雪のない世界で
「かずさ。」
りんは城の前でかずさの姿を見つけ、その名を呼ぶ。
「わいは、どうしたらええんや。」
りんがすがるような目で、かずさを見た。
りんは困惑していた。
この町の様子は、明らかに以前とは違っていた。
人々は混乱し始め、得体のしれない恐怖に怯えていた。
そして、この町には、以前のような活気はなくなっていた。
「…何が望みなの?この国を潰す事?天使教を倒す事?」
その視線から逃れるかのように、かずさは空を見上げた。
「…わいらはただ、もがく事しかできないんか?」
りんは静かにそう言って、遠くを見た。
今のこの状況を何とかしたいと思っても、りんは何をどうすればいいのか、わからなくなっていた。
「…。」
しかし、かずさは口をつぐんだままだ。
「かずさには、どんな未来が見えてんのやろうな…。」
りんは、かずさがその答えを口にしない事を知っていた。
しかし、めずらしく弱気になっているりんは、聞かずにはいられなかった。
「誰も苦しまないで、変える事はできない…。時代の境目には痛みが必要。」
かずさは、ゆっくりと噛みしめるように、その言葉を口にした。
りんはかずさのその言葉に、目を見開いた。
「痛み…。」
****************
「もう、時間がない。」
星羅は一歩一歩、着実に歩を進めていく。
その度に鼓動が早くなるのを感じながら。
『火がついたら、燃え尽きるのは早いわよ。』
そう、星羅には分かっていた。
かずさの言う通り、もう残された時間はあまりない事を。
カツン
その場所で、星羅は足を止めた。
この中庭も、火事の被害はそれほどなかったようだ。
焼け焦げた跡も、ほんの少しだけ。
――― いるかいないか、それは賭けだった。
でも、星羅にはわかっていた。彼女の使教徒としての能力は、星で占う星占い。
そして、それをするのは、特別な時だけ。
「京司。」
星羅は目の前にいる、その人物の名を、はっきり口に出し呼んだ。
「え…?」
京司はその名を呼ばれ、後ろを振り向いた。
「お前…。」
京司はそこに立つ彼女を、目を細めながら見つめた。
****************
「妃候補と天師教を会わせるだと?」
明らかに不快な表情をした老中が、ギロリと士導長を睨んだ。
「ハイ。」
士導長はその視線から逃れるように、目を伏せて返事をした。
士導長はそろそろ妃を決めるようにと催促され、老中に呼び出されていた。
そこで、最終的な決定方法を士導長は提案した。
しかし、天使教と妃候補を会わせて天使教に選ばせる。というその方法は、老中の怒りを買う結果となった。
「何を馬鹿な事を!」
老中はくだらないと言わんばかりに、声を張り上げた。
老中の頭の中には、そんな考えは微塵もない。
「私にできるのは、最終的な候補を上げるだけでございます。最後にお決めになるのは、天師教様でございます。」
士導長は顔を上げ、老中の目を見てそう言った。
「会わせる必要はない!」
しかし、老中は全く聞く耳を持とうとはしない。
「お願い致します。老中殿。妃は…」
「妃など誰でもよい。」
老中はただ冷たくそう言い放つばかりで、全く士導長の話に耳を傾けようとはしない。
…なぜわからぬ…。
「天師教様は、それでは納得しないでしょう。」
しかし、士導長が低い声を出した。
まるで、老中を挑発するかのように。
「なんだと?」
老中は士導長の方を向き、眉をひそめた。
「あなた方の欲している物は、それでは手に入りませんぞ。」
士導長は、鋭い視線を老中に向けた。
****************
「私よ。星羅。」
「せ…いら…?」
京司はまさかと思い、マジマジと彼女を見つめた。
彼女が、星羅が目の前にいるなんて信じられない、といった顔で。
もちろん最後に彼女に会ったのは、子供の頃。
しかし、確かにその面影はある。
「あなたに話があってきた。」
星羅は、真っすぐ京司を見つめた。
「ど、どうして、お前が…。」
