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Keytoe

作者: 神酒

『あなたを愛せない』


 面と向かって言い放たれてしまえば、もうそれで心が息絶えるに十分だった。


 一国の王子はぐしゃりと石橋に崩れ落ちた。魂が涙と共に流れ落ちているようだった。


 七人兄弟の末息子である彼、キトには王権の恩恵に与ることは無い。だからといって好き勝手に生きてきたわけでもない。


 戦う相手がいなくとも剣技を磨いた。大抵は手にまめが出来て匙すら取れなくなったり、稽古をつけてくれる騎士のウラディキールの切れの良い打ち込みをまともに喰らいボロボロになる。しなくてもよい政治や戦略についての勉強もした。それも結局は博識な博士に舌でうまく丸め込められていつも裏をかかれてしまう。弁舌については舌が六枚はありそうなほど雄弁な商人の男にコテンパンにされてしまう。


 心だけは、と愛を語れば貴族はおろか下働きの女にすら相手にされない。傍にいた五歳の女の子に『大丈夫……?』と気遣われてしまう始末。


 その王子に見合い話が舞い込んできた。北方にある常春の地の王女がキトを名指ししたという。

 一国の王子が女性に指名されるというのは王族からすればなんとも情けない話ではあったが、末っ子の父と母は、死んだ息子が生き返ったかのように涙を流して喜んだ。

 当の王子は結婚したいと申し出てくれる相手がいることに浮足立っていたが、なにせ今まで何事においてもことごとくダメだったことを思い出すと不安に思うのであった。


 もしかすると、いやもしかしなくとも自分なら何か問題を起こし全てがだめになってしまう可能性がある。そこで王子は自分以外の何物にも迷惑をかけぬよう従者を一人も付けず常春の地へおもむくことにした。それを告げると父母が止めようとし、キトの上の兄弟達は意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。


「父上たちの言うとおりだ。お前は一人では何もできやしないのだから」

「ウラディキールに護衛を頼もうか。あいつなら疲れたときにはお前を負ぶってくれるし、甘やかしてくれるだろう」


 違いない、と口々にキトの兄たちは頷き合った。王も王妃も否定できないものだから、そうしたらどうだろう……と控えめに薦めた。


 王子は傷ついた。否定の出来ない自分だったから余計辛かった。せめて、見合いがどう終わろうと旅立ちくらいは晴れやかな気持ちになれるよう努めよう。王子は憂鬱な気持ちでそう心に書き留めた。


「では、ウラディキールを連れてゆきます」


 そう、キトが告げようとしたとき。次期王権を握るであろう一番上の兄、アレフギルトが前に出た。王位を継ぐ者に相応しい他者を跪かせる何かが彼にはあった。皆の視線がアレフギルトに集まった。アレフギルトは片手をキトに差し向けた。


「お待ちください。常春の国に我が国の男気たるものを見せつけようではありませんか」


 キトは歳の大分離れた兄をまじまじと見た。それはその部屋にいた者たち全員も同じだった。

 キトのどこにこの国の男気を見出せようか。キトの国、焦がれる大地の男たちは筋肉質で駿馬のように逞しく、勇み狩る獅子のように戦う。


「あの国の姫君は変わっていると伺っています。幾人もの屈強な戦士である他国の王子どもを扇の裏で煽いで城から追い返したと言うではありませんか。私は、キトは焦がれる大地の男であると心の底から思っています。ですから、どうか我が末の弟の望み通り、一人で行かせてやってください」


 力強い声で熱烈に語るアレフギルトにその場にいた者は心を打たれた。ややあって国王もよかろう、と呟きこの話は終わりにする、と結んだ。アレフギルトはキト意外の何者をも瞳に入れず歩み寄ると、腕を掴んで廊下へ歩いた。


「アート兄さん、どうして僕を助けてくれたの?」


 小声で訊ねるキトにアレフギルトは頭を低くして囁いた。


「お前だっていい加減へなちょこの甘ったれを卒業したいだろ? これは良い機会だ」


 キトは心が浮きあがって泣きそうになった。いつも完璧で御伽話に出てくる王子のように格好良い憧れの兄が、優しく気にかけてくれるのが酷く嬉しかった。しかしここで泣いたらせっかく兄がお膳立てしてくれた舞台を台無しにすることになる。


