第3話 心音Ⅰ①
「ど、どうしたの? 逢初さん。今、何て?」
困惑した僕が、逢初さんを凝視してしまっていたので、それに気がついた彼女は、赤く染まった頬を横髪で隠した。
だけど、その動かした分の髪に覆われていた、耳やうなじがあらわになって‥‥‥‥。
髪のあいまから見える彼女のうなじや耳朶までも、赤くなっているのが見えてしまった。
「いてててて」
僕の両腕に、徐々に痛みが襲ってきた。筋肉痛のような、というか、それの痛みだ。さっき、身ぶり手ぶりをしようとして力んだからマジカルカレント後遺症が出たかも。
「だ‥‥大丈夫?」
逢初さんは再び近づいて来てくれた。ん? あれ? 痛がるとケアしてはくれる?
よかった。てっきり僕が何か、やらかしたのかと。
彼女は、声を押し殺す僕に体を寄せて、痛む両腕を一心にさすってくれた。赤らめた頬は僕から逸らしたままだけど。
う~ん、これは‥‥‥‥もしかして。
「いてて‥‥あの、逢初さん、ミルクは‥‥」
「‥‥‥‥はい」
「さっきまで、『肺炎が――』とか『筋肉が――』とか熱心に説明してくれたけど、もう飲んだ方がいいよね?」
「‥‥‥‥うん」
やっぱりだ。
「‥‥違ったらごめん。僕にミルクやるのが、その、気まずくなった――とか?」
逢初さんは、首をコクリ、と垂らした。
そして申し訳なさそうに、話してくれた。
「バイト先みたいに、患者様に接する感じで‥‥普通にできるはずなのに。ミルクをあげる時になって、咲見くんと目が合ったら、なんだか‥‥急に‥‥。バイト先は小児科だし、普段男の人に近づくことすら少ないのにほ乳瓶で授乳‥‥! 『わたし、男子に‥‥』って急に意識しちゃって‥‥‥‥ご、ごめんなさい」
ハンカチで表情を隠すと、ぺこりと頭を下げる。
「そう。バイトしてるんだ。すごいね」
「うん‥‥‥‥れんげ市海軍病院だよ。ここひと月は乗艦船医研修を‥‥」
申し訳なさそうに、彼女はそう言った。そんな逢初さんを見つめていたら――少しわかってきた。
この娘は、「医療従事者」と「中2女子」の2つの顏を持っているんだ。
さっきまで、必死に「医療従事者」として僕に接してきた。けど、ミルクをあげる場面になって、素に戻っちゃった。 我に返ったというか。――そりゃ、僕だってむちゃくちゃ恥ずかしかったんだから、彼女だって恥ずかしいはずだよなあ。
いや、もしかしなくても、僕以上に。
――「中学2年生」の女の子が、クラスメイトの男子に、母親みたいにミルクをあげるミッションなんて――ねぇ?
そういう僕だって。
先ほどまでのBotを排除する掃空任務は必死だった。今現在、この艦に「パイロット役」は僕1人しかいない。
今日倒したBotは、性能的に言えば、中型DMTでは勝って当然くらいだ。でも、もし、僕がしくじれば、艦の残りの15人にものすごく負担をかけることになってしまう。そんなカッコ悪いことはできないと、目一杯気を張っていたんだけど。
この娘も、僕と同じ気持ちなのでは?
そう気がついた。この戦艦で、「医者役」、つまり「医療」を担えるのは、彼女15人だけ。この娘も、しくじったら後がない。他の誰も医療を扱えないのだから。たぶんそうなんだよ。
なんて思ったら、なんだか急に親近感が湧いてきた。彼女を困らせちゃあダメだ。
そうだよ、協力しなきゃ。
僕たちは、お互い後がない、似た者同士なんだから。
「『医療従事者モード』の逢初さんと『中2女子』の逢初さん、かあ」
「え?」
そう言いながら、うつむく彼女を見た。
「なんでこんな事になってんだろうね。ホント。お互いに。『なんの罰ゲームだよ!』ってツッコミたくなるよ」
僕は、なるべく大げさに、明るく話しかけてみた。
「さっき言ってた『マジカルカレント後遺症候群』‥‥だっけ。これ、他の14人は知ってるのかな?」
「それは、今頃『説明会』入ってると思う」
「ふ~ん」
「一応、というか、軍事機密みたい。だって、DMT操縦した人が毎回寝込むのが敵にバレたら、そこ狙われるよね? だから軍の運営の人たちは、できる限り秘密にはしときたかったと思うけど。こうなったら艦のメンバー全員で知っておかなきゃ、だよね」
あ~~。当の本人にも、教えておいて欲しかったなあ。
「何が原因でこんな事になっちゃうんだろ?」
「重力子エンジンの特性に関係あるらしいよ? わたしは医学方面の事しかわからないけれど、軍では前から知られていた症状なんだって。特定の脳波を持つ人だけに現れる現象で、寝込む引き換えにエンジンの出力がちょっとだけ上がるとか。1000人にひとりの能力とか」
何!! 1000年にひとりのユニークスキル!? ‥‥‥‥キタ。
思わずガッツポーズをしようとするが、当然腕は上がらない。
「‥‥そうか。僕にそんな能力が。ふむ。チートじゃん。1000年にひとり‥‥!」
「‥‥‥‥1000人にひとり、だよ。咲見くん」
顔を隠すハンカチの向こうから、中二男子のアガった気分を打ち砕く訂正が入った。
「1000人に1人? それじゃあえ~と、ウチの中学に1人いるくらいの計算じゃん。何それ。あ~もっと主人公的な、チート能力がいいなあ」
「それは、そういうマンガとか見すぎだよ。でもすごいんじゃない? 1000人に1人の才能なら」
「その結果、ベッドで動けなくって、ミルクの刑でしょ~」
「うふふ。わたしは、ちょっとこの症状に興味あるかな? 脳波が原因なのに、体に影響が出るなんて理屈に合わないもの。この後遺症状も重力子エンジンも、まだ未知の部分が多くて研究途中なんだって」
「‥‥今、笑ってくれたね。逢初さん」
「え? あ、はい。――そう、だね」
そろそろかな。と僕は考えはじめてる。僕と逢初さんは同じクラスだけど、ほとんど話した事がなかった。こうやって少しでも打ち解ければ「ほ乳瓶とミルク」問題も心のハードルが下がる事を期待して。
「ね、逢初さん」
「何‥‥?」
自分の心に確認する。僕が決して望んでいる訳ではない。そういう趣味もない。
ただ、彼女が困ってるなら協力するだけだ。
そこに壁があるなら乗り越えていくだけだ。
男として。
「あらためてお願いするよ。ミルクを」