京司は驚きを隠せず、言葉が続かない。
聞きたい事はたくさんあるのに、うまく言葉が出てこない。
「なんで、ここへ来た…。」
京司は、なんとかその一言を絞り出した。
「天音を助けて…。」
しかし、返って来たその言葉は、京司の問いに対する答えではなかった。
「え…?」
コツコツ
誰かの足音が遠くから聞こえた。
「天師教様ー?」
誰かが京司を探しているようだ。
「くそ。星羅、今は見つかったらまずい。」
小声で京司は星羅に言う。
「私は、あなたにもう一度会うために、妃候補になった。」
星羅の真剣な眼差しが、もう一度京司の瞳を見た。
「え…。」
「とにかく、一度天音に会って。」
タッタッタ
その言葉を残し、星羅は逃げるように、その場を走って立ち去った。
「…星羅…。」
京司は、その懐かしい名をもう一度つぶやいた。
『京司また会えるよねー!』
星羅と別れたのは、幼い頃。
まさかあの星羅が、妃候補になっていたなんて…。
『私の友達、同じ部屋の子もそんなような事言ってた…。』
天音と星羅は同じ妃候補…か…。
そこで、つながった。
2人は顔見知りに違いない。だから、彼女の口から天音の名が出てきたのだ。
『あの時死んでた方が、よかったのかな…?』
もちろん、京司だってあの日の天音の表情が忘れられない。
彼女に会いに行きたいのはやまやまだが、放火事件があってから、城の中の警備は強化されていて、辺りには兵士ばかり。
今日だって、やっとの事でこの池までやって来ていた。
「妃候補…、近いようで遠い…。」
同じ城の中にいるのに…もう簡単には会えない…。
*****************
―――― 次の日
「…寒い…。」
天音は、城の前の階段に1人座り込んでいた。
それはまるで、以前のりんのように。
「天音。全部壊れたね。」
そんな天音に話しかけてきたのは、みるかだった。
「…。」
天音は目を伏せて、何も答えない。何も見てはいない。
「この寒さは、この世の終わりを表すサイン。」
みるかはそんな天音に構う事なく、隣で1人話し続けた。
彼女の同意は、全く求めてはいないようだ。
「…。」
「みんな壊せばいいんだよ。誰も信じちゃだめなんだよ。」
みるかは冷たい言葉を吐きながら、面白そうに笑う。
「月斗は悪者。りんは偽善者。星羅は敵。青は嘘つき。」
「え…?」
天音は少し顔を上げた。
「かずさは、未来を知っていても何もしない預言者。」
ザ―
その時、この国には似つかわしくない、冷たい風が吹き荒れた。
「京司は…。」
そう言ってみるかは、天音の顔を無理やり覗き込んだ。
「クスクス。これは面白いから言えないや。」
みるかが不気味に笑った。
「…。」
しかし、その笑い声に、天音が顔を上げる事はない。
「周りは敵だらけだよ。天音。」
****************
「それで私に何を聞きたいの?」
かずさは冷たい目を彼らに向けた。
「預言者殿。」
老中が彼女をそう呼んだ。
かずさの前にいるのは、この国の政を行う者達。
しかし、そこに京司はいない。
「時代は何を望むのかしら…?」
かずさがポツリとつぶやいた。
「この国の行く末は…?」
彼らが知りたいのは、ただそれだけ。
それを聞くためにかずさを呼んだのだ。
そう、なぜなら、かずさはこの国直属の預言者だから。
「戦いに出る者は若者。」
かずさがおもむろに口を開いた。
「それは…。」
老中は怪訝な表情を浮かべる。
「その力がこの国を脅かす…。」
かずさが窓の外を見つめた。
****************
「よう天音。何してるん?」
そこに、みるかはもういない。
天音は、まだ1人でそこに座り込んだままだった。
「りん…。」
天音は消え入りそうな声で、そこに現れたりんの名を呼んだ。
彼女のその顔には、以前のような笑顔はない。
やはり彼女が変わってしまった…。
そして、その原因も辰から聞いていた。
そんなりんは、なぜか大荷物のリュックを背負っていた。