 僕は戦士になるんだ。


 キトはアレフギルトの部屋につれられた。

 そこは殺風景で物が少なかった。アレフギルトは衣装箪笥の戸を開くと赤い鎧を取り出した。

 それは遠い昔アレフギルドが大蛇の首を切り落とした時、その土地、苔生した沼の王が代々伝わる門外不出の業で作り上げたアレフギルドに御礼として贈呈した鎧だった。赤はキトたち、焦がれる大地の色だった。


「おまえにやる」


 まるで焼き菓子を渡すような軽さでアレフギルトはキトに鎧を押し付けた。こんなの受け取れないよ、と言いながらキトは腕に抱える鎧が思ったより軽いので驚いた。いいからつけてみろ、と強引な兄に流されキトは鎧を付けた。

 キトは両腕をひろげてぶかぶかの鎧を着た自分を兄に見せた。兄は組んでいた腕をほどいて鎧の革ベルトを調整した。するとキトの為にあつらえたように身体にぴったりとあった。アレフギルトはベルトの付け根を指先で撫でた。


「この鎧は本当に特別で……俺がこの鎧をもらった当初は今のお前よりも細かったんだな……」


 そう呟く兄にキトは驚きを隠せない。厚い胸板、引き締まった腰、片手でゆうに馬に飛び乗れる腕に鉄板を曲げる脚力。今のアレフギルトの身体から今の自分より細かったなど、キトには思いもつかない。ということは、そんなに若いころからアレフギルトは勇敢だったのだ。キトの兄を敬う気持ちが一段と強くなった。


「まあ、今はその鎧も着れないくらいにでかくなった。だから、おまえにやる。」


 アレフギルトは腕を組みながら、鎧をまとうキトを見ていた。キトがお礼を言おうとした時、アレフギルドは箪笥に頭を突っ込んで小さな小刀とボロボロの布袋を持ってきた。キトに小刀を握らせるとアレフギルトは懐かしむように微笑んだ。


「遠い昔の俺みたいだ……」

 

 キトは勇ましき兄の影を自分に見出せることを期待して姿見を振り返った。そこには立派な赤い鎧をまとった冴えない金褐色の髪の男の子がいた。

 鎧をまとって尚隠しきれない線の細さ。幼さを残す顔には冬の氷色の瞳が大きく見開かれ怯えや自身の無さがにじみ出ていた。手に持った小刀は敵に向けるのか、それとも自ら命を絶つためなのかが危ぶまれる。


 これが昔のアレフギルトのようであるはずがない。キトはそう思った。鏡を眺めるキトをアレフギルトは部屋から追い出した。扉を閉める直前にアレフギルトは擦り切れた革の巾着をキトの手のひらに落とした。


「じゃ、おやすみ」


 ぱたん、と柔らかな音をたてて戸は閉まった。キトは小動物のような声でおやすみなさい、と閉ざされた扉に向かって告げた。


 アレフギルトは末の弟の声を聞くと扉によりかかり、そのままずるずると床へ下がって行った。脚をのばしつま先を眺める。


 本当に、どうしてここまで逞しくなったのだろう。


 開いていた窓から風が薄絹のカーテンを巻き上げて入ってきた。風はついでに蝋燭の火まで消した。急にアレフギルトは泣きたくなって両膝を抱えた。


 鎧をまとった弟の姿は過去を生々しく蘇らせたように、若き日のアレフギルトに酷く似ていた。国民の期待をその細い身体に乗せていた頃の自分。

 アレフギルトは大蛇と戦ったときのことを思い出した。結果としては蛇の首を切り離せたが、切り離すまでの過程は二度と味わいたくないと今ですら願ってしまう。称えられさらに高まる期待と、行き過ぎた評価。次から次へと生まれてくる兄弟達がいても、誰もがアレフギルドが王になると信じて疑わなかった。どうあがいても王にしかなれない自分の奪われてゆく心の余裕を、全て人並みにしか物事をこなせない、よりによって一番幼く弱いキトにぶつけた。一番上の兄に習って後の兄弟達も同じようにキトに冷ややかに接した。その態度は主犯であったアレフギルドを除き、今日の今日まで続いている。


