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 鬼蜘蛛一味の手掛りを掴んだという報せもないまま、四日が過ぎていた。


  町方連中の連日連夜の探索も徒労に終わるのではないかと、皆口々に噂し始める。中には口汚く罵る者までいる始末で、町方同心などはそれと知れないように、編み笠を被って探索に当たっているとか、いないとか。


「── んなことあるわけねえだろ。阿呆が」


 昼間から甘酒片手に絡むのは、香上である。


ちなみに、彼は編み笠など被らず大っぴらに仏頂面を晒していた。


 どうして馴染みの甘味処にいるのかと、向かいに座すさくらは頬杖の間から何度目かの溜め息を漏らした。


 稽古の間の一服に来てみれば、背の高い厳つい黒羽織が店の奥に陣取っていたのだ。思わず踵を返そうとしたが、


「よ、奇遇だな」


 などと声を掛けられたら、知らぬ振りをして逃げるわけにもいかない。


 渋々腰を降ろした彼女を前にして、出るは出るは、日頃の鬱憤が。


「必ず一味は捕らえてやるさ。見てろよ、そん時は市中引き廻して『能無し』と呼ばわった奴にぎゃふんと言わせてやる」


 それも甘酒で絡まれるのだから、聞いてるほうは堪ったもんじゃない。


 汁粉を突付きながら、さくらはげんなりした顔を作った。


「なら、こんな所で油売ってないで、さっさと探索に行けばいいじゃないですか」


「フン。言われなくてもそうするさ。だがなあ、鬼蜘蛛ばかりにもかまっていられないのさ」


 ぐいっと湯呑みを飲み干す。甘いものを飲んだはずが、こちらに向けた顔は苦々しい。


「かどわかし、さ」


 コトリ。


 湯呑みを置く。混ぜ棒が縁を滑って、板床へ落ちた。


 汁粉の椀を口に運んでいたさくらが、その手を止める。


「かどわかし? いったい、どこで」


「ここ、日本橋平松町だ」


 薄い茶を、甘ったるくなった喉へ流し込んだ。


「この裏の古着商、井筒屋。四つになる一太って倅の姿が、昨夜から見えない。家の者も近所の者も誰も姿を見ちゃいない。またひとり、ガキが消えやがった」


「八丁堀の目と鼻の先……」


「厭味な奴だねえ」


「旦那よりはマシですよ。でも、かどわかしが、そうそうあるものでしょうか。自分から出て行ったってことはないんですか」


「そいつはないな。木戸番も子供の姿なんか見ちゃいねえし、何より四つのガキが家出でもなかろう」


「じゃあ、一体誰が何の目的で?」


「それを調べてるんだ。鬼蜘蛛の行方も捜さなきゃならねえっていうのに。まったく、どこのどいつだっ」


 渋い面で、もう一杯甘酒を頼んだ。


「こんなむしゃくしゃする時は酒に限るんだが、生憎、昼間から酒を飲むわけにゃいかないんでな。甘酒で自分をごまかしてんのさ」


「そんな甘いもので、ごまかせるんですか」


「そう思い込むことにしている。それに甘味処ってやつは、世の憂さを忘れさせてくれそうでな。――いいだろ。俺がどこで和もうと」


「そりゃかまいませんが。ひとつ聞きますけど……ここ、馴染みなんですか」


「いや、今日が初めてだ」


 内心ほっと息をついて、さくらは汁粉を飲んだ。馴染みだったら、またいつ顔を合わせるか分かったものでない。会う度に憂さ晴らしをされたんでは、こちらが滅入ってしまう。


「いなくなったのは、飯屋の娘に次いで二人目だ。どっちも迷子って様子じゃねえし、手掛かりもない」


「二人にはなんの繋がりもないように思えますけど」


「繋がりなんて、端っからないのかもしれない。目に付いたガキを、手当たりしだいに攫って行ってんのかもな」


「それじゃあ、どう頑張ってみたって下手人の目星が付かないじゃないですか」


「かどわかしがどうでもいいとは言わねえが、せめて鬼蜘蛛がお縄になってから出て欲しかったな」


 不穏当な言葉だとは思ったが、あえて聞かなかったふりを決め込む。厭味を言ったところで、倍以上の愚痴が返ってくるのがオチだ。