「わい、ちょっくら行ってくるから。」
そう言って、りんは手を上げた。
…彼はどこかへ出かけるつもりなんだろうか。
天音は、ぼんやりとそんな事を考えた。
「どこ行くか聞かんのか?」
「…どこに?」
天音はりんに促されて、まるで人形のように、その言葉を繰り返した。
「外や。」
そう言ってりんは、目線を町の外へ向けた。
「天音…。」
そして、りんはその名を愛しそうに呼んだ。
「え…?」
思わず天音は顔を上げ、りんを見た。
りんは真っすぐ自分を見ていた。強い瞳で。
「後悔しても知らんからな!わいと来んかった事!」
そう言って彼は、いつものように、ニッと笑った。
「じゃ、たっしゃでなー。」
そう言って、手をヒラヒラとふり、天音に背を向け歩き出した。
この町の外へ向かって。
雲の切れ間から、顔を出した日の光が、彼の背中を照らしていた。
****************
「皇后様…何を…。」
士導長は、皇后の言葉に驚きを隠せず、その場に固まっていた。
「その天音って子に、会わせて欲しいの。」
皇后の凛とした真っすぐな目が、士導長を捕えて放そうとしない。
皇后は天音にどうしても会わせて欲しいと、士導長に頼んだのだ。
「…。」
士導長は口をつぐんで、思案した。
「私の目で見たいの。」
しかし、士導長を見つめるその瞳は、一切引く事はない。
その瞳の強さに従うしかない事は、士導長には分かりきっていた。
*****************
天音は仕方なく、そろそろ帰ろうと、立ち上がった。
「天音。」
…どうして、今日に限って、こんなに人と会ってしまうんだろう。
…どうして、みんな私にかまうんだろう。放っておいてほしいのに。
そんな風に思ったが、それを言葉にはしなかった。
そんな天音を呼び止めたのは、かずさだった。
「ピアスはどうしたの?」
…どうして、そんな事聞くの…?
「…なくしたよ。」
天音は少し不貞腐れたように、小さくつぶやいた。
「そう…。」
かずさは、自分から聞いておきながら、そっけなく答えた。
「あの十字架は罪の象徴…。」
天音は、自分にも訳が分からない言葉を発した。
なぜだか自分の口が勝手に動いている。
そんな状況を客観視している自分がもう一人いる。
「私が魔女の子だから…。」
いつから自分は、こんな事を言うようになってしまったのだろうか。
「…。」
やっぱり、かずさは何も答えない。
かずさは、今どんな顔をしているのだろう。
なぜかそんな事が気になったが、天音は顔を上げて、それを確認する事はなかった。
「こんなに寒いの初めてだ…。」
そして、また、そんなどうでもいい事を口にした。
…それは、また私の口が勝手に言った事。
「そうね。」
相変わらず、かずさは相槌を打つだけ。
それ以上は何も言葉を発しない。
「…私は今、夢の中にいるのかな…。」
わかっている。これは夢じゃない。
なのに、また勝手に口が動く。
「夢だったら見れるかな…。」
「何を?」
天音がポツリとつぶやいた一言も、かずさはちゃんと聞いていた。
そして今度は、ちゃんと聞き返してくれた。
「……雪。」
*****************
辰は、ジャンヌの墓の前でうなだれていた。
「何も知らない方が、幸せっだったのか…。全て忘れてしまった方が…。」
しかし、その答えが返ってくる事はない。
その場には、ただ冷たい風が吹いているだけ。
*****************
「一体なんで、こんなに気温が下がっているんだか。」
今日は、この国で観測史上の寒さだと、京司の所にも報告があった。
「一定の世界か…。」
そう言って、京司は窓を開けた。
「なんだか、懐かしいな。」
冷たい空気が彼の部屋の中に入り込んだ。
なぜか、その空気を京司は懐かしいと感じた。
…そう、これは前にも…。
*****************
「天音。ここには雪は降らないわ。」
「え…。」
