きっとそれは雨よりも冷たく君にふりかかるだろう
天音、お前の知りたい事は、全てそこにある。
お前の見るべき世界は、そこにある。
運命に立ち向かえ。
もう、村には戻って来るな。
じぃちゃんの手紙には、そう書いてあった。
じぃちゃんは一体何を知っていたの?
************
その頃、今日も帽子を深く被っている月斗は、珍しくたった一人で白昼堂々、城の前に来ていた。
「…天音を呼べ」
月斗は全く躊躇する事なく、城の前で門番をしている兵士に、いつもより低い声で伝えた。
「ハ?お前何者だ?」
急に話しかけられた兵士は、顔をしかめ、明らかに不審な月斗の顔を、覗き込もうとする。
城の門番といえば、強面で腕っ節の立つ兵士が、抜擢される仕事。そんな彼らに話しかける、怖いもの知らずの町民など、まずいない。
「天音を呼べって!」
しかし、正に怖いもの知らずの月斗は、兵士に向かってそう叫んでみせた。自分の身の上など、今は二の次、今はなんとしても、目的を果たす事が最優先のようだ。
そう、天音に会って、言わなければならない事がある…。
ガシッ!
兵士が、そんな月斗を捕らえるより先に、月斗は誰かに、肩を力強く掴まれ、後ろに引っ張られる形になった。
「コイツは、妃候補の娘を追いかけてる男のようだな。」
「辰…?」
門番の兵士が、月斗の後ろに立つ、その彼の名を呼んで、眉をへの字に曲げた。
「あんた…。」
月斗は、力強く掴まれた腕を振りほどき、後ろを振り返った。そこにいた兵士に、月斗は見覚えがあった。天音が、反乱軍を止めたあの場に彼が居たのを、月斗も、しっかりと覚えていた。そして、辰もまた、彼が、あのお尋ね者の月斗だと言う事は、すぐに気がついていた。そして、あの場に月斗がいた事も、もちろん記憶している。
「その妃候補に、会いたくて来たのだろう?まったく、そんな事のために城に来るなんて。」
彼はただ、妃候補に恋焦がれ、会いに来たただの青年。辰は何とか、その場をやり過ごそうと、そんなウソを吐いた。辰が、そんなウソをでっち上げているのは、もちろん、月斗をかばっているわけではない。
「俺は!」
「いいから来い!!」
辰はそう言って、無理矢理月斗の腕をひぱっり、なんとか城から遠ざけようとする。
「オイ!辰!」
「心配するな、俺が追い払っておく。」
そう言って、辰は月斗を無理やり引っ張って、連れて行ってしまった。
「まったく、妃候補を追い回すなんて、しょうもない男がいるもんだな。」
門番の兵士は、彼があの月斗だとは、微塵も疑う事はなく、彼の仕事に戻っていた。
************
「離せよ!!」
辰は、人気のない路地裏へと月斗を連れて来て、ようやく、月斗を掴む腕を開放した。
「お前。自分が何をやっているのか、わかってるのか!」
辰は、月斗に向かって怒りを抑えられず、怒鳴り声を上げた。
「は?」
月斗は、眉にシワを寄せ、ただただ辰を睨み返す。
「天音とお前が、知り合いだなんてバレてみろ!天音は、城に居られなくなる。」
辰は、天音の立場を考えず、自分の事しか考えていない月斗に、苛立ちを隠せない。
そう、あの時とっさにウソをついたのは、他でもない天音をかばうためだ。
妃候補の天音が、この国の問題児の月斗と、知り合いだなんてばれたら、この城を追い出されるのは目に見えている。
天音が、なぜ妃になりたいのか…。
辰はその訳は知らないが、彼女が妃になるため、一生懸命修行に励んでいるならば、それを邪魔させるわけにはいかない。
「そんなの俺には関係ねーよ。」
しかし、この月斗が、聞き分けがいいわけがなく、辰の言うことを、簡単に聞きいれるはずはない。
「…自分の事しか考えられないようじゃ、誰も守れないぞ。」
そんな月斗に、今度は声を荒げることなく、辰は低く落ち着いた声を出した。
「うるせーよ!!」
ガン!!