 アレフギルトは自分の腕をきつく握りしめた。膝は濡れていた。


「お前を嘲ることで心に余裕を産み出し楽にしようとした俺の、せめてもの罪滅ぼしだ」


 誰もいない暗闇でしか自分の罪を口にすることができない。アレフギルトはそんな自分よりキトの方がずっと上等だと思った。末の弟は自分の過失を認めることができた。まるで、それが自分に唯一出来ることだと言わんばかりに。


 その頃キトは部屋の前で兄たちともめていた。付けたままの赤い鎧を、兄たちがそれはアレフギルドのであると咎めた。キトがいくらアレフギルドが譲ってくれたのだと説明しても兄たちは聞く耳を持たなかった。そこでアレフギルドは兜を取った。


「どうしたら兄さんたちは僕の言葉を信じてくれるのですかっ!」


 末っ子の叫びに兄たちは驚いてぎょっとした顔をした。キトの兜の縁を握る指の先は強く握りすぎて白くなっていた。

 キトは言いたいことを言うと兄たちの顔を見ていても何の変化もないのだと悟り、さきに休みますお休みなさい、と言って部屋の中に消えた。廊下に残された兄たちは顔を見合わせたものの、二の句を継げないでいた。すると互いに俺も寝る、おう、とぽつりぽつりと部屋に帰って行った。


 その夜、焦がれる大地の王室から常春の地へ手紙を結んだ梟が飛ばされた。


 梟は疲れることもなく常春の地の城のバルコニーに降りた。黒髪の女性が梟の足元から手紙を剥き出しの手で取り外した。手紙の内容に白い頬に朱がさした。その後ろで体格の宜しい男がジウ様、と慌てふためいていた。わめいていることによれば、王女が獣の足にひざまずいて触れるなどあってはならない、とのことだった。王女は脂汗を光らせている男を振り返ると大胆かつ繊細に手紙を差し出した。


「ジークギーク。明日来るよう、返事を出しなさい」


 慌てふためくジークギークを他所にふさふさとした白髪の男が影のようにひっそりと前に進み出た。


「明日王子を迎えられるのですか?」


 王女は男を睨みつけた。男が悪いわけではない。王たる者に立て付く者はその伴侶のみであるような統治を心掛けよと、今は亡き両親たちに言われ育てられた。


「何か意見でも?」


 立て付くのなら立て付きなさい。王女ジウはどこか挑むような心で彼女は男の言葉を待った。


「なら、私目が書いたほうが早いでしょう」

「では任せます」


 去りゆく男の背が扉の向こうに消えると、王女はいてもたってもいられずバルコニーに出た。月光の明りに照らされて彼女の頬は仄かに白く輝いた。瞳は揺らめきながら遠い大地へ想いを馳せていた。



 はやく。はやく、この呪いを解きに来てください。



 キトはアレフギルトに叩き起こされ、太陽もまだ出ていない早朝に発つことになった。

 寝ぼけ眼のキトの口に焼きたての無発酵のパンを突っ込み、未だにかぶっているナイトキャップを床に叩きつけ髪を梳る。まるで世話係のように動き回る兄に、キトはまだ目覚めぬ頭で言った。


「アート兄さん、僕、自分で準備できるよ」

「そういうのは頭が起きてから言え」


 キトは固く絞った濡れタオルで荒っぽく顔を拭われた。乾いた涙や口回りに付いたとうもろこし粉とクリームが綺麗に拭われた。アレフギルトは数歩離れるとキトをながめてにやりとした。


