7.シレンティア
今乗っている列車には、音もなく、揺れもない。
近未来的な白亜の列車。綺麗な長方形の車体で、先頭車両だけが四角錐だ。外からは窓がないようだったが、車内からは本棚のトンネルが見える。どのような仕組みなのか検討もつかなかった。考えるだけ無駄だとすぐに察した。
話すこともなく車両の中で揺られていると、向かい側に座る言葉の無い少年と目があった。
彼はどんな思いでついてきているのだろうか。声をかけてみたくとも、その意味はない。
「…………、……」
目を逸らされてしまった。
彼の隣には姉と思われる少女が座っている。彼女は短髪くんに肩を預けて、穏やかに寝息を立てていた。よく寝る子だな。
もっとも、似た顔立ちから姉弟だと決めつけてしまっているが、そうでない可能性もある。まあ、心の中で何と呼ぼうと自由だろう。
「あの手話が使えれば、意思の疎通ができるんだろうな」
「手話だけじゃない。彼ら彼女らは表情や視線でも会話をしている」
俺の呟きにブレイヴが返してきた。
ブレイヴはやけに断言しているが、なるほど。確かに、そうだろう。それも言葉が無いことで培った技術ということか。
やがて電車――電動かどうかはわからないが――列車は停止する。埃だらけの質素な木造駅舎。言葉が無い世界にも、駅は存在するようだ。
きっと、これもいろいろ工夫しているのだろう。設計図に数字も書けないというのに、よくやるものだ。
ホームに降りたち、周りの景色を探ってみる。例の神無宮ほど本は散乱していないが、ベンチの上などにはちらほらと見つかる。
「そういえば……。どうやって本を探すんだ?」
ふと、疑問になった。
何かの本を探していることは確からしいが、それが何の本かもわからない。探す方法、たとえば探索魔法でもあるのだろうか。
「勘です」
「やはりそうか。…………ん?」
思わず振り向く。ハジメは姉弟の手を引いて、降車を促している。
「今、勘と言ったか?」
「はい。勘です」
即答。ふざけている様子はそこにない。
……そうか。勘か。
「ほおう。ここは魔法じゃないのか、面白い」
「こればっかりはどうしようもねーんだよ。探したいものを発見する魔法はあっても、何が探したいのかを見つける魔法はなかなかお見かけできないからな」
後ろではブレイヴが疑問を代弁してくれて、アスタがそれに答えていた。
広い異世界でも、なかなか難しいことのようだ。魔法も科学も、全て思い通りとはいかないものなのか。
「ベテラン司書の勘で、すぐにでも見つけますよ!」
「カタカタ!」
何故かレコーが便乗する。
俺はその頭を無性に撫でてやりたくなって、実行に移してみた。角を避けながら、固い骨を撫でる。少々もふもふが物足りないが、これはこれでよさがある。
「それは頼もしいな」
「カタ!」
というか、ハジメがベテラン司書……か。深く追求しないでおこう。
そして、俺達はシレンティアの奥、本棚のエリアへ入っていく。崖に落ちたりしないよう、慎重に。
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ずらりと揃う背表紙には、大抵は文字がない。たまに見かける字入りの本は、他の駅から紛れ込んだのか、呪いがかかっていない頃の本だろう。
試しに一冊を取ってみた。
開くと、そこには漫画のようにコマ割りされた絵。もちろん台詞や擬音はなかったが、いくばか内容が理解できる。
キャラクターの表情や動きを、絵だけで上手く表現していた。工夫がよく伝わってくる。
「この本はどうですか?」
「……、………………」
後ろでは、ハジメが本を渡していた。
黄昏の色の少女は、美しい髪を揺らしながら首を振る。どうやらピンとこなかったようだ。
俺は持っている本を棚に戻す。
ハジメ達に近づこうとして、ふと、落ちている本に気がついた。
「これも戻しておくか」
拾い上げる。手帳サイズの本だ。ところどころが焦げているが、かろうじて形を保っている。
覗くと、味のある絵が並んでいた。俺は無言で本を閉じた。全部が全部、分かりやすい絵だとは限らないようだ。
「ん…………!」
確か、単音なら言葉と認識されないんだったか……。
姉弟の姉のほうが、不意に声をあげた。顔をあげると、こちらを指差していた。
念のため背後を確認するが、特に何も変哲はない。はて、俺が何かしたのだろうか。
「……! …………!」
短髪くんのほうもこちらを見て、硬直した。よくよく視線を折ってみると、俺が今持っている本に何かがあるようだ。
「ほほう。これはもしかして、君が"当たり"を引いたというわけかな?」
当たり……?