月斗のその苛立ちは、すぐに行動となって表れた。
そう、月斗はその言葉の意味を、身に染みてわかっていた。だからこそ、その苛立ちを、どうしていいのかわからない。
彼が殴った外壁は、簡単に剥がれ落ちてしまった。
どうやら彼は、感情を暴力によってでないと、表すことができないようだ。
「天音は私が呼んでこよう…。」
すると、辰は、今度は怒るどころか、そんな事を口にし、黙って月斗に背を向けて、歩き出した。
「は?なんなんだ。あの兵士…。」
月斗は、辰が本当に天音を連れてくるのか、半信半疑のまま、そこに立ち尽くした。
************
「でも士導長様に、ダメって言われたんでしょ?」
華子は、がっくりと肩を落とし、落胆した様子で部屋へと戻って来た天音の話を、まるで姉のように優しく聞いてあげていた。
「うん…。」
意気揚々と、士導長の元へと向かった天音だったが、しかし、彼女の願いは、士導長には聞き入れてはもらえなかった。
『お願いします!外出させてもらえませんか?5日、いえ、4日でいいんです!!』
『外出?』
士導長は怪訝そうな顔で、天音を見た。
『じぃちゃんに、会いに行かなきゃ…。』
『ダメじゃ!』
いくら優しい士導長だからって、もちろんそんな天音の単なるワガママにしか聞こえない願いを、聞き入れてもらえるわけなどない。
「当たり前でしょ。」
今日も、窓際で静かに本を読んでいた星羅が、呆れた声で、2人の話に割って入ってきた。何だかんだ言って、星羅も天音の話を、ちゃんと聞いていてくれている。
しかし、そんなわがままを、簡単に士導長に言ってしまう常識のない天音に、今日という今日は、怒りを通り越して、呆れるしかない。
「まあ、そうだよね。」
華子も今回ばかりは、星羅に同感で、苦笑いを浮かべていた。
「じぃちゃんに、会わなきゃいけないのに…。」
天音が、消え入りそうな声で小さくつぶやいた。
「天音、急にどうしちゃったの?おじいちゃんに何かあった?」
ここの所の天音の様子を、心配に思っていた華子は、もしかして、おじいちゃんに何かあって、天音はこんな事を言い出したのではないのか、と考えていた。
「じいちゃんに、何かあったのかはわからない…。でも、今村に帰らなきゃいけない気がするの…。」
それはただの予感にすぎない…。
「…何で今?」
確かなことは何もわからないと言う天音に、華子も困惑するしかない。
しかし、天音の切羽詰った様子に、華子も心配しないわけにはいかない。
「帰りなさいよ。妃はあきらめて。」
そんな2人をよそに、星羅はいつものように、冷静にその一言を放った。
そんなにおじいちゃんが大事ならば、妃をあきらめて、村に帰ればいい。
そう、ただそれだけの事…。
「それは、嫌だ!私は、妃になる!」
「は?」
天音は、まるで、だだをこねる子供のような一言を、間髪いれずに口にした。
しかし星羅は、天音のその身勝手な言葉に、一瞬にして顔を歪めた。
「妃になるために、今知らなきゃいけないの!」
そして、そんな星羅にひるむことなく、彼女の目をしっかり見て、天音は強い口調でそう言った。
「あなたには、妃は無理よ。他に大事なものがあるんでしょ?ここは、あなたが来るべき場所じゃなかったのよ。」
星羅は、訳のわかない事ばかり言い出す天音に、イライラを増し、また冷酷な一言で反論してみせる。
さっさと帰ってしまえばそれで終わる単純な話なのに、一体彼女は、なぜそんな遠回りをしたがっているのか…。
星羅には、とうてい理解できなかった。
「違うよ…。ここは私が来るべき場所だったんだよ。」
天音の真剣な目が星羅を再び射抜いた。
「え…?」
「どういう事?」
その真っ直ぐな瞳に、思わず星羅は反論する事を忘れ、ただ彼女のその瞳に釘付けになった。
そんな星羅に変わって、その真意を尋ねたのは、華子だった。
「この町に、私のお母さんがいたんだよ…。」
「へ?お母さん?」
天音の突然の告白に、華子は驚き、すっとんきょうな声をあげた。なぜなら、ついこないだ、天音は赤ん坊の頃に捨てられた。という話を聞いていたからだ。
「私を捨てたお母さんが、この町にいた。でも、もう死んじゃって今はいないけど。」
そう言って天音は下を向いた。
「…だから、元気なかったんだね…。」
「…。」
華子は、優しい眼差しで天音を見つめたまま、彼女の心情を察した。
一方の星羅は、感情も顔に出すことなく、ただ口を閉じたままだ。
「こんな気持ちのままじゃ、きっと妃になんてなれない…。私は知りたいの、ここへ来た本当の意味を。」
「どうして、そこまで妃にこだわるの…?妃なんて、諦めればいいじゃない。」
今度は星羅が、ゆっくりと口を開いた。
知りたかった…。
なぜ彼女が、そこまでして妃になる事にこだわるのか。
ただそれは、おじいちゃんのためだとか、村のためといものだけではないのは、明らかだ。
「それだけは、諦められない。」
…だって…。
「私が自分で決めた事だから。」
――― それは、私が初めて自分で選んだ道だから。
その決意は、彼女の強い瞳に表れていた。その瞳を目の当たりにした星羅は、また何も言えなくなった。
「こうなったら、天師教さんに頼むしかない!」
すると突然、天音がまた、突拍子もない事を叫びだした。
「は?」
「え?」
そんな天音の突拍子のない考えに、華子とそして、星羅までも、声を上げてわかりやすく驚いて見せた。
「だって、天師教さんが一番偉いんでしょ?士導長様にダメって言われたんだから、天師教さんに頼むしかないじゃない。」
天音はどこまでも本気だった。いくらこの城で修行をしたところで、村育ちの天音の常識のなさが、すぐに解消されるはずはない。彼女の子供のような単純な考えは、良くも、悪くも、残ったままだった。
「いやー、いくらなんでも。」
さすがの華子ですら、苦笑いを浮かべ、困惑の表情を見せていた。
「天音…。天師教は!」
コンコン
星羅が、何かを言いかけたその時だった。タイミングよく、部屋の扉をノックする音がした。
「誰だろう?ハーイ。」
そのノックの音に、一番早く反応したのは、天音だった。天音はすぐさま扉の方へとと向かい、扉を開けた。
「あれ?」
しかし、扉を開けてみると、不思議な事に、誰の姿も見当たらず、天音は首を傾げた。
「ん?」
すると、天音の足元に、1枚のメモが落ちている事に気がついた。
そして、天音は、そのメモを手にとってみた。するとそこには、天音でも読める簡単な一言が書いてあった。
「天音?」
黙ったまま、誰もいない扉の前で佇む天音に、華子が不思議に思い、声をかけた。
「ごめん。私、ちょっと行ってくる!」
「え?」
そう言って、天音は勢いよく部屋を飛び出して行った。
「え?天音ー!?」
