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仮面シリーズ

つぎはぎの仮面で愛して

作者: 椎名

仮面シリーズのリクエスト消化ひとつめ。

後輩たちのお話。

といってもほぼひとりにスポットライト当てましたが(^ω^)


途中英語表記があります。




 

 人を観察するのが癖になった。

 きっかけは、驚くほど簡単で単純なこと。


 初めから、ピースは揃っていた。



 暇だった。病院内は殆ど僕の庭で、父も母も冷めているわけではないけれど、俗に言う『放任主義』な親達だったので、

 ペタペタと小学生低学年程の子供がひとり廊下を彷徨(うろつ)いていようと、誰も注意をする者はいなかった。

 それもそうだ。いくら何もわからない子供といえども、相手は院長の一人息子。下手をすれば跡取りなのだから。

 むしろ、何もわからない子供だからこそ、自身への評価がどんなきっかけで悪意なく院長の耳に入ってしまうかわからない。

 そんな、腫れ物のような扱いを受けていた。

 ――そう、今でこそわかるが、当時は名の通り『子供』だったので、呑気に院内をつまらない城のように思って闊歩していた。


 学校はつまらなかった。小さな体躯とこの日本人離れした容姿の所為で、子供たちの常識という名の強固な仲間意識から僕はあっさりと異物判定されてしまったのだ。

 けれど病院もつまらなかった。病院は白い大人たちのお城だから、当然、必要としない子供に居場所なんてない。

 けれども。無邪気に無意識下で自身を排除しようとする子供の無法地帯よりも、清潔で消毒液の臭いのする何もかもを拒絶するような白の空間の方が、当時の僕には余程心地好かったのだ。――無論、拒絶されているように感じたのは僕が『健康体』であったが故なのだろうが。


 その日の僕は、鬱々とした気分を晴らそうと屋上へ向かっていた。

 屋上には入院やリハビリ途中の患者が数人いて、大抵の人間が僕に優しくしてくれる。飴をくれたり面白い話を聞かせてくれたり。

 だから、今日も僕は『子供』であることを武器に、退屈を紛らわそうと小さな外の世界へ進んでいた。――そんな時、彼と出会った。


「けふっ、こほ」


 くぐもったような、咳き込む声が聞こえた。五二五号室。小児科病棟の角部屋だった。プレートには一人の名前しかなくて、それが気になった。

 けほっ。けほっ。小さな咳は続く。それ以外の音がない。

 大人が誰もついていないのか。……誰も、中に入る子供の背を撫でてはくれないのか。

 そう思うと、たまらなくなった。少し前、一人きりで眠った発熱の夜を思い出したのだ。

 僕は、子供らしい無責任さで戸を開いた。


「だいじょうぶ?」


 中にいたのは、柔らかそうな黒髪を持った少年だった。肌は病的に白く、瞳は息苦しさからか、涙がこぼれ落ちんばかりに溜まっていた。


「水、のむか? おれ、買ってくるよ」


 起き上がり、クリーム色のカーディガンのかかった背を丸めてヒューヒューと息をこぼす彼の姿に、慌てて踵を返そうとしたその時。


「まって。大丈夫。せんせいも、呼ばないで」

「でも」

「おねがい」


 弱い力で呼び掛けられるそれを、僕は振り払えなかった。


 彼はトモと名乗った。歳は奇遇にも当時の僕と同じで、――僕にとっては初めての、同い年の『友達』だった。

 トモの発作が収まった頃、僕たちは長く長く話をした。これまで出会えなかった時間を埋めるように、溢れる感情をつたない言葉で懸命に声へと変えた。

 時間は瞬きの間に驚くほど過ぎていて、けれどちっとも気にならなかった。屋上へ行く当初の予定など、頭からすっかり抜けていた。それほど、トモとの時間は楽しかったのだ。


「みーくん。また来てくれる?」


 舌っ足らずな甘い声。トモは、当時、背の順で並ばされれば必ず前列に配置される僕よりも、小柄で幼く見えた。それなのに、ときたま飛び出る一言はこわいくらいに真理を得ていて。まるで、彼は何でも知っている『大人』のようだった。