「人手が足りゃしない。夜通し走らされて、皆、限界だ」


「お疲れ様で」


 言われて見れば、彼の目の下には隈ができていた。土埃に汚れた羽織も、どこかクタクタとしていて張りがない。走り回っているのは本当らしい。


 甘いものがほしくなる気持ちも分かる。


「ところで、お前。あの娘は見つかったのかい」


「あの娘?」


「あの夜見たっていう、幻の」


「幻じゃないって」


 口をヘの字に曲げた。馬鹿にされているようで、いい気分ではない。椀の中の小さな餅を口の中へ放った。


「その様子じゃ、まだ見つかっていないようだな」


「…… うっさい」


 モチモチした触感を、甘い汁で喉に流す。椀が空になり、茶を啜ってようやく一息ついた。


「あれ以来、気を付けて見てはいるんです。辰巳屋の辺りを歩き回ってみたり、あの晩と同じ刻限に永代橋を通ったりもしました」


「それでも見つからねえのか。お前も暇だね。幻覚を捜すなんて、どだい無理な話だ。そろそろ諦めちまいな」


「あの子は確かにいた。私がこの目で見たんだから、確かなことです」


「まあ、そいつはお前しか見ちゃいないわけだし。お前が捜したいって言うなら、止めねえよ。──そのついでと言っちゃなんだが」


 香上が、ぐいっと顔を近づける。張りがある地声を、ぐっと落とした。


「かどわかしの件、気に留めておいてくれ」


 さくらの眉がわずかに上がる。


「それは、私に旦那の手下になってかどわかしの件を調べろ、ということでしょうか」


「そう言っちゃ、元も子もない」


 さも面白い小噺を聞いたふうに、彼はからからと笑った。


「さっきも言っただろ。こっちも手が足りねえんだ。二兎を追うものは一兎をも得ず。俺は鬼蜘蛛、お前はかどわかし」


「どんな理屈ですか、それは」


 盛大に溜め息をついてやった。


 ――体よくこき使おうって魂胆が見え見えだ。


 さくらが捜す少女の件は、どうでもいいに違いない。ただ、自分の持ち駒を増やしたいだけなのだ。勝手な言い草に、呆れるほかない。


「お断りしますよ、旦那。私には、稽古がありますから」


 立ち上がりかけたさくらを、「まあ、待ちな」と引き止める。


「お前が捜している、朱色の着物の娘。かどわかしにあったみたいに、いなくなったんだろう」


「ええ……まあ」


「歳は五つか六つだそうだな。飯屋のおカヨは十。一太は四つだ。年頃も近い。何か繋がりがあるとは思わねえかい」


「さっきは幻だと言っていたのに」


「まあいいじゃねえか。これで大っぴらに稽古放って、人捜しができるんだぜ」


 確かに、時間はいくらでもほしいところ。


 あの娘に会って聞きたいことがある。彼女がどこの誰で、なぜ、辰巳屋の惨状を知っていたのか。そしてなぜ消えてしまったのか。


 あの娘にしか問いただせない。それが疑問として残っている限り、辰巳屋の残像を拭い去ることができなかった。


「かどわかしを調べたら、何か分かるかもしれないってことだ。闇雲に捜し回るより、ずっといい手だと思うがな」


 香上が立ち上がり、懐から銭を取り出した。無造作に落ちた銭が、硬い音を立てる。


「貸しとくよ」


 両手を懐に収めると、颯爽とした足取りで店を出た。先程まで見せていた疲れなど微塵も感じさせないその足取りは、さすがだと思う。


 視線を卓上に移す。


 甘酒と、汁粉の代金が転がっていた。


「仕方ない。貸されとくか」


 借りは返さなくてはならない。


 その借りが汁粉分とは、なんとも安いもんだなと、さくらはひとり呟いた。







 店を出てさくらが向かった先は、古着商の井筒屋である。香上が言っていた通り甘味処の裏を行くと、その目印はあった。


 塀の先に長い竿を刺し、先に着物を下げている。近づいてよくよく見ると、着物の背に井筒屋と屋号が書かれていた。この店で間違いないようだ。


 しかし、店の戸は固く閉ざされている。


