花火の後は誰も知らず
「うわー、きれー。」
天音は、空を鮮やかに彩る花火に、釘付けになった。
そして、なんだかモヤモヤしていた天音の心が、少しだけ晴れたような、そんな気持ちになっていった。
「…。」
その横で、月斗は何も言わず、無表情のまま空を見上げていた。
「ねえ、どうして、そんな目で見てるの?」
天音は、月斗の無機質なその目が気になった。
「は?生まれつきこんな目だけど。」
「寂しそうな目…。」
「そんな事より、俺の頼み聞くんだろ?」
月斗は、あからさまに話をそらし、そしてその声は、また不機嫌になっていた。
「え、あ、そうだね!何でも言って!」
「…お前に…。」
ガサッ!
月斗が口を開いたと同時に、落ち葉を踏む音が辺りに響いた。
「誰だ!」
月斗は気配を感じ、突然大声で叫んだ。
「なんで、花火やねん!」
「りん?」
そこに現れた人影を、いち早く捉えたのは天音だった。
「なんで、こんな山奥に来なあかんのや!」
そこに現れたりんは、なぜか怒っているようで、そんな不満を叫びながら、天音達に近づいて来た。
「クス。だってあなたも見たいでしょ。」
そして、そんな不満をブツブツつぶやきながら、歩いているりんの後ろには、さっき別れたはずのかずさが居た。
「あれ?二人して、どうしたの?」
「どうも、こうもあらへん!かずさが、どうしてもついて来いってゆーから!」
りんはどうやら、かずさに連れられて、ここまで来たらしい。しかしその山道はそうとう険しかったのか、疲れ果てたりんは、月斗の小屋の前の芝生に座りこんだ。
「何なんだよ、お前ら!」
月斗は、つくづくうんざりした表情を見せ、不機嫌度合いは今にもマックスに達しそうだ。
また、わけのわからない人が増えたのだから、それも無理ない。
「へ?なんでお尋ね者がおるんや?」
りんは、やっと今頃、月斗のその姿を捉えて目を丸くした。
「また、花火上げてたんでしょう?」
かずさはいつもと変わらず、涼しい顔でそう月斗に向かって尋ねた。
「そうだよ!2人も見た?」
しかし、そのかずさの問いに答えたのは、間近て花火を見て興奮している、天音だった。
「でも、お楽しみはこれからよ。」
「へ?」
かずさは、珍しく口端を少しだけあげて、ボソリとつぶやいた。
しかしその言葉の意味を、天音は理解ができないでいた。
ガサ
「ほら来た。」
辺りに響き渡った、落ち葉の音を聞いて、かずさが口を開いた。
「は?」
「へ?」
そこに現れた人物を見て、月斗とりんが同時に声をもらした。
「…京司?」
そして天音はそこに現れた、彼の名を小さくつぶやいた。
「は?え!?」
りんは、突然の事に、何がなんだかわからず、混乱した声を出すしかなかった。
りんの頭には、いくつもの疑問が浮かんで、頭の中が大渋滞だ。
『俺は…きょうじ。』
一度だけ会った天使教は、確かにその名を名乗っていた。
そして、その名前を、何故か天音が目の前で呼んでいた。
…いや、それより!
