第4話 右手Ⅰ②
「暖斗くん。もう朝でちゅよ? ばぶ~~」
その声でうっすらと目が覚める。僕は、あの逢初さんの胸に抱かれていた‥‥。ふんわりと暖かかった。
その隣には幼馴染みの麻妃が。こっちを覗きこんでいて。
「哀れぬっくん。マジモンのマジで赤ちゃんになっちゃうとは‥‥」
は? 何言ってんだ麻妃。確かに「強制赤ちゃんプレイ」を食らいそうだったけど、ギリ回避したんだよ?
あと今「ぬっくん」って呼んだな!? 止めろよソレ。もう中学生なんだから俺は。
と、不意に逢初さんの肩越しに、外の景色が飛び込んでくる。
田舎の村だ。そこに木や石でできた中世風の民家と、剣を持った甲冑の兵士。ローブを着た魔法使いは、呪文を唱えて手の先から火炎を出していた。
んん? なにこれ? まるっきり今ハマってるゲームの世界じゃないか?
「さあ暖斗くん。ミルクでちゅよ~~」
逢初さんがあのほ乳瓶を取り出す。手で払おうとして気がついた。
僕は、僕の身体は赤ん坊だった。あの異世界風の景色の中で彼女にいだかれて、ミルクを飲むところだった。
え? 転生? 異世界で赤ん坊に転生してんの?
「うふふふふ。赤ちゃんがほ乳瓶でミルク飲むのは当たり前。‥‥なんにも恥ずかしいことじゃあないわ。ね? 暖斗くんベイビィ♡」
あのほ乳瓶が近づいてくる。この身体では、抵抗すらできない。
やめろぉ!! やっと回避したのに! 彼女には悪いことしたけど、やっと回避できたんだ! 「強制赤ちゃんプレイ」ルートを!
その結果が、異世界転移&赤ちゃんスタートですかっ!?
あんまりだ! これは呪いか!?
***
「‥‥‥‥あれ?」
目が覚めた。確か、僕は‥‥‥‥?
僕は周りを見渡した。オレンジの照明、ほのかに暗い。医務室だ。時間は? ‥‥21時? えっと、Botと戦ったのが15時くらいで、医務室に来たのが夕方な感じだったけど、もう夜か。
ああ良かった。転移もプレイも夢だったか。
あ、逢初さんは?
彼女は、僕の居るベッドの隅に首をあずけて寝ていた。
「‥‥‥‥あ、起きた? 咲見くん、あれからあのまま寝ちゃったんだよ」
あれ、というのは、彼女から、スプーンでミルクを飲んだことだよね。そうか、あのまま寝落ちしたのか。
良かった‥‥! 何か悪夢を見た気がしたから。
「逢初さんは夕食は?」
「いただきましたよ。そのあと、ここに戻って来て『レポートとか仕上げようかな』とか思ったんだけど、わたしも寝落ちしちゃた」
彼女は、にっこりと笑った。
「お腹空いてない? あと、体の調子はどう?」
あ、そうだった。そもそも首から下が動かないからここに運ばれてんだよね。えっと。
「ちょっと痛いけど、少し動かせるみたいだよ。あとゴハンは‥‥正直寝起きでよく分からないや。それよりも‥‥‥‥」
「‥‥なに?」
ちょっと恥ずかしかったけど、彼女に介助してもらって、トイレに行った。あ、もちろん入口までだよ? 介助されたのは。痛む身体で何とか用を足して、歯を磨いて。
それから少し話をした。
「少し動けるようになって良かったよ。あの、逢初さん、これからどうなってくの?」
「しっかり栄養補給して、しっかり休息をとれば、どんどん元通りになってくばずだよ。で、そうなって来たら、離乳食ね」
「‥‥冗談でしょ?」
「いえいえ。いつまでもミルクだけって訳にもいかないでしょ? だから、体の回復に合わせて、普通の食事に戻していくんだよ。あ、前掛け作ろうか。咲見くん専用の。きっとうまく食べれなくて、パイロットスーツを汚しちゃうと思うから」
彼女はくすくす笑った。何か反論したかったけど、この動かない身体で粗相をしない自信はなかった。
話していたらだんだんお腹が空いてきた。彼女に言うと「ほらやっぱり」と言ってまたあのミルクを用意してくれた。まさが、日付が変わらない内に、再びコレをやる事になるとは!!
ふたりで知恵を絞っておいたから。
2回目のスプーンマラソンは少し楽になってた。
前回よりベッドの背板を少し起こす。そして僕の右側についた彼女が、僕の背中に手を回して左肩あたりに手を添える。そのまま肘で僕の首あたりを受けるんだ。
こうすると喉が開くから僕はスプーンを受け入れやすい。ほ乳瓶で飲もうとした時とコツは同じだ。後はミルクを入れた容器を、テーブルのほうを動かしてなるべく顔の近くに設置する。逢初さんの負担軽減だね。
――――ただひとつ問題なのは、この姿勢だと逢初さんの顔と身体が近い、近すぎること。辛うじてぶつかってないけどギリギリの距離だ。彼女は「このほうが。わたしも楽だから」と言っていた。医療の現場では、患者さんと接する時にどうしても近くなる事もあるから、――――と。
逢初さんのまつ毛の本数を今度こそ把握してしまえそうで。あと、おでこの曲線がものすごく綺麗だ。そのカーブが始まってから前髪の生え際が来る事を知った。女子って、何か男子と根本的に骨格が違う、――のかな?
「ね、逢初さん、軍艦に、なんでほ乳瓶なんてあるのかな、医務室の備品?」
「いえいえ、わたしの発案だよ。おしゃぶりのところだけ、艦のCAD/CAMで作ってもらったの」
「へえ」
「七道さんは、『戦闘配備中に!? 今作らなきゃダメか?』って、驚いてたよ」
「だろうねえ」
逢初さんは、温かいタオルで僕の顔や首筋を拭いてくれた。今日はお風呂に入れないだろうから、と。
「あの、逢初さん」
ひとつ弁明しておきたかった。
「さっきね、僕がほ乳瓶でミルク飲もうとした時に、君の顔を見ていたのは、あの、変な意味がある訳じゃなくて。やることがなかった‥‥というか」
「わかってるよ」
そう言ってから、静かに続けた。
「だって授乳の時って、赤ちゃんはお母さんの顔を見ているものだから」
え!? 今、なんて!?
「赤ちゃん扱いしないでよ。ほ乳瓶で飲んでないし。14才だよ? 僕は」
その言葉に、彼女は、うれしそうに反応した。
「そうかなあ。ふふ。少なくとも、わたしの胸の中では、咲見くんは赤ちゃんだったよ?」
「‥‥‥‥はい?」
彼女は、また頬を赤らめた。
「あっ!! 違う! 言いまちがえましたっ!!『わたしの腕の中では』ですっ!!」
だよね。天然か。やはり。しかし、リアクションしにくい変な空気になっちゃった。
「じゃ、じゃあ、ミルク冷めちゃうし、そろそろ再開を」
「ハイ! あ~~ん」
そう言いながら彼女が、右手のスプーンを僕の口に伸ばしてきた。え、このタイミングで? この空気で?
「う、うん」
とりあえず、返事はしといたけど。
「胸じゃないからね。腕だから」
「!!‥‥ぶほっ」
危うくもう一度、制服の胸のリボンをガン見するところだった。罠か!? ワザと言ってるのか!? この娘。
逢初愛依から繰り出されるパワーワード。その天然性に僕は戦慄した。
※異世界転移とか。




