第二話
「ええ〜と、あの、勇者様?」
魔王城の広間、誰もが状況を理解できずに呆然とする中、なぜか私の手を握り怒っている勇者に、私はおずおずと話しかけた。
「俺の事はセルジュ、と。名で呼んでください」
「・・・」
(なぜだ!)
私は心の中で反射的に問い返した。
なぜ、今、ここで、私が勇者を名で呼ぶ必要がある?
そもそも立ち位置がおかしい。
勇者の想い人である王女が向こうで、私の一応婚約者であるヴィクトルも向こうにいる。
状況が分からないのは百歩譲って、私と王女の位置が逆だと思う。
私は思いついたままに、王女と位置を交代しようとヴィクトルの方に行こうとして、勇者に止められた。
「どちらへ?」
「ええっと、ヴィクトルの・・」
私の言葉の途中で、ひゅうっと冷たい風が吹いた。
広間の温度が急激に下がる。
「ところ・・」
言葉を続けながら勇者を見ると、勇者の顔から表情が消えていた。
「え?」
広間のあちらこちらからピキピキパキパキと音がする。見れば、壁や床が凍り始めていた。
「え?」
「あなたはヴィクトルの元へ行くのですか?」
硬質な声が凍った広間に響く。寒さで私の息は白い。私は寒さに体を震わせた。震えているのは寒いから、だよね。
「あなたはヴィクトルを選ぶのですね」
いや、選ぶも何も親の決めた婚約者というか。
反論に口を開こうにも、勇者の人形の様な顔に気圧され、言葉が出ない。
「あなたを助けたのは俺なのに、あなたはまだ俺の事を見てくれないんですね」
びゅおおおおおおーと、広間に冷たい風が吹く。寒い。ものすごく寒い。
「待てー! 待て待て待て!」
広間ごと凍りつき、皆で仲良く冬眠しそうな中、切羽詰まった様なヴィクトルの声が響く。
「待てって! 落ち着けよ、セルジュ。
よく見ろよ、お前の愛しいリディアーヌが震えているぞ」
寒い。ヴィクトルの言葉がさらに寒い。
なんだ、愛しいリディアーヌって、そこは王女の名前だろうに。愛しいアンジェリーヌだ。
勇者は私を見て、目を瞬かせる。
冷たい風が止んだ。
「リディアーヌ様、申し訳ありません。お寒いでしょう」
ええ、お寒いです。だって私はこんな薄着ですもの・・って!
私は自分の格好を思い出した。
腰まである焦げ茶色の髪は結うこともなく下ろしっぱなし。いつものつり目を強調した化粧もしていない。
極めつけ、服はドレスの下に着る丈の長い真っ白なアンダードレス。
人前に出れる格好ではない!
「〜〜!」
私は声にならない声を上げ、勇者の手を振り払って、ヴィクトルの後ろに隠れた。
瞬間、ブワッと冷気が広がった。
ドカっと言う音と、うぎゃあという悲鳴が響く。
声の方を見れば、勇者の仲間の剣士が大の字で倒れている。
何があった⁉︎
私が剣士を見て呆然としていると、ヴィクトルにぐいっと引っ張られ、前に出される。
「ちょっと!」
講義の声をあげるが、無視され、ぐっと前に押し出された。
ヴィクトルの声が後ろから聞こえる。
「落ち着け、セルジュ。無意識に力を放つのはやめてくれ。 今のはなんでもない。誤解だ」
「なにが誤解だ? 彼女はあなたを選ぶんだろう?」
だから選ぶとかそういう事じゃないって。
ただ単に人前に出れる格好じゃないから隠れただけで。
今も勇者の冷たい目に晒されて、意味がわからない上に恥ずかしくて、激しくいたたまれない。
私はヴィクトルを振り仰ぎ、
「ねえ、ヴィクトル・・」
離せと言おうとしたのだが、慌てたヴィクトルに遮られた。
「馬鹿っ! 私の名を呼ぶな! こっちを見るな! 空気を読め!」
散々な言われよう。
大人しく前を向けば、目の前に魔王が立っていた。
無表情の中に氷のような冷たい視線。
見たものの心臓を凍りつかせ、瞬殺するその視線は魔王と呼ぶに相応しい。
あれ? 魔王って私の役だよね。神様、人選ミス? この人以上に魔王役が似合う人いないよ?
怖気付いた私が下がろうとすると、ヴィクトルにぐっと押さえられた。
私は魔王の生贄か⁉︎
「ヴィク・・」
「だから呼ぶなって! それよりセルジュの名を呼べ。ありがとうって微笑め!」
私を盾にしたヴィクトルが耳元でボソボソと喋る。私も小声で返した。
「なんでよ。それより離し・・」
「いいから! 頼むから、言ってくれ。私達全員の生死がお前にかかっている」
「?」
意味が分からない。
しかし、いまだかつてないほど真剣なヴィクトルの様子に一応言われた通り、勇者の名を呼んでみた。
「セルジュ、様?」
恐る恐る勇者の名を呼ぶと、勇者は目を見開いた。
「やっと・・、やっと俺の名を呼んでくれましたね」
勇者は切なそうに息を吐くと、私の両手を握る。
ぎゃあ! 魔王に捕まった!
いや、魔王は私だ。
混乱して訳が分からなくなっている私をヴィクトルはドンっと前に押す。
押された私は勇者の胸に飛び込み、ぎゅーっと抱き締められる。
痛い、痛い。
鎧の胸と腕に潰される。
「あの、勇者さま・・」
「セルジュと呼んで下さい、リディアーヌ様。
俺はもうこの腕を離しません」
いや、それは無理だって。
離してくれないとそろそろ私の意識がなくなりそう。
助けを求めようにも、背の高い勇者に巻き付かれてーーもう抱きしめられているという感じじゃないーー、勇者の向こうは見えないし、横に見えるヴィクトルは満足そうにうんうんと頷いているし、さらにその横で王女も微笑ましそうにこちらを見ている。
あれ?
なんで王女ってば微笑ましそうに見てるの?
あなたの恋人が他の女を抱きしめてるのよ?
あれ?
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