 大人みたいな子供の小さな甘えに、僕は一も二もなく頷いた。


 ――この日、僕は、最初で最後の友人を得たのだ。



「トモ!」

 来る日も来る日も、雨の日だって日向ぼっこが気持ちいい晴れの日だって、僕はトモの病室に通い続けた。

 五二五号室にはトモ以外誰もいなくて、そこはトモと僕の、二人っきりの子供の遊び場となっていた。トモは博識で、けれど外の世界を知らないから、僕は毎日一つ外で見かけた気になるものをトモに伝えていた。

「青い羽の鳥が飛んでいて、鳴き声が可笑しかった」「水辺の白い花に、昨日にはなかった蕾がついていた」「風が冷たくて、もしかしたら明日は雨なのかもしれない」……そんな、他愛ない子供の秘められた日常。

 けれど、飽きることなんてなかった。彼と出会って僕は、初めて時間には変化があることを知ったのだから。退屈という名の魔物は、すっかり姿を変えてしまっていた。


 子供の好奇心とはおそろしいものだ。そこに罪の意識はなく、ただただ純粋な欲望だけが体を突き動かしている。『無邪気』と『罪悪感』は、いつだって対極している。

 だから、『大人のいけないこと』なんて、子供にはわからない。


「みーくん、キスって、したことある?」

「きす?」


 パタパタと来客用のパイプ椅子の上、宙に浮く足を遊ばせながら、僕は初めて聞く言葉のように中身のない単語を繰り返した。


「そうだよ。キス。あのね、好きな人にはキスするんだって」


 ハラリと、黒髪が揺れる。蛍光灯の光がいやに明るく見えて、トモの盛り上がったシーツにほんのりと影を作った。


「ぼく、みーくんが好き。みーくんは?」


 目の前にお菓子を並べて、「どれが好き?」そう尋ねる小さな子供みたいな、おもちゃみたいなくるりとした瞳。

 尋ねることに疑問を持たない、大人の知らない『当たり前』が色のついた日常に紛れ込んでいく。


「おれも、トモが好きだよ」


 するりと、言葉は滑り落ちた。

『好き』に種類があるだなんて知らなかった。

 飴をくれるおばあさんはすき。いつもちょっかいかけてくるおにいさんはきらい。学校の給食はすき。月一のクラス会はきらい。

 そんな二つに分けていくだけの簡単な作業に、二重にも三重にも混ざる特別があるだなんて知らなかった。

 ――だから、僕と彼の『好き』に、“きらい”や“くるしい”が生まれる程の感情があるだなんて、知らなかった。

 単純な一色だけの『好き』は、子供の『ひみつ』を増やしていく。


「なら、キスしてもいいよね」

「えっと、うん」


 小さな指が、僕の人差し指と中指を絡め取る。するりと重なった手のひらは、彼との唇の距離を縮め、シーツの白にしわを刻んでいく。

 睫毛が二回上下して、ふう、と熱い息が僕の上唇から顎にかけて撫でていった。ぼう、とトモの綺麗な顔を見つめながら、感じた吐息の熱さに「トモ、熱があるのかも」なんて考えていた。


「でも、どうやってやるんだろう」

「え?」


 トモの黒々とした瞳に、はっきりと僕の姿が映るほど近付いた場所で、コテリとトモは首を倒した。


「だって、このままだとはながぶつかっちゃう」

「あ、そっか」


 当たり前じゃない当たり前のことに気が付いて、手を繋いだまま暫しトモと見つめあった。


「あ、こうすればいいのかな」

「え、」


 ふにっと、柔らかなそれが下唇に当たった。下から、トモが僕の唇に吸い付いたのだ。

 いや、吸い付いただなんて大袈裟な物ではない。触れたとも言い難いくらいの、感触を残さない細やかな接触。


「なんかちがうね」

「うん、なんかちがう」


 再び、性を知らない子供二人は小首を傾げる。


「れんしゅうかな」

「うーん、よくわかんない」


 している行為は大人のソレで、しかしそこに大人の感情が伴わないつたない触れ合いは、子供の無意識の『いけないこと』を倍増させていく。

 今思い出しても、子供の好奇心とはおそろしいものなのだと痛感する。本能的な『好き』『嫌い』は知っていても、その先に付属する感情と責任を知らないのだから。知らないからこその無邪気は、確かに存在する。

