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第29話


 やはりギルは教室に来なかった。

 体調が悪いのか、それとももう会いたくないと思われてしまったのか。どちらにせよ、ザイヤは落ち込んでしまう。

 具合は良くなったのかと訊ねることさえ、ギルには負担になるのかもしれない。


 初めから冷たい人は冷たい人なのだと認識して納得できるのに、初めは優しかったのに途中から拒絶されてしまうと自分のなにがいけなかったのかと考え込んでしまう。


 ザイヤはずるずると引きずるきらいがある。

 保健室で無理矢理に離れなければ髪が千切れることもなかった。千切れなければギルは自分がなにをしたのか気付かずにまたうたた寝して、すっかり体調もよくなっていたかもしれない。


(あのまま我慢していればよかった)


 けれど、もうひとりの自分がそんなことはないと擁護する。自分を犠牲にする必要なんかないのだと。

 そしてまたもうひとりの自分が出てきて、ならばなぜラルフは拒まなかったのだと問うてくる。


 クドモアのように腕を拘束されたわけでもないのに、なぜ?


 ラルフはよくて、ギルはだめなのか?

 差別?


 違う。

 よくわからない。


 ザイヤは自分がよくわからなくなっていた。


 自分が性の熱に浮かされたのだとは思いたくない。


 では、なぜラルフなのか。



「ザイヤ。もう誰もいないぞー」



 こんこん、と机の上を細長い人差し指が叩く。黒のセーターの袖口を白衣の長袖が隠していて、顔を上げずともクドモアだとわかった。

 見上げるとクドモアの気怠そうな視線が落ちてくる。


 クラスメート達はもう誰も残っていなかった。

 いつの間にか6時間分もの授業を終えていたらしい。


「あ、す、すみません」


 慌ててバッグに教科書を詰める。重いバッグをほとんど抱くようにして持ち上げた。

 だが思い出す。


「そうだ。これ、返し忘れてました」


 ポケットの中から5階の鍵を取り出して見せると、クドモアは片眉を釣り上げて「ああ」と素っ気ない返事をした。


「いらなーい。あげるよぉー」

「ああ、あげ──ええ!? 形見じゃないんですか!?」

「形見だよ」

「なら貰うなんて、そんな」

「いやぁ別に物がなくたって母のことは大切にできるしぃ? なにより伯母を成仏させるのが母からの最優先事項だしぃ? 鍵はあげるよー。成仏させる手段があるかもしんないんでしょお?」


 そのとおりだ。

 花嫁と繋がるものはあの部屋とこの鍵だ。エレベーターで愛するトッティとの逢瀬を可能としていたのなら、思い入れ深いともいえる。今、考えられる中で最有力候補がこの鍵だ。


「……ありがとうございます。ギルに壊さなくてもいい方法を聞いてみます。無事だったら鍵はきちんと返しますので」

「はいはーい」


 助かる。

 なるべく壊さなくて済む方法を考えてもらおう。



「ところで、キスマークは隠しておきなさいね。()()()()



 こつん、と首に人差し指を当てられる。

 そこは、今朝ラルフに指摘された場所と同じだった。


 ザイヤは顔を真っ赤にして否定した。

 クドモアが「はいはい」と聞き流しながら寮に戻るのを追っていく。


「こ、これは、その!」

「まあ、男女同室だからねぇ?」

「ち、ちが!」

「せっかく成績優秀なんだから、避妊はしろよぉ?」

「そんなことしてない!」

「え、避妊してないの? やばくない?」

「違う! そういう意味じゃなくて! そういうことはしてないってこと!」

「そういうって、どういう?」

「先生! 意地悪すぎません!?」

「ザイヤをからかうの楽しすぎー」


 くつくつ笑いながら寮の階段を上る。

 3階に着いたところで、クドモアが後ろ手に手を振った。なんだか誤解が解けていないような気もしてヤキモキするのだけれど、あのクドモアという男はすべてを見透かしているようなきらいもあるから、ただからかっているだけの可能性もある。


「なんで信じてくれないかなあ!」


 ぷんすかしながら4階に着く。


 ふと、足を止めた。



 ギルに会いに行こうか。



 また拒絶されたら?

 人に拒絶されるのは、思った以上に心に傷が付く。そっとしておいたほうが、自分は傷付かなくて済む。


 それに、ギルはまだ誰にも会いたくないかもしれない。

 行かない方へ仕向けるように言い訳を並べて、でもそれではなにも進まないではないかと強さがそれらを一蹴する。



「ギルに会いに行くのか」


 ふと、声を掛けられた。

 振り返るとバッグを提げたラルフがいる。

 目が合ってもすぐに逸らされるのは、まだ気恥ずかしさが残っているかららしかった。


「そうなんです」

「会いに行けばいいじゃないか。僕も一緒に行く」

「え。なんで?」

「校舎では君のお()りはギルの仕事だろ」


「……お()り!? 子どもじゃないんですけど!?」

「ほら、行くぞ」



 階段を途中まで上るラルフが、ついてこないザイヤを振り返る。まだザイヤが迷っていると察して、勝ち誇ったように笑った。



「どうしたザイヤ・シルヴァ。そんなに気弱な女だったか?」



 完全な挑発だったし、完全な否定を信じている顔だった。

 お前はそんな弱虫ではないだろう。

 シーツ1枚で5階の窓から逃げ出そうとする無謀な女ではなかったか。

 怖いからと他人を巻き込む強者ではなかったか。


 生き残るために走り回るザイヤではなかったか。


 そんな女が、ひとりの友人に会おうとするのに躊躇ってどうする。


 そんな挑発だった。


 そしてその挑発は、ザイヤの力量を認めてくれもいる。お前はその程度ではないだろうと、信じてくれている。


 信頼に乗っかりたくなった。

 そうだとも。自分は強い。

 そう信じたくなる。


 ザイヤは鼻息荒く階段を上り始めた。


「私、気弱だったことなんて一度もありませんけど!?」


 なんて、強がり。



 まあ、意気込んでみても結果が伴わないことはよくあることでして。

 ギルの部屋のドアに呼び掛けてみても応答はない。ノックをしても、また然り。


「保健室にいるのかもしれない。行ってみよう」

「そうですね」


 気弱になってはいけない。

 奮い立たせて、先を行くラルフに付いていく。


 ふと、風が吹いた気がした。


 ギルがドアを開けてくれたのだと思ったのだ。

 ごめん、ザイヤ。そう言って招き入れてくれると思ったのだ。


 嬉々として振り返った先には、闇が待っている。



 花嫁の部屋が開いている。



 そしてザイヤは足を掴まれてその場に転倒した。

 間髪入れずに闇に引き込まれていく。



「ら、ラルフさん……!」



 一瞬遅れてラルフが異常に気付く。振り返って、愕然としたラルフの顔を見た。



「ザイヤ!!」


 ふたりの手は互いを求めて伸びる。

 ザイヤもいよいよ自分の置かれている状況を察した。

 床に爪を立てる。


 行きたくない。行きたくない。



「ラルフさ──!」



 ふたりとその指先にはなにも触れず、急速に距離はあいた。


 ザイヤが直結部屋に引きずり込まれた瞬間、音を立ててドアが閉ざされた。



 行きたくない──。


 ザイヤの視界は闇に包まれる。

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