第9話
ポーン──……。
その音はエレベーターが到着した報せだった。
ピアノの鍵盤の中で一番高いドを鳴らしたみたいな、それでいて鍵盤を押したまま離さないでいるかのような、余韻のある音。
箱が到着すれば、ゆっくりと戸がスライドして箱を露にする。
箱は常に照明が灯っていた。
膨らんだドレスを着た女性がひとり乗れば、それでいっぱいになる小さな箱で目的階に着く間に座っていられるようにと隅に椅子が置いてある。
彼女はいつも座らない。
ドレスが乱れてしまうから。彼女は常に完璧でありたかった。
床は血よりも濃い赤の絨毯が敷き詰められている。住人達に踏み締められて、すっかり毛足がくたびれてしまっている絨毯をそろそろ買い換えるという話をしていた気がする。
美しい少女だった。
ブロンドの髪は細く、柔らかく、僅かな風にも豊かに靡いて、いつもいい香りがする。腰まで伸びたブロンドは常に飾り立てられていた。
白い肌はどんな色のドレスも似合って、首回りの華やかなレースが小さな顔をより小さく見せる。お気に入りは薄桃色のドレスに白のレース。
そんな高価な姿には不釣り合いな古びた青色のハンカチーフを、彼女は大切そうに胸に抱いていた。その横顔は愛しさに溢れた微笑みで満ちている。
ポーン──……。
あの報せ。
彼女は待ち侘びたとばかりに立ち上がった。ドレスの裾を摘まんで小走りで箱に向かう。口元には、やはり笑み。
戸が横に移動していく。
そこにあるのは、ぽっかりと開いた闇。
少し遅れて、胃の腑が持ち上げられるようなあの不快な浮遊感が襲ってくる。
光が遠ざかる絶望。
そして悲鳴──……。
「はっ……!!」
耳をつんざく悲鳴に、ザイヤは目が覚めた。
激しく鼓動する胸の上下を手で押さえても、なんの気休めにもならない。見上げた先にある天井は薄いオレンジが掛かっている。火の落ちたランプの色だ。
夢だ。
そうとわかるのに、ひどく時間が掛かった。
あれは、彼女の過去だろうか。
それとも自分が勝手に想像した幻影がみせたのか。
わからないけれど、夢の中の彼女は幸福感に満たされていて、今の呪いに走る姿から掛け離れている。
なにがあったのだろう。
事故のあった経緯を調べるのが、やはり解決方法を見付ける最善策に思えた。
頭上にある窓の外はまだ暗い。夜は続く。
眠らないと。
昨日も寝ていないから、今日は寝ておかなければ体がもたなくなる。体調を崩せば、それこそ団体行動ができずにひとりになる可能性が高まる。そうなってはいけない。
そう思って、ベッドのほうへ寝返りを打った。
ぎくり、とした。
ベッドの下に彼女がいた。
ザイヤの体勢を真似するように、ふたりは寝そべりながらちょうど向かい合っている。
目が見えない。
暗闇に落ちた彼女の目は、悲哀に染まって涙の痕を作るだけだった。彼女が手を伸ばしてくる。ゆっくりと──。
ザイヤは反射的に体を起こしていた。
枕を引っ手繰って、ベッドに上がり込む。ベッドが激しく揺れた。
ラルフはすぐに目を覚ました。ぎょっとしているけれど、構いなしにラルフと壁の間に体を捻じ込む。枕をぽふんぽふんと叩いて形を整え、頭を置いた。
体を起こしたラルフが見下ろしてくる。
「なんだよ!?」
「無理だ。迂闊だった、ベッドの下にいるパターンだった」
「はあ!?」
「ああ、駄目だ。映画だとラルフさんが幽霊に取って代わる展開だ、これは。悪夢に目が覚めて『ああ、なんだ、なんでもない』と思って再度寝転んだら幽霊が隣にいて叫ぶパターンのあれだ。
でも、しがみついていればきっと大丈夫。
そう信じてる!」
ラルフの腕を掴んで離さない。服が引っ張られて襟口からラルフの鎖骨と肩が覗いた。
「ま、まさか、このまま寝る気か!?」
「ベッド下にいるんですよ! 次は金縛りにあうか、引っ張られるか、体の上に乗られる! 犬だと思っていいから、こうしててください!」
「勘弁してくれよ……」
「勘弁して欲しいのはこっちなんですよ! あんな怖いのが神出鬼没なんですよ!? 心臓がもたない!」
「僕の心臓だってもたない」
「え? なんで? 彼女が見えるんですか?」
「はあ……。もういいから、静かにしてくれ」
諦念に達したのか、腑抜けたように寝転ぶラルフ。よし、まだラルフだ。幽霊じゃない。もう朝になるまで絶対に離さん。
「……痛いよ」
「あ、スイマセン……」