 トモとの大人を知らない子供の行為は、ちょっとした実験のようで、白で切り取られた病室の外とを徐々に混ざり合わせていくのだ。


「トモ」

 それは魔法の言葉だった。トモに外の世界を伝えるたび、僕の中の『つまらない』は死んでいく。トモに知識を与えられるたび、僕の『どうして』は増幅していく。

 トモは小さな魔法使いで、トモの「もっと聞きたい」は魔法の呪文で、彼との時間の分だけ、世界は息を吹き返していった。

 僕と小さな魔法使いは、長い時間をかけてゆっくりと白の檻の中の日常を彩らせていったのだ。


 そして。


 彼と出会って半年以上が過ぎた冬の日、――魔法は呆気なく解ける。




「ぼく、退院するんだ」

「たいいん?」


 その日はやけに窓に霜が貼り付いていて、今ならおかしな落書きをしても明日にまで残っていそうだ。なんてぼんやりと考えていたことを覚えている。

 病院内の空調設備は完璧だ。当然、患者がただ一人の五二五号室だって例に漏れない。だというのに、窓から伺える雪景色は、どこかから隙間風を寄越すようにうっすらとした寒さを僕に伝えていた。


「退院してね、別荘にうつるの」

「べっそう?」

「そう。ばらの、別荘。いつかはわからないけど、きっと、近いうちに」


 薔薇の別荘。そう、彼は告げた。

 不思議には思わなかった。彼の親は、彼にこれほど長く個室を与えられる程度には財力があるのだ。別荘くらい訳無いように思えた。


「びょーき、なおるのか?」


 石鹸の匂いのするシーツに肘をついて、ふわりと笑う彼を見上げた。


「なおらないよ」


 柔らかい、笑みだった。


 ――じたくちりょう、てやつか。

 そう、僕は子供ながらに大人ぶって納得した。言葉の意味を理解していた訳ではない。彼の言葉に理解ができた『フリ』をしたのだ。そんな自分を大人なのだと、子供らしい錯覚に酔った。