「あとは鎧だけだな」


 キトは鎧を持ってくるとベルトを締めた。もたつく弟にまたもや兄が手を貸す。準備は着々と進んだ。アレフギルトは鎧をまとう弟に腕を広げ、そっと抱きしめた。そしてキトの耳元で古い詩を囁いた。キトは目を見開いた。


「でも――」

「お前は俺の弟だ。そうでなくとも才能はいくらでもある。見つけて磨け」


 がんばれ。アレフギルトは痛いくらいに強くキトの背を叩くとキトを押しやった。


「さあ、ゆきなさい」


 兄の瞳にはもう兄としてではなく一国の国の命令を下す者の強い光が宿っていた。キトは人に懐いた小鹿のように名残惜しみながら兄を見ると、細い背を翻して扉の向こうに進んだ。キトは使用人用の階段を下りた。アレフギルトが朝食をむさぼるキトにこの階段の方が厩に近いと教えてくれたのだ。

 厩では既に用意の整えられた馬が足踏みしながら鼻を鳴らしていた。キトと同い年くらいの青年がキトを出迎えた。


「兄王子様から承った馬はもういつでも走れます」


 緊張して強張ったその表情にキトは微笑んだ。厩の青年シャイムはその日だまりのように温かい笑顔に幾らか気持ちが落ち着いた。馬の荷物を確認するキトにシャイムは下町の屋台等で良く見かける茶色の包み紙を差し出した。中には焼きたての菓子と輝く小粒の星のような飴だった。


「これ、もしよかったら食べてください」

 

 差し出すシャイムに、キトはためらった。


「僕……わたしに返せるものはないよ」


 シャイムは王族や貴族は国民からぶんどるだけぶんどるものだと思っていた。下町の女を口説き哀れにも破れるキトに声をかけた少女はシャイムの妹で、手に見事な花束を持って帰ってきたことがあった。聞けばそれはあろうことにも王子のキトからであるということが判明しシャイムは目を白黒させた。しかしシャイムの瞳には妹の喜びようが目に焼き付いていた。


「俺がキト様に会うと知って妹が渡してほしいと」


 だから受け取ってください。キトはシャイムに礼を言いながらそれを両手で大切そうに受け取ると大切そうに仕舞った。馬に跨るとキトはシャイムを振り返り、礼を言って馬を出した。キトの背中をシャイムは眺めた。


 この人みたいな素朴な人がこの国を治めてくれたらいいのに。


 焦がれる大地から常春の地は、日の出から数時間後に出発すれば昼前にはつく。キトにはどうしてこんなに早く出発するのかわからなかった。途中で馬を休ませ、もらった焼き菓子に舌鼓を打ちながらキトは広がる草原とその先に広がる山脈を眺めふと思う。常春の地は山脈の傍にあるのに常春であるというのは面白い。馬を駆りほどなくしてキトは常春の地に付いた。


 空は曇天に輪をかけたように暗く、広大な湖面は濁り草原は萎び腐って灰色だった。おまけに灰が雪のように舞っている。常春とは言い難かった。

 キトは言葉を失いながらも城へと真っ直ぐ続く石畳の大きな道を突き進んだ。キトが石橋に進む前に馬が鼻を大きく鳴らした。馬の方が乗り手よりも礼儀をわきまえていた。


 そうだ。自分はこの国に見合いの為に来たのだ。


 キトは馬から降りた。そして石橋に足を踏み入れた途端、城の門である檻があげられ、そこから一人の女性が歩み寄った。黒髪で色白、意志の強そうな瞳。手に小さく黒い扇を持っていることから、この人が自分を呼んだ王女、ジウであるとキトは理解した。王女はキトから十歩離れたところまで来ると立ち止まった。キトが教わっていたどの形式にも当てはまらない見合いの仕方だった。


「あなたが焦がれる大地のキト王子ですね」


 相手に恥をかかせるのはまずやってはならないこと。そこでキトは王女の真似をした。


「あなたはジウ王女、ですね」


 互いに互いの声を初めて聴きながら二人はそれぞれ悟った。もう後戻りなどできはしない。しばらく二人は黙して互いを探るように見ていた。黒馬が軽く鼻をならした。途端、王女は扇を勢いよく開き煽いだ。馬は嘶き強風に煽られ前足で宙をかいた。アレフギルトが言っていた王女の話は本当のようだった。キトは馬の手綱を握ると馬を落ち着かせた。ジウは表情一つ変えず呟いた。


