君を救える言葉を探して
…じいちゃん、大丈夫かな…。
今は歴史の授業中にも関わらず、天音は今日も、じいちゃんの事が気になっていた。
「この地球が滅んだ理由は、明確ではないが、様々な推測がされている。自然現象、人間による自然破壊、はたまた戦争…。」
士導長は、前回の続きである話を始めた。
「戦争…」
「恐ろしい…。」
"戦争"その言葉を聞いたとたん、天音の周りは、ざわつき始めた。
妃候補達は、争いとは無縁のこの時代で生まれ育っている。その言葉は、ただただ恐怖でしかない。
「しかし、私達は今また、この地球に存在する。それは、神が我々にもう一度チャンスを与えたのかもしれぬな…。」
士導長は、そんな彼女らの様子に、左右される事なく、穏やかに話続ける。
「神…。」
『神様…』
天音は、その言葉を聞き、試験の時に聞こえてきた、言葉を思い出した。
…あれはいったい何だったんだろう…?
天音の心のどこかでは、まだあの時の事が魚の小骨よように引っかかったまま。
「神なんていないわ…。」
歴史の授業の後、星羅が小さくつぶやいた。
「星羅…?」
星羅は眉間にしわを寄せて、何かに苛立っている様子だった。そんないつもと少し様子が違う星羅に、天音は戸惑いながらも、声をかけた。
「神がいるなら、天師教はいらない…。」
「え…。」
「神がいるなら、神様になんでもお願いでも何でもすればいいのよ。それなのに、民衆は天師教を神のように崇めている。」
まるで何かの怒りをぶつけるように、星羅はそう言い捨てた。こんな風に苛立った感情を、表に出している星羅を、天音は初めて見た。
確かに星羅の言うように、民衆は天使教を神と崇める一方で、この世を創造したという神を信仰している者も少なくはない。
つまり、この国に神は、ふた通りあるというわけだ。
「でも…神様を信じて、救われる人もいるって、聞いた事あるよ。」
天音はそんな星羅の気持ちをなだめようと、そんな言葉を遠慮がちに、つぶやいた。
「…じゃあ、私は救われないのね。」
「星羅、そういう意味じゃな…。」
そう言って、星羅は突然席を立ち、教室を出て行ってしまった。天音の言葉は、どうやら逆効果のようだった。
「あんらー、ご機嫌斜めだね星羅。」
どうやら、横で見ていた華子も、いつもよりもトゲトゲしい星羅に、警戒していたようだ。
「…。」
天音は、また考えなしに、余計な事を言ってしまったと、肩を落としていた。
「なんで、あんなに神様嫌いなんだろうね。変なの。気にすることないよ、天音。」
華子はそう言って、しゅんとして元気をなくしている天音を、慰めた。
「…。」
しかし、そんな華子の慰めの言葉では、天音の心は晴れる事はなかった。
神がいるなら天使教はいらない……。
そう言った星羅の真意は何なんだろう…。天音はその後の時間も、その事を考えていた。
************
「おや、天師教様」
今日も京司は、鯉のいる池に来て、一人、鯉にえさをやっていた。そんな京司の元へ現れたのは、士導長だった。
「名前で呼べよ…。」
京司は、士導長に聞こえるか聞こえないかの声で、小さくつぶやいた。
「この時間に、ここにいらっしゃるなんて珍しい。お仕事はよろしいんですか?」
京司の、その言葉は聞こえてはいなかったのか、士導長は、京司の名前を呼ぶことはなく、話を続けた。
「毎日、毎日、同じ事の繰り返し。飽きるんだよ…。」
京司は、どこか一点を見つめながら、つまらなそうにそう、吐き捨てた。
もう、こんな毎日は、うんざりだと言わんばかりに。
「ホッホ。天使教様は、全く変わりませんなー。昔もよくこの城から、逃げ出そうとしてましたな。」
士導長は昔の京司を思い出しながら、優しく微笑んだ。
そう、幼い頃の京司は、この城の生活に馴染めず、何度も脱走を図り、その度に城の者に見つかり、城に連れ戻されていた。
「昔話か…。」
京司は懐かしむどころか、どこか寂しげに、ポツリとつぶやいた。そう、それは遠い昔の話。
「天師教様…。もっと遠くを見てくださいませ。」
「え…。」
「失礼します。」
そう言って、士導長は急に話しを終わらせて、立ち去ろうとする。
「待て!じぃ!」
「年寄の戯言でございます。」
しかし、士導長は振り返ることなく、そのまま去って行った。
************
コンコン
天音はその日の授業後に早速、青のもとを訪れていた。
もちろん、その仰々しい扉をノックをしても、中から応答はない。こんな分厚い扉にノックした所で、中にいる者に聞こえているのかは疑わしい。
「…入っていいのかな?おじゃましまーす。」
