最期の十字架
「もう、城を出て行ってもいいのよ。華子…。」
自室の窓から月を見上げている華子に、皇后が声をかけた。
皇后は悟っていた。
この空っぽの城に残る者は今はわずか。
この城に残っていても、その先の未来は…。
「まだだもん。」
しかし、華子は不機嫌な小さな子供のように、口をとがらせてそう言った。
「…華子…。もう一度聞いていいかしら?なぜ、あなたは妃になったの……?」
皇后が低い声で問う。
「…天音のため……。」
華子の目には、夜の闇の中に、控え目に輝く月が映っていた。
************
「天音。ちゃんとシドと話せたか?」
シドの所から帰ると、りんが天音に優しく笑いかけた。
「うん!」
天音もりんの笑顔に答えるように、満面の笑みで大きく頷いた。
「じゃあ、次は?」
するとりんが、まるで、学校の先生のように、その問いを投げかけた。
次にやるべき事…。
もちろん、子供ではない天音には、それはあまりにも簡単な問い。答えは分かりきっていた。
「かずさに、あやまるんやろ?」
りんがまた、優しい眼差しを天音に向けた。
「…。」
…あの時私は、かずさを責めた……。
かずさは悪くないのに、行き場のない思いを、全てかずさにぶつけてしまった。
『全部知ってたんでしょ!!』
「わかっとるやろ?一番つらいのは、かずさや。見えんでいいものが見える。」
「…わかってる…。」
俯いたままの天音に、りんは尚も、優しく語りかける。
そして、天音も、まるで怒られている子供のように、小さな声でそれに答えた。
未来が見える力のせいで、一番辛かったのは、かずさだ。もちろんかずさは、何もしてこなかったわけではない。
それを天音も知っているんだから…。
「じゃ、ちゃんと謝る事!!」
りんが天音の頭に、ポンと手を置いた。
どうやらりんは、頭をポンとするのが、人を慰める時の癖なのか、天音はりんのそのしぐさを、今までも何度も経験していた。
りんにそうされると、なんだかこそばゆい気持ちになる。
それは、まるで…
「りんはお兄ちゃんみたいだ…。」
天音が少し恥らいながら、顔を上げ、そこにある優しい笑顔のりんを見上げた。
「星羅がお母さんなら、りんはお兄ちゃんみたいだね。」
天音がエヘへと、照れくさそうに笑って見せた。
家族のいない天音にとって、りんはまるで兄のような、どこかくすぐったくなるような、そんな存在になっていた。
…ねえ、お母さん、辰、私はやっぱり1人じゃなかったね。
「…。」
りんも、愛しい家族に向けるような眼差しを、天音にそっと向けた。
しかし、それは、天音のものとは違う、少しだけ寂しげな瞳だった。
************
――― 数日後
「シド。いよいよ明日だな。」
反乱軍の仲間の1人が、シドに言った。
反乱軍がテントを張る場所には、多くの人々が集まっていた。
ここに集まるのは、反乱軍だけではない。
城下町や他の町の人々も集まり、かなりの数だ。
それは、明日の作戦会議のため。
そう、その日はついに明日やって来る。
反乱軍達が、城に天師教に討ちに行く日が…。
――― これが本当に最後
「…ああ。」
シドは真っすぐ前を見据え。そこに集まる仲間達に視線を送った。
「この国を変えようぜー!!」
そして、仲間の1人が、こぶしを突き上げ叫んだ。
「おーー!!」
それに続くように、みなが声を上げた。
「…いよいよ明日…。」
そして、その様子を遠くから眺めていた星羅が、口を開いた。
「りんは行かないの?」
天音はそんな疑問を、隣に居たりんに投げかけた。
星羅と、天音、そしてりんは、シド達を労うために、ここへと足を運んでいた。
面倒くさいという理由で、月斗がここにはいない事は、言うまでもない。
りんは、反乱軍の一員として、あの輪の中に居てもいいのに、何故か自分達と同じように、こんな離れた場所にいる事が、天音は腑に落ちなかった。
「わいが行かんでも大丈夫や。シド達がようやる!」
りんが安心しきった顔で、前を真っ直ぐ見据えたままそう答えた。
「そうだね。きっと変わるよね。」
そんなりんの顔を見て、天音もまた確信した。
「石の力なんかじゃなくて、この国のみんなの力で変わるんだよね。」
…もうわかっていた。
「そうやな。」
りんが、よくできましたと言う変わりに、ニッといつもの笑みで返してみせた。
「天音…。」
心配性な星羅も、そんな天音の言葉に、穏やかな表情を浮かべ、反乱軍達に熱い視線を送った。
☆
「天師教は生まれた時から天師教になる運命……。
私は、生まれた時から預言者…。天音は始めから重い十字架を背負っていた。」
かずさが小さくぽつりとつぶやいた。
************
――――― その日の夜
「なあ、りん。」
シドはりんと2人、辰とジャンヌの墓の前にいた。
シドはりんに、今晩付き合って欲しいと言われ、もちろんそれを快諾したのは、言うまでもない。
「んー?」
りんが、どこか機嫌良さそうに、シドの問いに相槌を打つ。