「は?何しに来た。」
その疑問を口にしたのは、月斗の方が先だった。月斗は明らか先程より、殺気立っている。
月斗と京司が会うのは、月斗が城の牢屋に入れられていたあの日以来…。天敵と言ってもいい月斗の前にノコノコ現れた京司のその意図は、誰も分からない。
「そ、そうやな。あんた何でここに…。」
りんも天使教が、わざわざ、しかも、一人でこんな山奥にやって来た事に、心底驚いている。
「花火がこっちの方に、見えたから。」
しかし、当の京司は、そんなどうでもいい事を、ただポツリと口に出しただけ。
しかし、本当に京司は、その言葉通り、ふらりとここを訪れただけ。特に目的はなく、月斗を見つけてやろうなんて魂胆は全くない。
「なんやそれ!」
りんはツッコまずにはいられなかった。
天使教がそんな理由で、一人こんな所に来るわけがないやろ!と…。
「あ、京司も見たんだ!綺麗だったでしよ?月斗があげたんだよ!」
天音も今日ばかりは周りの空気を読めずに、ただ嬉しそうに京司に向かって、いつものように話しかけた。
そう、天音だけが知らない。
彼の正体を…。
「さ、これで集まったわね。」
ここで、かずさが仕切り直しと言わんばかりに、口を開いた。
「…なんやかずさも、こいつ知っとんのか?」
りんはいよいよ、わけがわからず、かずさの方を訝しげに見つめた。ちゃんとこの状況を説明してもらわなければ、納得いかな事ばかりだ。
「ええ。これで、使教徒が集まった。」
そして、そんなりんの疑問に答える形で、かずさが淡々と話を続けた。
「は!?」
そして、りんの大声が山の中に響き渡った。
「使教徒は全部で7人。」
かずさは、そんなりんに構う事なく、話を進める。
「ま、まちーや、かずさ。まさか、ここにいる4人が…。」
しかしりんは、いよいよ手に負えないほど、うろたえ始め、かずさの話を止めにかかった。
しかし、そんな2人の様子を、天音はただキョトンとした表情で見ているばかりだ。
「いいえ3人。」
「3人て…」
りんは恐る恐る尋ねた。
「何の話?そう言えばみんな知り合い?」
天音は、まったく2人の話が読めず、またここでも空気を読まずに、話しに無理やり割り込んできた。
「天音、そ、そっちかいな。」
りんは、またもや華麗にツッコミを入れ、天音の空気の読めない発言を何とか処理しにかかる。
「まあ、顔見知りってとこかしら。」
しかし、かずさは相変わらずクールに淡々と答えるだけ。
そして、何とも不思議なやり取りが続けられていくのを、京司は遠まきに見ているだけ。
「ふーん。」
「ま、使教徒同士仲良くしましょう。」
「で使教徒って何?」
天音がそこで、その聞きなれない言葉の意味を、かずさに尋ねた。天音はその言葉が理解できず、ずっとモヤモヤした気持ちでいたため、話の先に進めないでいた。そして、それは京司も同じ。京司も以前にかずさから聞いたその言葉に、今もピンと来ていない。
「使教徒は、神に選ばれし者で、神秘の力を持つもの。使教徒を集めれば、奇跡の石も見つかるわ。」
かずさがここで初めて、天音の目をしっかりと見て、彼女の疑問に答えた。
「え…?」
その言葉に、先に声をもらしたのは、京司だった。
「石って…。」
天音はまさか、ここでまた石の話を聞くなんて思ってもいなかったため、ポカンと口を開けたまま、固まった。
そして、京司も同じように驚きの表情を見せて、固まっている。
「そう、そして、石は選ばれし伝説の少女と共にある。」
「選ばれし伝説の少女?」
「そう、それはあなたの事よ天音。」
奇跡の石は確実に存在する。
それを手に入れるには、使教徒と伝説の少女が不可欠だなんて、そんなお伽話のような話が、本当にあるのだろうか?
京司は訝しげな表情で、かずさを見た。
――― そしてこの女は一体何者だというんだ?
「天音、あなたは、選ばれし者。あなたに石は…。」
「知らない…。」
しかし突然天音は、かずさの言葉を遮った。その目は地面を見つめたまま。
「天音?」
京司は天音の異変に気付いて、視線を彼女の方へと移した。
『天音、奇跡の石を探すんだ。それが君の母親が君に伝えたかった事だ。』
天音の脳裏には、あの兵士の言葉がよぎった。
まるで、何かとリンクしているようだ。
石
石
石
「私は石なんて知らないよ!選ばれし者なんて、そんなはずない…。だって私は…。」
――― 私はただの捨てられた子なんだから。
「…ただの田舎者だよ…。」
しかし、頭に浮かんだその言葉は、口にすることはできなかった。
――― それは自分が惨めになるのが嫌だから?