天音は、勝手に入っていいものかと少し躊躇したが、この十字架の描かれた扉に手を触れると、やはり簡単に扉は開いた。
「…こんにちは。」
「天音だね!来てくれたんだ!入って。」
天音が遠慮がちにつぶやくと、そんな天音の声を聞いた青は、うれしそうに声を弾ませ、天音を部屋に招き入れてくれた。
「あ、うん。約束したから。」
「ありがとう。待ってたよ天音。でも、こないだは言えなかったけど、君がここに来ていることは、絶対に知られてはいけない。」
「え?」
「この扉はら許された者しか入ってはいけない事になっている。ましてや、君は妃候補なんだろう?」
天音が、初めてこの部屋に来た時に感じていた事は、正解だったようだ。
この部屋は普通の人間が、ましてや妃候補である天音が、立ち寄ってはいけない場所なのは明らかだ。
でも、青は、なぜそんな場所に…、このだだっ広い部屋に一人きりなんだろう?
そんな彼は、まるでこの部屋に閉じ込められているようにしか見えない…。
天音の脳裏には、自然とそんな疑問が湧いていた。
「青はどうして…。」
そんな疑問を、恐る恐る青になげかけよう、と天音が口を開いた。
「僕は誰にも会ってはいけないんだ。仕方ないんだ…。」
「え…。」
天音からの疑問を、すぐに察した青は、彼女の言葉を遮るようにそう答え、その寂しげな瞳を伏せた。
すると、天音はそんな寂しい青の顔に、何も言えなくなってしまった。
「でも、天音が来てくれれば、もう寂しくない。」
青は顔を上げて、少し寂しげに笑った。
「うん。」
「必ず天音が会いに来てくれるって信じてた。」
「え…。」
そんな青の真っ直ぐな気持ちに、天音は何とも言えない、申し訳ないような気持ちになった。
青はここで、自分を待っていてくれたのに、自分は青と、どこであったのかも覚えていない…。
「いいんだ。覚えてなくても。それに、僕は自分でこの部屋にいる事を選んだんだ。」
「そう…なの?」
青はまた、天音の表情から、彼女の気持ちを読み取り、それは自らの選んだ道だと言って笑った。
しかし、青のその言葉は、どこか無理やり自分を納得させているようにも思えた。
「ねえ、青は神様がいるって信じる?」
天音は、なんだかいたたまれなくなり、話題を変えようと思い、青に突然そんな質問を投げかけた。
「え…。」
青はその言葉に、思わず目を見開き、その表情は固まった。
天音は先ほど聞いた、星羅のあの言葉がどうしても気になっていたままだったため、誰かに聞いてほしかった。
『神がいるなら、天師教はいらない…。』
「天音は、神様を信じてるんだね。」
「え…うん。幼い頃に聞かなかった?神様はお空の上にいるんだって…。でも同じ部屋の子はいないって言ってた…。」
「ふーん。」
青は天音の言葉に耳を傾け、どこか遠くを見つめているようだった。
「それに、昔、誰かが言ってた気がするんだ。神様はどこかで見守ってくれているって。」
天音がポツリとそうつぶやいた。
それは誰に聞いた言葉だっただろうか…。それは思い出せない。
でも、天音はそんな子供騙しのような言葉を、今も信じていた。
神様は、きっと空の上にいて、自分達の事を見守っている。そんな存在なんだと…。
「天音、ありがとう。」
すると突然青が、天音が想像もしていなかったその言葉を口にした。
「え?」
突然のその言葉に、天音はきょとんとした表情を青に向ける事しかできない。
…お礼を言われる事なんて、何もしていないのに。
「きっと神様が言ってるよ天音に。神様を信じてくれてありがとうって。」
青が柔らかく微笑みながらそう言った。
「えー。なにそれ!」
天音も、そう言って笑った。
そして2人は楽しそうに笑い合った。
このだだっ広い部屋に、2人の笑い声だけがこだました。
「そっか。じゃあ、僕も信じるよ。」
そう言って、青はニッコリと笑って天音の方を見た。
「本当?」
「ああ。もう一度…。」
「え…。」
しかし、その青い瞳に、またあの寂しさが宿っていたのを、天音は見逃す事は出来なかった。
************
『もっと遠くを見てくださいませ。』
京司は士導長の言葉が、なぜか引っかかっていたままだった。
…アイツ…何が言いたいんだ…。
「あ、京司!」
青の部屋を後にした天音は、この池にも立ち寄った。そこには、やはり今日も、京司がそこにいた。
まるで天音を待ち構えていたかのように。
「おう!」
「あ、ねえ、京司は神様って空の上にいると思う?」
「え…。」
天音は、青にしたのと同じ質問を、京司にも投げかけてみようと思っていた。
京司なら、なんと答えるのだろうか?