「さてと、どうするかな」


このまま帰るには惜しいし、かと言ってずかずか入り込むのも気が引ける。思案していた彼女の耳に、賑やかな太鼓の音が聞こえてきた。


 デン、テ、トン。


 飴売りが、でんでん太鼓を鳴らしながらこちらへ歩いて来る。


 ―― こいつはいい。


 にやりと笑って、さくらは飴売りを呼び止めた。


「はいよっ」


 陽気な動作で、飴売りが駆け寄る。


「おじさん、いつもこの辺で飴を売ってるの?」


 せいぜい可愛子ぶってみせた。脇差を道場に置いてきたのは、図らずしも正解だったらしい。もっともこんなところを同門の者にでも見られたら、師範代の威厳形無しである。


「そうだよ。この界隈はおいらの縄張りさ」


 機嫌良く答えてくれる。子供の無邪気な問いと思ってくれれば、それに越したことはない。


 さくらは飴を一袋買うと、それを手にしたまま、井筒屋を指した。


「あのお店の一太ちゃんも、おじさんの飴買ってく?」


「ああ。ここを通るたびに、駆け出して来てな。『おじさん、飴ちょうだい』って」


 そう言えば、今日は出て来ないなあと、井筒屋を見やった。一太がいなくなったという話は、まだ広まっていないらしい。


「一太ちゃん、ひとりで買いに出てくるの? お家の人は?」


「さあねえ。金持たせて中で待ってんのか、かまってやれないのか。とにかく買いに出て来るのは、いつも子供ひとりさ。親の姿なんか見たことねえ」


 ――いつも子供ひとりで、か。


 生憎さくらは、幼少の頃は稽古稽古で、飴など買ってもらったことがない。それでも、親が子に飴を買い与えている姿はよく見掛けた。見ていると知らず顔が緩む、和やかな光景だ。


 近くで遊んでいた子供達が、太鼓の音に集まって来る。そうして五、六人ほど集まると、飴屋は一本の丸棒を取り出した。棒状にした飴だった。


「さあて、何が出てくるかな?」


 太鼓を包丁に持ち替え、首から提げた箱をテン、テンと叩く。子供達はきらきらした目で、「金太郎!」や「お多福!」と口々に叫んだ。


 テンテンテン。飴を切りながら、調子を取る。小さく丸い切り口から、歪な顔が次から次へと現れる。


「飴の中から金太郎が出たよ」


 飴屋の呼び声に、歓声が上がった。


 ――おもしろいもんだね。


 子供達と一緒になってじっくり見入っていた自分に苦笑して、さくらは踵を返した。


 さて次はと見回した目に、蕎麦屋が飛び込んでくる。井筒屋の斜向かいだ。ちょうど小腹が空く刻限で、中は結構な繁盛っぷりだ。手近に空いた席を見つけると、そそくさと腰かけた。汁粉を飲んだばかりなので腹は空いていないが、とりあえず、蕎麦を頼む。蕎麦くらいならなんとか腹に入るだろう。


 本来ならば酒と蕎麦掻でも頼みたいところだ。後で道場に寄らねばならない身としては、酒のにおいをさせて行くのは憚られる。仕様がない。


 来た蕎麦を、なるべく時をかけて食べた。


 奥では、ここの主らしき親爺が蕎麦をうっていた。長年の慣れた手付きで、粉をしだいに丸い一塊にしていく。麺棒で延ばす調子も見ていて飽きない。力を入れ過ぎず、滑るような棒の動きだ。


 店のほうを切り盛りしているのは、どうやらおかみひとりらしい。


 蕎麦を食べ終え、ついでに蕎麦湯も腹に収めた頃には、ようやく店も落ち着いていた。客は、さくらを含め三人しかいない。


「おかみさん」


 井筒屋について尋ねると、「ああ、ああ」と愛想のいい笑みを浮かべて、向かいに腰を下ろした。


「うちはここに店開いて長いですから、井筒屋さんのことも大抵は分かりますよ」


「そりゃ、助かる。あそこに、四つになる一太って倅がいるでしょう」


「そうそう、いっちゃん。よく顔見せてくれたけど。あの子、昨晩からいなくなっちまってねえ。うちにも爺さんが捜しに来たよ。本当に、どこへ行ったのか……。迷子ならまだ捜しようもあるが、人攫いにあったんじゃ、もう無理かねえ」