「じゃあ、もうびょういん、来ねーの?」


 それは、否定を得るためにこぼれた言葉で。


「こないよ」


 隙間風が、一層強く吹き抜けた。


「なんで。なおらないのに、来ないの?」

「こないよ」

「なんで」

「なおらないからだよ」

「なおらないなら、来いよ!」

「むりだよ」

「なんで!」


 無性に、叫びたい気持ちだった。トモがいじわるをしている。そう思った。


「なら、おれもそこ行く!」

「だめ」

「なんでだよ! 友だちじゃないのかよ!」

「友だちだよ。だから、だめ」

「わかんない!」


 とうとう、混乱は癇癪に変わった。

 いじわる。トモが、いじわるだ。あの優しいトモが。ちっぽけでよわいトモが、おれにいじわるをする。


 悲しくて仕方がなかった。目の前にいるのはトモなのに。僕の大好きなトモなのに。そんなトモが、駄目だという。優しく笑って、僕を拒絶する。


「みーくん、好きだよ」


 そのくせ、小さな手は慈しむように僕に触れるのだ。

 駄目だと言って、拒絶したばかりの舌で、好きだと告げるのだ。


「わかんない……っ」

「ごめんね」

「なんであやまるんだよ」

「いつか、わかっちゃうから。今しかごめんねが言えないの」

「いつかってなんだよ! 今、わかんないって言ってるだろ!」

「うん。でも、みーくんはやさしいから」


 わけがわからなかった。くしゃっと顔を歪めてトモを睨み付ける僕を、トモは嬉しそうに、幸せそうに笑って撫でる。


「いつかね、むかえに行くから」

「え?」

「ぼくはみーくんが大好きだから、ぼくがむかえに行く。だからね、それまで、来ちゃだめなの」

「仲間はずれってこと?」

「ちがうよ。でも、まだ、つれていかない」


 それは、手酷い裏切りに思えた。

 どうして、いじめるのだろう。トモは僕が嫌いになってしまったのだろうか。だから、いじわるをするのだろうか。

 そんな言葉が悲しみや憤りと共に喉元まで競り上がるが、飲み込む以外に僕に選択肢はなかった。

 ――あまりにも、優しく触れるから。指先が、好きだと伝えてくれているから。余計に、どうしようもなくなって。


「みーくん」


 俯く僕の髪を、ヴェールを払うように、指がすかす。金糸が揺れる。


「ほんとは、みーくんがむかえに来てくれたんだと思ったんだ」

「え?」

「みーくんは、天使だから」


 室内はあたたかい筈なのに、ひんやりと冷たい指が頬を撫でた。


「みーくん、すき。だいすき」

「あ、え? う、うん。おれも、すき」

「ずっとずっと、だいすきだよ」

「っおれも、おれも、すきだよ! トモがずっと好き!」


 馬鹿みたいに、幼い指先で、触れる体温で、好きだと告げ合う。

 つたない告白は、やっぱり子供で、その言葉にどれほど残酷な意味があるかもわからないで、無責任に、子供たちは傷つけ合う。


「さよならしよう、みーくん」

「え、な、なんで」

「ぼくはみーくんにいじわるをするから。今から、みーくんをきずつけるから、だから、もう、みーくんに会わないの」

「え、や、やだ。いやだよ。トモ」

「もう、来ないでね」

「なんでそんなこと言うんだよっ! トモっ!」

「来たら、ゆるさない。みーくんの顔も、みたくない。ぜったいに、ゆるさない」


 ゆるさないと、唇が笑って。来ないでと、声が歌って。

 わからない。わからない。ひどい言葉ばかりをぶつけるのに、――どうして、優しい顔をしているの。


「おれ、なにか、した? トモ、おこってる? おれ、あやまるから。トモがいやなことしたなら、あやまるから」

「ぼく、ねむくなってきちゃった。もう出てって? みーくん。少しねむるから」

「むしすんなよ! トモ!」

「つかれたんだって。ねかせてよ、みーくん」

「やだっ! こんなのやだ!」

「出てって、てば」

「トモ!」


「――出てってッ!」


「――っ」


 初めて聞いた、トモの怒鳴り声。後にも先にも、僕がトモの感情を荒らした声を聞いたのはこれが初めてだった。


 涙が止まらなかった。それをトモは拭ってくれない。トモが、慰めてくれない。

 幼い僕は、大好きな友人が『友人』でなくなったのかと、友人の身体を別の何かが奪って、操っているのではないかと途方もない恐怖を覚えていた。

 衝動のままに病室を飛び出す。「廊下は走っちゃ駄目よー」なんて看護師の声がひどく遠く聞こえて、現実と僕との間に一枚膜が張ってある気がした。体が重くて、視界は涙で歪んでいて、まるで、抵抗の強い水の中を走っているみたいだった。

 どうして。トモ。トモ。混乱した頭は感情の制御なんて出来やしない。大好きな友人に拒絶されたショックは計り知れなかった。

 無意識に向かっていた屋上。今日ものんびりと日向ぼっこを楽しんでいた飴をくれるおばあさんの胸へと勢いよく飛び込んだ。


「あら、あらあら、みいちゃん? どうしたの?」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの僕の顔を、優しいおばあさんはゆっくりと拭ってくれる。


「トモっ、トモ、があ、うえっ、ひっく、うわぁぁんっ」

「あらあらあら」


 本来、患者であるのはおばあさんの方だというのに、『親』に縋る方法も知らない子供の僕は、温かく抱き締めてくれる彼女の胸でわんわん泣き喚くことしかできなかった。


 頭を撫でられ、背を擦られ、傷付いた子供として存分に甘やかされた僕は、気が付くと我が家の自室で眠っていた。泣き疲れてそのまま母か父……いや、忙しい両親にそんな時間はないだろうから、使用人の誰かの手でここまで運ばれてきたのだろう。

 もそもそと柔らかい布団を頭まですっぽり被り、まん丸に身を丸めた。

 ――きらいだ。トモなんて、もうきらいだ。謝ってきたって許すもんか。

 再びじわりと涙が浮かんでくる。

 それは、子供の意地だった。本当に嫌いになったわけじゃない。許さないわけがない。きっと一言、あの甘い声で「ごめんね、みーくん」と困ったような顔をして囁かれたならば、僕はその場で頷いて笑顔を見せていたことだろう。子供の些細な喧嘩は、そこで収束する。そんな単純なものなのだ。そして単純だからこそ、時間が経てば経つ程、意地はどんどんと強固なものになっていく。