「天音!」
京司が天音を呼び止めるも、彼女は突然走り去ってしまった。
「彼女は、まだこの現実を受け止められないのね。」
かずさは相変わらず、淡々とした声で、そうつぶやいた。
「なんなんだよ、お前は。なんで俺が使教徒だって知ってんだよ。」
今度は月斗が、かずさを睨みながら、口を開いた。
どうやら、月斗は京司とは違い、使教徒という言葉を前から知っていたようだ。そして、自分がそれである事も…。
「…お尋ね者のあんたも、使教徒やなんてな。あんたも石の事知ってたんかいな?」
かずさは、そんな月斗の問いには、まったく答えるそぶりを見せず、口を結んだままだったが、代わりに口を開いたのは、りんだった。
「京司。石を手に入れたいのなら、本気で向き合っていくことね。」
「は?」
かずさは今度は京司の方を見て、そんな意味深な言葉を言い放った。
************
そう私は逃げたんだ……。
現実を見たくなくて。
石の話が、私を捨てた母親の事と、どこかで繋がっている気がして…。
知りたくなんてない。
私を捨てた母親の事なんて…。
************
「なんや、わけわからん。かずさも使教徒で、天使教も使教徒で、あのチンピラも使教徒で…。」
山を下りながらもりんは一人、ブツブツ不気味につぶやいていた。
どうやら、あのお尋ね者の月斗も、冷静なあの様子からすると、石の事も使教徒の事も知っているようだった。
しかし、すぐに不機嫌に戻った月斗に、追い返されたりんと京司は、なぜか一緒に山を降りる事となった。かずさは気が付くと姿を消し、2人を残し、先に下りて行ってしまったようだ。
「天音が選ばれし少女で…。」
「お前大丈夫か?」
京司は、1人つぶやいているりんを見て、頭がおかしくなったんじゃないかと思って、少し心配そうに声をかけた。
京司はあんな話を聞かされて、りんがどこの誰なのか気になったが、彼の事はなぜか憎めずにいた。
「…そやけど、なんで天音と天使教が知り合いなんや?」
正気に戻ったりんは、急に自分の後ろを歩く京司の方を振り返り、その疑問を投げかけた。
「…え…っと、天音とは城で会った。お前も天音の知り合いなのか…?」
京司は突然りんに話をふられて、うろたえながら何とか答えた。そして、逆にりんと天音の関係についても尋ねた。ごく自然に。
「あーー、わいらは、たまたま天音がこの町に来た時に、知り合ったんや。ふーん。まあ、天音は妃候補やしなー。城で天師教に会えるもんなんか。それで仲良くなってしもうたわけか。え?でも、それって妃候補として有利やんか。」
りんは、そんなに驚きはしないで、何故か簡単に納得した。案外りんの頭の中は、単純に出来ているのかもしれない。
「天音は知らない…。俺が天師教って事を。」
人懐っこいりんに、心を許し始めた京司は、なぜかポツリとその事実を口に出してしまった。
「へ?」
予想もしなかった京司の言葉に、りんは目を大きく見開いて京司を見た。
************
「天音ー!」
華子が天音に呼びかけるが、天音からの返事はない。
「ほっときなさいよ。」
星羅は相変わらずそっけない態度で、返すばかりだ。
「おーい。何かあった?」
天音は部屋に帰ってから、ずっと布団に包まっていて、一向に出てこようとはしない。
そんな天音の様子に、華子が心配するのも無理はない。
「もう村に…帰りたい…。」
天音がか細い声でつぶやいた。
なぜだか、天音は急に不安に襲われ、そんな風に思い始めていた。
…もう、何も知りたくない。
「言ったはずよ。帰りたい奴は帰ればいい。」
しかし、天音は誰にも聞かれないほどの小さな声でつぶやいたはずだったが、星羅の耳には、しっかり届いていたようだ。
「もー星羅、相変わらず厳しい。きっと、何かあったんだよ。」
そんな厳しい星羅を、華子がいつものようになだめる。しかし天音はまたダンマリに戻ってしまい、反応はなくなってしまった。
「あなたは、何に期待して来たのか知らないけど、私はここへ来るしか選択はなかった。」
そんな天音に向かって、星羅は厳しい声でそう言い放った。
やはり星羅の妃になるという決意は、並大抵のものではないようだ。
天音のその一言は、星羅の怒りを買うのは当たり前だ。
――― 期待…そんなものは、もうここにはナイ。
「でも、自分の選んだ道に後悔はないわ。」
バタン!