そこで初めて顔を上げて、天音はかずさの顔を見た。
「ここに雪はもうない。」
「なんで…。」
悲し気に揺れる瞳が、かずさをじっと見つめている。
「それは夢だから?」
かずさはいつもの無表情のまま、天音を見つめている。
「それとも現実だから?」
ザ―
また冷たい風が天音の頬をかすめた。
************
「決して交わってはいけない二人なのに…。」
士導長は窓の外を見つめつぶやいた。
「運命とは皮肉なものだ。」
*****************
「もー、天音。外ばっかり見て。」
天音は大広間に戻っても、ただ外を眺めているだけ。
その景色を、ぼんやりと見ているだけ。
華子がそんな天音の様子を心配するのは、無理もない。
あの日から空っぽのように、ただ外を眺める天音は、まるでネジをなくしたブリキの人形のよう。
そして、華子ができる事といえば、いつも通りに話しかける事だけ。
「…。」
星羅もそんな天音を、ただ見ている事しかできなかった。
「あ…。」
そんな時、久しぶりに、天音が声を漏らした。
「天音?」
華子の耳には、天音のその小さな声が、かろうじて届いていた。
「ゆ……き……。」
そしてまた、天音は消え入りそうな声を絞り出した。
『まだ夢を見ていたかった?』
「はぁはぁ。」
気づけば天音は走り出していた。
外へ向かって。
「天音!」
追いかけて来る華子の声は天音の耳には聞こえない。
『信じるのは目に見えるものだけじゃないよ。』
「う…っ…。」
突然立ち止まった天音の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うっひっく」
天音は冷たい地面にひざをついて、声を押し殺したように泣いていた。
「…天音…。これはハナミズキの花びらだよ…。」
華子がやさしく、天音の肩に落ちた花びらを、手に取った。
「もう…雪は…見れないの…?」
まるで雪のようだったんだ。
その真っ白い花びらが。
はかなく散るりゆくその花びらが。
☆
「また見れるかな…雪……。」
その頃京司も、冷たい風を頬に感じながら、そんな事をつぶやいていた。
*****************
「お…前…。」
目の前に立つ人物に、シドは驚いて目を見開いた。
「よー、シド!わいを仲間にしてくれへんか?」
シドの前にふらっと現れたのは、ニコニコと笑うりんだった。
城下町を出たりんは、反乱軍の本拠地を訪れていた。
「…どうして、ここに来たんだ。」
あの時は断ったはずのりんが、なぜここまで来たのか。シドは頭の整理がつかない。
「やっぱ、わいは見てるだけは、性に合わへんからなー。」
そう言ってりんは、悪戯っぽく笑って見せた。
ウジウジ悩んでいるのは、自分には似合わない。
そう考えたりんは、行動に移すことにした。
反乱軍と行動を共にする事を、国と敵対する事を彼は選んだのだ。
*****************
「天音…。」
「え…。」
今日もボンヤリと外を見ていた天音に話かけてきたのは、士導長だった。
「何を見ておるんじゃ?」
「…ハナミズキ…。」
天音は窓の外に散りゆくハナミズキを、ただボーっと眺めていた。
「ハナミズキか。だいぶ寒くなって、散ってしまったのう。」
「…まるで、雪みたいだったんです。」
天音が儚げにポツリとつぶやいた。
「雪…か…。」
「知っていますか?白くて冷たい…。」
まるで天音は、それを知っているかのように話しだした。
どこか昔を懐かしむように。
「聞いた事はあるの…。昔は一年のうち、その雪が降る時期があったとか。」
「どうして雪は降らなくなったんだろう…。」
天音は独り言のようにつぶやいた。
「この世は一定の気候になったからのう。」
士導長もどこか寂しげにつぶやいた。
「私…雪をどこかで見た事が、ある気がするんです…。」
天音の目線は、どこか遠くを見ているようだ。
「…ここ300年位は、私達の行ける場所でそのようなものを見た者は、いないはずじゃよ。」
