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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第二章 恋愛小説家とのつきあい方
9/82

 翌朝、私はいつもどおりの時間に、主の部屋の扉をノックした。

「どうぞ」

 今日も室内は朝日にあふれていた。主が自分でカーテンを引くためだ。もう、きちんと隙なく装ってソファに座り、何かの書類を確認している。

「おはよう」

 主が少し顔を上げ、微かに笑んだ。その変わらぬ様子に、ほっとした。

「おはようございます」

 私はテーブルに朝のお茶を用意した。主はカップを手にして口を付けながらも、書類から目を離さない。すっかり目が覚めているようだ。

 人間、変われば変わるものだと思う。彼女は領主に就任するまでは、非常に朝が弱かったのだ。

 ハンナが起こしにいっても、もう少し、あと少し、と呟いては、布団をめくられた分、中にもぐりこんでいき、しまいには枕の上に足がのっかっているというありさまだった。

 どうしてそれを私が知っているかというと、業を煮やした前御領主に言いつけられて、その役目が朝食の用意に忙しいハンナから、私に引き渡されたからだ。

 おっかなびっくり初めて彼女の寝室に足を踏み入れて、恐る恐るベッドを覗いた時には、心底困惑したものだった。

 膝までめくれあがったネグリジェと、丸いお尻が布団から頭のあるべき位置にはみ出していて、反対に他は全部布団の中に入っていたからだ。

 相手は幼いとはいえ女の子だし、しかし旦那様の言いつけだ、起こさないわけにもいかない。

 私はたっぷり悩んで、悩みぬいて、とりあえず、ベッドの足元にまわった。つまり、彼女の頭がある方へと。

 そうすると、こんもりとした布団に遮られて、あまり彼女の足や尻が見えなくなった。私は少し落ち着いて、平静を装って、彼女に声を掛けることができた。

「おはよう、サリーナ。起きて」

 もぞもぞと布団が動き、すみっこから、彼女が頭だけ出してきた。

「エディアルド?」

 あの時の彼女の顔は、今でも忘れられない。鮮明に覚えている。

 半分しか目が開いてない寝惚けた顔で、ぼーっと呟き、それから両目が見開かれたと思ったら、慌てて布団の中に逆戻りしていった。

 でも、隠れているのは上半身だけで、細っこい足がじたばたしているのが丸見えなのだ。

 おかしいったらなかった。

「なななな、なんで、いるの!?」

「旦那様に頼まれた。せっかくのハンナのご飯が冷めてしまうって」

「わ、わかったわ。すぐに起きて行くから、エディアルドは先に行ってて!」

「本当に? すぐに起きられるのか?」

「起きる! 起きるから!」

「そうか。じゃあ、食堂で待ってる」

 そんなやりとりを、毎朝、手を変え品を変え、どれくらい繰り返しただろう。

 無邪気な彼女の寝顔が、どんなに可愛らしく、愛しかったことか。気持ち良さそうなそれを目にするたびに、不思議と幸せで満たされた気分になった。

 それが、領主の就任と同時に、ぱたりとなくなった。どんなに夜が遅くても、起こしにいけば起きており、着替えて私の用意する茶を待っている。

 一晩にして、そのように変わらなければならなかった重圧は、どれほどのものだっただろう。けれど、彼女は見事にそれを乗り越えた。そして今では、昔の片鱗さえ見せない。

 本当に、我が主は又とない人なのだ。

 主は書類を紙挿みにしまって、それを胸に抱き締めて目をつぶった。呼吸にして五回分ほどだろうか。それから目を開け、私へとまっすぐに視線を向けてくる。

 挑むような、生気あるまなざしに、私の心臓がどきりと跳ねた。

「エディアルド」

 瞳がきらめいた。見たことのない表情で、彼女は微笑む。……そう、とても、挑戦的に。

「覚悟しなさい」

 私は戸惑って、すぐに返事ができなかった。

 なんのことだかわからなかった。いったい、何を覚悟しろというのか。

 彼女はそんな私を楽しむように眺めてから、まなざしを和らげた。

「この本の出版に、私の、いや、ライエルバッハの命運を賭ける」

「は」

 私は表情を引き締めて、短く返答した。それはまったくもって、覚悟を必要とする一大事だった。

 メディナリーの恋愛小説ごときを使って、命運を賭けるなど無謀すぎる。ここは諌めるべきだと理性は告げていたが、私はそうするつもりはなかった。

 なぜなら。

 主に迷いが見られなかったから。

 彼女はいつになく、凛としてそこに在った。確たる意思を持ち、私にはっきりと、その望みを示してみせたのだ。

 それを、私が拒むわけがない。

 主の望みを最大限叶えること、助け、支えること、それが私の役目であり、なによりも本懐だ。

「ロランに、挿絵画家のジェンを伴って……。やめた。やはり時間が惜しい。私が出向こう。エディアルド、朝食を食べたら、すぐに出かける用意を」

「かしこまりました」

 謹んで(めい)を承る。

 主の高揚が伝わってきて、私も緊張しつつも、胸が踊る感覚を味わった。

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