「こんな時代じゃなかったら、アイツを討つ事はなかったのかな…。」
しかし、そんなりんとは反対に、シドはどこかしんみりとした声を出して、空を見上げた。
明日に迫るその日を前に、少し弱気な姿を見せるのは今だけ…。この暗闇の中でだけ、と自分に言い聞かせながら…。
「…どうやろな?」
しかし、りんは、そんなシドの弱った気持ちを吹き飛ばすかのように、あっけらかんとした声で、首を傾げてみせた。
もう、ここまで来た。
散々悩んで、迷って、ここまで辿り着いた。
「もし、アイツが天師教じゃなかったら…。」
しかしシドは、やはりどこか悲し気な瞳で、遠くを見つめていた。
そう考えずにはいられない。
シドが見た彼は、ただの生意気な青年。
そこらへんにいる青年となんら変わりない。
―――そんな彼の未来を、明日奪う事となる。
「…前はわいも、シドと同じ事、考えとったわ…。」
りんは、何も見えない暗闇へと視線を移した。
以前、りんも、シドと同じような事を考え、月斗に話していた事を思い出した。
「でもなシド、今じゃなかったら、アイツが天師教じゃなかったら、わいらは出会えんかったかもしれん。」
今のりんのその眼差しは、あの時とは違う。
しっかりと前を向いていた。
「え…。」
「今が今じゃなかったら、出会えなかったかもしれん。」
そう言って、りんがシドの方へと顔を向け、ニッと笑った。
そして、その笑顔に、シドの迷いは吹き飛んだ。
迷って苦しんでここまで来た。
明日は必ず来る。
誰のもとにも、平等に…。
************
「…お願い誰にも言わないで…。」
それは青とかずさが交わした最後の約束……。
「僕が死ぬことは…。決して誰にも……。」
小さくそう話す青の方へ、かずさが顔を歪ませ、振り返った。
「僕はもう僕じゃなくなるんだろう?その前に死ななきゃ……僕は死ねなくなる。」
「…。」
かずさの瞳が大きく揺れた。
「初代天師教の魂を呼びよせたら、もう死ぬ事はできない……。もう二度と僕は、僕として生きる事もできなくなる…。」
「…。」
その正解の答えに、かずさは唇を一文字に結ぶしかできない。
本当は言いたかった。
…違う…。きっと何か方法が……。
でも、それを言ってしまえば、青にウソをつく事になる。
そして、そのウソがすぐに見破られてしまうのは、目に見えている。
「僕が僕である時に死にたいんだ。」
「…それで、いいの?」
かずさの潤んだ瞳が、青に真っ直ぐ向けられている。
そして、青はその視線を優しく受け止める。
「僕は知ったんだ。」
「…。」
「生きる意味。」
「僕は特殊な人間だから、ずっと周りから白い目で見られてきたけど、僕には希望があった。」
かずさは青の話に黙って耳を傾ける。
「もう一度天音に会って、笑い合いたかった。」
そして、青が力なく笑った。
「僕にはなぜか生まれた時から、前世の記憶があった。天音は同い年の、近所に住む幼馴染だった。彼女は活発で明るくて、まぶしい女の子だった。僕は小さい頃から体が弱かったけど、天音はいつも僕を外に連れ出してくれた。」
『青!!公園に桜見に行こう。』
「寝込んでる時も、毎日お見舞いに来てくれた。」
『よくなったら、また遊ぼうね!』
そう、それは前世の記憶。青には生まれた頃から、前世での記憶があった。
それも、特殊な能力の1つかもしれない。
その記憶が、今のこの世のものではない事はわかっていたが、その記憶が今の彼を励まし続けた。
「前世での僕は、そんな彼女が隣にいるのが当たり前だと思ってたけど……、彼女の心を奪っていったのは、僕じゃなかった。僕は意気地なしで何も言えずにいた…。幼馴染でもいい。天音のそばにいられれば…。」
そして、その気持ちは消化される事無く、生まれ変わった今も、その胸に眠っていた。
「…。」
「でもあの日僕らは、離れ離れになった。そして僕はこの世界に生まれ、願った。また天音に会いたいと…。」
青にもわかっていた。前世と今の世界は全く違う世界。
そんな夢物語のような願いが叶うはずがない。
例え彼女が同じ世界に居たとしても、もう自分の事なんて忘れているかもしれない…。
いや、そもそも彼女は、この世界にはもういないかもしれない…。
この城に来てからは、そんな事を考え続ける毎日だった。
「全てを失っても、僕は願った。信じ続けた。毎日毎日。………そして彼女に出会った。」
『ありがとう。』
天音に会えたその日、青はその言葉をつぶやき、涙を流した。
そして、その言葉は、天音に向けられたものではなかった。
「でもやっぱり、この世界でも僕は僕だね。」
そして、青が自分を嘲笑うかのように、小さくつぶやいた。
「やっぱり僕は、彼女の一番にはなれないけど……、でも彼女と少しの間だったけど、一緒に居られて、それだけで救われた。」
「青…。」
「例え僕が死んでも、誰かが覚えててくれたら、それでいい。それが僕の生きた証だから。」
「…。」
かずさは奥歯を強く噛みしめた。
…本当に……本当にそれでいいの……?