「諦めるのは、まだ早い。一太を無事に見付けようと、役人も動いているんだから」


 その役人があの狸野郎なのが、どうにも引っかかるところだが。


 そこら辺はもごもごとお茶を濁して、


「それより、さっき爺さんって言ってたけど」


「ええ、井筒屋さんの」


「あの家には、一太の親と爺さん、一太の四人が暮らしているのかい」


「いいえ。いっちゃんと爺さんの二人暮らしですよ。一太の親はいないんです」


「へえ」


 ずず。温くなった茶を啜る。


 話し好きらしいおかみは、ここだけの話だと、声を潜めた。


「いっちゃんは井筒屋の一人娘の、おふきさんの子でね。父親が誰か、分からない子なんだよ」


「分からないって?」


「おふきさん、一時家出していてさ。一年して帰って来た時には、もういっちゃんを抱いてたんだ。爺さん、そりゃすごい剣幕で怒ったよ。『どこの男のガキだ』って。でも、なんと言われても、おふきさんは男の名を言わなかった。言ったら相手の迷惑になると思ったのかねえ。そういう子だったから。健気じゃないか」


「それで、おふきさんと一太と、爺さんの三人で暮らし始めたんだね」


「ああ。三年前からね。頑固者の爺さんだけど、乳飲み子抱いた娘を放り出すなんてできなかったんだよ。ま、でも子供好きの爺さんじゃないから、渋々だったんじゃないかねえ」


「馬鹿言え」


 奥から急須を持ってきた亭主が、おかみを嗜める。さくらの湯呑みに熱い茶を注いだ。


「どこに、自分の孫が可愛くない奴がいるってんだ。爺さん、いつも仏頂面で態度にゃ出さないが、一太のことをそりゃ可愛く思ってたさ」


「だって、いつも睨むようにいっちゃんを見てるじゃないか。自分は仕事だからって、いっちゃんをひとりにしてさ」


「だからお前は馬鹿だって言うんだ。男親の気持ちが全然分かってねえ。ありゃ、娘が帰って来て、建前で臍曲げてたのが染み付いちまってるのさ」


「そんなもんかね」


「そんなもんさ」


 得心いかない様子のおかみに呆れて、亭主は奥へ戻って行った。


「ごめんなさいよ。うちの人、何も分かってないくせに、いろいろ口出しするんだ」


 苦笑するおかみの言葉が、ほんの少し自慢げに響くのは気のせいではないだろう。仕方がないと思いつつ、そこもまた好いたところなのだ。


「さっき井筒屋は爺さんと一太の二人暮しって言ってたけど、おふきさんはどうしているの?」


「……ああ」


 一瞬、眉間に皺を寄せて、視線を湯呑みに転じた。


「おふきさん、去年の流行病で、ね。あっけないもんさ。体が弱っていたのかもしれないねえ」


「それで、一太は爺さんと二人で暮らすことに……」


「でも、爺さんは日中店にいるからね。いっちゃん、ひとりで大人しく遊んでいたよ。ここに蕎麦を食べに来ることもあったけど、爺さんいつもの顰めっ面でさあ。あれじゃ、孫は懐かないよ」