なぜかそんな事が気になっていたのだ。
しかしその問いに、京司の顔は一瞬にして曇った。
「ん?」
「…知らないのか?この国では天師教が神って言われてる。」
京司が低い声でそうつぶやいた。
「え?」
『民衆は天師教を神のように崇めている。』
そういえば、そんなような事を星羅も言っていたのを、天音は思い出した。
「バカげてるな!」
京司は突然、天を仰ぎながら、そう大声で叫んだ。
まるでそれを、誰かに伝えようとしているように。
「へ?」
天音はそんな京司の様子を、ただポカンと見つめることしかできない。
「天師教は神じゃない。ただの人間なのに…。」
京司はどこか寂し気に、視線をまた池へと落とした。彼が、何故そんな苦しそうに俯いているのかは、天音にはわからない。
「あ、私の友達、同じ部屋の子もそんなような事言ってた…。」
「え…。」
「あ!そっかー、天師教さんは神じゃない。神の名を背負う事はないって事を、きっと言いたかったんだ!」
天音は突然、何かが閃いたように、大声でそう叫んでしまった。
天音は、京司の言葉を聞いたとたん、星羅の言いたかった事がなんとなくわかったのだ。
「え…。」
京司はその言葉に大きく目を見開いた。
「そんなの天使教さん疲れちゃうもんね…。京司の言ったとうり、天使教さんだって、私達と同じ人間なんだよね。だから、きっと神様は別な所にいるはずだよ!」
何も知らない天音は、そう言って京司に笑いかけた。
「…。」
京司は思わず下を向いて、目を伏せた。なぜか彼女の笑顔を直視できなかった。
「ねえ、京司もそう思うよね?だから、神様はきっといるよね?」
「ありがとう…。」
「え?」
その言葉は、自然と京司の口からこぼれ落ちた。
そして天音は今日、2度目の【ありがとう】にまた目をぱちくりさせて、ポカンと口を開けていた。
しかし京司は、まだ下を向いたままだ。
「京司?」
そんな京司の様子に天音は心配になり、彼の顔を覗き込んだ。
「天師教ならきっとそう言うよ…。」
そう言って京司はやっと天音の方を見た。その表情はどこか、泣き出しそうな、そんな笑顔だった。
「…それは、私にじゃないよ。その同じ部屋の子が気づかせてくれたんだよ。」
「そっか…。」
…そうやって彼女はいとも簡単に俺の心を軽くしてくれる魔法をかけてくれる。
それなのに、俺は何にもできない…。
************
「あー、何だかスッキリした!」
天音は京司と別れ、すっきりした表情で、一人部屋に戻ろうとしていた。青と京司と話をした事で、天音の心のモヤはすっかり晴れていた。
バッ!!
「んー!!」
しかし、城の中を歩いていたその時、急に背後から何者かに口を塞がれた。
何!?誰!!
