第45話 左目Ⅱ②
「うたこ! うたこ!!」
私は、暖斗くんの部屋を飛び出すと、隣りの部屋へ駆けこむ。
「暖斗くんが‥‥‥‥」
うたこが驚いている。
「どしたの? 急変?」
「泣いてる‥‥」
「‥‥‥‥え?」
「泣き出した‥‥泣き出したんだよぅ‥‥急に。暖斗くんが」
「わかった」
うたこはバネみたいに立ち上がって廊下へ跳び出した! ――んだけど、通路へ出るなりゆっくり大股で歩き出した。深呼吸をしながら。
うたこの背中に私は、ぶつかりそうになる。
「‥‥‥‥桃山です。入ります」
暖斗くんは、さっきと同じ場所、同じポーズのままだった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
その彼を、じっと見つめるうたこ。
と、急にわたしに振りかえった。今度は私を凝視してくる。
その意図を理解した。
(私を呼んだ、って事は、私に『やれ』って事よね? 本当に、それでいいのね? いちこ)
親友の顔はそう言っていた。私にはもう選択肢がない。目を合わせながらゆっくり頷いた。
「どうしたの? 暖斗くん‥‥‥‥」
「あ!」
うたこは、聞き取れないくらいのやさしい声で、暖斗くんの隣に座った。
そこはさっきまで私が座ってた場所、椅子のさらに奥、ベッドの上だった。
声を上げてしまったけれど、もう遅い。
「どぉしたの? 暖斗くん。私と一華がいるよ」
うつむく暖斗くんに、そっと顔を近づける。
「僕が、‥‥ふがいないせいで、愛依が‥‥‥‥」
うつむく顔は、何度もむせびながら、やっとそれだけ言った。
‥‥‥‥やっぱり。
逢初、愛依さん――暖斗くんの口からその単語が出ただけで、私は死にそうになる。
でも、同時に自分がした事を思い出した。「本物の兵隊に組み伏せられてトラウマだった」と。「キモかった」と。
それならば、敵兵に捕まって拳銃を突きつけられた逢初さんはどうなのか。女子の内々では、もっと色々ヒドイことをされたとも聞こえている。
そもそも、そんな傷ついた逢初さんに、傷口に塩をぬり込むようなことを抜かしたあのチ○カス野郎に、私は激怒したのではなかったか?
そうだよ。カス野郎が拳を振り上げたから、思わず体が動いたんだよ!
よりによって暖斗くんに! って。
でも、状況わかっちゃった。ああ。そうだよね‥‥‥‥!
私の不用意な言葉が、暖斗くんの一番大切な人を想う心を、えぐってしまった事を、
愚かな私はやっと理解した。
でも、――――愚かな私は、この後、さらに自分の愚かさを思い知る事になる――。
「そんなことない。そんなことないよ。暖斗くんが駆けつけて、逢初さんを助けたんでしょ? 暖斗くん、ありえない速さで機動したんだよ。私なんて戦場に着けなかったもん。暖斗くんが! あなたが! 助けたのよ!」
うたこは、暖斗くんの話にうなずきながら、やさしく慰める。
まるで母親と幼児のようだ。
思えば、男子が取り乱すこんな場面に、私は居合わせた経験がない。ウチの中学に男子がいないから?
そうかもだけど。
暖斗くんは、本当に逢初さんの事を心配しているんだ。今日になって、検査結果も公表されて、彼女が書いた『敵兵と遭遇したレポート』も読んだ。でもさっき、チラっと「僕はまだあれから会ってない、顔をみてない」、って言ってた。
私は、自分のことばっかり考えていた。最低だ。最低の女だ。
暖斗くんは深く傷ついていた。
村を離れたことを悔いていた。
逢初さんの身に起こったことを、自分の無力が原因だと感じていた。
いや、少なくとも、私の前ではそれを見せないように努めていたのに、私がスイッチを入れてしまった。
そして今。
私の目の前でうたこが、時に母の様に、時に姉の様に、妹の様に恋人の様に、暖斗くんを受け入れながら慰めていく。何回か目があった。
(ほら、こうやってやるんだよ。本当はいちこがやるんだよ。アンタ、暖斗くんのとなりにいたいんでしょ?)