 トモと顔を合わせなくなって三日が経った。トモの病室を避けたのではなく、あれ程通っていた病院自体に行かなくなったのだ。そんな気分ではなかった。

 けれども、そうして寂しい家の中でただひとり布団にくるまっているだけの時間は、思考すらもまともに回せないほど退屈なものだった。

 常に襲い来る、何かを忘れているかのような焦燥感。トモとの時間は、生活習慣とも言えるくらいに、僕の日常に入り込み根を張っていたのだ。

 どれ程無意味に時間が経っただろうか。知らぬ間に一週間ほど、堕落しきった生活を送っていたかもしれない。しかしそれを注意できる立場の人間は両親以外におらず、僕の甘ったれた生活に終止符を打ったのは、久々に帰ってきた父の一言だった。


「お前は、あー、小児科の五二五の子と仲が良かったな」


 布団の中ですっかりふて腐れみのむし状態になっていた僕に、声を掛けた父はひどく気まずそうに言い淀んでいた。あの厳格な父が。珍しいなんてものではない。


「……トモがなに? なにか言ってた?」


 その時の僕は、ほの暗い期待を懐いていた。きっと、謝ってくれたんだ。お父さんにごめんね、て、伝言してくれたんだ。と。

 けれど。


「あ、いや、な、父さんもあんまり話せたわけじゃなかったんだが、あの子な、退院したんだ。行き先は誰も聞いていなくてね、――だから、もう会えないかもしれない」


 その言葉に僕は、「ああ、なんだ、そのことか」と白けてしまった。何故ならそれは、何日も前にトモ自身から聞いた話であり、大人の彼等が知らないトモの居場所だって知っていたのだから。


「……おれ、知ってるよ。トモが、どこ行ったか。トモ、ばらのべっそうに行くって言ってたよ。そこにいるんだよ」


 父さんたちはトモに教えてもらえなかったんだ。なんて呆れながら父に伝えると、父は、大きく目を開いて。


「――そう、言ったのか。あの子が。……そうか。知って、いたのか」


 苦しそうに、僕の知っている完璧な『大人』であった父の顔が歪む。

 子供は、周囲の感情に敏感だ。学校など子供がより多く集まる場所で混乱が起きれば、それは瞬く間に伝染し集団パニックを引き起こすし、大人が不安になれば、それを感じ取った子供の不安感はさらに倍増する。


「な、に? トモ、なにかあったの?」


 半分だけ出していた顔を、完全に布団を取っ払って父を見つめた。


「……いや、そういえばそう言っていたような気もするな、て。はは、父さんもすっかり忘れっぽくなったな」

「なにそれ。お父さんおいしゃさんなのにそれでだいじょうぶなの」


 父が困ったように笑う。それが尚更トモを思い出させて、ドクドクと心臓が音を立てた。


 ――おそらく、“わかって”いたのだろう。理屈ではなく、本能的に。

 ヒントは、揃っていたのだから。

 たった一人の病室。外の世界を知らない子供。けれど、賢い子供。外に行きたいとは一度だって言わなくて、それでも興味には溢れていて、そしてそんな『病気の治らない』子供が薔薇の別荘に移ると告げた言葉。好きと、ごめんねと、さよなら。

 パズルは、とうの昔に完成していた。



 僕が、彼の言葉の意味に気付いたのは中学生の頃だ。

 情けない話だが、僕は年を取るにつれ彼との思い出を自然と忘れようとしていた。それほど、初めての友人に拒絶されたショックは大きかったのだ。軽いトラウマだったのかもしれない。無意識に、忘却しようとしていた。

