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第5話


 なんとか無事に耐え抜いた入学式。

 100人以上もの1年生が同じ空間にいる安心感からか、強烈な眠気に襲われて本当にぶっ倒れる寸前だったけれどなんとか耐えた。


「今日はこれで解散ー。明日から授業が始まるからぁ、教科書とか忘れないようにー。んじゃあ」


 クドモアは軽く手を上げて解散を促した。

 いつも顔を合わせる友達と別れるときじゃあるまいし。


 この学校の教師の教養はいかに、と疑ってしまう。


 ザイヤはどうしても寮にひとりで戻る気にはなれなかった。クラスメイト達は中学からの進学生が多いのか、既に旧知の仲のようでザイヤが入り込める隙間もない。


 あっという間に教室は誰もいない空間になってしまった。

 ひとりになりたくなくて、ザイヤも廊下に出る。さざ波。


 昼食にはまだ早いし、どうしよう。


 ゲームの記憶を辿った。なんとか解決策を探さなければならない。ゲームでは探索が必須。


 このゲームはプロローグが終わって、主人公を映すTPS視点になる。

 主人公はザイヤが死んでから数ヶ月後の転入生だった。主人公もザイヤと同じく彼女に襲われて、運よく助かった。けれど付き纏われて、このままでは死ぬ事実を知り、生き残るべく行動を起こす。


 プレイヤーの操作はどこからが始まりだったっけ。


 そう、主人公が襲われたあと気絶してから目覚めた保健室。

 ホラーゲーム特有のアイテム探しから始まり、確か保健室には学校のマップがあったはず。あとは負傷したときの回復アイテムが2つくらい手に入る。


 その次、その次はどうしたっけ。

 保健室を出て、廊下を歩いて──だめだ、思い出せない。


 ザイヤはゲームプレイ時、近くのドアから根こそぎ探索する派だった。色んなドアに触れた気がして、どこが重要だったか曖昧になっている。

 保健室に行けばなにか思い出すかもしれない。元より、地図を暗記するより風景を記憶するのが得意だった。


 ふと周囲を見回すと、廊下には誰もいなくなっていた。

 長く伸びた廊下に、ぽつんと佇むザイヤ。


 急に寒くなった気がした。

 静かで、自分だけ違う世界に放り込まれたような虚無感と孤独に襲われる。


「ちょ、ちょっと、皆、帰るの早すぎ」


 ザイヤは慌てて階段を駆け下りた。

 踊り場に出て、くるりと向きを変えて2階に降りようとする。


 はっとした。


 彼女がいた。


 階段に這いつくばって蜘蛛のように手足をバラバラに動かして2階から攀じ登ってくる。


 彼女の手がザイヤの左足首を掴んだ。

 冷たいプールに足を浸けたようだった。


 途端、ぐっと引き摺り落とされる。


「ぅわッ!?」


 どたん、ずだだだ。

 尻餅をついたうえ、2階までそのまま滑り落ちた。


 しばらく痛みで動けなかった。


(け、ケツが……!)