士導長は諭すように、そっと天音にその事を教えた。
この国では、雪が降る事はない。
それが現実。
「…また夢か…。」
そんな天音の横顔は、士導長にはとても儚げに映っていた。
またひとつ、現実が彼女につきつけられた。
いつだって、理想と現実は違うもの。
それは、嫌というほど天音にもわかっていた。
「天師教様も言っておられた。」
そんな天音を見て、士導長はどこか懐かしむようにゆっくりと口を開いた。
「え…」
「私が、雪の話をしてさしあげた時、どうしても雪が見たいとだだをこねられた。」
「へー。」
天音の表情は、どこか少し安心したように見える。
「天音。」
士導長は天音の方を見つめ、その名を呼んだ。
「なんですか?」
「ちょっとワシに付き合ってもらえんかの?」
*****************
「雪、まるであなたみたいね。」
かずさが、暗くて冷たいその場所で、彼に話しかけた。
「あ?またお前かよ。」
「冷たい。」
かずさは、また今日も月斗のいる牢屋に、足を運んでいた。
「死んでないかと思って。」
「俺は死なねー、つったろ。」
「そう…。」
なぜかずさは、足しげく彼の元へ通うのか。それは月斗には、全くわからなかった。
かずさが話好きだとは、到底思えない。
いつも話しかけてくるくせに、答えはいつでもそっけない。
そんな彼女を月斗が不可思議に思うのも、無理はない。
「…どうして私が、こんな場所に来れると思う?」
かずさは、牢屋と反対の方向に目線を移し、また月斗に問う。
かずさにしては、今日は口数が多い。
「うるせーな。さっさと帰れよ。」
しかし、月斗はそんなかずさには、まったく興味がない。
月斗はかずさ以上に、人と話すのは嫌いのようだ。
「私は、この城の中は、どこでも行けるの。顔パス。」
そんな月斗に対して、今日のかずさは話をやめようとはしない。
「…。」
ついに月斗は、かずさに背を向けて横になった。
これ以上、会話をする気はないと言わんばかりに。
「私はこの国直属の預言者だから…。」
――― 月斗が聞いていようが、聞いていまいが関係ない。
かずさは、なぜかその事実を今口にした。
*****************
コンコン
士導長がその扉をノックした。
「失礼します。」
「どうぞ。」
中からは、女の人の声が聞こえた。
ガチャ
その扉を士導長が開ける。
そこはまるで談話室のような、そんなに大きくない部屋だった。
この城は本当に広い。天音の知らない部屋なんて、まだまだ山ほどある。
カツカツ
士導長について行き、天音も部屋の奥へと、足を進める。
「あなたが天音。」
そこで待ち構えていた、きれいな洋服で着飾った女性が、天音の名前を呼んだ。
「え…。」
「あなたが天音ね。」
皇后がゆっくりと噛みしめるように、もう一度その名を呼んだ。
「え…、はい…。」
『誰です!』
『あの!怪しい者じゃないんです!妃候補です。』
天音はもう忘れているようだが、皇后はあの雷の日の事を、しっかりと覚えていた。
あの日会った妃候補。彼女が天音。
『覚えておいた方がいいですよ。』
そしてあの日のかずさの言葉も…。
「さすがは、預言者ね…。」
皇后は小さくつぶやいた。
「え…?」
しかし、その言葉は、天音にはよく聞き取れなかった。
「そこに座って。」
皇后は、自分の座る真向かいの椅子を指差した。
「…はい。」
天音はこの状況を飲み込めないまま、椅子に腰を下ろした。
「あの…。あなたは…。」
未だ戸惑いを隠せない天音は、皇后よりも先に、質問を投げかけた。
自分がなぜここに呼ばれたのか。彼女は一体何者なのか。
わからないことばかりで、気持ちは落ち着かない。
「私は天師教の母です。」
「え…。」
皇后は包み隠さず、天音に真実を告げた。
そうでなければ、彼女と対等に話はできないと思ったから。
しかし、その言葉に天音は固まった。
…この人が天師教さんのお母さん…?
