理想 → 現実
視界を覆うのは見渡す限りの黄土色。時折、風が砂をさらさらと微かな音を立てて駆け抜けていきます。その風は、この一帯のように乾燥したものでした。
硬い風に毛を撫でられた小さな動物がいました。それはバンビでした。
バンビは物悲しそうな瞳をしています。しかし、何やらしっかりと強い瞳です。何かを願っているのでしょうか。
少し彼らの世界を覗いてみましょう。
風に吹かれてきた細やかな砂を、身体にバンビは受けて思っていました。
(歩いても歩いても同じ景色ばかり。水場までは遠いし、風が吹いたら砂風で水場も埋もれちゃうかもしれない。僕はいつまでこうしていればいいのだろう)
砂、すな、スナ……どこもかしこも目に映るのは砂ばかり。風が運んでくる砂を身体で受けるのも毎日のこと。そして、同じく毎日ジリジリと照りつける太陽や、焼ける地面が、か細いバンビの体力を無意味に消耗させていくのでした。
体力の回復を感じるのは水を口に含むとき。しかし、歩いてちいさな水飲み場を見つけても、すぐに風に誘われた砂に埋め尽くされてしまいます。拠り所をすぐに失ってしまうのです。
その度に大きな悲しみに包まれるバンビ。けれど、バンビは歩みを止めません。
歩むことを止めなければ、この黄土色の地面から逃れられる気がしていました。
何時か、沢山の色の世界を見つけられる気がしていました。
バンビは恋に焦がれるように想像していました。
いつの日か、恵みの水によって潤された日々が来るのを。そして、この孤独や失望感から解放される日が来るのを。
想像の中では、焼き付けるような太陽の日差しではありません。柔らかい日差しです。あたたかい幸せをくれるものです。
空気はカラカラと喉を、肌を乾かすようなものではありません。心地いいやわらかい風です。
地面は乾燥してはいません。踏めばしっとりと、草が柔らかく和やかさをくれます。
そして、何よりも溢れるような水。そう、オアシスがあるのです。水面はキラキラと輝いて、なんと美しいのでしょう。
『森』と呼ばれる世界をバンビはまだ知りません。緑に囲まれる体験したことがないのです。しかしながら、想像だけで心は森に飛んで行き、胸が躍りました。
(ああ、行ってみたい……)
うっすらと瞳を開けると、広がるのは現実の世界。視界を埋め尽くす砂の風景。
(どうしたら……)
羨望のまなざしを向けた空想の世界を、現実にしたいとバンビは望んでいました。
幸せな空想を膨らませたバンビは、ただ前を進みます。此処がもし緑のある世界だったとすれば、この辺りでふわふわの毛に覆われた白いうさぎがひょこりと現れることでしょう。友達になって、今頃バンビは大勢の友達に囲まれていたかもしれません。
そんな風に考えていた時、後ろ足にわさわさとしたくすぐったさを覚えました。びっくりしてしまったバンビはその場で飛び跳ねます。
バンビがくるりと振り返ると、更に驚きました。なんとそこには、バンビが想像していた白い毛に覆われたウサギがいたのです。
「わっ」
バンビが声を上げました。つられてウサギは跳ね上がりました。
「ご、ごめんね」
驚かせてしまったことをバンビは謝りました。素早く縦に頷いたウサギを見て、バンビは想像の世界が混じりました。ウサギを友達のように思い、ウサギに想像の世界の森を話したのです。
「君もそう思わない?」
バンビよりも小さなウサギは、見上げて夢を見ているようでした。
「そんな世界……行ってみたいなぁ」
うっとりしているウサギの姿を見て、バンビは嬉しくなりました。
(他にも同じ思いをしている動物がいるかもしれない)
と、バンビは心強くなりました。更に仲間が集まれば、夢ではなく現実にする事が出来るかもしれないと考え、心を弾ませました。
「それじゃあ、僕と一緒に森を作ってみない?」
唐突なバンビからの提案に、ウサギは首を傾げました。
「僕と君だけじゃ出来無いかもしれないけれど、もっと沢山の仲間がいれば実現出来るんじゃないかと思うんだ」
「出来るかなぁ」
「きっと出来るさ!」