いや、そうか。他でもないこの本が、姉弟の探し本だったのか。
「けっこう見つかるものなのか?」
「あー、うん。そうだな。最高でも285冊目では当たってるからなー」
一見膨大な数字のようで、この広すぎる図書館では少ないものだろう。
ハジメが本を取りに来たので、俺はそのまま手渡した。そして彼女から、姉弟へと本が贈られる。正直二度手間だと思ったが、それを口にはしなかった。大方、司書のプライドか何かだろう。
姉弟は本を開き、睨み付け――そして首を傾げた。現地人にもあの個性的な絵は読み解けなかったようだ。
ハジメやブレイヴもその絵を見て、苦笑いを浮かべたり大爆笑したりしている。
「ハジメ……。あれ、使おうぜ」
「そう、ですね。できればあまり使いたくなかったのですが……」
どうしたものかと顎に手を当てていると、アスタの提案にハジメが頷いた。
あれ、とは一体なんのことだろうか。
口に出す間もなく、ハジメは本に指先を触れて、そして唱えた。
「……『読み語り』」
瞬間、本が彼女の指先に溶け消える。
そして周りの景色が一変した。ここに来てから何度もあったことだが、やはり慣れない。
今度は赤い葉のなる森。そういえば、シレンティアの植物は赤葉のものが多いと、"世界の写し方"に乗っていたことを思い出す。
「これは……カタログと同じ」
「いーや、それ以上だ。アレは周りの景色だけを変えるやつだが、ハジメのは違う」
アスタが否定して、たったと森の中を駆け回った。
俺も先程まで棚のあった場所に手を伸ばす。
指先が空気を掴んだ。魔法のすごさを実感した。
「読み語りはハジメのちょっとした特技でな。本が戻ってこないことが欠点だが、翻訳以上に本を理解できるんだ」
アスタは自分のことのようにドヤ顔で説明し、ほら、始まるぞ、と清聴を促してくる。
やがて語りが始まった。
「ある男の人は決めました。
"私は彼女を尊敬している。だから、彼女のことをここに残しておくことにする"
これは、そんなお話です」
男はこの小さな本を、手帳、あるいはメモ帳として使っていたようだ。そして、尊敬する人物のことを描き記した。……絵心は残念だったが。
「"彼女は空を目指そうとしました。あの永久に晴れないといわれる雲の上を。伝説にある太陽を、地に住む人達に取り戻すために」
彼女の仕事は考古学者だった。彼女は子供の世話に忙しくしながらも、かなり優秀な学者だった。
彼女の夢は、今は亡き夫と同じ夢だった。
「"古代の人々は、空に届く塔を建設しようとしました。それが空の民の逆鱗に触れたのか、地に住む人々の言葉は奪われました"」
男も最初は止めたらしい。やめろ、歴史を繰り返す気か、と。
しかし、彼女は止まらなかった。
「"塔を建てるだけが方法じゃない。古代の魔法が込められた道具をいくつか組み合わせれば、空に届く魔法にもなる"」
そんな馬鹿なと誰もが口にした。大体そんなことが叶うのなら、何故今まで実現されていなかったのか。
「"古代の人々は諦めたからだ。今までも諦め続けてきた。だが、私は空を諦めちゃいない"」
彼女は寝る間も惜しまなかった。育児の合間を見つけては研究し、魔法道具を集めるためにコネクションを増やしていく。
次第に成功の糸口が見えるようになってきて、周りの反応も変わってきた。月の塔と呼ばれる場所に、彼女の為の研究室まで作られた。
しかし、それは彼女が子供にねだられて、旅行をしているときに起こった。
空の住人――空人が、それに気がついてしまったのだ。
彼女達も必死に研究を隠していた。しかし、ある研究者の裏切りによって、全てが台無しにされた。
「"旅行を終えた彼女が戻ってくると、街に、森に、めらめらと燃える炎が。麓にいた人々は、空人の放った火により殺されてしまっていました。
彼女は嘆きました。すべて自分が原因だったと。そして責任を取ろうと、魔法道具を持ちました。せめて空人と刺し違えようと考えたのです。
しかし、子供達はどうか逃げて欲しいと、彼女はある細工をしました"」
その細工とは、やはり魔法道具だったそうだ。気配を薄める口紅や、災難を肩代わりしてくれるお守りを、彼女は子供に持たせた。そして、彼女は手話で伝える。
「"走りなさい。たとえ何が起きても、決して立ち止まらないで"」
その続きは描かれていない。
そして――彼女の髪の毛は黄昏の色をしていたようだ。