第25話
「結論から言うと、花嫁が落ちたのは事故じゃァない」
やはり……。
ザイヤは小さく頷いた。
そこは予想していた。
「ザイヤもお察しのとおり、エレベーターの床を予め抜いておいて絨毯を仮止めし、床があると見せかけて落下させた。
犯人は、トッティ・ライルズ。
ライルズ社の社長の妾の子。その記事にある男だ」
クドモアが長い指で示す。その先の記事にはトッティ・ライルズ自殺とある。
クドモアは一拍の間を置いて、嘆息混じりに言った。
「まぁ、順を追って話すかぁ。
花嫁は、ずっとトッティと恋仲だった。しかしヘンストリッジ家は財政が傾いていたし、トッティよりもクローネンバーグ家との結婚を望まれた。
だからふたりはふたりの未来を諦めようとした──が、花嫁がトッティの子どもを妊娠してるのがクローネンバーグ家にバレた。
いや、正確には婚約者であるエイベル・クローネンバーグに知られた。
エイベルは出会ったときから美しい花嫁にずっと想いを寄せていたし、祝福される結婚のはずだった。
だが、エイベルは異常なまでに嫉妬深く、病的なほどプライドが高かった。
その性格ゆえに自分以外の男の子どもを身籠った花嫁が許せなかった。だから殺した」
なんてこと。
子ども諸共殺すだなんて。
ザイヤは身勝手なエイベルに怒りを覚えた。
いや、彼も悲しかったのかもしれない。明日には結婚をし、永遠の愛を誓うはずの相手が他の男性と愛し合っていたとなると彼の傷心もかなりのものだっただろう。
なぜだと嘆いたかもしれない。
嘆いたあとで、憎しみに変わり矛先が花嫁に向いた。
しかし、それでも殺人なんて。
そこで、ん? と疑問に思う。
「でも、犯人はトッティだって──」
クドモアは頷いた。
「そう。実行犯はトッティだが、エイベルがやらせた。
クローネンバーグはライルズ社にとっても太いパイプだった。融資を打ち切るといえば、トッティはやらざるを得なかった。
ただでさえ正妻の子でなく、妾の子で家の中での立場が悪かった。そのうえ融資打ち切りの理由になる可能性があるとなれば居場所をなくすのと同じだ。
自分の子どもを妊娠してる愛する女か。
自分の家での立場か。
迷った挙げ句、選んだのは自己保身だったってことだぁ」
可哀想な花嫁。
ザイヤは同情した。
妊娠しているのがわかったとき、彼女はどんな気持ちだったのだろう。
歓喜と不安と、困惑と。
産まれてくる子どもに会える喜びと待ち遠しさ。
エイベルの反応。トッティとの将来。
──どうすればいいの
誰かに助けてもらいたいのに、腹の中ではすくすくと愛が育っていく。
地位の違うふたりの愛。
諦めるだけでは終わらず、愛する人に殺され、愛する人を殺さなければならなかったふたり。
「花嫁の遺体を回収したとき、花嫁は青のハンカチを持ってたそうだ。シルクでもない、そこらへんに売っている古びたハンカチ。幼いときに、トッティから贈られた物だったそうだ」
「死ぬときまで……」
あの夢を思い出した。
嬉しそうにハンカチを抱く彼女の横顔。
エレベーターに駆け寄る軽い足取り。
そこで思い至った。
そうか、鍵を持つ彼女が部屋にいるのにエレベーターがくるのは、彼女がエレベーターを呼んだとき以外にない。
呼んでいないのにエレベーターが5階に止まるということは。
トッティが訪れていたのだ。
管理人の特権を活かして、誰にも知られないように逢瀬を重ねた。
「あの日、きっと花嫁はトッティに最後の別れを言いにいくつもりだったんだ。明日からは他の男と歩んで行かなければならないから、最後に別れを言いたかった。
その最後のエレベーターで彼女は死んだ。
トッティは細工した見返りにエイベルから多額の金を貰ったらしい。それで会社をおわれても一生遊んで暮らせるはずだったが、心がもたなかった。
結局、花嫁を殺した罪悪感に苛まれて自殺した。これが事故の真相だ」
クドモアは短くなった煙草を最後に深く吸ってから灰皿に押し付けた。煙を吐きながら、眩しそうに窓の外を見やる。
きらきらと太陽が輝いていた。
「……エイベルはどこにいるんですか」
ザイヤが問う。
もしかすれば、エイベルを花嫁と引き合わせれば呪いが解けるのではないかと考えたのだ。彼女が恨むのはきっとエイベルだろう。いや、トッティか。
あるいは、そのときの世界そのものかもしれないが。
「エイベルは死んだ。事故のあと、海外への渡航中に強盗にあって死んでる。大使館も発表した公式な事実だ」
くそ。
ならば、どう解決すればいいのだ。オカルト的な方法に走る以外にないか?