この狂った歯車を止める事は、本当に出来ないの?
それが無理だと知っていながらも、かずさは葛藤し続けた。
「君とは長い付き合いだったね。」
そんなかずさの胸の内を知る青は、彼女を慰めるように、静かに笑った。
「僕は夢の中で未来を見て、過去を見ていた。そして君の夢に渡って、君に出会った。」
青には、予知夢のような能力に加え、人の夢に渡り、その主に夢の中で会いに行く事ができる能力があった。
『君は…誰…?』
『私は預言書…。』
たまたま青が足を踏み入れたその夢で、2人は出会った。
『…じゃあ、僕の未来を預言してみて。』
『…もうすぐ、あなたの会いたい人に会えるわ。』
『え…。』
そうして、かずさは青の未来を言い当てた。
「でも、僕達はこんなにも近い場所にいた。同じ城の中に。君の予言は確かだ。でも僕の見る未来は、あくまで断片的な夢にすぎない。」
そう、青の未来を見る能力は、預言者のかずさにはかなわない。
「君は……辛い思いをいっぱいしてきたんだろう?」
青の優しい眼差しが、かずさを見つめていた。
青にはわかっていた。自分もこの力に苦しめられてきた。
かずさだって、同じはずだ。
「…。」
そんなかずさは、うな垂れたまま、顔を上げる事ができない。
「君は言ったね。僕に足りないものは勇気だって。そう、その通りだよ。月斗に頼る事もできなくて、天音に自分の気持ちを伝える事もできなかった。」
「だったら、死なないで……。」
かずさが震える唇を何とか動かし、言葉を発した。
「ありがとう。だから君も勇気を持って。」
「え…。」
青の優しい心地よい声がかずさを包み、かずさがゆっくりと顔を上げた。
「願わくば、かずさが幸せでありますように…。」
「ありがとう……。青……。」
かずさは、青の優しく微笑んだその顔を、瞳に焼き付けた。
それが青との最後の会話だった…。
彼女は望んだ……。
未来が変わる事を……。
*****************
「いい天気だね。お母さん。辰。」
天音は朝一番で、2人のお墓の前に来ていた。
暖かい朝日が2つのお墓を照らし、心地よい風が天音の髪を揺らしていた。
「やっぱりここにいた。」
背後から聞こえたその声に、天音が勢いよく振り返った。
そこには、会いたいと思っていた彼女が、今日も涼しい顔で立っている。
「かずさ…。」
「今日は忙しくなりそうね。」
かずさが朝日を見上げ、眩しそうに目を細めた。
どちらかと言うと夜行性のかずさには、その日差しは目に染みるようだ。
「かずさ…。ごめんなさい!!」
すると、天音が突然大声で謝罪の言葉を口にし、深く頭を下げた。
本当は、自分の方から出向かなければいけなかったのに、絶妙なタイミングで、彼女は天音の前に姿を現した。
いつもとなんら変わらない姿で…。
「…何が…?」
するとそんな天音の行動に、かずさは怪訝な顔をして、彼女の後頭部を見つめた。
「…私、かずさにひどい事言った……。一番辛いのはかずさなのに…。」
「私の事はいいのよ…。」
優しい風がかずさの頬をかすめる。
「よくないよ!」
しかし、天音はそう言って、かずさの腕を力強く掴んだ。
「かずさだって、幸せになっていいんだよ!」
そして、天音が必死な形相で、かずさを真っ直ぐ見つめていた。
ザ―
…なぜだろう…。今日の風は不思議と冷たくない。
「まったく。あなた達は、人の事ばかり気遣って……。」
「へ…?」
かずさが呆れたように、ハァー、とため息を吐き出した。
想像とは違ったそんなかずさの返答に、天音はきょとんとした顔で、かずさを見つめる。
「…その言葉、そのままあなたに返すわ。」
「かずさ…。」
青も、天音も、みんな…人の事ばかりで、自分の事は二の次。
もっと自分の事ばかり考えても、バチは当たらないというのに。それを全くわかっていないのだから…。
「ねぇ天音…。思い出さない?」
「ん?」
「星を見て、桜を見て、花火を見た…。」
「え…。」
そんな自分の事は二の次の天音に、かずさは優しくヒントを投げかける。
「闇をちゃんと見て。」
「…。」
それは、天音が決して目を背けてはいけない闇。
「もう一度……見たいんでしょ……。雪。」
「……。」
その言葉に、天音が大きく目を見開いた。
…それは叶わぬ夢…?