華子は、突然部屋を出て行ってしまった天音を、呆然と見送るしかなかった。一体彼女に何があったというのだろうか?今となっては、それを知る術はもうない。
************
「ハァハァハァ。」
天音は、そのメモに記してあった場所へと、息を切らして走っていた。
なぜなら、そのメモには、そこで月斗が待っていると書いてあった。
誰が書いたかもわからなかったが、それが事実なら、すぐに行かなければ。
なぜか、天音は直感的にそう感じた。
「いた!月斗!はぁはぁ。」
方向音痴の天音も。なぜかこの時ばかりは、全く迷う事なく、月斗がいる路地裏に、すぐにたどり着いた。月斗はなぜか、辰が去った後も大人しくこの路地裏に居たのが幸い。
「誰かがメモをくれて、月斗が待ってるって。」
「…。」
月斗は、あまり期待はしていなかったものの、本当に辰が天音をここへ呼んできた事に、少し驚いていた。しかし、なぜ辰が天音を呼んでくれたのか、その意図はわからなかった。
「どうしたの?何かあった?」
天音は、月斗が自分を呼んだのには、きっと何か訳があるのだと考えていた。
月斗と交わした、「彼のお願いを何でも聞く」という約束も、もちろん覚えていたし、彼の力になれる事があるのならば、天音は何でもしたいと思っていた。
「お前…青を知ってるんだろう?」
月斗がやっとの事で低い声を絞り出した。
「え…。月斗、青を知ってるの?」
天音は、月斗の口からその名前を聞くなんて、夢にも思っておらず、目を丸くし、驚いて見せた。
まさか、月斗と青が知り合いだったなんて…。
二人の接点が天音には、まるで想像できない。
「お前アイツと、どうやって会った?」
「え?えっと…。お城で、たまたま?」
「たまたま?そんなわけねーだろ!」
月斗の鋭い視線が、天音に突き刺さる。
今日の月斗は、いつもよりもさらに苛立っている。それは、天音にも手に取るようにわかる。しかし、なぜ彼がこんなに苛立っているのか、それは天音には全くわからない。
「でも…青は私の事知ってるって…。まるで私の事をずっと待っていてくれたみたいな…。」
天音は、月斗の気迫に怖気づきながらも、なんとか青と初めて会った時の事を、包み隠さず彼に伝えた。
それが、月斗の欲しい答えかどうかはわからないが…。
「お前を待っていた?」
天音のその答えに、月斗は思いっきり顔をしかめた。
「まだわからない?」
そこに聞こえてきたのは、月斗の嫌いな、いつでも淡々と話す、どこか冷たい彼女のその声だった。
「かずさ?」
「お前…。」
その声の方へと、天音は振り返り、彼女の名を声に出した。
まんまと邪魔された月斗は、その嫌いな声の主を、思いっきり睨みつけた。
「青はそんな事、望んでないわよ。」
そして、かずさは、やはり淡々と、その言葉を彼に投げかけた。
その言葉は、そこで睨みを利かせる月斗に向けられたものに違いないが、天音にはその意味はさっぱりわからない。
そして、天音には、もう一つ別の疑問が頭に浮かんできた。
「かずさも、青を知ってるの?」
「ええ。」
その疑問を口にするのは、天音にとっては当たり前。そして、かずさはその問いに、いとも簡単に答えてくれた。
「お前、城のもんなんだろ。」
かずさが城に関わる者だという事は、疑いようもない事実。なぜなら、彼女の帰る場所はいつだって、城であり、また、城にいる青の事も知っている。
しかし、彼女の狙いは、今もわからずじまい。
「天音…この世には、知らなくてもいい事がたくさんあるわ。」
「え?」
かずさは、そんな月斗は無視するかのように、天音の方へと視線を移した。そして、そんな彼女のその表情は、いつもより強張って見えた。
「もう、帰った方がいいわ。もうじき雨が降る。」
かずさのその言葉に、天音が空を見上げると、黒い雲が立ち込めて、今にも雨が降り出しそうだった。
残念ながら、今日は夕日が見れそうにはない…。
「オイ!待て!」
話の腰を折られた月斗は、納得のいかない顔で、2人の間に割って入る。こんな中途半端な状態で、話を終わらせるわけにはいかないと言わんばかりに。
「アイツに!青には!二度と会うな!!」
「え…。」
そして月斗は、背を向けた天音に向かって、叫んだ。
もちろんそれは、天音にとって予期せぬ言葉。
「もう、行きなさい天音。」
しかし、かずさは、月斗にもうそれ以上喋らせまいと、天音を帰そうとする。
なぜ、かずさがそうするのか?それは月斗にもわからないが、かずさが邪魔しようとしているのは、明らかだ。
「お前、俺の言う事なんでも聞くって言っただろ。」
そんな、かずさの思惑通りにはいかせまいと、月斗は尚も続ける。
「月斗…?」
ゴロゴロ
空には黒い雲が立ち込めて、雷が嫌な音を鳴らし始めていた。
「月斗、どうして、青に会っちゃいけないの?」
天音の方からは、月斗のその表情は、下を向いているせいで見えないが、その切羽詰まった、苦しそうな声が気になって仕方ない。
「あいつを不幸にしたくないなら、もう会うな。」
「え…。」
リーンゴーン
その時、夕刻の合図の鐘がなった。この鐘の音は丁度夕食時刻の30分前に鳴る鐘だ。
「タイムリミットね。」
かずさが静かにつぶやいた。
「月斗、ごめん行かなくちゃ!」
最後の月斗の言葉の意味を理解する前に、天音は後ろ髪引かれる思いで、城へと戻るしかなかった。
ポツリポツリと空から落ちてきた 雨粒が、徐々に地面を濡らしていった。
************
「ヤバイ!降って来たー。」
とうとう雨が降りだしてきた頃、傘を持っていなかったりんは、仕方なく、もう閉館してしまった図書館の建物の屋根の下で、雨宿りをする事にした。
「クスクス天音に教えてあげなよ。」
りんも気づかぬうちに、突然その声は、りんの右の足元から聞こえてきた。
……この子まったく気配せえへんかった。
そう、そこに突然現れたのは、かずさに気をつけるように言われた、少女みるかだった。
「じょうちゃん、こないだの子やな。」
「わかったんでしょ?」
突然、なんの前ぶれもなく話し始めたみるかの憎しみに満ちたその目は、まったく笑ってはいない。
「…そういや、この前おかしな事言ってたな。」
「おかしな事って?」
「かずさは、悪魔とちゃう…。かずさは、いつも…どこか、悲しそうな目してる。」
「何言ってんの?アイツは悪魔と同類。」
りんは気がついていた。どこか冷たいかずさの目の奥に揺れる、その悲しみの色を。
しかし、りんの言葉は、まるでみるかには受け入れられない。
どうしてみるかが、かずさをそこまで邪険にしているのか、りんにはまったく理解できなかった。
「何でそうひねくれてんねん…。」
さすがのりんも、ここまで気持ちの通じない相手と話すのは、気骨が折れそうな思いだ。
「だって、アイツは全てを知ってるのに知らないふりしてるの…。知ってる?アイツの使教徒としての能力は…。」
ピカー、ドーン!