ふと、疑問が湧いた。
「図書室の鍵は……? 5階のエレベーターの鍵は、どうして先生が持ってるんです?」
「あー」
クドモアはどう伝えようか迷っている表情だった。柄にもなく人差し指で額をぽりぽりと掻いている。
辛抱強く待つと、ようやく答えた。
「図書室にはこの屋敷について詳しく載りすぎてる絵があってなぁ」
言いながら、白衣のポケットからエレベーターの鍵とよく似た鍵を取り出して、ことりとデスクに置いた。あれが図書室の鍵だ。
「どんな絵ですか?」
「家系図」
「家系図……。へえ?」
だからなんだというのだ。
よくわからない。
「エレベーターの鍵は?」
「母親の形見」
頭が混乱した。
「ん!? ちょ、ちょっと待ってください。母親の形見ってことは、花嫁は先生のお母さん!?」
「ぶっぶー。さすがに5階から落ちて胎児は助からないだろぉー? もうひとりいるだろ、もうひとり」
ヒントよろしく人差し指をひらひらとするクドモア。
もうひとり?
ちょっと待てよ。財閥の本にはなんてあったっけ?
えーと、えーと。
病弱の長男は死亡。
長女も死亡。
けれど次女は──。
薬学系の財閥。
化学の教師。
30年前に解体した財閥。
28歳の男。
閃いてクドモアを見ると、クドモアは面白おかしく口角を釣り上げて名乗った。
「俺の名前はクドモア・ヘンストリッジ。
この屋敷の所有者。
その末裔よー?」
クドモアはふざけてピースサインを作ったが、ザイヤは卒倒しそうなほど驚いた。
そっちのパターンかい!
映画やゲームなら冴え渡る推理も、ここでは力を発揮できなかった。ははー! と平伏したい気持ちである。
「じゃ、じゃあ教員免許は!?」
「持ってませーん」
「教員としての資質は!?」
「ありませーん」
「やっぱり!!!!」
「え、ひどくない?」
どおりで特別扱いされてると思った。
同い年くらいの若い教師はあの末席にいるのに比べて、クドモアは優遇されすぎている。
納得。溜飲が下がるとは、まさにこのこと。
クドモアはさらに続けた。
「俺の母さんは結婚してもヘンストリッジの名を棄てなかった。そして花嫁の死について、最も懐疑的だった。姉妹だからな、ほとんどなんでも花嫁は母さんに相談してたらしい。
だから母さんが死ぬとき、隠し持ってたエレベーターの鍵を渡された。
犯人を見付けてくれ。
あの子を、助けてやってくれ。
だから俺はこの屋敷に戻ってきて、事故を調べてたってこと。3階は母さんが使ってた部屋らしいから、校長にちょっと頼んでなぁ」
頼んだ?
絶対に有無を言わせなかっただろ。
「で、申し訳ないことに、俺がザイヤを5階に住まわせようって提案した」
「は!?!?」
「だって花嫁に現れてもらわないと、助けてやれないしなぁ?」
「おま、この、くそ!」
掴みかかろうとすると、降参のように手を広げた。
(くっそ!)
地団駄踏んで悔しがる。やはりクドモアの手の上で踊らされていただけだったか。
当の本人、クドモアは2本目の煙草を出そうとして、やめた。
代わりに立ち上がって、うんと伸びをする。
「教室に戻るかぁ。ギルを見てくるっつって急遽自習にしてきたけど、そろそろ時間だしなぁ」
「ね、ねえ! 助ける方法は見付かってるんですよね!? そうじゃなきゃ、こんな強硬手段に出ませんよね!? みすみす生徒を生贄に差し出すような真似しませんよね!?」
「化学で実験は欠かせないからなぁ」
「サイッテー!」
言うと、クドモアはさも意味ありげに口角をあげ、ザイヤを見下ろしてくる。
「知ってるかぁ? 匂いを感じる薬品ってあるだろ? それって意外と濃度が低くて、本当に濃いやつほど匂わないんだよ。匂いに気付きにくいっていうのかなぁ。とにかく濃度が高いやつは、見つけにくいんだよなぁ」
「……どういう意味です?」
クドモアは、さあ? と眉を釣り上げて、ザイヤに先に部屋の外に出るよう促した。舌打ちをしつつ、書斎から出ようとする。
「それとも──」
すると、背後からクドモアの腕がぬるりと伸びてきた。
ザイヤの臍の下あたりを撫でながら、肩に顎を乗せるクドモアが耳元で囁いてくる。
「続き、する?」
ザイヤは思いきりクドモアの爪先を踏み付けて部屋を出た。




