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第4話 右手Ⅰ①

 




 ※【前回までのあらすじ】 ほ乳瓶でミルクを飲まんと欲す若きふたりだったが、もう限界だった。色んな意味で。



 逢初さんは固まってしまった。僕は――さっき暗闇の中で何が起こったのか? よく分からないんだけど、やっぱりこれは無理そうだ。



「あ~逢初さん。あらためてなんだけど他に方法は? 軍専用の錠剤とか? 点滴とか?」


 一応聞いてみた。



「‥‥‥‥」


 僕が質問を投げると、しばらく石の様だった彼女も答えてくれた。『医療人』として答えないといけないと思ったらしい。


「錠剤はないです。点滴は‥‥‥‥あるけど最終手段でお願いします。わたし準々医師だけど資格だけのペーパーで、手技とかは未修得だから。咲見くんの腕に針を刺すなんて怖くてできないよ。それならまだ‥‥」


 え? あれ? 今の彼女のセリフって?


「うん? じゃあ他にもいくつか手段があるの? ‥‥‥‥例えば最終手段のいっこ手前とか?」


「うん。あるよ。スプーンでミルクを口に運ぶとか。でもかなり上手くやらないと、むせ込む確率高いよ」


「‥‥‥‥って手段あるじゃん? じゃあ『ほ乳瓶でミルク(こんなの)』は全力回避だ!」


 と、(心の中で)拳を突き上げる僕に、逢初さんが詰め寄ってきた。


「『ほ乳瓶でミルク』って、わたし、望んでワザとやってるんじゃないから。わかってくれるよね? 赤ちゃんはおっぱい飲むでしょう? 新生児の未発達な筋肉で、未発達な脳で、生れ落ちてすぐ、おっぱい飲めるように‥‥‥‥」


「ちょっと待って逢初さん!」


「なあに? 咲見くん」


「‥‥‥‥」


「あ、具合悪いの? どこ?」


「‥‥‥‥いえ。続けてください」


「‥‥‥‥そう? えっと、だから『乳児におっぱい』って赤ちゃんにインプットされている初期仕様なのよ。本能。すべて生物学的、運動工学的に理に適ってるのが『ほ乳瓶』。乳首を吸うってそういうことよ?」


「‥‥‥‥うん。そうか。なるほど」


「わかってもらってうれしいわ。おっぱいは暖斗くんの患者利益(ベネフィット)



 心を乱す単語の連射で思考が蜂の巣にされた。内容が「一切」入ってこなかった。


 僕は心を無にして、なるべく聞き流す事にした。――そうだ。逢初さんは医学的な事実を言っているだけ。そう。そうなんだ。




「‥‥‥‥じゃあ、代案! スプーンでおっぱい飲みましょう」



 She is the『医療人』。――精神的に復活した逢初さんが僕に迫ってきた。



摂食(せっしょく)嚥下(えんげ)能力が低下してるから、スプーンで少し奥に入れてあげるのがコツだって。嘔吐反射は強め? タイミング良くうまく飲み込んで」


「顔が近いよ」


「ちゃんと嚥下(えんげ)‥‥ごっくんできたか確認するから近づくよ。出来なければもっっと近づくわ‥‥‥‥」



 と、彼女は重心を前にシフトして、ベッドの上に左手を置いていた。


 ――けど、その左手が かくん、と崩れた。



「ひゃああ」


 医務室に透き通った嬌声が響く。前にのめった逢初さんは、僕の顔の下あごあたりにぶつかっていた。


 髪の香りと、プリンのような柔らかい肌の感触があった。




 ‥‥さては‥‥‥‥この()ドジっ子か。確かに点滴の針とか持たせたら怖い人種かも。彼女は自分の口もとをおさえていた。どうやら口と口が、というベタな展開は回避されたらしい。