彼女の目はそう言っていたけど。
できなかった。私には。あああ。
そうか。人を好きになるって、その人のいい所を見つけて好きになるってことだけじゃなくて、悪い所、弱い所も受け入れるって事?
私は、暖斗くんが弱さを、涙を見せた時点で逃げ出した。
うたこを頼った。
これは「失恋」じゃない。
「失格」
ああ、暖斗くんが少し落ち着いてきた。さすがは、うたこ。
「ふたりとも、こんな取り乱した所を見せてごめん。浜さん。桃山さんを呼んできてくれてありがとう」
はああぁぁ、「浜さん」‥‥‥‥‥‥か。
今ごろ、本当は。本当は。本当は。
私の事、「一華」って呼んでもらってる予定だったのに。
そして、「うたこを呼んできた事」について、お礼を言われてしまった。
もうワケがわからない。
‥‥控えめに言って地獄だ。
なんて自虐に浸るヒマはなかった。我が親友の予想外の行動。
このタイミングで、うたこが号泣しだした。
***
桃山詩女――うたこは、私の親友だ。これまでもそうだし、きっとこれからもそうだ。少なくとも私はそう思っている。
そして、親友の私が断言するけれど、うたこは決して「そういう子」ではない。
つまり、親友の想い人に「あざとい事をする子ではない」と、いうこと。
この時、うたこは。
「そんなこと言ったら。私だって逢初さん気の毒で」
としゃくりあげて泣いた。当然、逢初さんの身におこった事はショッキングで、同性として胸が痛い。
そんな所で、私に呼ばれ、暖斗くんの悲しみに触れてしまったうたこは、暖斗くんの感情に同調してしまったらしい。うたこは昔からコミュ力が高い。
私が悲しい時には、私以上に悲しんでくれる子だ。
だから、もう一度断言する。うたこは決して「そういう子」じゃあない。
でも結果的に、悲しみの感情を分けあうふたりと、その他約1名の私、みたいになってしまった。
「あ‥‥」
発見してしまった。しゃくりあげるたびに、うたこの胸が暖斗くんの肘に当たってる。でもこの状況で、「うたこ、胸が」と耳打ちするのもおかしいし。
あ、暖斗くんの肘が不自然に引っこんだ。気がついたんだ。さすが暖斗くん紳士。
――――っていうか、私は何やってんだ!
暖斗くんは、その引っこめた左腕を背後に回して、うたこの背中をさすり始めた。
さすが暖斗くん優しい。‥‥‥‥ってそこは、私がいたポジションだ。
私がさすってもらえた未来もあったのに。
地獄だ。
暖斗くんには、同母妹がいると聞いた。うたこをなだめるその表情は、優しいお兄さんのようだ。ああ、こんな表情もするんだ、と胸が痛くなる。
あ、でもそういえば。
絋国男子たるもの、女子の前でメソメソ泣くな。
近所のおじいさんが男孫に言っていた。それがこの国の気風だ。暖斗くんは、私達の前で泣いてしまった。相当にバツが悪いはずだった。さっきまでは。
今は、うたこが大泣きして、それを暖斗くんが慰めてる。暖斗くんの体面を考えたら、これって最適解、満点回答なのでは?
うたこは、「こういうもの」を持っていて、それを嫌味なく発動できるから、皆に好かれる。
「これでいいんだ。暖斗くんが元気になってくれるなら、結果オーライだし」
私は自分に、そう言いきかせる事にした。
そして。
うたこには、いつかこう言ってやろう。
いつか。このハナシが笑い話にできた時に。
「うたこって、そういうお仕事に向いてんじゃない? ご指名いっぱいもらえるよ」
とか。
あの時、英雄さんに殴られたあと、暖斗くんが両手を握ってくれて、心配してくれた。その時、左目から涙が出た。どうして左目だけ? とは思ったけれど。
今日、暖斗くんが泣いて、さらにうたこが大泣きして。
でも、私の左目からは、もう。
――――涙も出なかった。
※恐るべき詩女の状況対応能力。想い人との相性が、親友詩女の方が良いという現実。でも一華は誰をも恨むことはなかった。そして第5部へ。
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