事件
舞台は、今ではその存在すら確認されていない、いや、歴史の彼方に忘れ去られてしまった国、レネトア。
そこには、ファカイポ教という土着の宗教が存在していた。この物語には、その概要がなければ、私の思惑をきっちりと感受することは至難であろう。故に、ここで紹介することにする。ファカイポ教には、哲神ラプンガファカーロという唯一無二の絶対神がいる。紀元前200年前後、開祖のアンテリジャンは、自らのヴォロンタ(意思)を正しく持ちながら、他の人のクプポリロ(言)を正しく聞き入れるというマタパキ(議論)の精神を洗練することで、世界のすべての調和を実現するという教義を、哲神の直接的な啓示によって受け、この教えを広めることが使命だと考え、レネトアを中心に布教していった。そして、徐々に信者が増えていく中で、慣習が、中心的教義から形成されていった。代表的な慣習として、ラタプデイ(毎週日曜日)には、信者は皆議論所に集まり、集会が開かれ、トヌス(創論者)が時勢に合った論題を提示して議論することや、一家庭につき一本のプカ(木)を植えること、カメンガ(食事)の前には、「カパイ」と唱えて、自然の恩恵に感謝をすることなどがある。
しかし、ここで取り上げる慣習は、ぺネイ(瞑想)だ。信者はみな、毎晩13回の深呼吸の後、23分間のぺネイを行う。それでは、何故このぺネイが慣習として根付いていったのか。この理由を示すのが、この物語の大いなる目的である。といわれたところで、それがどうした。と諸君はつまらない顔で呆然としていることであろう。しかし、これからお話しする物語は、その目的以上のものを諸君らに与えることとなった。諸君らにそれを、あらかじめお教えするのは、もったいないのだ。諸君らの五感がそれを感じ取ってくれれば幸い極まりない。
ファオルペルツ、彼は怒っていた。その日は皮肉じみた晴天であった。空のキャンパスに浮かぶ太陽よりも暑苦しく赤いオーラをまとっている。晴れであっても晴らしどころはない青年の心のエネルギーは街中の人々の目をひきつけた。そんな視線は窮屈さを肥大するばかりで、我慢の限界も来てしまったのだろう。今住ませてもらっている友人の家シューラーの家に駆け込んだ。
入ると、右奥にはシューラーの部屋のドア、左奥にはファオルペルツの部屋のドアが開けっぱなしなのが見えて、目の前にはもうリビングとキッチンが一つになった大きな空間が広がっている。ここには、塗装が剥げて赤みがかったダークブラウンの丸椅子三脚が、同じような色で切り株のようないびつな円形のテーブルを中心に乱雑に並べられていた。といっても、乱雑にしているのは、ファオルペルツである。普段からそんな癖があった。端的に言うと、だらしのない男なのである。シューラーがせっかく分類して本棚に並べられた本たちも、今では、ドストエフスキーの”カラマーゾフの兄弟”が、植物図鑑と昆虫図鑑の間に並べられている始末だ。大きなヴィンテージの振り子時計が大きく鳴り響いた(PM2:00)。
ファオルペルツは、熱苦しさも、視線もはたまた、時刻を知らせる響きも、鬱陶しく感じてしまうほど、心が張りつめていた。張りに張ってしまったものが切れてしまったとき、莫大なエネルギーを放出する。それは、普段の様子からは想像し得ないほどのものになる。いよいよその大爆発が起こることは予知できた。そこへ、奇遇にも、ファオルペルツの視界に、シューラーが大げさなほどに可愛がっているミシオネールと名付けられた太ったネズミが入ってきた。それは、至極気の毒であった。五感で余すところなく、彼が感受していた圧力は、一瞬のうちに収斂し、ついに、彼は憤怒した。
ミシオネールは、ファオルペルツの掌に包まれることによってその重圧を察知した。さすがに、ネズミといえど、”生への本能”は甚だしく激しい。しかし、肌色の中を暴れ狂うグレーの小さな抵抗は、功を奏することはなかった。ファオルペルツは、グレーを掴むその左腕を大いに振りかざし、その手は少しずつ解かれていき、グレーの塊は、銃口から出た弾丸のように勢いよく飛んでいった。この弾道の末尾は、入り口の真正面に位置していた本棚に並べられていた”オロルア”という本の背であった。棚板にそっと墜落したミシオネールのはかない肉塊は、置物のように動かず、糸のようにか細い尻尾はびたっと真っすぐはりついていた。
「気味の悪い奴め。さぞかしシューラーに可愛がられたのだろうな、その肥えた体が物語っている。悪くは思うなよ。お前を殺したのは、俺なんかじゃない。この世の中がもたらした運命なのさ。」
とファオルペルツは嘲笑した。