 僕はどのみち動けないから、なにか事故があった時は0対100で相手の過失になる。そこにだけは少し感謝する。




 ***




「‥‥‥‥じゃ、あらためて。呼吸を合わせてやりましょう」


 しばらくして逢初さんが再度復活した。‥‥‥‥意外とメンタル強いのか? 医療人。



「ほ乳瓶はあきらめます。やっぱり恥ずかしいよね? 男の子は。今回は患者様(ペイシェント)の意向を汲みます。――――で、スプーンね」


 彼女の手には金属製の匙が。普通のサイズだ。


「はい、あ~ん――で、口に運ぶから、上手く飲み込んでね」



 それから、ふたりでの共同作業が始まった。やってく内に、やはりというか――逢初さんはどんどん熱が入って近づいてくる。


「もっとタイミングあうかな? あと舌を下に下げる感じで。――そうそう。じゃあいくよ? はい。あ~~ん」


「‥‥‥‥」


「はい。あ~~ん」


「‥‥あの、逢初さん。スプーン構えた時に見つめ‥‥目をあわせるのは必要?」


「そこで呼吸をあわせてるつもりなんだけど? だめ?」


「うう~~ん。あと、顔も近いよ?」


「小児科あるあるかなあ? 普段はもっと近いよ。はい。あ~~ん」


「ち、近いって」


「うふふ。つばめのお母さんになった気分」


「なんか言った?」


「いいえ。さ、はい。あ~~ん、っと」



 甘い。


 僕の胸の内の所感。新婚ってこんな感じ? 女の子と過ごすってこんな気持ちになるのか、と未知の体験にぞわぞわする。


 たまらなく恥ずかしいのも何とか「これは単なる作業なんだ」と思い込む努力で封じこめようとしていた。



「はい。あ~~ん」


「作業」は続く。さっきみたいに、――イヤ、それ以上に、彼女が右肩に接近、接触してくる。


「はい。あ~~ん」


 肩が密着するこの距離感とリズム‥‥‥‥むしろ二人三脚って感じかな。


「はい。あ~~ん」


 普通サイズのスプーンで、300mlほどの液体を飲み干す。一回の量はたかが知れている。何回やってもミルクが全然減っていかない。


「はい。あ~~ん」


「あの、もっと大きなスプーンでも‥‥‥‥?」


「うん。そうしたいんだけど、今日は無理かなあ。さっきむせ込んでたし、そもそも喉の筋肉動きにくいんだからね。‥‥ごめんね。大変だけど根気よくやりましょうね」


「はい。あ~~ん」 「ぐほぁ」


 雑念が入ったせいか飲み込みに失敗した。――――僕のせいだ。


 彼女は新しいタオルを僕の口もとに当て、テーブルの水分も素早く拭き取った。さすがに手馴れている。


「‥‥‥‥焦らなくていいよ。ゆっくりやりましょう。‥‥はい!」



「はい。あ~‥‥‥‥大丈夫? 一回身体を起こすね?」


「はい。あ~~ん。上手上手。――――はい! あ‥‥‥‥ごめん、ちょっとわたしが早かったね」





 僕は、大バカ者だった。


 医療というものを知らなかった。あまりにも。





 逢初さんはこの、「スプーンで飲ます」ことが膨大な労力なのを知っていて、ほ乳瓶を勧めていたんだ。素直にあれで飲んでいたら、彼女はどんなに楽だったろう。


「はい。あ~~ん」


 僕の、つまらない、――本当に本当に くっっっっだらないカッコつけのせいで、この子にものすごい負担をさせてしまっている。


「はい。あ~~ん」


 数えるのも嫌になるくらいの、何十回目かのスプーン。


「はい。あ~~ん」



 そのスプーンが、筋肉疲労で震えてきて、思わず見た彼女のこめかみにひとすじ汗が浮かんでいるのを見つけた時、思わず顔をそむけてしまった。



「はい。‥‥‥‥どうしたの?」



 僕は目を閉じて、目から出る熱い物を必死にこらえる。動かした時に首が痛んだが、それが何だっていうんだ。



 思えば彼女は、泥だらけの僕に駆けよった。(いだ)いてくれた。


 まだ未熟かもしれない。経験不足かもしれない。


 でもわかる。彼女は本物の「医療人」なんだと。






「‥‥‥‥どうしたの? 咲見くん」


 右手を下ろしてその二の腕あたりをさすりながら、逢初さんは語りかける。




「――――気にしないで。気にしちゃダメ」


 何かを察したみたいだ。


「あのね。わたしはこう思ってるの。咲見くんは艦外で、DMTで戦ってくれた。だから、わたし達はこうやって旅を続けられているの。――――あなたが、危険な任務をこなしてくれたから」


「や、‥‥‥‥でも、あんなちっさいBotなら、DMTが勝つのは当たり前で‥‥‥‥」


「そうだとしても、だよ? 危険なことには変わりないよ? そして、その代償のマジカルカレント後遺症候群。だから、今度はわたしが使命を果たさなきゃ。課せられた『主任務』を。それは、咲見くんの病変に、医療の分野から人的介入をして、現状回復をしてもらうこと」



 耳だけで彼女の言葉を聞いていた僕は、首をもどした。


 逢初さんの大きな瞳が待っていた。



「ギブアンドテイクだよ。そしてわたしは、わたし達は、感謝してるの。あなたがふたつ返事で戦闘行為を了承してくれたことに。この戦艦のたったひとりの男の子の、そのキモチに。――ほ乳瓶は恥ずかしい? そうだよね。ふふ。別の方法があるなら、今度はわたしがそれを全力で果たせばいいのよ? そうでしょう?」


 小首をかしげながら、僕の目に問いかけてくる。


「‥‥‥‥‥‥そして、たったそれだけのこと」



 彼女は笑った。優しくて眩しかった。





「ミルクが冷めちゃった」と言って、彼女はしなやかな黒髪を揺らしながらバックヤードに消えた。




 僕は知った。――たぶん、と言うか。生まれて初めて。



 女の人って、こんなに優しいんだって。女の子って、こんなにも人の心を穏やかにしてくれるんだって。




 そして、「医療」って、こんなにもシビアなんだって。





 それを知った、14才の夏だった。






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― 新着の感想 ―
Xから来ました。 思春期の男の子の感情やまだ未熟ながらも医療に対して真剣に取り組む2人のやり取りがとても素敵でした!
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