『砂楼』
手のひらで掬っても、掬っても、
砂塵は指の間からすり抜けて。
なのに砂塵に囚われた足は動いてはくれず。
容赦ない光は苛烈に、残酷に照りつけ、
なのに影は砂塵に落ちてその形も捉えられず。
見渡す限りの砂楼には、砂塵の他に動くものとてなく、
景色も殺されて既に亡く、
風は熱い砂塵を纏って哭く。
絶望にすら見放されてただひとり。
彼我の違いを見いだすことも、
砂塵の違いを見較べることも、
空しくて、虚しくて。
この渇きを満たす手立てなどあり得るわけがなく、
これでも生きていると言えるのか。
それでも生きていかなければならないと言うのか。
想いがひとを形作ると言うのなら、
砂塵と砂楼を形作るものがこの想いだとでも言うのか。
砂楼の想いは身体を捕らえ、
砂塵の想いは熱く吹きすさぶ。
光にこそ詛いあれ、
影にこそ祝いあれ、
ひとがひととして光であるが故にこそ。
虚空を舞う砂塵のごとき想いは散りぢりになり、
やがて静謐の帷のみが在るばかりの様になる。
この世の理たるや、
生死の彼我さえその法の有り様にあっては、
まさに砂上の楼閣のごとき様。
砂楼にこそ、砂塵にこそ、
生き様が刻みつけられるに相応しい。