「私はこの土地の心臓です。危害を加える者は皆それ相応の報いを受けるでしょう」


 キトはその言葉に眉を顰めた。キトはどうにかして目的を果たそうと、形式上の挨拶を述べた。


「この度は焦がれる大地の第七王子キトをお招き頂き感謝の想いを言葉にする事ができません。私の想いはあなた様に捧げたく思います」


 ジウは半眼でキトを見ると二の句を遮るように扇をぱたんと閉じた。


「わたしはあなたを愛せない」


 その言葉は折れた氷柱が胸に突き刺さるように鮮明にキトに響いた。あろうことにも彼女は背を向けて門の向こうへと歩き始めてしまった。キトはその場にぐしゃりと崩れ落ちた。

 今までに何度も女性に拒絶されたキトだが、拒絶される度にこの痛みに慣れることなどないのだと思い知る。魂は涙とともに流れ出て行くようで止めようにもとまらず困ったものだ。

 石橋に座り込んで涙を零すキトのところで、体格の宜しい男が額に汗を浮かべながら小走りに寄ってきた。キトは涙の溢れる瞳を男に向けた。


「私はジークギークと言います。王女はあなたを歓迎しております」


 キトは心の中であれでえっ!? と思いながらジークギークを見上げた。うるうるとした瞳にジークギークは困った。ジークギークは小間使い達にキトを客間に通すように言った。

 客間のふかふかのベッドに腰掛けるキトは、石橋でのやり取りをなんども頭の中で再生しては泣いていた。そこへ戸を叩く音がした。

 キトはどうぞと言いながら部屋の扉を開いた。そこには雪のように白い髪の若い男性がいた。男性は無表情でどこか冷たい印象を受けた。男性は部屋の扉を閉めるとその場に跪いた。


「私はあなたの兄王子アレフギルト様に命を救われこうして今も息を繋いでいる者です」

「兄さんは、本当にすごい人だから」


 キトは突然のことに頭が回らなかった。男は顔を上げてキトの表情を見るなり立ち上がった。


「聞いてほしいお話がございます。もしよろしければ居心地の良い場所にお座りください」


 キトはふかふかの寝床に腰掛けた。それを見ると男は笑顔を零した。キトはこの人、女の人に言い寄られることが多いだろう、と心の中で思った。男はイヴェールと名乗った。


「先ほども申しましたように、私はアレフギルト様に大恩があります。そしてあなたにも」


 その上でこんな話をすることをお許しください、とイヴェールは顔を伏せて言った。イヴェール曰く、この常春の地は史上最悪の呪いをかけられたのだという。それはこの土地を荒れ廃れさせるために放たれた「心」を蝕む呪い。


「誰がそんな呪いを」


 キトの問いにイヴェールは静かに首を振った。


「私の口からはこたえられません」


 イヴェールはそれが誰なのか知っている。キトはそれをどことなく感じた。イヴェールは話の続きを始めた。呪いをかけたのは歴史始まって以来類を見ない強力な力を持つ者なのだという。その者から「心」を守るため、

王女ジウは心をどこかへ解き放ったのだという。

 あるべきところから取り攫われた心は、その有かを告げるように土地の姿を荒れ廃れたものへ変えた。イヴェールはキトを見た。


「心のありかにはこの国特有の生物が番人のように立ちふさがるでしょう。呪いをかけた本人も邪魔をするでしょう。ですがその人を殺さず、心だけを取り返してくださいませんでしょうか」


 そこまでわかっているのならどうして自分に頼んだのか、キトにはわからなかった。こういった内容は自分よりもアレフギルトのほうが上手に対処することをキトはよく知っていた。イヴェールは首を振った。アレフギルトにはできない理由があるのだと断られたそうだ。