そう言って星羅は部屋を出た。
リーンゴーン
その時、もうすぐ夕食だと知らせる鐘が鳴る。
「天音…先…行ってるね?」
華子はそれでも、やっぱり優しく話かけるが、天音からの答えはない。
「私は嫌だから。」
夕日に照らされた部屋に、いつもより少し低い華子の声が響いた。
「…。」
「私は、最後は天音と星羅と妃の座を争いたいから。」
パタン
そして静かに扉は閉まった。
「…。」
チッチッチ
二人が出て行き、静まり返った部屋の中で、天音は未だ布団に包まったまま。
…私…何のためにここにいるんだっけ?
私は、自分の母親のことを知るために、ここにきたんだっけ?
私は、石を探すためにここへ来たの?
「…。」
その時ふと天音は布団から出て、立ち上がり窓の方へと歩いた。そして窓を開けた。
「夕日だ…。」
『泣くな、夕日が見ておる。』
そこには、まぶしいほどに真っ赤に燃える夕日があった。
「…。」
『待っててすぐに戻るから!』
『私…。この村が大好きだよ!!』
「じいちゃん…。」
『不満をかかえている人々はたくさんいる。反乱は起こる。よいか、妃たるもの全てを見なければならぬ。国を見なければならぬぞ。』
…本当に……何も知らない方がよかった?
『飾りだけの妃はこの国にはいらぬ』
「…私は…。」
…この国を知るためにここへ来た…?
************
チッチッチ
時は刻一刻と流れる。
食堂では、天音以外の妃候補は全員集まっていた。
「どーしよー。やっぱり天音来ないよ。」
華子は半泣きで、天音を置いてきた事を、心底後悔していた。
「…。」
星羅は無表情で何も答えない。
「せいらー!」
チッチッチ
「ん?一人いないぞ?」
ついに、夕食が始まり、点呼の兵士が華子達のテーブルの前にやって来てしまった。
「あ、あのー、天音…ちょっと。」
華子は、なんとかその場を取り繕うとするが、しどろもどろになってしまう。華子はどうやら嘘が下手なようだ。
「天音…お腹が痛くて!」
なんとか搾り出した言い訳はそれだったが、兵士は訝しげな表情で華子を見下ろしていた。
バタン
その時すごい勢いで食堂の扉が開いた。
「はあ、はあ、す、すいません!」
天音は息を切らしたまま、そのまま食堂へと足を踏み入れた。
「天音!」
華子は天音の姿を見て、嬉しそうに声を上げた。
「あと一人はお前か。早く座れ!」
「す、すみません。おなかが痛くて。」
天音は何故かとっさに、華子と同じ嘘を吐いて、そそくさと席につく。
「次はないからな。」
「は、はい!」
天音は、今回の事で目をつけられてしまったかもしれないが、なんとか今回は、見逃してもらえた。そして、天音は安堵の表情で大きく息をついた。
「もー、よかったー。」
そんな天音の隣で、華子も安堵の表情を見せていた。
「ごめんなさい…。」
そんな華子の様子を見て、天音はしゅんとして下を向いた。華子が心配してくれていたのは、痛いほど感じていたからだ。
「もー!心配させて!」
しかしそんな華子は、天音の隣ではにかんで笑ってみせた。
「…。」
しかし、星羅はやっぱりそっぽを向いて、何も言わなず、食事を始めていた。
「ありがとう、華子、星羅。」
「え…?」
星羅は、まさか自分がお礼を言われるなんて、思ってもいなかったのか、思わず食事の手を止めた。
「星羅がああ言ってくれてよかった。私ね…いっぱい期待してここへ来た。」
『何かピンと来たんだ!!』