「んーんー……。」
どうやら天音は、薬をかがされたようで、ぐったりとし、重い体を見知らぬ誰かに預けていた。
「…あまね…すまない。」
消えゆく意識の中で、どこか聞き覚えのある、その心地のよい低い声が、天音のガンガン痛む頭の中に微かに響いた。
************
「あなたは、奇跡の石があれば本当にこの世が変わると思う?」
「は?」
京司は天音の帰った後もこの池に残って、ぼんやりと過ごしていた。
この場所がそうとう気にいった京司は、いっそここに寝泊まりできたら、とそんなバカな事まで考えていた。
そんな時背後から、あの時と同じ、どこか冷めたような冷たい女の声が京司の耳に届いた。
「そんなに石が欲しいの?京司?」
「お前…。」
京司が振り向くと、そこにいたのは、以前もこの場所で話しかけられた女だった。
京司が鋭い目つきでその女に睨みをきかして、警戒心を露わにした。
なぜなら、この女は確かに京司の名前を呼んだ。
その名前を知るものなど、今はこの城にはいるはずがないのに。
「あ、私の名前はかずさ。前も言ったけど、私は怪しい者じゃない。以後お見知りおきを。天使教様。」
かずさはそう言って、わざとらしく深々と丁寧にお辞儀をしてみせた。
「へー。俺はあんたの事知らないけど。」
「おかしいわね。私はこの城のどこへ行っても、顔パスなんだけど。」
京司は、怪しげな雰囲気をまとう彼女に、そう言って吹っかけてみたが、彼女はやはり、一切動揺するそぶりなどは見せない。
「私が何者か知りたい?天使教様は好奇心旺盛なのね。もっと危機感持った方が、いいんじゃない?」
今度はかずさが、京司を挑発するような、そんな言葉を口にし、少し口端を少し上げた。
「は?」
「ま、その強気な性格が、命取りにならないようにした方がいいんじゃない?」
京司は明らかに不快な顔で、眉をひそめた。
しかし、かずさはまったく臆する事なく、京司に向かってそんな失礼な事を、ずかずかと言ってくる。それはまるで、京司の反応を楽しんでいるようだ。
「…ねえ京司。私と組まない?」
もう一度彼の名を呼んで、かずさが不敵に笑った。
天使教ではないその呼び名を呼んで…。
「は?」
さっきよりも大きな声で、その一言を吐いて、京司は眉のしわをさらに増やした。
「奇跡の石、手に入れたいんでしょ?私達で協力して、石を手に入れましょう。」
「…。」
天使教の顔を知っている女。
京司という名を知っている女。
奇跡の石を知っている女。
不審な点を挙げたらきりがない。
この女が一体何者なのか、京司には見当もつかない。ただわかるのは、簡単に頷いてはいけないという事。彼の中の何かが、警告音を鳴らしていた。
「だから、お前は何者なんだよ。」
「使教徒…。」
「え…。」
かずさがその言葉を、いとも簡単に口に出して見せた。
【使教徒】どこかで聞いた事のある響きのように思ったが、京司はその言葉の意味を知らない。
「…しきょうと?そんな怪しい名前の奴を信じれって?」
京司は、自分の中に鳴る警告音を信じ、そう言い放った。
この女と手を組む?こんな、どこの誰かもわからないような女にまるめこまれるほど、彼は馬鹿じゃない。
「そうよね。だって、あなたは天師教だものね。」
「は?」
「じゃあ、また…。」
意味のわからない言葉で納得したかずさは、なんともあっけなく、去っていった。
一体何がしたいのか、まったくその真意がつかめない。京司はこんな人間に会ったのは初めてだ。
「…使教徒…?何者だよ。」
京司はその響きが、今も耳に残ったまま、その池を後にした。
************
「ん…。」
どの位の時間が経ったのだろうか?
天音は重くのしかかる瞼を、なんとかこじ開けてみようと試みた。頭の痛みはもうないが、寝起きのようにボーっとしていて、今まで何をしていたのか、よく思い出せたない。
なんとか目を開けて、ボーっとした頭で周りを見渡すと、そこは見覚えのない風景だった。
……ここはどこ?