「そこでアレフギルト様はキト様ならできると教えてくださました」


 キトは兄が自分を買い被っているのだと思う。それでも信じてくれた兄の想いは裏切れなかった。目の前にいるイヴェールもキトが出来ることを疑っている様子は微塵もなかった。キトは頷いた。


「僕……私が引き受けましょう」


 その言葉を聞くなりイヴェールは目元を細めて微笑んだ。そしてあろうことにキトの額に指先を当てた。キトは強い睡魔に襲われそのまま寝床に倒れた。イヴェールは倒れたキトを見下ろしながら口を引き結んだ。


「目に見えない世界からどうぞあの方を御救い下さい」



 キトは起き上がった。そこは変わらず客間で、ただイヴェールがいなかった。キトはいぶかしく思って廊下に顔を出した。そこにイヴェールはいない。

 すると甘くも喉元を締め付けるような香りがした。キトは鼻を手で覆うと新鮮な空気を求めて走った。次の瞬間キトの背後で熱気が巻き起こった。振り返ればそこには炎が赤々と燃えていた。目を見開くキトの視界に奇妙な生き物が現れた。大きさは馬や牛くらいだろうか。巨大なトカゲが火を噴いていた。キトはぎょっとして人のいそうな場所へ向かった。

 常春の城の中はどこも青白くほの暗い光で満たされていた。まるで幽霊の為の世界だとキトは思う。

 大広間、廊下、玄関口。どこもかしこも人影はなく、代わりに火を噴くトカゲや蛇が徘徊していた。

 キトは逃げに徹した。

 今の姿を見られたら、なんてキトに考える間はなかった。次から次へと襲い掛かる蛇とトカゲをよけるので精一杯だった。逃げ惑うキトを戦闘に蛇とトカゲの行列ができた。ウラディキールに打たれながらも体力は培えていたらしい。息はまだ上がっていなかった。剣を振うより避けることを得意とするキトは自分がやってきたことは無駄ではなかったのだと悟った。


 キトは広い廊下に出た。それは大きな扉に続いていた。その優雅な装飾の施された扉とその大きさをみればその扉の先は謁見の間だろう、とキトは予想する。


 後ろには爬虫類がいるため先に進むしかない。大戸の傍に駆け寄り扉を通れるくらいに引いて開けるとキトはその中に滑り込んだ。扉に背をあずけると、向こう側から凄まじい震動が背を貫いた。キトは扉からよろめき離れると誰かが歩み寄って来るのに気が付いた。

 幾千の黒い羽根を縫い付けた布を頭の先からつま先まですっぽりと覆い隠した人。その人は口元だけを怪しげに見せて微笑んで見せた。


「扉の向こうが賑やかね」


 女性の声にキトは身構えた。こいつがその呪いをかけた奴に違いない。と言っても武器になるものといえばアレフギルトのくれた短剣しかないが。女の人は短剣を向けるキトに微笑んだ。


「その短剣は私を切るだろうか、それともお前を?」


 キトは頬を赤くした。確かに鏡を見たとき同じことを思ったのだ。続くように蘇る目を見開く怯えた自身のなさそうな少年の姿。相手はキトの心の内を聞いていたかのように高笑いをした。キトは惨めな気持ちになりながらも相手をきっと睨んだ。女は襞の余った衣を見せつけるように片手をまっすに伸ばした。


「お前が欲しいのはあれだろう」


 その指の先を辿るとそこには玉座に眠る少女がいた。その少女の膝の上には大きな自ら光を放つ結晶が揺らぐように煌めいている。キトは目を見開いた。


「ジウ、王女」

「あの子はこの国を守るために愚かにも自分の心を国の心に捧げたのさ。あの子はやがて深い眠りに沈み国と同化するだろう。そのとき私が完全にこの国をこの脚で踏み潰すとは知らずにね」


 自分の力を見せつけるように女は語った。キトは頭が白くなり短剣を引き抜くと女に飛びかかった。人を切りつけるのはこれが初めてだ。そう思いながらも動く身体は止まらない。切られた黒い羽根が宙を飛び散り、衣服を裂く音がした。キトが振り返れば相手の衣は肩から頭にかけて切れていた。