その時、大きな雷の音が響き渡り、みるかの声と重なった。
「え…。」
しかし、雷にかき消されたはずのみるかの言葉は、惜しくも、りんの耳には届いてしまっていた。
「天音に聞いといた方がいいわよ。どうやって村に帰るつもりか。」
ザ―――
雨は止むどころか、いっそう強くなるばかり。しかしりんの頭の中には、雨の音よりも、先程のみるかの声が何度もこだましていた。
************
「お前!!何なんだ!俺の邪魔しやがって!」
天音の帰った後も、月斗の怒りは、まだ収まらなかった。
雨が降り出し、月斗はもう濡れていたが、かずさは、帰りたい気持ちを抑えこみ、軒下で何とか雨を避けていた。
「天音は何も知らない…。」
かずさは、雨が溜まっていく水溜りを、ただじっと見つめていた。
「あ?」
「あなたは知ってるの?なぜ、青が城にいる事を選んだのか…。」
「……。」
しかし、そのかずさからの鋭い指摘に、月斗は何も答えられない。
「あなたの言う通りなのかもしれない…。」
「は?」
「天音のしている事は、破滅への道を作っているだけなのかもね…。」
ピカー、ゴロゴロ
雷は先ほどよりも、こちらへ近づいてきているようだ。
「天使教がいるかぎり、何にも変わらない。そう、この国は変わらない。」
かずさは、やっぱり月斗の方を見る事はなく、今もどこか一点を見つめている。
「青の目は、もうほとんど見えなくなったわ。」
「え…。」
「その事を天音は知らない…。」
ザ―――――
雨脚はどんどん強くなり、軒下にいるはずのかずさの足元に、また新しい水溜りができていた。
************
「なんで、青を不幸にするの…。」
天音は、ろくに夕食に手をつけず、点呼が終わると、そそくさと食堂を出て来てしまった。
そして、どこに向かっているのかもわからず、城の中をただボーと1人歩いていた。
ー--私は、青を不幸にしてるの?
ザー
激しい雨の音だけが、城の中に響く。
「…そうだ…。天使教さんに会いに行かなきゃ…。」
天音が小さくうわ言のように、つぶやいた。
青の事は、いくら考えても今は答えが出ない。やっぱり、今度月斗に会った時に聞くのが一番いい。今はそう思う事にして、次に進まなければならない。
今もう一つやらなければいけないのは、天使教に、じいちゃんの元へ帰れるように、お願いする事だ。
「…こんな所で何をしている?」
そう思い直した天音の背後から、今では聞き慣れたあの低い声が聞こえた。
そう、今はもう、彼の声に驚く事はない。
「辰さん?」
天音が振り返ったその先に居た、辰のその表情は、明らかに怪訝なものだった。その理由は、なぜこんな所に天音がいるのか?という事だ。
どうやら、天音は考え事をしてるうちに、城の奥の方へと迷いこんでしまったようだ。本来なら、こんな城の奥の方に、妃候補が立ち入る事は、許されてはいないはずだ。
そんな天音が辺りを見回すと、確かに周りの景色は見慣れないものばかりだ。
…もしかして…。
「辰さん!天師教さんに会いたいんだけど、どこへ行けばいいかわかる?」
天音は、思わず名案と言わんばかりに、声を荒げて辰に詰め寄った。
それは、この城の兵士の辰なら、きっと自分よりも、天使教の事に詳しいに違いないという天音の考えからきたもの。
「天師教に…?」
辰は、まさか天音の口からその言葉を聞くなんて、思ってもみなかったのか、眉をひそめた。
なぜ、自分にそんな事を聞くのか?
いや、それよりも、天音は天使教とあんなに親しく話していたはずなのに…。
…ナゼ?
辰には訳が分からない事だらけだ。
「お願い!教えて!私、天使教さんに頼みたいことがあるの!」
天音は、必死に辰に頼んだ。
このチャンスを逃すわけにはいかない。
「頼み…?」
「村に帰って、じぃちゃんに会いに行かなきゃ…。」
「…。」
確か、天音は村で育ったらしい…。
そんな話を、辰はりんから聞いていた。
しかし、そのじいちゃんとは…?
それに、一体今になって、なぜ村に帰りたいと天音が言い出したのか、辰にはさっぱり分からない
「それからじゃないと、妃にはなれない…。」
天音は下を向いて、低い声で小さくそうつぶやいてた。
「だからって、なぜ天師教に?」
「天師教さんにお願いするの!数日でいいから、村に帰らせて欲しいって。それから、ちゃんと妃になるつもりだって!」
ここは、そんな都合のいい話を、簡単に通してくれるような場所ではない事は、辰には明らかだ。
一度村に帰りたいなどと、そんなワガママを言う者を妃になどするわけがない。
しかし、天音はなぜ、そんなに妃になりたいのか…。いや、それ以前に、天音は本気で妃になるつもりなのか…?
辰にはどれも理解できない事ばかり…。
そして辰には、もう一つ気がかりな事が…。
天音と天使教の関係とは…?