「よかった。気がついたか。」
天音はどうやら、その見知らぬ部屋のソファーに寝かされていたようだった。起き上がろうと頭を少し動かそうとすると、低い男の声がどこからか聞こえてきた。
「え…。」
声のする方へと天音は視線を移した。
「手荒な事をして、本当にすまなかった。まさかあの薬がこんなに効くなんて、思わなかった。」
天音から少し離れた場所にあった、椅子に腰掛けていた一人の男が立ち上がり、天音の方へと近づいてきてた。そして申し訳なさそうな顔を見せてから、深々と頭を下げた。
そうだった。変な薬をかがされたんだ。
天音はボンヤリとした頭で、やっとその事を思い出した。
「気分はどうだ?どこか不調はあるか?」
目の前に立つ男は、やはり心配そうな顔で優しく、天音に語りかけた。
この男が天音に薬をかがせたようだが、なぜこんなに心配そうな顔で、自分を見つめているのだろう…。
その矛盾に天音は眉をひそめた。
「心配はいらない。君に危害を与えたりはしない。」
警戒心をむき出しにしている天音に対して、男はそう言った。それを信じていいのか…。天音は思案しながらその男をマジマジと見つめた。
「あなた兵士さん?」
やっと意識がはっきりしてきた天音は、男を見てその一言を絞り出した。しっかりと鍛えているであろう、ガッチリとした体型の男は40代前半くらいだろうか。キリッとしたちょっと怖そうな顔立ちで、この城の兵士のまとう服とマントを身につけ、腰には剣を刺している。
「ああ、私はこの城の兵士だ。」
「ど、どうして兵士さんが、私を眠らせたりしたの?」
男は確かに怖い顔だが、心配そうに天音を見つめるその眼差しを見て、天音はその男を悪い人には思えなかった。
「本当にすまない。ただ、人に見られない場所で、君とちゃんと話をしたくて、あんな事をして君を連れ出してしまった。」
「え?ここは?」
「心配しなくていい、ここは城の中にある、今は使われてない部屋だ。」
どうやらこの部屋も、城の中のようだった。城の中という事に少し天音は安堵したが、見知らぬ兵士の男が、ただ妃候補の一人である、天音と話をしたいなんて、いったい何の話なのだろうか?天音には全く見当がつかなかった。
「私の名は辰。覚えていないか?天音。」
男は、天音の前に膝まづくように体制を変えて、天音と目線を合わせた。
「どうして私の名前…。」
天音は彼のその低い声が、確かに自分の名を呼んだ事に目を大きく見開いた。
「覚えていないか…。」
「えっと、どこかで…。」
彼が天音を知っているのは、確かのようだ。しかし天音は、全く彼の事を思い出せない。
それはまるで、青の時と同じだ。
天音はそんな自分に、少し違和感を感じ始めていた。
「私は、君のお母さんの事をよく知っている。」
「え…。」
天音は、まさか自分の日常で、もう耳にする事はないと思っていた、その単語を耳にし、怪訝な顔でまた眉をひそめた。
「私は君のお母さんと親しかった。」
「私には、お母さんなんていない。」
天音は彼の言葉にかぶせるように、すぐにそう言い捨てた。
「え…。」
「だって…。」
天音は自分が今どんな顔をしているのか、想像もできないでいた。
だってこんな感情は初めてだ。
だからそっと俯いた。
「やっぱり…。全て忘れたのか?天音?」
辰は、そんな天音の頭頂部をやっぱり心配そうに、どこか寂しそうに見つめていた。
「お母さんなんて、いないんだってば!」
天音は何故か自分の中から生まれてくる、この感情を抑えられず、そのイライラを彼にぶつけた。
「天音、奇跡の石を探すんだ。君の近くに石はあるはずだ。」
「え…また石?」
それは、かずさも口にしていた奇跡の石。そしてあの試験の時も、誰かが口にしていた。
『石を…おねが…い。』
そして自分の母を知っていると言う、この男も石を探せと言う。
天音は何が何だかわからず、困惑の表情を浮かべるしかない。
「なんで私がその石を見つけなきゃいけないの…。」
天音が俯いたまま小さくつぶやいた。
「私にはわからない。でも、それが君の母親が君に伝えたかった事だ。」
しかし、天音はうつむいたまま何も答えない。
「君のお母さんの…。」
「帰ります!」
辰の言葉を遮るようにして、天音は扉に向かって駆け出した。もうこれ以上は何も聞きたくないと、言わんばかりに。
「待っ!」
バタン!