「でも、一太がいなくなって捜しに来た時は、心配した様子だったんでしょう」


「もちろんさ。あんな顔、あたしゃついぞ見たことないね。顔色なんて真っ青でさ、『神隠しだ。一太が神隠しにあっちまった』って」


「神隠し……」


「なんでも、庭にいたはずのいっちゃんが、ちょっと目を離した隙に消えたっていうんだから」


 ――まただ。


 内心、さくらは思い出していた。


 浅草の壱屋で会った老人も「まるで神隠しみたい」だと言っていた。


 そして、辰巳屋から神隠しのように忽然と消えた少女。


 ―― なんだ? この一致は。


 本当に神隠しがあったとでも言うのか。


 まさか――。


 頭に浮かんだ愚考を一蹴する。


 いくら子供だからといって、容易に消したりできるものではない。回が重なれば、何者かの意図が働いているのは目に見えている。


 それが誰で、何が狙いなのか、今は見当もつかない。


 ―― なるほど。こいつは厄介だ。


 香上が手をやくのも、分かる気がする。


 湯呑みを空にし勘定を済ます。少しだけ多いその銭を、おかみはにこやかに受け取った。


「ところでさ」


 暖簾を潜ろうとしたさくらの背に、呼び掛けた。


「あんた、どこのどなた様?」








 長屋に戻ると、ちょうど明が総の家から出てきたところだった。さくらを認めて走り寄る。


「お帰りなさい、さくら様」


「ただいま。明は今、稽古が終わったの?」


「うん」


「そうだ。いいものがある」


 懐から飴の袋を取り出した。


「これ、あげるよ。食べきれないんでね」


「飴? こんなにたくさんどうしたの」


「ま、いろいろ教えてもらったし、これくらいは買っとかないと……」


「教えてもらうって、さくら様、飴売りにでもなるつもり?」


 突拍子もない発想に、さくらが声を立てて笑う。


「違うよ。ちょっと人捜しをね」


「それって、女の人?」


「いや、今日は男の子。明日は女の子かな」


「ふうん」


 明が思わせぶりに目を細めた。


 しまったと思ったが、もう遅い。


「じゃあ、アタシも一緒に捜してあげる」


「いや、それは駄目だよ。たくさん歩くし、いつ見つかるかも知れない──」


「あら、じゃあなおさら一緒に行かなくちゃ。ひとりより二人よ、さくら様」


「駄目だったら。絶対について来ちゃ駄目だよっ」


 駄目と言われると、したくなるのが人の性。そのことを、さくらは失念していたのだった。


 翌日。


 そろりと長屋を出ようとしたさくらは、戸を開けた瞬間に溜め息をついた。


「おはようございます、さくら様」


 身支度を整えた明が、にこりと笑っている。


「まさか、本当について来る気じゃあ……」


「当然でしょう。さくら様のお供をアタシ以外の誰がやるっていうの」


「遊びじゃないんだけどな」


 もうひとつ、諦めの大きな息をついた。


 明を途中でまくわけにもいかない。楽しげに歩く少女に呆れた表情を見せながらも、さくらは彼女と並んで歩いた。


 朝に多く浮いていた雲は、時たま強く吹く春風に流されていく。雲雀の伸びやかな声。虫を追って、雀も空に飛び立つ。日差しも暖かく、ぶらぶら歩くにはちょうどいいのだが。


 ――監視付きとはね。


 苦笑顔のさくらと、それでも嬉しそうな明。


 二人が壱屋の縄暖簾を潜った時は、昼をだいぶ過ぎていた。ちょうど客がひく頃合だったらしく、中に客の姿はない。


「いらっしゃい」


 人の気配に奥から顔を出した主人が、二人の顔を見て一瞬、息をのんだ。


「また来たよ」


 あえて軽い調子で言う。明もにこりと会釈した。


「これは、三峰様。いらっしゃいませ」


 さすが商売人と言うべきか。すぐに愛想のいい飯屋の主人の顔に戻る。二人に奥の座敷を勧め、茶を持ってきた。


「それとも、お酒のほうが宜しいですか」


 さくらに対して、軽口を聞く余裕まであった。


「それじゃ──」


 と、答えた彼女の言葉尻を、


「ご飯二つにして下さい」


 明の言葉が遮る。


 主人が微笑して下がった後で、さくらが顔を寄せた。


「ひどいよ、明」


「ご飯はちゃんと食べなきゃいけません。毎日お酒ばっかり飲んで。体壊しちゃうでしょう」


「酒は私の唯一の楽しみなんだよ」


「でも今日は駄目です。歩き疲れてるんだし、体に毒です」


 しっかり子供扱いだ。


「仕方がないなあ」


 本日、何度目か苦笑を漏らし、主人が持ってきた膳をありがたくいただくことにした。


 飯と味噌汁、魚の味噌煮に菜っ葉のおひたし。匂いを嗅いだだけで腹の虫が鳴いた。朝食も取らずに出てきた身には、やはり温かい飯は嬉しい。なるほど、空きっ腹は酒よりもこちらを望んでいたようだ。少し辛めの味付けだが、それがまた飯に合う。


