7日目 日常回 霞を食べて暮らす
ここ幻想郷には、海がない。
さんさんと照りつける夏の日差しに耐えかねたわたしは「幻想郷 海」とXPで検索をかけたところ、その事実を発見してしまった。
咲夜さまのたわわに膨らんでいるであろう果実より、さらに膨らんでいたわたしの妄想が実現される機会がないことを知り、書きかけていた妄想計画テキストファイルはゴミ箱へ送る他なかった。……はぁ。
「チルノさん、幻想郷って海ないんですね……」
「は!?大ちゃん知らなかったの」
「ええまぁ、出不肖なもので、今さっき知りました」
「そんなに自分をくさすなよ。大ちゃんは、ふくよかと言えなくもない健康的なぽっちゃり体型だよ」
「誰がデブですか!迂遠な言い方をされると余計に傷つきます!」
「自分で言ったんだろ!デブ症って!」
「そんな病気あるわけないでしょう!世界中のふっくらとした方を病人扱いする気ですか!!」
チルノさんと「肥満人と海」をテーマにした議論をしていると冷めた視線を感じた。
こ、この刺すような視線は覚えがあるぞ。
「相変わらずバカなことで騒いでいますね。小屋の外までマシュマロだのサンチャゴだの聞こえてきましたよ」
「あれ、お前」
「咲夜さま!」
彼女が突然現れたのに驚いて、普段わたしの心中でしか使わない敬称が出てきてしまった。
わたしたちは議論に夢中で彼女が扉をノックする音どころか開ける音にすら気づかなかったようだ。
これも全てチルノさんの声がデカイ所為だと思った。
「『さま』は止めてください。本当に気持ち悪いです」
「ぐうぅ……。き、今日はどうされたんですか。いつもならお昼すぎにいらっしゃるのに……」
「そうだな、まだ早い時間だぞ。他所でサボってくれ」
わたしが今朝方暑さで目を覚まし、こりゃしんぼうたまらんとXPで海を調べ始めてから今に至るまで、そんなに時間も経っていないので正味お昼にもなっていないだろう。
わ、わたしに会いに来てくれたのかな。それとも本当に単なるサボりか……。
「今日はゲームを遊びに来たわけでも、職務怠慢でもありません。メイドにサボりはありません。お嬢様にあなたたち御二方を昼食に誘うよう言付けられここまでやって来たのです」
「え……お嬢様って」
さっと数日前の記憶が蘇る。彼女が言うお嬢様といえば思い浮かぶのはあの女性しかいない。
命の危機を感じたのはあの時が初めてで、恐ろしいまでの妖気を今でも思い出せる。
「え……と、わたしもうお会いしないほうがよろしいのではないかと」
「しかしお嬢様は会いたいと仰られております」
「う、でも……」
「行ってみようよ大ちゃん。その話はあたいもまだ覚えてるよ。向こうも言い過ぎたって謝りたいんだよきっと。」
「ん……」
そうだった。
チルノさんにはあのゴタゴタを話していたのだった。
話の後半の「恋」の部分で、馬鹿笑いされたインパクトが強すぎて忘れていた。
うう、紅魔館のお嬢様を思い返して怖くなっていたけど、チルノさんの馬鹿笑いを思い出したら腹が立ってきたぞ。
あんなに笑うかね。
その怒りに後押しされたわけじゃないけど、わたしはケツイしてこう言った。
「わかりました。けれど、少しお時間を頂けますか?タッパー取ってきますので」
「だ、大ちゃん。人の家の昼食お持ち帰りする気なのか……」
「大妖精さんは本当に現金な妖精ですね」
「だ、だってこのところ碌なもの食べてないじゃないですか!この前なんて湖の霞を食べる羽目になりましたし……」
「へ!?『霞を食べて暮らす』って比喩表現じゃないんですか!?」
「妖精は人間とは体の構造が違うんだ。これくらい皆やってるぞ」
咲夜さんは大きなカルチャーショックを受けている様子だ。
チルノさんも適当なこと言わなければいいのに……。
他の妖精は絶対にそんなことしない……まぁわたしたちは本当に食べたけど。
思い出したくもないが先日の話だ。
わたしは猛反対したが決心したチルノさんを止めることが出来ず、バカな思いつきに付合わされてしまった。
運の悪いことに他の妖精に、わたしたちが湖の上で箸とお茶碗を持ちながら、大きく口を開けて飛び回っている姿を目撃されてしまい「頭のおかしい妖精コンビ」と囁かれるようになってしまった。
ちなみに霞は何の味もしなかった。
これを食べて暮らしていくのはやはり無理みたいだ。
「……あなたたちのバカ話にお嬢様は強く興味を示しています。先日MEの葬式の話をして差し上げるとそれはもう、お喜びでした」
「葬式の話を聞いて喜ぶなんて趣味悪いやつだな」
「あんな葬式したのチルノさんが初めてだからですよ。きっと」
「霞を食べるくらい貧しているのならぜひ、いらしてください」
……よ、よし。
話しているうちに覚悟が出来たぞ。
本当に危害を加えるつもりはないのかもしれない。
タッパーも取ってこれたし、忘れ物はない。
チルノさんもおなかを鳴らしてわたしを促している。
「で、では行きましょうか咲夜さま」
「止めろって言ったでしょう」
咲夜さんが投擲したナイフが飛んでくるのを無駄にギリギリまで引き付けてから避わし、わたしたちは昼食を呼ばれに紅魔館へ向かうことにした。