「あなたに足りないものは勇気よ……。」
ザーー
吹き荒れた風に、天音は思わず目を閉じた。
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―――― 次の日
「よーし!みんなよく寝たか?」
シドが準備を始めている反乱軍のメンバー達に、声をかけた。
「アハハ。」
仲間達はいつも通りのシドに、思わず笑みがこぼれた。
「いい天気だ!」
今日は雲ひとつない快晴。
太陽の日差しが、優しく彼らに降り注いでいた。
「よし、じゃあ、武器の確認しろ!」
シドが元気よくそう言った。
……1人も来ないか……。
シドの待ち人達は誰も来ない。
まあ、それは予想していた通りの結果ではあるのだが…。
「シド…。」
「ん?」
「ここにあった短剣が1本ないみたいだ。」
武器の確認をしていた仲間が、不思議そうに首を傾げた。
「まあ、1本くらい問題ないだろう!」
そう言ってシドが笑った。
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「みるかを……助けて…。」
かずさが小さく、彼女の名前を小さくつぶやいた。
「…みるかを?」
「彼女の両親は、反乱軍のメンバーだった。そして国の軍に殺された。」
天音は、かずさから発されたその信じ難い事実に、言葉を失った。
そう、みるかの両親も反乱軍のメンバーとして、国に逆らい命を落としたのだった。
「まだ幼かったみるかは、両親を亡くし、施設に引きとられていった。そして、反乱軍の娘という事から、彼女は周りからひどいいじめにあってきたわ。」
『反乱軍の生き残り!!』
『天師教様に逆らったバツだ!!』
そう、まだその頃は、天使教が絶対の世界。子供達でさえも、そんな考えが植え付けられていて、国に逆らうなんてもってのほか。
だからこそ、幼くまだ何もわからないみるかは、いじめられる理由さえもよく理解できないままいじめを受けていた。
「そんな…。」
天音は、そんな悲惨な現実に、顔を歪める事しか出来ない。
みるかもまた、そんな悲惨な現実に耐えてきた。
「そうして彼女の怒りは、国へと、天師教へと向いた。」
成長するにつれ、この国の実態を理解し始めたみるかは、両親を殺した国を、この国の元凶である、天使教を憎み始めたのだ。
『こんな国壊してやる!天師教を私が殺してやる!』
それは、ごく自然な流れ…。
「そうさせたのは……私。」
「え…?」
「私はみるかと同じ施設にいたの。」
かずさがどこか悲しげな瞳を伏せた。
かずさもみるかと同じ施設にいたという事は、かずさにも両親がいないという事になる。
それは天音にも簡単に想像できた。
「施設に来た頃のみるかは、いじめにあい、何度も自殺を図った。それを私は、何度も止めた。そして言った。天使教を倒せ。その日のために、あなたは生きなければならない………。そして石の事や、使教徒の事を、私が全てみるかに話した。いつかこの世は、変わるはずだからと…。」
「…。」
「彼女の持つ力は、破壊の力。彼女はまだ幼い…。憎しみを何かにぶつける事でしか、生きられなかった…。」
かずさの表情が一瞬にして、曇った。
その表情からは、かずさが自分を責めているようにも見える。
「かずさも、1人だったの…?」
「…ええ。私は、生まれた時から、施設に預けられていた。自分の親の顔も知らない。ても、別に私はそれを何とも思ってはない。別に親を知った所で、私は何も変わらないのだから。」
天音はかずさにも、聞かずにはいられなかった。
彼女が施設に預けられていた訳を…。
かずさは、生まれてすぐに施設に預けられていた。
自分の生い立ちは全くわからず、親がどこの誰かも知らない。いや、知ろうとした事は、一度もなかったそうだ。
「…そうだったんだね。」
「ある程度成長して、今のみるか位の年になった時、明日の夕食のメニューや、隣に座る子が、明日転んで怪我をするだとか、そんなささいな事が見えるようになった。」
『すごいね!何でわかるの?』
『かずさは、占い師なの?』
「始めは、そんなささいな内輪だけの話だったのに、いつしか、そんな私の噂を聞きつけた国の奴らは、私の能力が特殊なものだと判断し、私を引き取っていった。だから、私がみるかと一緒にいたのは、たった数ヶ月だったわ。」
かずさもまた、その能力を買われ、国へと引き取られた。それ以来みるかとは、会っていなかった。
「私がみるかを壊したのよ…。」
かずさが、目を伏せながら、ポツリと小さくつぶやいた。
以前は、かずさの感情を読みとる事は、至難の技だった。しかし、今の天音には手に取るようにわかる。
それは、彼女と過ごして来たあの時間があるから。
