第13話
階段を見上げ始めて、早くも10分。
ザイヤは5階に上がることが出来ずに、ずっと4階に立ち尽くしていた。
ギル・キャンディは5階。
そう教えて貰ったのは一週間前だというのに、未だに5階に行けないなんてどういう臆病者だろう。
(だって怖いじゃん!!)
ゲームでの協力者はラルフ、クドモア、そして死神のような生徒ひとり。それがおそらく、ラルフに教えて貰ったギル・キャンディだ。ゲームの中で彼は幽霊が見えたし、幽霊から身を守るための御守りをくれた。しかし御守りは一度しか使えないという設定だ。それが体験版で得られた最重要アイテムだったことは覚えている。
クローネンバーグ家の情報を入手できずに終わった今、とにかくその御守りが欲しい!
なんと、3日前の土曜日に図書館に外出したものの『廃れた財閥』の本がなくなっていた。ザイヤは唇を噛み、地団駄踏む。
「迂闊! なんたる迂闊! 事故の事実を隠そうとしている奴がいるなら、事実に近付こうとした私に気が付いて手掛かりを消すのは想定できたこと!」
映画とゲームの知識も、いざ自分の体験となると頭が回らなくなる。いや、ただ単に誰かが借りて行ってしまったのかもしれないけれど。あの日は新聞に気を取られてすっかり借りていくのを忘れてしまっていた。悔しくて堪らない。
「今や私にできることは、ギル・キャンディに会うこと!! それしかない!」
そう鼓舞するけれど、足は動かずに鼻息だけが荒くなる。
そんなザイヤに4階の寮生達が奇異の眼差しを向けてくる。なにしてるのかしら、と中には嘲笑する者もいて、ザイヤは思わず「うるせえブス!」と声を荒げたくなった。
いやいや、それはよくない。
生き残るのはいつだっていい子だ。
賢くて優しくて強くて勇敢でいい子!
生き残るキャラクターはだいたいソレ!!
「よし、行くぞ!」
と、階段に足をかける。
──が、すぐに引っ込めた。
「あああああ、駄目だぁぁぁぁぁぁ怖くて行けないよぉぉぉ!」
彼女の姿と冷たさと声を思い出してしまう。実際に目にするのと、映像で見るのとでは禍々しさの迫力がまるで違う。
いっそ授業を抜け出して保健室まで会いに行きたかったが、真面目なザイヤの体がそれをさせてくれなかった。
ぱん、ぱん、と頬を叩く。
「ええい。ここで弱気になってどうする。すっかり足もよくなったし、勢いに任せればいけるはず!」
ザイヤは何度目かの覚悟を決めて猛ダッシュして5階にあがり、直結部屋を目指した。
あの扉が見えるだけで震え上がりそうになる。きっとあの中では花嫁が待ち構えていて、今か今かとザイヤを見つめているに違いなかった。道連れにしたくて堪らない彼女が、黒い目で見つめているのが想像できる。
急ブレーキをかけて、直結部屋のすぐ隣の部屋のドアを叩きまくった。
「ギルさん! ギル・キャンディさん! 私、ザイヤです! ザイヤ・シルヴァ! 花嫁の呪いのザイヤです! 開けてください開けてください今すぐ開けてーーーー! お願いーーーー!」
すぐそこに花嫁のドアがある。今にも開いて、彼女が飛び出してきそうだ。
見たくないのに、どうしても視線が吸い寄せられてしまう。
「ギルさぁぁぁん!!」
あと2秒遅かったらザイヤは恐怖に負けて階段に走っていただろう。幸いザイヤがまだ恐怖と戦っているうちに、ギルはドアを遠慮がちに開けてくれた。
「いれて! とにかく入れてください、ここは怖い!」
半ば強引に部屋に押し入り、ドアを閉める。ほっと一息。よかった、彼女に会わずに済んだ。
脱力しながら振り返ると、黒い影が立っている。
ギルだ。
頭からフードを被った彼は、いつもこうして姿を見せない。ゲームで知っているので、驚くこともしなかった。