まさか、その人が今、目の前にいるなんて思ってもみなかった。
「あなたは、なぜ妃になりたいのですか?」
皇后の凛とした瞳は、真っ直ぐと天音を捕らえ、離そうとしない。
「それは…。」
天音は言葉に詰まった。
*****************
「ヘックション!!」
月斗が急に大きなくしゃみをした。
さすがの月斗も、この頃の寒さには、耐えがたいものがあった。
もちろん、ここに毛布など、暖をとるものは一切ない。
「…聞いてるの?」
かずさは、まったく興味を示さない月斗に、思わずそんな言葉を投げかけた。
「どーでもいいけど。」
彼女の告白を聞いても、月斗の態度は一切変わらない。
「…そうね。どーでもいいわ。この国の未来も、他人の未来も…。」
「あっそ。」
かずさが、投げやりに吐いた言葉にも、月斗はやっぱり、そっけなく答えるだけ。
「…あなたもうすぐ死ぬわよ。」
そして、かずさがまた、ポツリとつぶやいた。
「へー。それが予言ってやつ?」
月斗は、少しだけ興味を持ったのか、かずさのその言葉には反応を示した。
「…ええ。」
「ハハハハ!」
すると、突然月斗が声を上げて笑い出した。
「…何がおかしいの?」
かずさは、彼の背をただ見下ろし、眉をひそめた。
「んなもん。変えてやるよ。俺の未来は俺のもんだからな。」
「…。」
カツカツ
そして、かずさは黙ってその場を去った。
*****************
「…ずっと私を育ててくれたじいちゃんに、恩返しがしたくて。」
天音が妃になる理由を何の感情も込めず、淡々と答える。
「それだけ?」
「え…?あとは妃になって、私の村をもっと豊かにして…。」
しかし、天音はその後の言葉が続かない。
なぜだろう…。
口にすれぼするほど、まるで言葉が自分の中からこぼれ落ちていくようだ。
「本当にそれがあなたの望み?」
皇后の視線が天音に突き刺さる。
「ハイ…。」
天音は目を伏せて答えた。
皇后の視線を、直視する事など出来るはずがない。
「じゃあなぜ顔を上げないの?」
「…。」
「なぜあなたの瞳に光はないの?」
「…。」
天音は言葉を発する事はなく、ただ、奥歯を噛みしめた。
「もういいわ。帰って。」
皇后が冷たくそう言った。
それは、もう話す事はないと言う事だろう。
そして、天音は黙って立ち上がった。
「あの…。」
しかし、最後に天音は絞り出すように、何とか声を発した。
「望みがなきゃ生きてちゃ、だめなんですか?」
「…。」
しかし、皇后は訝しげに、目を細めただけで、何も答えない。
「…すいません。何でもないです。」
「…あなたは、生きるのが辛いの?」
天音は、また彼女の怒りを買ってしまったと思い、とっさにあやまった。
するとゆっくり、静かに皇后が口を開いた。
「私は…。死ぬことが許されない人間なんです。」
「え…?」
その言葉に皇后は、眉をひそめた。
…彼女は一体、何を背負っているというの?