そして、かずさ自身も変わってきている…。
天音は、それを確かに感じていた。
「みるかはきっと、かずさの言葉で生きる事を選んだね。」
天音は温かい眼差しをかずさに向けて、ニコリと微笑んだ。
「え…。」
「かずさは、みるかを壊してなんかいないよ。かずさが、みるかを生かしたんだよ。」
かずさがみるかを助けなければ、みるかはここには居なかったかもしれない。
例え、憎しみを糧にしてでも、みるかはかずさの言葉で生きる事を選んだ。
それは紛れも無い事実なのだ。
「あなたは……。」
……いつでもそうやって簡単に人を救っていく。
「ん?」
天音は微笑みながら、小首を傾げた。
かずさが何か言いたげなのは分かったが、それ以上は言ってはくれなかった。
そして、その言葉は、大事にかずさの胸にしまわれたのだった。
「…いえ。天音。最後に聞いていい?」
かずさが目をそらす事なく、真っ直ぐ天音を見つめた。
「何?」
「明日が地球最後の日だとしても、後悔はしない?」
ザ―
今度は優しい風が、天音の頰をなでた。
「うん!!」
そして天音も、かずさのその視線から目を離す事なく、大きく頷いた。
「……これからは、そうやって人は生きてく……。」
そう、未来から目をそらす事なく、人は進んでいく。後悔の無いように…。
ザッ
その時、天音の耳に土を蹴るその足音が聞こえ、後ろを振り返った。
「ぬけがけはなしやぞ。天音、かずさ。」
そこには、りんがいつものように笑って立っていた。彼には全てお見通し。
「りん…。」
「行くんだろ。城に。」
そして、次に口を開いたのは、りんの横にいる月斗。彼は仕方ないと言いたげな顔で、こちらを見ている。
「まったく。ほっといたら、何するかわかんないんだから。」
そんな月斗の隣で、星羅も腕を組んで、いつもの呆れ顔を見せていた。
ザ―
「みんな…。」
彼らの顔を見たとたん、天音は不覚にも目が潤んでしまったが、何とか涙が溢れ落ちる事は、必死に耐えてみせた。
…お母さん、辰、私はもう1人じゃないよ。
お母さんに、辰にすがって泣いてるだけの天音は、もうそこにはいない。
天音を支えてくれる彼等と共に、天音は城へと向かった。
――― きっと城に行くのは、今日で最後。
そう予感しながら…。
*****************
カツカツ
天師教の間に1人の足音が響き渡る。
この部屋は天使教の間と呼ばれるだけあって、床は大理石で作られていて、じゅうたんが引いてある場所以外では、靴音がいやに響き渡るのだ。
「ぶざまだね…。天師教…。」
天使教の間にある唯一の椅子に座る京司の前で、その足音は止まった。
「ぶざま……?」
京司が彼女の方をチラリと見て、怪訝な顔で眉をひそめた。
「…民に捨てられ、大事な人に見捨てられたんでしょ?」
目の前の彼女はそう言って、ケラケラと笑うが、その目は笑ってはいない。
「…そうだな。でも俺は、始めから無様な奴だったよ。」
「…。」
どこか諦めたように、自分を嘲笑う京司を見て、彼女は笑いを止めた。
京司の座っている目線と、目の前に立つ彼女の目線はほぼ同じ。
「外も見ずに、この国の本当の姿を見る事もせず、こんな毎日から逃げ出したい。そんな事ばかり考えてた。」
そう言って、京司がポツリポツリと話し始めた。
「なあ、もう教えてくれてもいいだろう?何でそんなに俺が憎い?」
そして京司は、確信をつくその言葉を、目の前に立つみるかに投げかけた。
やはり、どうしても知りたかった。みるかがどうして子供らしからぬ、子供になってしまったのか…。
「…あんた達のせいで両親は死んだ。」
「…。」
…本当は分かっていた。
彼女をそうさせてしまったのは、天使教…。自分なのだと…。
「あんた達のせいで、この国は腐った。民が腐っていったのよ!強い者が弱い者を支配する世界になったのよ!」
「……悪かった。」
「え……。」
そんな国にしたのは自分だという事は、京司自身がよく分かっていた。
京司はその言葉と共に頭を下げ、地面を見つめた。
そして、突然の京司のその行動に、みるかは言葉を失い立ち尽くしていた。
「……悪かった。俺がこの国をダメにしたんだ。」
京司は尚も頭を下げたまま、謝罪の言葉を口にした。
「……あ、あやまってすむとでも…。」
みるかは、今まで感じた事の無い、この感情をどう取り扱っていいのかもわからないまま、震える声で言葉を絞り出した。
「お前の気のすむようにしろよ。」
もう全てがどうでもよくなってしまったのか、顔を上げた京司は、少し口の端を上げてみせた。
気が触れたとしか言いようがない目の前の彼の姿に、みるかは動揺が隠せない。
…これが天師教?私の憎かった天師教?