「天音。天師教がどんな人なのかわかって言っているのか?」
辰はその疑問を解消するために、遠回しにそう天音に問う。
「へ?知らないよ。だって会った事ないもん。」
…な…に……?
天音の何気ないその一言に、辰の背筋には冷たい汗がつたった。
「ーーー会ってはダメだ。」
辰はすぐ様厳しい口調で、その一言を絞り出した。
「え…?」
……天音は知らない…。彼が天使教だという事を…。
その結論を辰が導き出すのに、時間は必要無かった。
そうでなければ、全ての説明がつかない。
「天師教には会ってはダメだ。」
…なぜ、こうなった?どこで間違った?
辰は、頭の中で自問自答を繰り返す事しか出来ない。
「どうして?」
「どうして…?……相手は天師教だぞ…。」
辰は困惑した自分の気持ちを、何とか天音には見せないようにと、振る舞うが、そんな気持ちとはうらはらに、彼女を納得させる言葉が、まるで浮かばない。
「天師教さんが偉い人だからダメなの?天師教さんは神様じゃないよ。」
ピカーゴロゴロ
その時雷が遠くで光りを放ち、窓の外が一瞬明るくなった。
「だって、同じ人間でしょ?」
『天使教は、神なんかじゃないのに…。』
……それはジャンヌの言葉か…。
「辰さん…?」
「覚悟は…あるのか?」
ザーッ
その雷を合図に、雨音はいっそう激しくなるばかり。
「へ?あるよ!私決めたんだから!」
ピカー ゴロゴロ
窓の外では、未だ雷が不機嫌な音を鳴らし続けている。
―――今ならまだ、間に合う…。
辰は決心を決めた。
「…天師教は最近、上の階からこの階に降りてくる事があるらしい。」
「うん。」
天使教とその家族がいるのは、天音達、妃候補が使う1階ではなく、もう1つ上の階だ。
しかし、彼は中庭のあるこの1階に降りてくる事が、最近よくあるという噂を辰は耳にしていた。
もちろん、天使教が1階に降りる事など、許されてはいないはずだったが、京司がそんな規則を守るわけがない。
「この先に、上の階へと続く階段が見える場所がある。少し遠いが、そこが唯一、天師教を見れる場所だ。そこから天師教に、気づいてもらうしかない。」
そこはもちろん、限られた者しか立ち入る事は出来ない場所。妃候補など、もってのほか。
しかし、辰は天音にその場所を教えた。
それは…。
「ありがとう!!」
辰の思惑など知るよしのない天音は、うれしそうな顔を辰に向けた。
「天音…。」
「ん?」
「私はこの国が好きだ。」
「…うん。」
「この国の声に耳を傾けないこの場所は、嫌いだ。」
「…。」
―――それは、天使教さんの事も?
「この国に天師教はいらない…。」
ピカーゴロゴロ
窓の外では、今までで一番明るい光りが放たれた。
************
「ふざけんな!」
月斗は1人、ざんざん降りの雨に打たれていた。
その雨は、彼の頭を冷やすには好都合。
『お前が姉さんを殺した!!』
『もう二度と俺の前に現れるな!』
『月斗…青をお願いね…。』
「くっそー!」
しかし、あまりに激しいその雨は、月斗を容赦なく叩きつける。
それでも月斗は、帰ろうとはしなかった…。
************
「辰さん…やっぱり変えたいんだ…。」
天音は辰に聞いた場所で、1人天師教を待っていた。
幸いそこには見張りの兵士さえも、誰1人としてそこには居ない。
辺りは静まり返って、雨と雷の音だけが響いていて、なんだか不気味な雰囲気をかもし出していた。
「天師教さんは、どんな人なんだろう…。どうして神様のふりをしてるんだろう。」
辰の話を聞いて、天音は天使教について考え始めた。
なぜ彼が、この国で神のように崇められているのか…。
そして、なぜ辰がこの国に天使教がいらないと言ったのか。
でも、わかっていなかった…。
まだこの時は…。
その本当の真意を…。
************
「どうして止めにこなかったの?言っちゃったよ。あの変なしゃべり方の奴に。」
みるかは悪びれもしない様子で、びしょ濡れになったかずさに向かって、そう言い捨てた。
「…。」
まだあの軒下にいたかずさは、黙ったまま、みるかを見つめた。
「知ってるんでしょ?本当は石がどこにあるのかも…。」
そう言ってみるかは、子供らしからぬ、不敵な笑みを口元に浮かべてみせた。
************
ザーッ
外では、雨が滝のように降り出していて、城の中にはその雨音が嫌と言うほど、鳴り響く。
そんな中、天音は天使教が来るのを辛抱強く待っている。
「私が、ここに来た理由…。」
天音は、それを小さくつぶやいた。
それを知りたいと思った。
そうじゃなければ、先に進めないと思った。
だからじいちゃんに、会いに行かなきゃと思った。
…でも…。
『この世には、知らなくてもいい事がたくさんあるわ。』
ザ―
しかし、何故か今、かずさのその言葉が頭をよぎる。
『覚悟はあるか?』
…覚悟?それは…何に対して…?
タッタッタ
その時天音の耳に、大きな雨音に混じり、誰かの足音が聞こえた。
「あ…。」
…もしかして…。
天音は声を漏らし、立ち上がり、その階段を凝視した。
そして天音の目に、彼の足だけが、飛び込んできた。
「てん!」
天音がその名を呼ぼうとした…。その時…。
ピカ
ドーーーーン!!