辰の呼びかけも虚しく、天音は逃げるようにその場を去って行った。
――――私にはお母さんなんていない。だって私は捨てられたんだから…。
************
――――― 次の日
天音は今日もいつもと変わらぬ様子で、授業を受けていた。昨日のあの兵士との話は、まるでなかったかのように。
今は歴史の授業中。
天音や妃候補達は士導長の話に耳を傾けていた。
「昔は、女性はいろいろな差別を受けてきたと言われている。そのために、命を落とした女性もたくさんいるそうだ。」
「え…。」
天音は士導長が口にしたその言葉に衝撃を受け、思わず言葉をもらした。
「迫害にあった女性は、子供も満足に育てられなかった。そんな時代もあった。今この城下町は、平和で栄えている町だが、しかし、この国はそう言った場所だけだはない。この国には貧しい町や村が沢山あり、不満をかかえている人々は確実にいる。」
「不満…。」
天音の村は貧しかったが、不満を感じた事は一度もなかった。
そう、今までは、不満を持っている人がこの国のどこかにいるなんて事も、考えた事はなかった。
村の外に出るまでは…。
「その不満が大きくなり、反乱は起こる。よいか、妃たるもの、全てを見なければならぬ。国を見なければならぬぞ。」
士導長の厳しい言葉を、妃候補達は真剣に聞き入っていた。
「それが出来なければ、妃になる事はできない。」
さらに士導長は、厳しい目を妃候補に向けた。
「そして、天使教様を支える事は出来ない。」
「…。」
目をそらしてしまいそうな、そんな士導長の厳しい目を、星羅はじっと見つめていた。
「飾りだけの妃は、この国にはいらぬ。」
さらに低い声で士導長はそう言い放った。
************
その日の授業が終わり、天音はこの日も城を出て、城下町を1人トボトボと歩いていた。
「見いつけた。」
グイ
そんな天音の腕を誰かがひっぱった。
「わ!」
天音は突然腕をひっぱられた事で、足がもつれ転びそうになった。
「おっとと。」
天音が振り返ると、そこには10歳くらいの女の子が立っていた。
「どうしたの?迷子?」
天音は優しく少女に話しかける。
「出て行けば?」
「え…?」
「怖いんでしょ?自分が誰か知るのか。」
「へ?あなた、何言って…。」
わけの分からない事を口走る少女に、天音は戸惑う事しか出来ない。
「ここを出て行きなよ。天音。」
少女の冷たい視線が、天音に突き刺さる。
そして彼女は、確かに天音の名前を呼んだ。
今日会ったばかりの彼女が何故?天音の頭には、そんな疑問が浮かび上がる。
それはまるでデジャヴ…
「そんな子供の戯言を真にうけてどうするの?」
戸惑う天音の前から、いつものように、冷静なあの声が聞こえた。
「かずさ…。」
天音はこの時ばかりは、なぜかかずさを見つけて、少しホッとした。正直1人では、この娘にどう対処していいのかわからない。
「チッ。」
しかし少女は、かずさの顔を見たとたん、悔しそうに舌打ちをして、かずさを睨んだ。
「かずさ、この子知ってるの?」
「…まあ。」
明らかにかずさを見たとたん、態度を変えた彼女の様子を見たところ、少女とかずさは顔見知りのようだ。
しかし、かずさから返ってきたのは、何ともはぎれの悪い返事だけだった。
「余計な事するなって言ってるでしょ!」
少女は、子供とは思えないほどの鬼の形相で、かずさを睨みつけ、攻撃的な言葉をかずさに向ける。
一体、何が彼女をそうさせているのだろうか…。それは天音には全く想像ができない。
この町にいる、この子と同じくらいの年代の子供達は、いつも笑い声をあげながら、楽しそうに遊んでいる姿しかみた事がないのに…。
「あなたの出る幕じゃないわ。」
かずさは、その少女の横に立ち、そうつぶやいた。
「…見ないで。」
少女はかずさの方を見る事なく、冷たく言い放つ。
「…。」
かずさもまたその少女の方を見ようとはしない。
「あなたが見てるのは絶望だけでしょ?かずさ。」