…そんなはずない……。こんな弱々しい男が……。
「ちがう………。」
バタン
その時、天師教の間の扉が勢いよく開いた。
「みるか!!」
「…待ってたよ。天音……。」
天音の声を耳にしたみるかは、正気を取り戻し、ゆっくりと天音の方へと振り返った。
…そうだ。私のやるべき事はただひとつだけ…。
「殺してあげるよ……。あなたの憎い天師教を……。」
みるかの手には短剣がキラリと光っていて、彼女は今にもその剣を振りかざしそうな勢いだ。
「みるか!!やめて!!」
すると、それを見た天音が叫んだ。
「何言ってるの?」
「みるか。剣を放して。」
「え…?」
天音が今度は落ち着いた声で、みるかに語りかけながら、熱い視線を彼女に送る。
しかしみるかは、尚も理解出来ないと言わんばかりの困惑顔を、天音に向けるばかり。
…どうして?憎いでしょう天師教が……?
天音は自分と同じ。
天音の母親は、天使教に殺されたも同然。
天音も天使教が憎いはずだ。
そうに違いない。いや、そうでなければいけない。
「みるか。天師教を殺さないで……。」
天音がじわりじわりと、みるかとの距離を詰め、ハッキリとみるかの耳に届くようにその言葉を発した。
「ハッ?バカなの?そんなに愛しちゃった?天師教の事。」
みるかは呆れ返ったようにそう吐き捨て、冷たい視線を天音に送り続けた。
「…。」
天音もまた、みるかを真っすぐと見つめる。
彼女なら分かってくれるはずだ。
その間違いに気づいて欲しい。
「天師教があなたの母親を殺したのよ?」
「…知ってる。」
「青だって、この国のせいで死んだんだよ。」
「…わかってる…。」
「元凶は全部天師教なんだよ!!」
みるかの悲痛なまでの大声が、その部屋中に響き渡る。
その言葉を聞き、誰もが口を固く閉ざした。
みるかがどれだけ苦しんで、どれだけ天使教を憎んでいるのかは、ここに居るみなに嫌というほど伝わってくる。
「天師教は憎いよ。」
そして、その静寂を切り裂くように、天音がゆっくりと口を開いた。
「でも……私達が天師教を殺しても、何の意味もないんだよ。」
「…。」
その時、みるかが目を大きく見開いた。
「憎しみで彼を殺しても、何も生まれない。」
そして、天音の熱い視線がみるかの心を射抜いた。
「天師教を討つのは私達じゃない。この国を変えたい人だよ。」
「え……。」
…天使教を殺すのは私でもない、天音でもない。
「みるか、あなたは生きる事を選んだ……。それは本当に……復讐のためだけ?」
「……。」
天音はゆっくりと、みるかに語りかける。
きっとみるかなら、わかってくれる。そう信じて。
「天師教を殺したその後は?あなたはどうしたい?」
「……。」
『君と天音はちがうよ……。君は君の道を作らなきゃ……。』
その時みるかの頭によぎったのは、みるかの夢に渡った青が、彼女に言った言葉だった。
みるかも青とは夢で何度か会い、言葉を交わしていた。
そんな自分とどこか似た境遇の青の言葉には、みるかも少しだけ耳を傾けていた。
『あんたに何がわかるの…?』
『…まあ、わからないけど。でも君は、天師教を殺した後も生きていくんだろう?』
…何を偉そうに…。
その時はただの小言だと思い、聞き流していただけ…。
『君はなんのために生きているの?』
『天師教を殺すため。』
…だって、私にはそれしかない。
…それしか、生きる目的はないんだから…。
『それじゃあ、君の両親はうかばれないよ。』
『え…?』
…私の両親は喜んでくれる。天師教を殺せば…。
それが…。
『きっとそんな事より、君が君の幸せを見つける事の方が喜ぶよ。』
『私の幸せ?』
『君は1人で、ここまで生きてきたわけじゃないんだろう?』
「みるか。あなたは1人でここまで生きてきたわけじゃないでしょ?」
そして、天音もまた、青と同じ言葉をみるかへと投げかけた。
『みるか。あなたは生きるのよ。』
そう言ってかずさは、みるかの手を握って自殺を止めさせた。
『本当にこの城下町まで、1人で来たの?』
施設を抜け出したみるかがこの町に来た時、まるで、みるかがここへ来るのを分かっていたかのように、かずさは町の入り口で待ち構えていた。
まあそれは、未来が見えるかずさには、当たり前の芸当。
『今日からここに住みなさい。あなたの面倒見てくれるお手伝いの人も見つけといたから。』
そう言ってかずさは、この町での何不自由ない暮らしを与えてくれた。
…なんでここでかずさの事ばかり思い出すの?