「…。」
星羅はそんな天音の言葉をただ黙って聞いていた。
「だから、後悔しないように、やるべき事してから帰えらなきゃね!」
天音は、もううだうだ考えるのはやめにした。
やっぱり自分の直感を信じたかった。
ここへ来たことは、間違いだったなんて、思いたくない。
「…あっそ。」
そんな天音の言葉に、星羅はそっけなく答え、また食事を続けた。
「もー、星羅は相変わらずクールなんだからー。」
華子は、わざと星羅をちゃかすようにそう言って、笑った。
ここに来なかったら、星羅と華子と出会うこともなかった。2人はなんだかんだで、天音の事を心配してくれる大切なルームメイトだ。
天音は密かにそう思って、いつものように食事を始めた。
************
食事の後、天音は池に足を運んだ。
そしていつものように彼の姿を見つけ、天音は少しホッとしたような安心した気持ちになった。
「え…天音…?」
しかし、京司は天音の姿を見つけ、驚いた表情を見せた。
「ん?どうしたの、そんなに驚いて?」
天音はそんな京司を見て、キョトンとした表情を見せ、首を傾げた。
天音は、あの山で石の話を聞いたとたん、拒絶するように逃げ帰ってしまったため、京司は、まさか今日の今日で彼女がここへ来るなんて、思ってもみなかった。
「…もう来ない気がした。」
「え?私が?」
「ああ。」
京司はどこか心配そうに、天音を見つめた。
「…私ね、村に帰ろうと思った。」
「え…。」
京司は、天音のその言葉に言葉を失い、彼女を見つめた。
「うっそー!!」
しかし、天音はわざとおどけてそう言ってみせた。
「へ…。」
京司は豆鉄砲を食ったような顔をして、天音を見て固まっている。
「だまされた?でも半分は本当なんだけどね。」
「なんだそれ!」
京司は少しふてくされながらも、自然と笑みがこぼれ落ちる事を止められない。
「今日は急に帰ってごめんね。この頃さ、何か分けわかんない話ばっかり、聞いちゃって、なんか混乱しちゃって…。」
天音は少し恥ずかしそうに、俯いて見せた。天音自身もわかっていた、あんなに取り乱した事なんて、今までなかった。何がそうさせていたのかは、もうわかっているが…。
「でも、自分がやるべき事は、忘れてちゃいけないよね。」
しかし、天音はバツの悪そうな顔を上げて、京司を見た。
「…天音はどうして妃になりたいんだ?」
天音がやるべき事、それはきっと妃になる事。京司はそう察し、天音にその真意を問う。
なぜ彼女は、妃になるためにここへ来たのか…。
「私は、村が大好きなただの女の子でした。もちろん一緒に住んでいたじいちゃんも大好き。でも家は貧乏。村も貧しい村だった。」
―――金…か…。
京司が少し表情を曇らせて、視線を落とした。
「感謝しているの。」
「え…。」
しかしその言葉に、京司は顔を上げて、隣にいた天音方をもう一度見た。
「私がここに来る前に、じいちゃんが倒れたの。だからその時は、とっさにじいちゃんに楽させてあげなきゃ!って思ったの。」
それはお金という一言で片づけられない、天音の純粋な思いだった。
「ただ村に居ただけじゃ、じいちゃんや、村のみんなに何も恩返ししてあげられない、なぜかそう思ったんだ。」
「…恩返し?」
「だって、どこの誰かもわからない私を、じいちゃんや村のみんなが育ててくれたんだから。」
「え…。」
その言葉の意味を理解できない京司は、じっと天音の方を見ていた。