 けれども、出来る筈がない。ふとした瞬間に彼の欠片はそこかしこで姿を見せて、僕を締め付けるのだから。


 ある時、図書館でイギリスの詩集を見付けた。何の気なしに手に取って、パラパラと捲ってみる。

 ――そして、その中のある単語に、手が止まった。


『Rose Cottage』

 ローズ・コテージ。直訳のまま、薔薇の別荘という意味だった。

 詩はこのように続く。



  ああ、神よ。

  わたしのかわいいあの子が向かった

  薔薇の別荘は冷たいのでしょう。

  棘は抜かれているのか

  そんな心配をしています。

  どうか安らかに。

  優しい薔薇に抱かれて

  あなたのもとへいけますように。

  あなたの手に抱かれれば

  あの子は幸せになれるのでしょう。



 タイトルは『かわいいあの子の棘を抜いて』だった。

 おそらく「あの子」には、意味合い的に「私の子供」と入るのだろう。直接的表現はされていなくとも。


「…………っ」


 ――わかっていた。わかっていたんだ、本当は。

 子供の頃は本当にわからなくとも、十を越えたくらいで子供は理解に貪欲になる。

 出会った時から付きまとうトモの幻影は、確かに真実を伝えていた。


 寮から帰った日、珍しく休暇を取っていた父に僕は静かに話し掛けた。


「トモ、死んじゃったんだね」


 その言葉に、父はペンを握っていた手を止めると。


「読みなさい」


 書斎の一番下の棚から、一枚の封筒を取り出した。


「お前が全てに気付いた時、渡すようあの子から言われてたんだ。だから、あの日小児科医でもない私が彼の『退院』を伝えに来たんだよ」


 封筒を受け取り、部屋を後にする。

 これはひとりで読まなければならない。そう思った。

 自室へ帰って、必死に勉強したのか、それとも持ち前の賢さで覚えたのか、所々バランスのまるでなってない漢字が配置されたそれをゆっくりと開いた。


 大人のような子供だった友達の最期の言葉は、ひどく残酷なものだった。



『だいすきなみーくんへ。

 たぶんね、ぼく死んじゃうとおもう。

 だからね、みーくんにひどいこといいます。

 みーくん泣いちゃうとおもうし、きらいになってもいいよ。

 ぼくのことわすれてもいいよ。

 でもね、ぼくは

 みーくんをお嫁さんにしたいくらい好きでした。』



「……はは、」


 ぎゅうっと両手に入った力は、くしゃりと文面を歪ませた。そして、神にでも懺悔するように、額を紙面へと押し付けていた。


「あーあ、ほんと。……ひっどいなあ、トモは」


 クスクスと不思議な笑いが込み上げてくる。そのくせ、瞳からは止めどなく涙がこぼれ落ちて。手紙に、次々と染み込んだ。

 ――まるで、トモが受け止めてくれているみたいに。


 大人みたいな不思議な子供は、最期の最後に残酷な呪いを残していった。

 今さらになって、自覚させるなんて。――伝える相手もいないのに、愛を覚えさせるなんて。

 子供のままだったなら、友情で終われたのかもしれない。幼い思い出を大切に宝箱に閉まって、初めての友人との日々を時たま思い出し感傷に浸るような、そんな受け止め方ができたのかもしれない。

 けれど、もう違う。手紙を開いたみーくんは『子供』のみーくんじゃない。『トモよりも大人になってしまった』みーくんだ。

『好き』には友情以外の好きがあることを知ってしまっている。


 伝える相手のいない『好き』は、猛毒だ。吐き出せず蓄積して、溜まりに溜まったその重さに苦しむ。

 好きだからこそ憎くなり、好きだから、苦しくなる。

 猛毒の仕込まれていた手紙を見つめて、僕は満面の笑みを浮かべた。



「僕も、お嫁さんにしたいくらい好きだったよ。智之(トモユキ)