バンビの言葉に心を押され、徐々にウサギも実現出来る様な気がしてきました。一つ頷くと、「君について行くよ」と答え、二匹はまた砂漠を歩き始めました。
二匹が当てもなく歩いていると、前方から大きな影が見えました。風で舞う砂にゆらゆらと揺れる影は、二匹に近づいてきました。
ラクダです。バンビは力強く歩くラクダに羨望の眼差しを向けました。水を求めて止まず、ぐったりとしている自分と比べ、ラクダはしっかりとしていたからです。
「ラクダさん!」
バンビは話しかけました。大きな身体のラクダは足を止めると、ゆったりと二匹に微笑みました。
「ラクダさんはお水を何日も飲まなくても生活できるって本当?」
瞳に輝きを灯してバンビは聞きました。
「本当だとも。このコブのお蔭でね。少し生えている草だけでも充分なんだよ」
脂肪のかたまりであるコブをラクダは誇らしげに言いました。羨ましそうに見つめるバンビを見て、ラクダは更に言葉を続けました。
「ああそうだ、君達にとっておきの場所を案内してあげるよ」
ラクダは思いついた様に視線を上へと向け、二匹に言いました。
「とっておきの場所って?」
ウサギの質問に、ラクダはにんまりと笑いました。どんな場所へ連れて行ってくれるのかと、二匹の気持ちは高ぶって行きます。
「オアシスだよ!」
ラクダの答えに、二匹は目を丸くしました。バンビとウサギは互いに顔を見合わせると、飛び跳ねて喜びました。二匹を見ているラクダも嬉しそうです。
「それじゃあ早速行こうか」
「「うん!」」
バンビとウサギは、声を揃えて答えました。
オアシスへと向い、三匹は歩き出しました。
数分歩いた後、バンビはラクダを見つめました。ふとラクダを目が合うと、バンビは言いました。
「ねぇラクダさん、僕達はこの砂漠に沢山の木を生やして、みんなが楽しく住める場所を作りたいと思っているんだ」
「この砂漠を知り尽くしてるラクダさんなら、何か良い方法分からないかな?」
バンビの言葉に続けて、ウサギがラクダに尋ねました。二匹の瞳はキラキラと輝いています。
ラクダはそんな二人に申し訳なさそうに視線を逸らします。不思議そうに首を傾げる二匹に、ラクダは言いました。
「森か……それは無理なんじゃ無いかな」
「「……え?」」
優しいと思っていたラクダに否定されて二匹は驚きました。ラクダは前を見つめたまま言いました。
「でも夢を見ることは素敵だと思う。君達の夢が叶ったらもっと素敵だね」
言葉を終えたラクダは二匹に微笑んでいました。
自分たちよりも大きい身体のラクダは、自分たちよりも広い世界を知っていそうでした。
(もしかしたらラクダさんも昔は同じ思いを持っていたのかもしれない)
そう思うとバンビは、応援してくれたラクダの為にも森を実現したいと思いました。
「あ! あれなの?!」
ウサギが歓喜の声を上げました。
「正解。目がいいね」
ラクダの声にバンビが前方に視線を向けると遠くにはオアシスがありました。
二匹は躍り出してしまいそうなほど喜びました。歓喜を上げた後、気が付けばその場でくるくると回っていました。そして、オアシスに向かって走り出しました。
明るくはしゃぐ声が聞こえそうな二匹の背中をラクダは見つめてゆったりと歩きました。
勢いよく水を飲むバンビとウサギ。ラクダも一口水を含みました。そのまま三匹はオアシスの心地よさを味わい、暫く寛ぎました。水辺は心の休まる場です。
「「生き返った~」」
乾きが癒えたバンビとウサギは元気百倍です。そんな二匹を眺めてラクダは言いました。
「じゃぁ、これで」
ラクダは来た道に戻ろうとしているようでした。
「ラクダさん!」
バンビは呼びとめました。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げるバンビはラクダとの別れが辛そうでした。思わずウサギは声を出しました。
「また……会えるよね?」
ウサギは両手を固く握っていました。ラクダは二匹に言いました。
「ここでまた会えるかもね」