「私ね、村の入り口に捨てられてたの…。そんな私を拾って育ててくれたのが、じいちゃんだった。村のみんなも、私が赤ん坊の時から知っていて、すごく良くしてくれた。」
天音は包み隠す事無く、自分の生い立ちを京司に話した。京司になら、自分の事を全部話せると思ったから。
「私の村も、城下町までとはいかないけど、沢山の人に知ってもらえたらいいな。私の村だって美味しい野菜や、美味しい牛乳があるんだよ!」
天音が目を輝やかせて、京司に笑いかけた。
「天音は幸せ者だな。」
京司はそんな天音を、やっぱり直視はできなかった。彼女の純粋な思いは、やはり京司にはまぶしすぎた。
「うん、そうだね。」
そんな純粋な思いを抱え、妃になりたいなんて言えるなんて、彼女はやっぱり、自分とは違う世界にいる人間なのかもしれないと思い、京司はまた俯いて、池にいる鯉を見つめていた。
「…でもこの城に来て少しわかった。」
天音がまたポツリとつぶやいた。
「え…?」
「この国の事。」
天音の顔からは笑みが消えて、どこか遠くを見つめていた。
そんな天音を、京司が真剣な眼差しで、見つめていた。
「妃になろうと思わなければ、私は何も知らないままだったのかな…。」
――― ほらやっぱり彼女はちがう。
「天音はこの国を…どう思う?」
京司の口からは、そんな言葉が自然とこぼれていた。
…なぜそんな事を天音に聞くんだ?聞いてどうする。
「…まだよくわかんないけど、私は知らなきゃいけない気がする。」
天音は京司の問いに、やっぱり真っ直ぐ自分の思いを伝えた。
「…。」
「士導長様が言ってたの…。妃たるもの国を見なければいけないって。」
……え…?
「飾りだけの妃はいらないって。」
その言葉を聞いて京司は目を大きく見開いた。
「…私の考えは甘かったんだな…って。」
…ちがう…。
「…。」
京司は何も言えなくなって、また俯いた。
ーーーー飾りだけなのは俺なんだ。飾りだけの天使教は俺なんだ。
「京司…?」
俯いていたままの京司に、天音が声をかける。
「天音…。」
「ん?」
京司は池を見つめたまま、彼女の名をそっと呼んだ。
「それでもやっぱり妃になりたいか?」
京司は、なぜそんな事を口走ったのかわからなかった…。そんな事を彼女に聞いても……。
「うん。まだ、国のためとかわからないけど、でも村のためには、きっと何かできるから。」
自分がもっと傷つくだけだというのに。
俺はそれを聞いて何ができる?
俺にはそんな純粋な思いなんて
もうナイ。
************
月斗は、月だけが照らす暗がりの中、1人城の前に立っていた。さすがにこの時間は、もう人通りもあまりない。
「俺には石なんか関係ねーよ。」
月斗が一人つぶやいた。
「俺が壊してやるよ。この城を…花火のように一瞬でな。」
憎しみに満ちたその瞳が、暗がりの中に立つ城を映し出していた。
************
天音は京司と別れた後、この場所に足を運んでいた。
その重い扉は、今日も天音が手をかざしただけで、開いた。
「こんばんわ。」
「天音!」
青は天音が来てくれるのを、心待ちにしていたように、嬉しそうな声を出した。
「座って。」
「うん。」
青はベットの横にある椅子に座るように天音をうながした。
「今日、花火…あがってたね。」
どうやら青も花火が上がっていた事に、気づいていたようだ。
ここからも花火が見えたのだろうか?