わかっていた。かずさがいなければ、私はただの何も持っていない子供。
こんな破壊の力を持っていた所で、生きてはいけない。
―――壊す事よりも、生きる事は難しいのだ。
『クスクス。』
夢の中の青が笑った。
『君が作りたい国はどんな国?』
私が作りたい国……?
…それは、温かくって、みんなが安心して暮らせる………。
『それには何が必要か……わかってるんでしょう?』
「みるか…。もう分かってくれたよね?」
「……。」
そして、みるかは黙って首を縦にふった。
…私みたいな何も1人でできない子供が天使教を殺したって、何も変わらない。
それは、ただの自己満足。
「 この国を終わらせるのは、天師教。」
そして天音は、今まで聞いた事のない低い声で、その言葉を口に出した。
「!?」
京司の耳にもその言葉はハッキリと届き、目を見張る。
その言葉は……。彼と同じもの…。
そして、その目も同じ…。
「―――石なんかじゃ、何も変わらないんだよ。」
パチパチパチ
その時、天音のその言葉を称賛するように、手を叩く音がその部屋に鳴り響いた。
しかし、辺りを見回した所で、手を叩いている人物は、そこには見当たらない。
「ピンポーン!天音!正解!」
「華子……?」
その人物は、ひょっこりと扉からニッと笑った顔を覗かせてみせた。
その顔を見た星羅が、眉をひそめ彼女の名を呼ぶ。
「さすがだね。天音。」
「華子?」
天音も彼女の軽快な声の方へと視線を向け、首を傾げた。
正解とはどういう事なのか?
まあ、妃である華子が城に居るのはなんら不思議はないのだが、なぜ今、タイミング良く華子がそこに現れたのか?
天音には、分からない事ばかり…。
「さ、これで使教徒は集まったね。」
華子がチラリとかずさの方へと視線を送り、満を持してその言葉を口にした。
「どういう事や?」
その言葉にいち早く反応したりんが、華子にその言葉の説明をすぐ様求める。
華子の口から使教徒という言葉が発せられたその理由は…。
「私が最後の使教徒だよ。」
「華子が……使教徒……?」
華子は落ち着いた声で、そこにいる全員を見渡した。それはまるで、みなにその事実が平等に伝わるようにという仕草にも見て取れる。
華子のその告白にみなが驚く中で、もちろん天音も、驚きのあまり大きく目を見開いた。
今まで華子がそんなそぶりを見せた事は、一度もない。
ましてや華子がその単語を知っている事さえも驚くべき事実なのに、彼女自身が使教徒だったなんて…。星羅でさえもその事は知らなかったに違いない。
その証拠に、星羅も言葉を失って、華子の凛としたその姿に釘付けになっている。
「青は…………偽物だよ………。」
華子から発せられたのは、今まで聞いた事のない低い声。
「…何?」
その名前に反応した月斗が、怪訝な顔を見せた。
「青が使教徒のわけないじゃん……。青の力は……そんなもんじゃない。」
「どういう事や……?」
「青は、初代天師教を呼び寄せる力の持ち主。初代天師教の復活のための鍵。」
華子はいつもとは違う雰囲気をまとい、淡々と説明を続ける。
「何なんや?その初代天師教の復活ちゅうのは?」
りんが腑に落ちないその言葉に、眉をひそめた。
以前、青自身も同じ事を言っていた。青には初代天使教の力が宿っていると…。
どうしてそんな事が…?