 キトは息をのんだ。衣の隙間から見えた白い肌に黒い髪、そして強い視線。それはジウそのものだった。国を呪ったのはジウで、また国を守ろうとしたのもジウ。イヴェールの言葉が脳裏を過る。だからこそ呪った相手を殺してはならないと。キトは踵を返して玉座に座るジウへ向かった。


「ならぬ!」


 呪いをかけた者は黒い羽根を散らしながら手を振った。キトの目の前に鏡が現れた。それはキトを自身を映し、キトを痛々しい表情で見つめると語りかけた。


「何を必死になってるんだ。いつだって何をやってもだめだったじゃないか。おれらは七人兄弟の一番下。へなちょこのあまったれのキトだ。さんざん失敗ばかりだったんだからこれ以上わざわざ失敗を増やす必要はないんだ」


 キトは口を歪めた。鏡の中のキトは次から次へと今までの失敗を語ると、兄たちへの憧れを呟いた。アレフギルト兄さんは完璧でそれがいつも羨ましくて嫉妬して、それでも辿り着かない自分は出来損ないで屑で……そう語る鏡の中の自分をキトは涙の流れる瞳で見ていた。

 幼くて、努力がなかなか報われなくて卑屈になった自分。兄たちにどんな酷いことを言われても仕方のない自分を受け入れていたのだ。

 キトは鏡の向こうの自分に手を伸ばして視線が止まる。アレフギルトからもらった鎧の赤い手甲が目に映る。


 そうだ。この鎧は今まで遠くから見ていた憧れの兄さんが僕にくれたのだ。


 キトは鏡の中の自分を見た。その姿は鎧を付けていない。まだ兄に認められていないと思っていた頃のキトなのだ。


 それ以上、その口から自分を貶める言葉を聴きたくない。


 キトは短剣を握ると思い切り鏡に付きたてた。どこか遠くでで数多の爬虫類が苦悶にのたうちまう叫びが響いている。キトは短剣を握る手にさらに力をこめた。鏡は短剣を中心に蜘蛛の巣のようなヒビを走らせ心地よい音をたてて砕け散った。


 キトは生まれて初めてどこまでも清々しい気持ちになった。それから黒衣の呪術師を振り返ったがそこに呪術師の姿は無い。視線を走らせると玉座へ床を這いつくばって進んでいた。キトは呪術師の傍に歩み寄るとその手をそっと掴み取った。呪術師は驚愕に瞳を見開く。


「あなたがこの国を呪うほどになってしまったその心を僕にください。その代わりあなたが思いつめないよう僕が支えますから」

「人という者の身勝手さを私が知らないとでも言うのか」


 キトは哀しく微笑んだ。脳裏にはいつも遠くから見ていた兄の姿があった。


「あなたは知っている。十分に知りすぎている。王女として国の統治者となるべく人の闇を見てきたのでしょう。なら僕はあなたのいる暗闇に共にいられるようになります。今よりもずっと強くなります。だから僕がそばにいることをお許しください」


 お許しくださいと口にするキトの瞳から涙がこぼれ、彼は慌てて拭った。するとキトの瞳にぽつぽつと雫が落ちた。キトが顔をあげると、涙を零すジウの姿があった。


「本当に、良いのですか……?」


 無表情なその顔とは裏腹に必死で今にも泣きだしそうな声がひろ過ぎる謁見の間に響いた。


「はい」


 その言葉が響くとジウから黒衣が風に攫われる綿毛のように取り払われていった。石橋の上で見せたような冷たい表情は既になく、温かく優しい顔が涙を零しながらキトを見つめていた。


「ありがとう」


 王女はそう言うと立ち上がった。キトはその姿を見上げると、どこかアレフギルトを思い出した。ジウは玉座におかれた揺らめき輝く水晶を手に取った。キトにそれを手渡すとジウは微笑んだ。