その時突然、爆音が鳴り響いた。
フッ
その瞬間辺りは闇に包まれた。
「うわ!?」
☆
京司が階段を下りていた途中で、爆音と共に急に辺りは、真っ暗になり京司は足を止めた。
「天師教様!!危険です!お戻りください。」
兵士の一人が、京司の元へと駆けて来た。
「どうした?」
「どうやら、停電のようです。」
どうやら、この近くで雷が落ち、停電になったようだ。
中庭に行こうとしていた、京司だっだが、こうなっては仕方ない。
彼は暗がりの中、急いで元来た道をすぐに引き返して行った。
☆
「え…?な、何?」
天音も、辺りが急に真っ暗になり、一瞬何が起こったのかわからず、さらには驚きすぎて尻もちまでついてしまい、その場で動けずにいた。
ピカー、ドーン。
尚も、雷は鳴り響く。
「あ、そうだ!待って!」
天音は、我に返り、今自分のするべき事を思い出し、立ち上がる。しかし、暗がりで階段の方も何も見えない。
「待って!天使教さん!」
ピカー、ドーン!
天音の叫びは、虚しく雷の爆音にかき消されていく。
そして、天音の叫びは一足遅かった。
そう、そこにはもう彼の姿はなかった。
************
それから、20分後
「お止めになってください!!」
士官の叫びが廊下に、響きわたった。
「どうしたのです?」
この暗がりの中で、彼の声は思ったよりも響き渡っていたようで、その騒ぎを聞きつけ、皇后もやって来た。
「ちょっと様子を見てくるだけだよ。そんな大騒ぎするなよ。」
そこに居たのは、士官と京司だった。京司は今日も、うざったそうな、うんざりした目で、士官を見ている。
「危険です!天師教様!」
「士官殿落ち着いて。で?天使教。何があったのです?」
皇后は、慌てふためく士官を落ち着かせる言葉をかけ、何とか今の状況を把握しようと努めた。
「今のこの停電は、発電塔に雷が落ちたのが、原因だそうです。」
仕方なくその問いに答えたのは、京司だった。
「電気の専門家は、今ちょうど他の町に行ってるって言うし、俺が発電塔に行って、ちょっと様子を見に行ってきます。」
「天師教?!あなたが、発電塔を確認しに行くっていうのですか?」
皇后は、隣で騒いでいた士官にも負けないくらいの、すっとんきょうな声を出して驚いた。
「はい。」
この場でただ1人、京司だけが冷静な声を発していた。
「な、何も、あなたが、行かなくても!」
皇后が士官と同じように止めに入るのは、当然の事。
何もそんな危険な場所へ、天使教自らが行かなくても。
普通の人なら、そう考えるのが当たり前。
「母上、俺が行きます。」
「え…。」
京司は、しっかりと皇后の目を見つめ、やはり落ち着いた声でそう言った。暗がりの中、ろうそくの心もとない灯が、京司の顔を照らした。その真っ直ぐと前を向く彼の姿に、皇后は何も言えなくなった。
そして、京司は、止めていた足を動かし、その長い廊下を歩き出した。
「お待ちください!」
先を急ぐ京司に、やはり納得のいかない士官は、尚も後を着いてきていて、しつこく止めようとしていた。
「しつこいなー。ついてくんな!」
「何を言っております。天師教様お1人で行かせるわけには!」
「帰れよ…。お前だって本当は来たくないんだろ?」
「そんな…めっそうも…。」
京司は、士官に冷たい言葉を浴びせ、何とか追い払おうとする。こんな奴が付いて来た所で、役に立つはずがない。と思っている京司は、なんとか士官を振り切りたい一心だ。
そん士官も士官で、京司に心のうちを見透かされて、思わず口ごもり、目は明らかに泳いでいる。彼の心の声は、京司にはだだ漏れだった。
「私が行きましょう。」
その2人の言い争いを聞いていた1人の兵士が、彼らの後ろから声を上げた。
「た、辰か…。」
士官は、彼の声に後ろを振り返り、ごくりと唾を飲み込み、彼の名を呼んだ。
辰は腕の立つ兵士として、城では有名で、もちろんその事を士官もよく知っていた。
「お前…。」
…この兵士確か反乱軍が来た日にいた奴か…。
そして、京司もその顔を忘れるはずはなかった。
「わかった。コイツ1人でいい。」
京司も辰がついて来ることには、反対はせず、彼1人に護衛を頼むように言った。とりあえず、この士官がついてこないなら、何でも良かった。
「…わ、わかった。辰、天師教様をお守りするように。」
士官も辰ならば、とすんなりと納得した。
そして、その顔は安堵の表情だったのは、言うまでもない。
士官の表情からは、面倒なことから自分が開放されたという安堵と、自分が巻き込まれては、たまったもんじゃない!という彼の心情は明らかだ。
************
「…。」
天師教に会うことが叶わなかった天音は、暗がりの中、1人でとぼとぼと、部屋に帰ろうとしていた。
電気なんてない村で育った天音は、暗闇をものともせず、長い廊下をたった1人で歩いていた。
今は暗闇の恐怖よりも、落胆の気持ちが彼女の心を支配していた。
"もう、村には戻って来るな。"
「ダメだ!やっぱり!」
しかしその時、天音の頭には、じいちゃんからの手紙のあの言葉がくっきりと浮かび上がった。
どうしても諦めきれない天音は、来た道をかけ足で戻り始めた。
やっぱり何もせず帰るなんて、できない!そんな気持ちが、彼女の足を自然と動かしている。
「はぁ、はぁ、誰かいませんか!!」
そして、先程天使教を待っていた、階段の見える場所に戻ってきた天音は、大声で叫んだ。
なりふりなんて構ってられない。
今自分のやるべき事をやらねば!