 臀部が削れているのではないかと思うほどジンジン痺れている。幸い、彼女はそれだけで()()()()()()満足したのか、姿を消していた。



「……もう泣きたい」



 ホラーなんぞ実体験するものではない。

 あれはエンターテイメントだからこそ面白いのだと痛感する。


 立とうにも、掴まれた左足の感覚が鈍くまた尻餅をつく。手摺がないだろうかとキョロキョロとしていると、いくつかの駆け足が聞こえてきた。


 教師と、何人かの生徒だった。

 その中にラルフもいた。他の生徒達がザイヤがザイヤであると気付いて声を掛けるのに躊躇していると、その波を掻き分けてラルフが先頭に躍り出てくれた。


「なにやってんだ?」

「立てなくて……。また彼女が……」

「見せてみろ」


 ラルフはザイヤが擦っている左足の靴下をそっと捲った。

 どよめきが起きた。

 ザイヤの足首には、くっきりと小さな手形が赤黒く残っていたのだ。


「うわ、ガチじゃん」

「花嫁の噂って本当だったんだ……」

「関わるのやめとこ。マジでやばそう」


 生徒達は口々に言って、引き潮のように去って行く。けれどラルフは、そうはしなかった。


「支えながら歩くのは時間が掛かりそうだ。授業に遅れる」

「……すみません。立たせてさえくれれば、なんとかひとりで行けますので気にしないでください」

「いや、このほうが早い」


 そう言って、ラルフはザイヤの膝の下に腕を差し込み、そのまま抱き上げた。


 いわゆる、お姫様抱っこだった。


 ラルフは涼しい顔で階段を降りていく。


「えええええ!? 細いのに腕力ありますね!? 女性みたいに華奢なのに!」

「このまま落とそうか?」

「スイマセン。黙ります」

「はあ……。本当に手のかかるドーベルマンを飼ってる気分だ」

「そこはせめてミニチュアピンシャーくらいで……」

「言える立場か?」

「ほんとスイマセン」


 そうして奇しくも目指していた1階の保健室に辿り着いた。

 優しそうに微笑む保健医の老齢の女性もいて、その前に置かれた丸椅子に座らせられる。ぱんぱん、と制服の埃をこれみよがしに叩いたラルフは冷たい眼差しを寄越した。


「あとは自分でどうにかできるだろ」

「……はい、ありがとうございました」


 ラルフが足早に去るのを見届ける。


 ドアが閉じた途端に、女医から笑顔がさっと消えた。


 化粧をたっぷり塗った顔には小皺が多く、乾燥地帯に似ている。白髪にパーマを当てていて、眼鏡は薄紫色のレンズを嵌め込んでいた。背中が丸まっている。


「あんた、例の花嫁だね。チッ。関わりたくないってのに。足を出しな」

「は、はい」


 乱暴に包帯を巻かれて、おしまい。

 あ、こういう感じ?


「さあ。さっさと出て行っておくれ。あたしまで呪われちまうよ」


 と、背中を強く押されて追い出されてしまう。

 その勢いに負けて、廊下で転んでしまったザイヤ。1階は3年生の教室がある。そのときは移動教室があったのか、大勢の3年生がいた。


 けれど、今度こそ誰も助けてくれなかった。


 流れゆく川の中央にある邪魔な岩を水が避けていくように、蹲るザイヤを避けて人が歩き去っていく。


 ザイヤ、かわいそう。


 これまでゲームのプロローグなど気にも留めていなかった。


(ほう、ほう。こうなってしまうのだな。捕まらないようにしないと)


 と、キャラクターの死を教訓にしていたくらいだ。けれど実際にはこうして心もあって、痛みもあって、辛い。


 人間って本当に愚かだ。

 自分が体験してみないと、相手の気持を考えられないなんて。


 これは今までの自分の反省としよう。

 気持ちを切り替えて、廊下を見渡した。


「ん?」


 どうも記憶と違う。

 この保健室のドアは白のスライドだが、ゲームではもっと高級感のある茶色の押し戸だった気がする。それに保健室の向かいには部屋がいくつもあったはずなのに、ここではもう下足箱が目の前にある。


 違う。ここじゃない。


 あれは保健室ではなかったのか?



 ──そうだ、寮だ。


 寮にもきっと保健室があるのだ。

 もしかすれば、昨日ザイヤが目覚めた部屋の近くにあるかもしれない。しかし──。


「ひとりで行かないといけないのか……」


 憂鬱になる。

 そう考えると、単身でゾンビの街に乗り込むあのゲームのキャラクター達は相当に強い精神の持ち主だ。心から尊敬する。自分はならきっとできない。


「こんなことだろうと思った」


 頭上から声が振ってくる。

 見上げると、呆れ顔のラルフがいた。



「早く立ちなよ」


 腕を掴んで、引き上げてくれる。荒くはあるものの、雑ではなくて、ラルフの中にある優しさを垣間見た気がした。


「あ、ありがとう」


 ふらつきながらも立ち上がれた。


 正直、驚いた。

 とっくにラルフは授業に戻ってしまっていると思っていたから。


「これ、部屋の鍵ね」

「あ、はい」


 反射的に受け取るけれど、正直、部屋にまで向かう気はさらさらない。キーホルダーもなにもついてない剥き出しの鍵を握り締める。


「もう転ばないでよね。飼い主の質が問われるから」

「……飼われてないんですけど!?」

「もう助けるのやめようかなー」

「ほんとスイマセンでした、ほんと感謝しかしてないっすマジで」


 ふん、と鼻で笑ったラルフは心底勝ち誇った顔をしていた。


(性悪すぎませんかね?)


 けれど、助かったのは事実である。

 さすがゲームのヒーロー。いい性格してやがる。

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