 キトは自分が寝床に倒れているのに気が付いた。窓の外を眺めていたイヴェールは起き上がったキトの傍に駆け寄るとキトの手を包み込むように握った。イヴェールの瞳は涙で揺らいでいた。

 イヴェールに背を押され窓際に立つと、キトは目の前に広がる景色が来た時と同じだとは信じられなかった。溢れかえるように満開に咲き誇る樹木と空を映し出す鏡のような湖。降り注ぐは薄紅色の花弁で、通りと言う通りには人があふれ、屋台を連ねていた。


「キト様、あなたはこの国、常春の地を救った英雄です」


 感極まって言うイヴェールをキトは半眼で見た。


「眠らせるなら、何か一言でも言ってくれたらよかったのに」


 倒された後、部屋を出た途端トカゲに焼き殺されるところだったとキトが言えば、イヴェールは焦がれる大地の男はそう簡単に死にません、としゃあしゃあと断言した。

 二人が口論していると部屋の外で、おやめください、と口々に言う声が聞こえる。次の瞬間客間の扉を吹き飛ばすような勢いでジウが入ってきた。その後をメイドと思われる女性が何人かついてきた。また何事かとジークギークが鼻に汗を浮かべてやってきた。ジウは俯きがちに視線を下に落としてキトに言った。


「この国の英雄に感謝を。本当に、ありがとう」


 それを言うためだけに来たのかとキトは思ったが気を取り直して王女の傍に寄った。そして彼女の手を取るとそっと唇を落した。恥ずかしさに顔が赤く染まっているのを知りながらキトは呟いた。


「僕と結婚してくれますか」


 ジウも真赤になってはい、と答えた。

 キトとジウはその場にいた全員に温かく見守られ祝福された。


 キトが常春の地にかけられた呪いを破ったという知らせは風のように全地に広まった。キトを知らぬ異国の民はさすが焦がれる大地の王子だと称賛し、自国民は王子の活躍により、自国にもたらされる繁栄を素直に喜んだ。そして何よりもキトの両親とアレフギルト以外の兄妹は目が落ちるのではないかと思われるほどに目を見開いた。

 キトの活躍を心の瞳を飛ばして全てを見ていたというジークギークの書きとめた話を、正式な報告としてイヴェールが焦がれる大地に訪れ読み上げた。話の内容を聴けば聞くほどキトが解いた呪いは複雑であったということがわかる。アレフギルトは満足そうにその話をにやにやしながらキトの活躍を聞いていた。


「父上、母上。キトは立派な焦がれる大地の男ですね」


 アレフギルドの言葉に王と妃はとても柔らかに微笑んで頷いた。他の兄弟達は今まで自分たちが見下してきた弟がアレフギルトの次に偉業を行った為、居心地悪そうに突っ立っていた。下の兄弟達がキトを見る目が変わるのも時間の問題かもしれない。アレフギルトは口元に浮かぶ笑みを手で覆い隠した。



 帰国の為、馬の支度を薦めるイヴェールにアレフギルトは訊ねた。


「あいつ、トカゲから逃げるとき悲鳴とかあげてなかった?」


 キトとウラディキールの練習試合はいつも悲鳴が絶えなかった。キトがきゃあきゃあと悲鳴をあげながら逃げるのだ。イヴェールは真顔で振り返った。


「そのようですがジークギーク大臣との討論の末、その事実は消させて頂きました」


 控えめに語る親友にアレフギルトは喉を鳴らして笑い愉快だ、と言い放った。


読んで頂きどうもありがとうございます。


短編なのに長くて……申し訳ないです。

ツイッターで王子の価値が地に落ちたという書き込みを読んで、頑張る王子が書きたくなりました。

書き始めたら酷く軟弱な王子で、その子には優秀なアレフギルトという兄がいて…‥と気が付いたらどんどん長くなってしまいました。

短編として読んでくださった方々、本当にすみません。


ほんとうはこの後にアレフギルトが暴れる予定だったのですが、それはいつかまた別の場所に書きたいと思います。


再度。読んでくださり本当にありがとうございます。

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