「絶望…ね…。」
「クス。未来で笑うのは、あなたじゃないわ。」
「今は何もできないでしょ。帰りなさい。」
かずさは、そんな興奮状態の彼女とは正反対に、冷たく冷静な声で少女にそう言って、何とか彼女を帰らそうとしている。
「チッ。」
少女は2度目の舌打ちをうち、突然走り去って行った。
「…かずさ、あの子1人で大丈夫?」
あっけにとられた天音は、そんな二人のやり取りを、ただ唖然と見ている事しかできなかった。
しかし天音は、全く子供らしくない、攻撃的な目をしたあの子が少し心配になった。
「…あの子には、関わらない方がいいわ。」
「え?」
かずさは、いつもと変わらない冷静な低い声で、天音に忠告した。
「じゃあ。」
かずさはそう言って、天音に背を向け歩き出した。
「え?うん。じゃあね。」
かずさの足が向かうのは、やはり城の方向。かずさの帰る場所は、やっぱりあの城なのだろうか…。
天音はそんな事をボンヤリと考えながら、城とは反対の方向へと歩き出した。
「未来で笑うのは、あなたでもないわ…ミルカ…。」
かずさがひとり、ポツリとその少女の名前をつぶやいた。
************
「はぁ、はぁ、はぁ。」
天音は裏山の険しい道を登りながら、息を切らしていた。気がつくと何故か足がここへと、自然と向かっていた。
「あ?また、お前かよ。」
辿り着いたその小さな小屋の前では、月斗が一人煙草をふかしていた。
「いいか、もうここには来るな。」
月斗は今日も、威嚇するように天音を睨む。
「ごめんなさい。でも、月斗にもう一度聞きたくて…。」
そんな月斗にひるむ事なく、天音は月斗に一歩ずつ近づいていく。
「気やすく俺の名前呼ぶな!」
しかし、月斗は威嚇をして、それ以上は天音を近づけようとはしない。
「月斗の不満って何?どうして反乱がおこっちゃうの?」
「あ?俺が反乱者だって言いてーのかよ。」
「そうじゃないけど…。不満がなければ、みんな平和に暮らせるんでしょ?」
天音は、今日の士導長の授業を聞き、自分なりに色々と考えてみた。
反乱はなぜ起こるのか?どうしたらみんなが平和に暮らせるのか?しかし、その答えは天音には検討もつかない。
「意味わかんねー。なんで俺にそんな事聞くんだよ。」
月斗はめんどくさそうに、頭をかきむしった。
「奇跡があれば、何か変わるのかな…。」
「は?」
天音は自分でも無意識のうちに、そんな言葉をポツリとつぶやいていた。そして、そんな言葉を発した自分に密かに驚いていた。
『奇跡の石があればこの世を変えられる』
それは、かずさのあの言葉を聞いたからだろうか。
「私、何言ってるんだろうね…。」
天音はなんだか昨日から、自分が自分でないような、そんなフワフワした感覚に陥っていた。
それはあの兵士と会ってからだろうか?
「ねえ、月斗、花火見たい。」
天音は唐突に、そんな事を言い出した。
自分へのモヤモヤした気持ちを拭い去るように、そんな事を口にした。
「は?」
月斗は天音のその言葉に、大きく目を見開いた。
「ね?お願い。」
『お願い。』
その言葉は何故か月斗の心に突き刺さった。
その言葉は忘れていたはずの、いや、忘れようとしていた言葉。
月斗は黙ったまま、俯いた。
「月斗?」
天音はそんな彼が心配になり、月斗の顔をのぞきこんだ。
もしかしたら、何かいけない事を口にしてしまったのかも、と思案しながら…。
「わかった。」
あんなに不機嫌だった月斗は、なぜか天音の唐突な、そのお願いを断らなかった。それは、あの言葉を聞いたからなのか…。
「やったー!」
しかし天音は、そんな月斗の心の内など知るよしもなしに、ただ単純に喜んでみせた。
「その代わり俺の頼みも、聞いてもらう。」
「へ?うん。いいよ。」
そして月斗は手放しに喜ぶあまねに対し、交換条件を出してきた。
しかし、天音は深く考えることなく、二つ返事でその条件を快諾してしまった。
ヒュー、バーン!!
まだ夕方にもなっていない、明るい晴天の空に花火が彩った。