「青も見た?すごく綺麗だったよね。」
天音は興奮気味に、青に花火の事を話した。
「…僕も花火は好きだけど…、終わった後は寂しいね。」
そんな天音とは反対に、青はどこか寂しそうに窓の方へと視線を移した。
「青…?」
そんな青を天音は心配そうに呼んでみる。
「昔はこの町にも、花火大会があったんだ。」
「へー、そうなんだ。」
青はポツリポツリと言葉を紡いで、天音にそんな話をしてくれた。でもその表情は、やはりどこか浮かない。
「でも今は、火薬は争いに使われてる。」
その瞬間、青の澄んだ瞳が色を変えた。
「え…。」
「変わったんだよ…この国は…。」
その青い瞳はどこか冷たく、何かを諦めたように、遠くを見つめる。そんな青の横顔を、天音はじっと見つめた。
「じゃあ、また変わるといいね。」
「え…?」
天音のその言葉に、青はその瞳を天音の方へと戻して、思わず声をもらした。
「青の好きだった頃みたいに。」
天音は、いつもとなんら変わらない声で、優しく青に語りかける。
「…あの頃にはもう戻れない…。」
しかし青は、その瞳をすぐに伏せてしまった。
「え…?」
「姉さんは死んだんだ…。」
青がか細い声でつぶやいた。
「…お姉さん?」
それは初めて青が天音に見せた、悔しそうな、苦しそうな表情だった。
「姉さんがいた頃は幸せだった。」
いつの間にか、青の瞳は潤んでいた。
「今は?幸せじゃない?」
天音は少し動揺しながらも、青に寄り添うようにして、優しく語りかけた。
「もう、わからないんだ。」
「青…。ね、もう一度幸せ見つけよう。きっと見つかるよ。」
青がそんな悲しみを抱えていたなんて、天音は知らなかった。お姉さんの事があったから、彼は塞ぎがちだったのだろうか。なんとか、彼のその苦しみを取り除いてあげたいけれども、何がしてあげられるのか、天音には見当もつかない。
「天音。ありがとう。ごめんね、こんな話。」
「いいんだよ。何でも言って。こんな広い部屋に一人でいたら、心も暗くなっちゃうよね!」
天音は、少しでも青の心を軽くさせられたらと、明るくそう言ってみせた。
「ねえ、青は、ここから出たくないの?」
そして天音は、ずっと気になっていた、核心をつくその質問に踏み込んだ。
「…僕は病気なんだ…。」
青が小さな声で、そうつぶやいた。しかし隣にいる天音には、はっきりと聞こえた。
「……。」
「だから…。ここからは出られない。」
青はまた力なく、そう言って俯いた。
「だったら、尚更外の空気吸った方がいいよ!あ、そうだ!今度うちの村においでよ!水もおいしいし、空気もすっごく綺麗だし!花だっていっぱい咲くんだよ!」
青のそんな暗い気持ちを、なんとかしたいと思って、天音は、自分の村の事を話し始めた。
青がここから出たいと言ってくれるように…。
きっとここから出れば、青は元気になるにちがいない。そう自分に言い聞かせて。
「…行きたいな。」
青はまた、力ない声でポツリとつぶやいた。
「本当!じゃあ、約束だよ。」
天音は、青に少しでも生きる希望を見つけて欲しかった。それがどんな些細な事でも構わない。
「うん。」
青はやっと、少し笑顔を見せくれ、そしてまたゆっくりと口を開いた。
「ねえ、天音。僕がこの城を離れる時は、僕の願いが叶う時なんだ。」
青は顔を上げて、また窓の外を見た。
「そうなんだ!」
青にも叶えたい何かがある事を聞いて、天音は少し安堵した。
彼にだって生きるための希望が、きっとあるはずだと。
「僕には願いがある。」
「その願いが叶ったら、青は幸せになれる?」
天音の真っ直ぐな瞳が青の横顔を見つめていた。
「うん…。」
しかしそれを青は、見て見ぬふりをしていた。
カツカツ
その時遠くの方で誰かの靴音が聞こえ、青の部屋の前を通り過ぎた。
「そろそろ帰った方がいいかもね。」
青が、天音を危険にさらさないように、そうささやいた。
「うん。わかった。」
「天音。」
頷いて立ち上がった天音を、青が呼び止めた。
「ん?」
「僕の願いは増えたよ。」
「え?」
天音はまたキョトンとした顔で青を見た。
「君の村に行く事。」
青が優しく微笑んでそう言った。
「うん!そうだね!」
天音も、青のその言葉を聞いて、嬉しくなって弾んだ声を出した。
「じゃあ、またね。」
ギー
バタン
その重い扉がいつもよりも大きな音を立てて閉まった。
「天音…君は何て言うだろう…。僕の本当の願いを知った時……。」
部屋にひとり残された青が、静かにつぶやいた。