それは誰もが抱いている疑問に違いない。
「よかったね。天音。」
「え…?」
「初代天師教は、どうして復活したいか知ってる?」
りんの言葉をまるで無視するかのように、華子は天音だけにそう問いかけた。
しかし、その答えは今の天音には見当もつかない。
「この世を終わらせるためだよ。」
華子の真っすぐな目は、しっかりと天音を捕えた。
「青が初代天師教になったら、勝ち目はないよ。」
リーン
天音の頭の中では、どこかで聞いた鈴の音が鳴り響いた。
それは、まるで警告音のように…。
「だって初代天師教は、本当の神だから。」
華子はなんの躊躇もなく、その言葉を天音に投げかけた。
リーン
――― それは始まりの約束………。
「え…。」
その場では、彼らの息を飲む音しか聞こえない。
そんな中で天音は、小さく言葉を漏らした。
「この世界を作ったのは神。初代天師教だよね?かずさ?」
そこで華子は初めて、かずさに同意を求めた。
華子は、全てを知っているに違いない。
かずさが預言者である事も全て。
みながそう悟っていた。
「ええ。」
そしてかずさは、華子の問いかけに、静かに頷いてみせた。
「神?この世を作った?なんやそれ。」
りんは華子の言う、現実味のないその話に、困惑の表情を浮かべている。
無理もない。神など誰も見た事のない、確証のない存在なのだから…。
「この世を作った神は、自分を天師教と名乗り民に言った。自分を信じろと。そうすれば、この世に平和が訪れると。」
今度は華子に代わって、かずさが説明を続けた。
「そして、彼は子孫を残し、自分の子供を天師教に、またその子供が天師教になり、今は、あなたがその血を受け継いでいるわ。京司。」
「え…。」
まだ椅子に座ったままの京司が、突然自分の名前を呼ばれ、言葉を小さくもらした。
「なんやそれ?じゃあ神様は人間ちゅうことか?」
「まあ、半分は。ていうか彼は人間を自分に似せて作った…。とでも言えばいいのかしら…。でも彼は、神は、不死身。死ぬ事ができない。それだけが人間と違う所。」
「それだけって…。それは大きいがな。」
少しずつその現実味のない話を信じ、理解し始めたりんが、かずさのその言葉に苦笑いを浮かべた。
神は初代天使教として、この地で人間としてこの国を治めた。
それが事実かどうか、今は誰も知りえる事もできない。
ただ、かずさから発せられるその言葉を信じるか、信じないか…。それだけ。
「そう。そして神は、初代天師教を失脚した後、自分の力の一部をある石に託した。そして、何かあった時は、その石の力でこの国を治めるようにと、自分の後継者である何の力も持たない人間に託した。しかし、彼の子孫は神とは違う。子孫達は、その石の力をうまく使う事はできず、その力に溺れ狂っていた。そんな天師教達を見て、神はその石を封印する事にした。本当にその力を使える者が現れるまでは。」
「それが、奇跡の石……。」
奇跡の石は確かに存在していた。
しかし、今はどこにもない…。
「そう。しかし、いつしか奇跡の石の存在は忘れられつつあった。そしてこの国は、人々は、徐々に気づいていった。石と同じように、天師教もまた、本当は必要ではないんじゃないか?という事に…。」
「それは……。」
その言葉を聞いたりんには、もう分かっていた。
「でも、天師教を神を信じない世界など、彼は望まない。」
「神の望まぬ世界……。」
華子がポツリと小さくつぶやいた。
「そう。神は何のために、この世を作ったと思う?」
「……。」
りんが唇を噛みしめた。
「天使教を…いえ、神を信じてほしいからよ。」
かずさはいつものように、お得意の感情を閉じ込めたままの淡々とした話し方で、その言葉を吐き捨てた。
「何やそれ!!わいらは神様のために、生かされてんのかいな!?」
りんが我慢できず声を上げた。
かずさの言う事が本当ならば、いくらあがいた所で、全ては神の思い通り…。
そんな支配からの自由はありえない。
そんなの間違ってる……?
「だから、神は青の力を使いもう一度この世に復活し、この世を終わらせようとした。」
「フン。ふざけた話だな。」
月斗がどうでもよさそうに、鼻で笑ってみせた。
「でもそれは、青が阻止したんでしょ?」
華子が声のトーンを上げ、いつものしゃべり方に戻してそう言った。
「ええ。」
かずさがまた目を伏せ、静かに答えてみせた。
「やっぱり、青はいい男だね!」
そう言って、華子が少し寂しそうに、ニカっと笑った。
「青が死んだ事によって、神がこの世に復活する事はできなかった。」
「…。」
ずっと下を向いたままの天音が、かずさのその言葉に、ピクリと肩を震わせた。
青が、彼の命と引き換えに守ってくれたものは、はかり知れないほど大きなもの。
しかし、それが青の運命だと言うのだろうか?
そんなの……。
「なんで、そんな神様のわがままに付き合わなきゃいけないの…?」
天音が顔を伏せたまま、怒りに震える声を絞り出した。
「…。」
予測していた通りの天音の反応に、かずさは口を結んだまま、何も答える事は出来なかった。
いや、答えるわけにはいかなかった。
「そのために、青はずっと1人で苦しんでたの?」
「……天音……。」
そして、かずさは意を決して、彼女の名をそっと大事そうに口にした。
「え…。」
その声に天音は顔を上げ、かずさへと視線を送った。
彼女がこれから大事な事を話そうとしている。
それは、そこにいる皆も察していた。
「もう使教徒は集まった。」
「…。」
「石はここにあるわ。」
リーン
―――― 使教徒が集まった時、奇跡の石は現れる
「天音……。あなたが……終わらせるのよ。この世を………。」
リーン
呼んでる………。
『その………とき……は……おまえが………おわらせろ………。』