「誰です?」
すると、少し上品な大人の女性の声が、天音の耳に飛び込んできた。それは明らかに、階段の上の方から聞こえてくる。
階段の上にあるであろうその人の姿は、天音の方からは確認できないが、そう確信した天音は、また階段に向かって叫んだ。
「あの、天師教さんはいますか!」
そこにいるのが、誰かもわからないが、そんな事も考える余地もない天音は、自分の目的のため、彼の居場所を尋ねた。
「え?」
「あの!怪しい者じゃないんです!妃候補です。」
すると、その女性は明らかに怪訝な声を出した。
天音は、その声の主を安心させ、何とか話を聞いてもらいたくて、自分の素性を簡単に明かしてしまった。
「妃候補…?」
「あの、私天師教さんに、お願いしたい事があって。」
妃候補が何故こんな所まで勝手に来ているのか?しかも天師教に会いに来るなんてもってのほかだ。
そんな常識外れな事を言う妃候補に、その女性は、未だ困惑した声のままだ。
「天師教はいません。出掛けました。」
「え?外に?」
「ええ。」
彼女は、訳の分からないこの妃候補を、とりあえずここから遠ざけようと、そう冷たくあしらった。
「わかりました!ありがとうございます!!」
そう言って、天音は慌ただしく、階段に背を向けて走り出した。ここから離れて行く天音の足音を確認した彼女は、尚も眉にシワを寄せていた。
「…?なんなのあの子は?妃候補なのにこんな所まで来るなんて。」
…非常識すぎる…。
そこにまだ唖然と佇む彼女の歪んだ顔を、彼女の持つロウソクが照らしている。
「覚えておいた方がいいですよ。母上なら。」
「え?」
その女性は、声が聞こえてきた、後ろを振り返った。
そう、その女性は紛れもなく、皇后である天使教の母親。
そんな彼女の背後にいたのは、深くフードを被った妖しげな女だった。
「もしかしたら、妃になるかもしれない子ですよ。」
その女が低い声でつぶやいた。
「お前は…。」
皇后は、いかにも妖しげな女の姿を見て、うろたえる事なく、また眉間のシワを増やした。
************
「にしても、すごい雨だな。」
京司と辰は町の北側にある、電発塔へ向かっていた。
「天師教様。」
今まで、一言も喋る事なく、口を閉ざしていた辰は、城を出た所で、ここぞとばかりに彼を呼んだ。
「別に様つけなくてもいいよ。」
「天音には、もう会わないでもらいたい。」
ザ―
2人が外に出たとたんに、雨はさらに激しさを増すばかり。
もちろん傘はさしていたが、まったく意味はなさず、足元はびしょ濡れで、嫌な冷たさを京司は感じていた。
「…あんたは、天音のなんなんだ。」
京司は怯む事なく、辰に問いかけた。
あの日、反乱軍の来た日、あそこにいた、たった1人の兵士。
彼は、あの場にいながら、何もしようとはしなかった。
そして、天使教があの場にいた事も、城に報告をあげてはいないようだった。
―――そして、天音の名を知っている兵士。
「…親代わりです。」
「え…?」
京司は、以前、天音から聞いた話を瞬時に思い出していた。
『私ね、村の入り口に捨てられてたの…。そんな私を拾って育ててくれたのが、じいちゃんだった。』
…天音には、親はいないんじゃなかったんじゃ…。
そんな疑問が、自然と京司の頭には浮かんだ。
「もう、会わないと誓って下さい。」
「…は?なんで?」
「あなたが天使教だから。」
ピカーゴロゴロ
雷は再び、不機嫌な音を大きく立て始めた。
「あなたには…。」
「天師教。」
また違う声が京司の背後から、聞こえた。
そう、天使教と呼ぶその声は、もちろん辰のものではない。
その憎しみに満ちた声は…。
ザー
「…。」
「死ね。」
そこに立っていたのは、ナイフを握りしめていた月斗だった。
激しく降る雨が、今も彼を叩きつける。
「…殺せよ…。」
京司は、雨にかき消されそうなほどの小さな声で、つぶやいた。
「やめろ!」
「やめろや!」
そこに辰の声と重なるように、聞こえてきた叫びが、京司の耳にはっきりと届いた。
「天師教を殺して、何かいい事あるんか?何か変わるんか?」
雨の音に混じりながら、聞こえるのは、りんの声。
りんは傘を捨てて、迷う事なく、月斗にジリジリと歩み寄る。憎しみに満ちた月斗の瞳を、じっと見つめたまま。
『天使教がいるかぎり、この国は変わらない。』
「いいか、こいつは絶対に殺しちゃいかん。」
りんは月斗の襟を掴み、強い瞳で彼を制した。
カラーン
月斗の手からは、ナイフが滑り落ちた。
――――俺が変えたいのは、この国なんかじゃない…。
月斗はそのまま、力なく地面に座り込んだ。
辰は京司を守るように、彼の前に立ちはだかり、一歩も動こうとしない。
「大丈夫ですか?」
そんな辰は、後ろを振り返り、京司をちらりと見た。
「…ああ。」
京司は下を向いたまま小さく頷いた。
「行きましょう。」
辰は、今は一刻も早く月斗から離れた方がいいと判断し、京司に先を急ぐように促す。京司はそんな辰に従い、何も言わず、ゆっくり歩を進める。
「で、どこに行くんや?こんな雨の中?」
りんが彼等の背中に尋ねた。明らかに不釣り合いな2人が何処に向かうのか、りんが気になるのも無理はない。
「停電の原因の発電塔を見に行く。」
りんの問いに答えたのは、辰だった。
「ふーん。変な組み合わせやな。京司、気をつけてな。」
どこか心許ない京司の背に、りんは、もう一度声をかけたが、彼からの返答はなかった。
☆
ザー
冷たい雨がこの町を濡らし続ける中、月斗は座り込んだまま、未だ動こうとしない。
「何やってんねん!」
りんは、そんな月斗を上から見下ろし、彼と自分を覆うように、もう一度傘をさした。
「…。」
月斗は微動だにせず、言葉も発しない。
「ハァ、ハァ、ハァ…。」
そんな2人の耳には、遠くから、息を切らすまた別の声が聞こえてきた。
「天音…?」
彼女の姿をいち早く捉えたりんが、彼女の名を呼び、眉をひそめた。
…なんだって、今日に限って次から次へと…。
月斗の起こした行動に、未だ腹を立てているりんは、珍しく苛立ち、いつもの笑顔は封印されたままだ。
「ハァハァ、あれ、りん?月斗…?何してるの?」
「天音こそ。こんな大雨の中、何してんねん?」
天音もまた、傘をさしているが、月斗やりんほどではないが、服はびしょ濡れだ。
りんは、何故こんなタイミングで天音が現れたのか、不可思議に思い、彼女を引き止めた。
「ごめん、りん。私急いでて!あ、天使教さん見なかった?」
「…え…?」
「私。天師教さんに会いに行くの!天使教さんが外に行ったって聞いて!」
りんは、思わず言葉を失った。
天音は天使教を、京司を追って来た?