「…す、すみません…何でもないんです。」
天音はまた下を向いて、同じ言葉を繰り返した。
「…私の望みは、天師教に幸せになってもらう事。」
すると、なぜか皇后は、自らの望みを口にした。
「あの…天師教さんは、名前ないんですか?」
天音は、そこでふと湧いたそんな疑問を、凝りもせずまた、ポロっと口にしてしまった。
「え?」
その言葉に皇后が声を漏らした。
「だって、お母さんにも名前呼んでもらえないから。」
「…。」
そして皇后は、もう一度天音を見つめた。
「天音。行こう。」
そこで初めて口を開いた士導長が、天音を扉の方へと促した。
「…。」
天音は黙って、軽く会釈した。
パタン
扉が静かに閉まって、その部屋には皇后だけが残された。
*****************
「天音どこ行ってたの?」
大広間に戻って来た天音に、華子が尋ねた。
「…別に…。」
天音はそっけなく答えた。
結局、なぜ自分が皇后に呼ばれたのか。それは、分からずじまいだった。
「張り紙みた?」
「え?見てないけど。」
妃候補に伝える伝達事項が、大広間の前の掲示板に貼られていた。
「…妃決まるって。」
「え…。」
それは突然の告知だった。
「何か、天師教様に1人1人会うんだって。」
「天師教さんに、会う?」
それは妃候補達、いや誰もが予想していなかった決め方だった。
結局、士導長の意見が通り、妃候補と天師教が対面する事が実現する事となった。
「結局は、天師教様の好みって事かー。」
華子が口を尖らせてそう言った。
「1日1人ずつ会うんだってさ。で、明日は早速、星羅の番。」
「…そっか。」
順番は決められていて、真っ先に天使教に会うのは、星羅だった。
天音は、どこか諦めたように、納得していた。
「天音の順番は最後だったよ。」
「華子…。」
天音は覚悟を決めたように、華子の名を呼んだ。
「ん?」
「私、妃にはなれないよ…。」
そして、その一言をしぼりだした。
「…。」
しかし、華子は、何も言わず、じっと天音を見つめるだけだった。
それは、天音の想像していたリアクションではなかった。
そして、華子のその瞳は…
…あの人と同じだ。
華子のその視線が突き刺さる。
「やっぱり、私には向いてないよ…。」
その視線から逃れるように、天音は華子から目を背けた。
「そっか。でも向いてないんじゃないんでしょ?」
…知ってる。
華子はいつだって真っ直ぐだった。
「妃になりたくないだけでしょ。」
今の天音には、そんな彼女の真っ直ぐな視線が、突き刺さる。
それは、まるで針のように。
「…天音。もうすぐお別れだね。」
華子の視線が少し離れ、天音はホッと胸を撫で下ろした。
「華子…。」
「あ、私はなるよ!妃に!」
そして最後は、華子らしい言葉と、いつもの笑顔を見せた。
「…どうして…?」
そんな彼女に、思わず天音は尋ねた。
彼女はどうして、いつまでも1つの事に、真っ直ぐでいられるのだろうか。
「だって、自分のやりたいことやるって決めたから。」
やっぱり、華子は華子だった。
「後悔しないように。」
*****************
「…眠れないのかね?」
廊下の窓から、ひとり空に輝く星を見つめる星羅に、士導長は声をかけた。
「…はい。」
「明日じゃのう。」
「…ええ。私はこの日を待ち望んできた。もう一度、京司に会う日を。」
星羅は士導長の前で、その名を簡単に口にした。
口にする事を禁じられた天師教の名を。
だってもう、何も恐れるものなんてない。
全て明日終わるのだから。
「…。」
士導長は口を固く結んだ。
「…どうして、京司を連れて行ったの…。」
星羅のその瞳は、まだ空の星を映していた。
「覚えていたんじゃのう…。星羅。」
「…答えられるわけないですよね。」
星羅が小さくつぶやいた。
「…何を話すつもりじゃ?天師教様と。」
「…さあ。わかりません」
星羅が微かに微笑んだ。
「…どうして天師教と、妃候補を会わせようと思ったんですか?」
そして、今度は士導長へと視線を移した。
「天師教様への最後のチャンスじゃよ…。」
「…あなたは、天師教思いなんですね。」
そしてまた、星羅は優しく微笑んだ。
*****************
―――― そう、これが最後のチャンス




