第82話 直通有線電話(発端Ⅳ)
まほろ市、郊外。午後。
街の喧噪から離れて、住宅街が目立ちはじめる、そんな閑静な場所に、それはあった。
「純喫茶 しらたき」
そこに、ふたりの少女が入店する。大人びた雰囲気の店の印象からは、やや場違いな、幼さの残る少女だ。
少女達は、誘われたテーブル席へは着かず、カウンター席へ直行する。無断で腰かけると、その向こうのマスターに不躾に注文する。
「おじさん! あ‥‥‥‥マスターって呼んだ方がいい? 私達、アイスが食べたいの。【ストロベリーショート】と、【ミントチップ】と、【チョコマーブル】がトッピングされたヤツ!」
マスター、と呼ばれた初老の男性は、眼鏡の向こうの眉をひそめながら。
「‥‥‥‥【お嬢さん達かわいい】ですね。それでしたら、【もう一品サービス】致しますが?」
一見と思われる若い客に、随分と甘い対応だ。いかな客とはいえ、この少女達は店の空気を読めていない。「純喫茶」というものは、心地よい大人の空間を、店と客とで作る物なのだ。
少女達は臆する事がない。若いとは、そういう事なのか。――むしろ積極的に、店の空気を自分達の色に染めようとするフシさえある。
「ラッキー。ありがとおじさん。じゃ、【抹茶ラズベリー】で!」
「‥‥‥‥!」
マスターは無表情のまま、冷凍庫を開け、アイスを作る作業に入った。
「お客様。しばらくお時間をいただきます。カウンター席では空調の風が当たり、アイスが溶けやすいです。‥‥‥‥どうか、【奥の部屋】をお使いください」
カウンターのマスターが指し示す先に、洒落た木製のドアがあった。ふたりの少女は、無言でそのドアに近づいていく。
――――周りを警戒しながら。
ドアの先には、瀟洒な、しかし滅多に人が入らないのか、淀んだ空気の小部屋があった。
窓から射す陽光が、部屋にたなびく塵芥を、キラキラと光らせている。
部屋には木目のテーブルが1つだけ。意匠を合わせた椅子が、4つだけ。
そしてそのテーブルの中央に、黒い電話器が1台、ぽつんと置いてあった。
今どきはもう、完全に見なくなった、ダイヤル式。いわゆる【黒電話】だ。
「‥‥‥‥これか。デジタル盗聴のいたちごっこの終着点が、大昔のアナログ通信とは」
「そうね。その内、伝書鳩とか飛ばすかしらね?」
「うん。やりかねないな。わが軍」
三つ編みに黒縁メガネの少女が呟くと、もうひとり、明るい髪色のセミロングが受話器を取った。そして黒縁メガネに呼びかける。
「‥‥‥‥光莉。一旦この部屋から出て。‥‥そうね。この窓の外くらいがいいわ。私が直視できて、なおかつ私の会話が聞こえないくらいの場所。このままここにいたら、あなたを私の【予備リスト】に入れなきゃならなくなる」
言われた黒縁メガネ――子恋光莉は、無言で言われた通りにする。
それを確認した少女、渚陽葵は、【黒電話】のダイヤルを回して通話を始めた。
「‥‥‥‥もしもし。司令本部。諜報部へ。こちら、【薫る島風】」
「【薫る島風】、承認した。【予備リスト】確定者はいるか?」
「ツヌ国情報将校、ゼノス=ティッシオ1名のみ。ただこの対象は、【UO案件】には到達しえないと考えます」
「貴様の考察は質問していない。対象者への【行動】は可能か?」
「失礼しました。現在対象はDMT戦に敗北、ツヌに帰還中。再度派兵されるようなら【行動】します」
「‥‥‥‥了解。【本リスト】確定者は?」
「‥‥‥‥‥‥現在いません。紅葉ヶ丘の【運用】以外、進行は良好です」
「承認した」
「‥‥‥‥この後、子恋学生と替わります。作戦本部へ」
「了解した」
渚は【黒電話】の通話口を手で軽く押さえて、窓の外の子恋に目配せする。子恋はすぐに部屋へと戻ってきた。
渚と子恋が入れ替わる。――――渚は、入り口ドアの横、部屋の片隅に身体を預ける。
鋭い視線を周囲に向けながら、壁に溶け込むように、そっと気配を消した‥‥‥‥。
子恋が受話器を取って、しばらくして。
「あっ!! お父さま~~♡。お久しぶりです。光莉よ。もう~寂しかった~。‥‥‥‥うん、うん。光莉は元気だよ。大丈夫。お父様や運営のみんなが選んでくれた子達だもん。みんな優秀。みんないい子」
「‥‥‥‥うん。順調だよ。【UOの秘密】も漏れてないし。敵にも味方にも」
「‥‥‥‥うん! でね。【カタフニア】、なんだけど、こっちで管理していい? お願い。そうしたいの。‥‥‥‥やったあ! 大好き! お父様♡ これで光莉のカードが増える。やったね!」
「うん。‥‥‥‥うん。それはもう。‥‥‥‥え!? 無理はしないよ。いざとなったら、UOで逃げるし。‥‥‥‥でね。光莉、お父様にお願いがあるの。‥‥‥‥ううん。違うよ。そうじゃなくて。お父様から皇帝閣下にお願いしてほしいの。光莉が、『お兄様』に逢いたいって言ってたって。ガンジス島で、『一番ロマンチックなタイミング』で逢いたいから待ってますって」
「‥‥‥‥はい‥‥‥‥はい。ごめんなさい。無理は言いません。ごめんなさい。‥‥‥‥あくまで光莉のお願いよ。‥‥‥‥でも、お願い叶えてくれるなら、今回のご褒美はいりません。‥‥‥‥だって、『お兄様』にお逢いできるし、たぶんご褒美どころじゃなくなってるから」
「‥‥‥‥うん‥‥‥‥うん。‥‥‥‥本当? ‥‥‥‥本当!? やったぁ。うれしい! ありがとう!! 大好き!! お父様!!! じゃ。また。作戦終了後に。‥‥‥‥はい」
――――チン!
アナログな金属音を立てて、受話器は置かれた。
「‥‥‥‥あんたら父娘の会話、マジ無理。毎回胸やけするわ」
「そう? 私は否定も肯定もしないよ? どんな私でも」
「でた。強メンタル。実の父親手駒にするのやめなさい。それにあの方々まで巻き込もうとして」
「いいじゃない? きっとお兄様も戦歴が欲しい頃だわ。きっと」
「‥‥‥‥だって、あの方々島に呼んじゃったら、首都防衛はどうするのよ?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥大丈夫よ? もうその時には、世界中の軍人がこのガンジス島を見てるハズだから。そうせざるを得ない状況だから。絋国首都なんて頭の隅にも無くなってる」
「‥‥‥‥こわ。我が親友ながらマジで怖いわ」
その形の良い眉をしかめ、呆れて空を見上げる渚に、子恋が下から睨めつけた。
「陽葵。その言葉そっくり返すわ。あなたの【リスト】に入る方が100万倍怖いわよ。我が親友?」
※ 【黒電話】。




