第五話
「え〜〜と、勇者様。この障壁を解いていただけません?」
私はふと、外の様子が気になった。
現実逃避ともいう。なんかもう、疲れた。色々と耐えられない。
「いい加減、俺の名を呼ぶことに慣れて下さい。セルジュです。愛しいリディアーヌ」
呼び捨てられた! いや、反論するのはやめよう。
この人の存在は私の精神衛生上、とてもよろしくない。無視することに決めた。
「・・・・」
私が返事をしないでいると、なにかを察したのか、勇者は障壁を解いた。
周りは真っ白になっていた。
壁も床も霜が張り、真っ白。
私と勇者の周りだけが丸く切り取られたようだ。
あまりの広間の変わり様に呆然とする。
これは勇者の仕業だろうか。
何の為に?
「俺、感情が高ぶると、魔力が外に溢れるようで・・」
私の疑問を察したのか、勇者が困ったような顔で言う。
その顔に違う人の顔がダブった。同じように困ったような顔をする方。
「・・っ」
私は勇者の顔から目を逸らし、周りを見た。
ヴィクトルやアンジェリーヌ、他の勇者一行はすでに広間からは避難したのだろう。
そう思いながら、広間の入り口を見ると、扉のところにこんもりとした山があった。
よく見ればその中で、魔法の明かりがゆらゆらと揺れている。
「⁉︎」
ヴィクトル達だ。広間から出られなかったらしい。
私は慌ててそちらに行こうとしたが、勇者に止められる。
「どちらへ?」
どちらへ? じゃないっ! なにを落ち着き払っているか、この勇者!
「皆様のところへですっ! 彼らが凍えています!」
「ああ」
ああ、じゃない!
勇者は落ち着き払ってそちらを見ると、手を振るった。
私達から扉までの霜がーーついでに魔物もどきもーー取り払われる。
私は勇者から離れ、そちらに走った。
ヴィクトル達の前まで行くと、皆疲れきった顔をしていた。
特に魔法使いの女性は顔面蒼白。ぐったりとして仲間に支えられている。
そんなに?
私はちょっと呆れてしまった。
勇者一行といえば、最高の魔法使い、最高の剣士が集っているんじゃないの?
剣士もさっき床に大の字で倒れてたし、この人達大丈夫?
「ヴィクトル、なんで皆様こんなに疲れているの?」
「なんでってお前・・、勇者の溢れた魔力が暴走したんだよ。
結界張られて広間からは出られないし、凍てつく様な風にあおられて動くこともできない。
オルガが結界張って守ってくれてたけど、今にもそれが破れそうで気が気じゃなかったんだ」
ヴィクトルは心底疲れた様に言う。
やっぱり勇者が魔王だな。
そんな勇者と結婚なんて、絶対に嫌だ。
私はヴィクトルの手を取った。
「ヴィクトル、わたくし・・」
あなたから離れないわよと言いそうになって、気付いて口を噤む。
アンジェリーヌは勇者ではなくヴィクトルの事が好き。
ヴィクトルもアンジェリーヌの事が好き。
二人は愛し合っている。
二人が結ばれるには今回の件がチャンスだ。
可愛い可愛いアンジェリーヌ。私の義妹になる筈だった子。
彼女には愛する人と幸せになってもらいたい。
優しい優しいアンジェリーヌ。
私が泣けない代わりに、私に抱きついていっぱいいっぱい泣いてくれた。
あの方がいなくなって塞ぎ込む私を、外に連れ出し、励ましてくれたヴィクトルとアンジェリーヌが結ばれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
私はヴィクトルの手をぎゅっと握り微笑んだ。
「ヴィクトル・・」
「リディ・・」
対照的に、ヴィクトルの顔は引きつっていた。私の後ろを見て、青ざめている。
「手を離してくれないか。世界の終焉が見える・・」
「・・・」
意味が分からん。
私はヴィクトルを無視し、アンジェリーヌの手も取った。
アンジェリーヌも私の後ろあたりにその青い目をやりカタカタと震えていたが、ヴィクトルの手に重ね合わせた二人の手を私が包み込む様にすると、ハッとした様に私を見た。
「リディ」
「アンジェ、あなた、ヴィクトルの事が好きなのね」
アンジェリーヌはぎゅっと唇を噛み締め、
「ごめんなさい。あなたの婚約者だって分かっているけど、ヴィクトルの事が好きなの。
想いが止められないの。ヴィクトルと一緒にいたいの」
強い目。ヴィクトルが本当に好きだと伝わってくる。
ヴィクトルを見れば、彼も真摯な目で私を見ていた。
私はアンジェリーヌに向き直り、微笑む。
「想いを止める必要はないわ。
わたくしとヴィクトルの婚約が正式なものではない事は、あなたも知っているでしょう。
お父様が、わたくしが元気になるまでって言って、ヴィクトルのお父様と結んだ口約束だもの。
もう元気になったから無効よ」
「リディ、最近のあなたの行動はよく分からないけれど、楽しそうにしてるってヴィクトルが言ってたわ。
なにかを企んでるみたいだから乗ってやれって言われたのだけど、セルジュ様に関係することなのでしょう?
あなたは彼の事が好きなの? お兄様の事を・・・吹っ切れた?」
伺う様なアンジェリーヌの言葉。
どうやらアンジェリーヌは盛大に勘違いをしているらしい。
確かに私は勇者が好きとか言ってたからね。
まさか自分と勇者をくっ付ける為に私が動いていたとは思わなかった様だ。
私が勇者を好き?
そんな事はあり得ない。私の一生はあの方と共にあるのだから。
「さあ、どうかしら」
私は曖昧に微笑む。アンジェリーヌの顔が歪んだ。
彼女は私に抱き付き、ぎゅーっと力を込めた。
「違う・・のね? お兄様を忘れていないのね。
お兄様が海難事故で亡くなって、もう、四年よ。
あなたは、いつになったら心から笑ってくれるの?
いつになったらお兄様の事を忘れられるの?」
彼を忘れる?
そんな日は一生こない。
私があの方の事を忘れたくないから。
お読みいただきありがとうございます。
ここからちょっとシリアスも入ります。
いきなりの温度差についていけん、と思われた方、申し訳ございません。