「な、何いうとんねん。天使教に会ってどうすんねん。」
「私、天師教さんにお願いしなきゃいけない事が…。」
「お願い?」
「私、村に戻りたいの。じいちゃんに会いに行きたいの。」
「村に…?」
その言葉に、りんは息をのむ。
――――これは、なんの因果応報?
「…ふざけるな…。」
その時、下をむいたままの月斗が立ち上がり、小さくつぶやいた。
「え…?」
「何で…気づかねんだ…。」
「月斗!」
りんが、今までにない程の剣幕で、月斗の名を叫んだ。
そんなりんの叫びを初めて聞いた天音は、ビクッと肩を震わせた。
「さっさと、帰れ!全部お前のせいなんだよ!」
『その事を天音は知らない…。』
雨よりも冷たい彼の瞳が天音を睨む。
「やめろや!」
「お前、俺の言う事なんでも聞くって言ったよな!じゃあ、村に帰って、もう一生戻ってくるな!」
りんが止めさせようとしても、それは無理な話。
月斗の罵声は止まる事はなく、容赦なく天音にあびせられた。
「…。」
天音は、そんな月斗の苦しそうな表情を、ただ見つめる事しかでない。
「もう二度と俺の前に姿現すな!!」
ザー
月斗の悲痛なその叫びは、雨の音に混ざって響いた。
「月斗…。」
「いいかげんにせーや!!」
そして、我慢ならなくなったりんは、また雨の音をかき消すくらいの大声をあげた。
「いいな。」
そう言って、月斗は天音に背を向け、歩き始めた。
降りしきる雨の中、天音は、ただその背中を見つめる事しかできなかった。
彼女の足は、まるで根がはっているかのように、その場から動けないでいた。
「天音…。」
そんな天音を見かねて口を開いたのは、りんだった。
「…。」
「今は帰った方がええ。」
「でも!」
そうだ…。天使教さんに会わなければ!
天音は、すっかり忘れてしまっていた、その目的を思い出し、また足は自由に動き出した。
「今は町も停電中で、危険や。それに、こんな大雨の中、天使教が外に出て行くわけないやろ?」
りんは天音を優しく説得しにかかる。
何とか天音を諦めさせ、今すぐ城に帰さなければならない。
それがまるで、自分の使命のように。
「何を聞いたかしらんけど、天使教は外にはおらんて。それはガセネタや。」
ザー
―――天音をこの先に行かせるわけにはいかん。
「ハックショーン!」
その張り詰めた空気を壊すかのように、天音は我慢できず、大声でくしゃみをした。
「ホラ。風邪ひくで。」
りんはその様子を見て、少しだけ笑った。
「わかった…。」
天音はりんの言葉を受け止め、城へとひき返す事にした。
遠くでは、まだ雷がゴロゴロと音を立てて、喉を鳴らしている。
************
「天音はあなたに、天使教に会いに行くと言っていました。」
辰と京司は、電発塔へと歩を進めているが、思ったよりも大量の雨で、なかなか辿り着けずにいた。そんな中、再び口を開いたのは、辰だった。
「え…?」
「彼女は村に一度、帰りたいと言っていました。その事を、天師教に頼みに行くのだと。」
「村に…?」
京司は、しばらく天音とは会っていなかった。
あんなに妃になりたがっていた天音が、村に帰りたがっているなんて、彼女はいつの間に心変わりしてしまったのか…。
「ええ。妃になる気持ちはあるようですが。」
どうやら、天音は妃を諦めたわけではないようだ。その事に京司は少し安堵した。
「おじいさんに会いたいと、言っていました。」
「…。」
「きっと、いろいろあって、心細くなったのでしょう。」
天音には、じいちゃんとあの村が全て…。
それは京司もよくわかっていた。
「あの子には、背負うべきものが重すぎる…。」
「え…?」
辰は、まるでわが子のように天音の事を語る。
そう、天音の事を、全て知っているかのように。
「このままでは、あの子はダメになる。」
…この兵士と天音は……。
その関係が一体何なのか、京司は気になって仕方ない。
「言わずに天音と会っているのでしょう?あなたが天師教だという事を…。」
ザ―
雨の音がうるさい程耳に響く。
その時、京司は足を止めた。
そんな京司の前に、バチバチと音をたてる、電発塔が目に入ってきた。2人は、いつの間にか電発塔に到着していた。
電気を供給するであろう電線は切れていて、火花を上げていた。
バチバチと音を上げるその線を、京司は虚ろな目で見つめていた。
「やはり…。これは、修理が必要だな。」
辰は電発塔に目を移して、ボソッとつぶやいた。
「俺は…。」
そして、今度は京司は小さな声でつぶやいた。
…知ってる…。
『悪魔の子…』
…背負うもの…。
『お前は今日から玄武の宮。京司という名は忘れろ。』
「天師教様…?」
辰は、どこか焦点の合わない目で、一点を見つめる京司の異変に気が付き、彼に声をかけた。
『お前なんかが、天使教になれるわけないだろう!!』
「俺は天師教なんか!」
ピカー
その時、激しい雷の光が、空をまたたく間に駆け巡った。
「あぶなーい!!」
ドーン!!
辰の声と雷の音は見事に重なった。
そして、真っ暗な闇の中に一筋の光が、空から落とされていった。




