃん』だよ。わたしにとっては‥‥ね。ふふ」
「ぶ~!」
思いっきり眉をしかめて、不満を表してはみたけど。
少し、表情を曇らせる逢初さん。
「でもね。絶対無理はしないで。今現在の暖斗くんの血液は乳酸値が高めなの。やっぱり、マジカルカレント多めに使ったからかもね。前回より症状が強くでてるよ」
だけど、目を閉じながらミルクをくれる彼女の、口もとが少し微笑んだ。
「ありがとう。今回も敵をやっつけてくれて。みんなを、艦を守ってくれたんだよね。でも無理はしないでね? この後遺症候群は体を消耗させるのが主症状だから、限界を超えて使うと危険なの」
逢初さんは、ふうっとため息をついた。
「マジカルカレントってたぶん、諸刃の剣なんだと思う」
「暖斗くんは、この国では貴重な男子なんだし、サジタウイルスだってまだ残ってるし。新型の気配もあるし。さっき、『DMT戦は危険だから僕がやる』って言ってくれたのは、女子的にはすごくうれしい。男らしいと思うよ。でも、男子は希少で補充がきかないんだから、ね?」
彼女は、その内側にたまった感情を絞り出す様に身をよじった。そしてこう言った。
「『命を使い捨てる仕事』なら、山ほどいる女子がすべきなのよね。――本当は」
「――――!」
彼女の言葉に、今は、僕はあえて反論しなかった。いやできなかったのか? スプーンで口が塞がっていたから、というのが理由の半分だからだけど。
50年前のパンデミック、サジタウイルスの蔓延で、この国では男子が生まれて来なくなった。
それから世界が変わり、人々の意識も変わってしまった。
それは違うよ。逢初さん。
そう言える日は来るのだろうか。
医務室は、相変わらず静かだった。僕のバイタルサインを示す電子音と、スプーンを運ぶ逢初さんのかけ声が流れているだけだった。
「あのね。聞いて。暖斗くん」
彼女の言葉に、熱を感じた。
「‥‥‥‥わたしは医務室で待ってるから、ぜったいに無理はしないで。無事に帰ってきてね。ちゃんと、シーツもマクラも洗って、いざという時のお薬も準備して、ずっと、ずっと、――――待ってるから」
「‥‥‥‥そしてまた、わたしの胸のなかで、こうやって赤ちゃんみたいに。――わたしから‥‥‥‥ミルクを飲んで」
YESのかわりに、僕はまた両目を閉じた。
約束するよ。‥‥‥‥赤ちゃん扱いされるのは不本意だけれども。
この子を悲しませるのはもっと不本意だ。
あと、また「腕」を「胸」って言っちゃってるけど、今はスルーしておこう。
いいよね? 許してよ。さっきからさ。
「この『胸』の中に帰ってきて」って君の声が、脳の中から出ていかないんだ。
ね?
※シーツと枕カバーをきれいに洗っているのは?