「美味しいね」


 向かいの明に笑いかけた。


「でしょう。前にここのお蕎麦を食べた時、すごく美味しかったもの。だから他の料理も、きっと美味しいと思ったのよ」


「酒も美味かったよ」


「お酒の話は忘れてっ」


 そうしてじゃれ合いつつ膳を空にした二人の様子に、微笑を湛えて主人が出て来た。二つの湯呑みに茶のお代わりを注ぐ。


「美味しかったです」


 明の無邪気な顔に、「ありがとうございます」と会釈を返す。


 さくらのほうへ顔を向けた。


「家内がおりませんので、簡単な物でお恥ずかしいのですが」


「いや、本当に美味しかったよ。おかみさん、まだ寝込んでるの?」


「…… はい」


 静かに、頷いた。


「そうか」 


さくらは微かに眉を顰める。視線を逸らした。ほんのり爽やかな茶の湯気が、鼻先を掠めていく。


 話を切り出そうとすると、胸を締め付ける感覚が襲った。残された者の気持ちが分かりすぎる。いつも傍にいた者がいなくなる寂しさを、いやというほど、彼女は知っている。


 どれほど会いたいのかも、知っている。


「私は今、消えた子供たちを捜しているんだよ」


 主人の顔を見上げて、言った。


 外を、鋳掛け屋が威勢のいい掛け声と共に駆けて行く。女達の笑い声が過ぎる。土埃のにおいを、風が運ぶ。


「かどわかしにあったのは、ここの娘だけじゃない。一昨日の夜には、日本橋でも子供がかどわかされた。いなくなったのは二人とも子供で、どちらも自分の意思で消えた様子はない。周りの者が目を離した隙に、忽然といなくなったらしい。……まるで神隠しみたいに」


「── 神隠し」


「そう。孫をかどわかされた爺さんが言ってたそうだよ。ここで会った老人も、そう言っていた」


 主人は急須を置くと、入り口に向かった。暖簾を外し、障子を締め切ってしまう。外の喧騒が薄れた。


「あの子が……カヨが、黙って家を出るわけがないのです。あの子は親に心配をかけまいとする、優しい子なのですから」


 知らず、暖簾を握り締める。縄が軋んだ。


「……神隠し。そう思ったほうが、いいのかもしれません」


 目を赤くして振り向いた主を見て、さくらは目を細めた。


 その顔に、あるかなしかの笑みがあったからだ。


「どうして……」


「神の手に導かれ、どこかで元気に暮らしている ――そう思ったほうが、救いになるではありませんか」


 思わず明が息をのんだ。彼は、最悪な事態を考えている。


 娘を連れ去りながらなんの要求もないということは、子供はすでに売られたか、──殺されたか。


 それを思うより、神の御意思によって消えたとするほうが、遥かに心が楽になる。どんなに有り得ないことでも、心が安定するならば思い込むことは容易い。


 しかし、それを認めてしまえば、ただの人がどう頑張っても立ち向かえない。


「そうやって、諦めるのか」


 険しい表情で、さくらは無言の主人を見返した。


「馬鹿を言うな。神は、親子を引き離すなんて非道な真似、しやしない」


 兄がそうだったように、姿を消すとしたら本人の意思か、他人の意思かのどちらかだ。


 本人の意思ならば捜すのを諦めることもできるが、今回の一件は子供達の意思とは到底考えられない。


 幸いなことに、消えた子供の亡骸が見付かったという報せはなかった。


 彼らはまだ生きている。どこかで、泣いているかもしれない。空を見上げて親の名を叫んでいるかもしれない。


 そんな所から、一刻も早く助け出してあげたい。


「望みがある以上、私は諦めないよ」


 静かに、だが厳しい声音で言う。 


 主人の顔が、ぐしゃりと歪んだ。覆った両手から嗚咽が漏れる。


 明はその姿から目を逸らした。見やった彼女は、さくらの苦しそうな表情にまた視線を逸らした。






 

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