ギルはおろおろするように手を胸の前でモジモジとさせている。
「突然すみません……。あの、私ザイヤといいます。隣の部屋に入った新入生なんですけど」
「……し、知ってる」
かなり、か細い声の返事だった。周囲が静かだから聞こえたようなものだった。不躾かと思いつつも、本題に入った。
「幽霊に詳しいと聞いて。助けて欲しいんです」
おろおろ。もじもじ。ギルは頭を左右に振って、部屋を見回し、どうしようかと考えているようだった。
「と、とにかく座って。お客さんを立たせおくのは失礼だって、お母様からの教えだから……」
ギルに案内されたとおり、勉強机の椅子に腰掛けた。ギルはベッドに座り、膝の上に手を置く。
壁に絵が掛けられていた。ギルが信仰する宗教の神の対象なのかもしれなかった。裸の男女が自然の中で寄り添っている絵だ。後光が差していて、神聖的にも見える。気に障るかもしれないから、凝視しないでおいた。代わりに部屋を見回す。
部屋は狭かった。
ワンルームにベッドと机と本棚、そしてクローゼットがあるだけだ。直結部屋しか知らないザイヤは、この格差に驚いた。
「あの幽霊から身を守るのは、む、難しい。力も強いし。ずっとは、守ってあげられない」
そうそう、この会話。
ゲームでもギルが御守りを渡すときには、この発言があった。そして主人公はこう言う。
「それでも、なにか攻撃を躱す手段はないでしょうか。たとえ、一度だけでも」
ギルは熟考し、手をもじもじとさせてから立ち上がって、ザイヤの膝のすぐのところにあった引き出しを開けた。
水晶玉や、分厚い本やらが入っている中にオルゴールのような革製の箱がある。それを取り出した。
ベッドに座り直して、膝の上に箱を置く。
「これは、お婆様からの贈り物なんだ。とても強い御守りだよ」
箱を開き、摘まみ上げたのは銀色のネックレスだった。銀のチェーンの先にある飾りは広葉の上に男女が向かい合わせにいて、中央の真珠を抱き締め合っているデザインだ。
(そうそう、これこれ!)
真珠だけは本物、それ以外は銀製。特徴的なデザインなので、よく覚えていた。
「ぼ、ボクには、自分で作った御守りがあるから、き、君にあげるよ」
「え!? くれるんですか?」
おかしいな。
確かゲームでは、「大切なものだから、必ず返してね」と言い添えられたのだけれど。
記憶違いだろうかと思いつつも、ネックレスを受け取った。早速、首につける。重量があるけれど、それがどこか安心感にも繋がった。
(よかった、これで一度は助かる……)
「で、でもボクが傍にいないと、発動しないんだけど、それ……」
「えッ!?!?」
急な大声にギルは驚いたようだった。仰け反り、その体勢のせいでフードが落ちる。
燃えるような赤髪と赤い瞳が現れた。
「……えぇぇ!? そんなイケメンだったの!?」
「あああああああ見ないでえええ」
慌ててフードを被り直すギル。そんな必要ないのに。
驚いた。ゲームでも素顔が明かされなかったので、そんな顔だとは知らなかった。まあ、ゲームのお助けキャラだから格好よくても不思議ではないか。
とにかく、それよりも御守りである。
「ギルが傍にいないと発動しないの、これ!? そういう設定だったっけ!?」
「せ、設定? ちょっと、設定とかはよくわからないけど、だ、だってソレは、ぼ、ぼくのための御守りだし……ぼくを守るために発動するから……」
そう言われれば納得してしまう。
確かに、そりゃそうか。
(でも、そんな。ゲームでは離れていても、襲われたら主人公を一度は守ってくれたのに)
「まさか、仕様の変更!? アプデか!? くっっっっそ、公式! 余計なことしやがって!」
「……だいじょうぶ?」
ザイヤは項垂れてしまった。
 