 人を観察するのが癖になった。

 きっかけは、驚くほど簡単で単純なこと。


「トモちーんっ!」

「トモちん言うなしー!」


 隣を歩いていた頭の軽い会計が、背後から掛けられた呼び声に反応し振り返る。


「あいっかわらずバ会計の周りにはバカっぽいのばっかり集まるよねえ。類友の説明にはバ会計の名前出しとけばいいねっ☆」

「ちょいちょい、しつれーっしょ書記ちゃん! なんだかんだでテストの点数いいのよ~? ボクちん」

「勉強はできる馬鹿、ていうタチの悪いのが世の中には存在するのですよ? バ会計くん」


 腹黒こえぇぇなんて大袈裟にリアクションを取っている会計に、天使と名高いにっこり笑顔をお見舞いしていると。


「やべー、トモちんウケる。まだ書記ちゃんにあだ名でですら呼ばれてないんだ。どんだけ嫌われてんの」


 全体的に笑いを含んだからかいの声がかけられて、一層笑みが深まった。


 ――呼んでなんかやるもんか。トモと同じあだ名なんて。

 きらいだ。こんなやつ。


「そーなのよ。ほーんと書記ちゃんって冷たいよねー。はなちゃんとカイチョーにはおとなしいくせにさあ。天使な小悪魔様パネェっすわ」

「あれあれぇ? バ会計くんのお口は虚言癖があるのかなあ? うちに診察の予約入れとこうかあ? 今ならサービスでそこの君も一緒にしーっかり隅々まで調べてあげるねえ」

「「遠慮しますッ!!」」


 分が悪いと思ったのか、会計の友人は驚きのスピードで逃げていった。

 やだなあ、冗談なのに。


「もー、書記ちゃんったらあ」

「ぼくね、呪われてるんだあ」

「はえ?」


 会計の言葉を遮ってまでこぼれたそれは、僕の覚悟そのものだった。



『トモ』の影はいつだって視界にちらついている。それだけ、同じ時を過ごしていたのだから。何を見ても、『トモ』へと繋がる欠片になるのだ。


 なんて、残酷で、甘美な呪いだろう。


「だから今さら一つも二つも変わらないの。あの子が優しくてひどい毒をくれた時から、覚悟はできてたから」


 口を閉ざした会計は、珍しく心の底から『わからない』と表情に表し困惑していた。

 副会長の仮面が『無表情』ならば、会計の仮面は『笑顔』だ。

 わからないふりと苦しくないふりがとても上手な、道化の仮面だ。


「告白してきなよ」


 立ち止まった彼に、『仮面』はなかった。


「『言わない』と『言えない』はね、ちがうんだよ。苦しさがちがう。『言わない』とね、いずれ『言えない』になるの。時間は無限じゃないよ。だから、楽しいんだろうけれど」


 始まりがあって、そしていずれ終わるとわかっているから、人は限られた時間を精一杯楽しもうと思える。

 それを教えてくれたのは、『トモ』だ。


「……でも、やっとくっついたところじゃん。あの二人」

「そうだね。会計はバカだから、弱った所に付け込むこともできたのにバカ正直に励ましちゃうだもん。ほんとバカだよねえ」

「そんなバカバカ言わなくても!」


 調子を取り戻した会計が、再び仮面を繕い出す。


 そうだよね。知らないふりすれば一時だけでも楽になれるよね。でもね、――逃がしてなんかあげない。


「京ちゃん、いつものところにいるよ。たぶん、会長もいるよ」

「……っ」

「いってきなよ」


 数分の沈黙。――折れたのは、彼だった。


「――~ッあーっ、天使様からのお告げもあったことだし、一発玉砕してくるかなー!」


 生徒会室へ向かう途中だった足を反転させ、悔しそうに駆け抜けていく彼の姿に、今度こそ腹の底から笑い声を上げた。


 一つ目の呪いは色彩のなかった僕に命を吹き込んだ。

 二つ目の呪いは背負い続ける覚悟を持たせた。


 ――『永遠に終わらない初恋』を刻んでいったトモも、『二度目の恋と初めての失恋』をさせたトモも、ほんとにひどいや。


 だから、今日も僕は彼のように笑って呪いの言葉を呟くのだ。




「やっぱり、『トモ』なんて、きらいだ」










  つぎはぎの仮面で愛して

 (素顔も見せられない臆病者ですから)



ということでみーくんこと書記くんのお話でした。

今回正確に名前がわかったのは智之くんだけでしたね。会計もトモは付くけどまた別。しかし「とも○○」て名前って大抵あだ名「トモ」になりますよね(笑)

途中にあった詩は自作ですので、探してもないですよ! ひーっ恥ずかしっ! 少しでも英語の和訳っぽくなったかな?

そして薔薇の別荘についてはぜひご自身で調べてみてください。ちょっとゾッとしちゃうかも?

わからなかったー、て人は感想にてお聞きくださいませ(^ω^)



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― 新着の感想 ―
[良い点] みーくんの一人称が「おれ」からともくんの「僕」になっていた点。 [一言] 初めまして。 永遠に終わらない初恋、がとても切なくて好きでした。 すみません。途中にあった詩、探してしまいました(…
[一言] とっても面白かったです! 薔薇の別荘は死体安直室という意味なんですね。 知りませんでした。 また虹の部屋とも言うのですね。
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