愛弟子
町はずれの何の看板も出ていない普通の家の戸口から、背の高い男が出てきた。俺はその姿に、思わず足を止めて目で追った。
広い肩に、無駄なく鍛えられた体。服装こそ、白いシャツに黒いズボン、黒い長靴と質素だったが、布の放つ光沢から、とても良いものを着ているのがわかる。
左には剣を佩き、右の腰から腿には不格好な武器らしきものを吊っていて、その右の武器に、もしかしてあれは、と思ったのだ。
エディアルド・ライエルバッハ。東の雄ハルシュタット家の出で、今はライエルバッハ公の伴侶にして第一騎士。
そして、当代一の騎士と謳われる男だ。
三年前の第二王子の謀反で、王太子以下三人の王子が殺された時、たまたま王宮に居合わせた彼が第五王子を守った話は有名だ。一人で五十人近い相手を斬り捨てたらしい。
最後には、国王騎士団と協力して第二王子を追い詰め、馬で逃走した王子を、右腰の銃で一発で打ち落としたという。
その一年後、ボワール王国に嫁いだ第一王女横死に端を発する全面戦争にも、王太子となった第五王子の参謀として随行し、多大な戦果をあげた。
そんなすさまじい経歴の持ち主だ、さぞかし厳めしく恐ろしい顔をしているに違いないと思うだろうが、彼は違うというもっぱらの評判だ。
色男なのだ。それも、若い頃の恋愛が二つの小説になって、人気を博するほどの。
そのうちの一つは、伴侶であるトリストテニヤ領主ライエルバッハ公との、ほのぼのとした甘い物語だが、もう一つは、亡くなった第一王女の報われぬ恋の物語となっている。
そこに付けられた挿絵ときたら、本当に、目の覚めるようないい男が描かれているのだ。
鋼色の銀髪に、宝石のような紫の瞳。狼のように孤高なまなざしに、男らしい顎と、意志の強そうな唇。それが、愛する少女を見つめる時は、男の俺でも腰砕けになりそうな、それは甘い表情となる。
あの挿絵が欲しいばかりに字の読めない者まで本を買い、売れに売れて、国内はもちろん、今では近隣諸国でも有名な本となっている。
おそらく、彼は世界で一番顔の売れている男だ。金貨に横顔を刻ませている、各国の王たちよりも。
……どうやら、あの挿絵は誇張ではなかったらしい。
俺は半ば口を開けて、目をしばたたいた。玄関横に繋がれた馬を見張っていた子供たちに、駄賃をやるために彼が向きを変えたおかげで、顔がよく見えたのだ。
挿絵の男よりも少しだけ歳をとった、けれどその分いい感じに苦み走った、精悍にして優美な容貌がそこにあった。
その男が子供たちを目にして穏やかに笑む。駄賃を一人一人の頭を撫でながら与えていた。
それから馬を戸口の前に連れてくると、一度建物の中へと戻っていった。そして、黒いだぼだぼの上着を肩にかけた──あれは本来彼の物なのだろう。だから彼はシャツだけだったのだ──女性を横抱きにして出てきた。
彼の胸元へと抱え込まれるようにしているから、顔はよく見えないが、赤みがかった見事な金髪の持ち主となれば、あれが最愛の伴侶、ライエルバッハ公なのだろう。
そうでなければ、ふとした拍子に目を見交わしあって、あんな、こっちが赤面して砂を吐いて裸足で逃げ出したくなるような甘い顔をするわけがない。
「うわー」
キスまではじめて、子供たちに囃されている。俺はなんとも言えない気分になって呟いた。
結婚して十年は経って、子供も三人いるはずなのに、なんだあの熱烈具合。
だけど、キスを終わらせて、大人の余裕で子供たちにニヤリとしてみせた表情に、がつんときた。
かっこいいっ。
妻を抱えて軽々と乗馬する体さばきと力強さは、まさに騎士の鑑、馬を進める前に大切そうに妻を抱えなおす姿は、あれぞ理想の夫と、とにかくその格好良さに痺れる。
「すっげー、本当に伯父さんの書いたとおりだ。騎士の中の騎士だ。銀月の騎士の再来だ!」
あの人に弟子入りできるなんて!
俺は期待に、ぶるると震えた。
「よーし、伯父さん家に行くぞーっ」
ライエルバッハ家お抱え小説家として活躍している伯父に、今の王太子も学んだここの有名な学び舎に紹介してもらえる予定だった。
俺は熱く猛る気持ちのままに走り出して、まわりが家々でなく、畑ばかりになっていくのに途中で気付いた。
「あーっ、また間違えたかっ。えーと、町はあっちか」
ぐるりと見回して、石造りの家々に向かって駆け出す。
手紙と地図では、乗合馬車を降りてから、伯父さんの家までそんなにかからないってなっていたけれど、まったくいっこうに、伯父さんの家に辿り着けなかった。お昼に町に着いたのに、もう太陽がだいぶ傾いてしまっている。
「おっかしいよなあ。ロラン伯父さん、地図描くの、へただよなあ」
俺は立ち止まって、ズボンのポケットからくしゃくしゃになった手紙を取り出して、もう一回眺めた。
町の入口の乗合馬車待合所から、まっすぐメインストリートを行って泉の前広場というところを過ぎたら、一つ目の角を斜めに左に入って三件目、となっているけれど、気付いたら町を通り過ぎていたんだよなあ。城に続く寂しい一本道に出てしまって、びっくりした。
それから来た道をまっすぐ戻ったつもりだったんだけど、泉の前広場にも乗合馬車待合所にも行き当らなくて、自分の居る位置が、ぜんぜんわからなくなってしまった。今も、この地図の外のどのへんに自分がいるのか、まったくわからない。
手紙をよくよく見ていたら、下の方に、『やみくもに走らないこと。道に迷ったら、すぐに、人に聞くこと。立ち止まって、よく考えること』と書いてあって、おや、と思う。こんなの見落としていた。
「よし、次に人に会ったら、道を聞こう」
俺は決めて、手紙をポケットにしまった。そうして、町に向かって、歩きはじめた。
彼は、アルフレッド・メディナリー。グリエールハンザ領主の次男、小説『銀月の騎士』や『金の少女と銀の騎士』の作者、ロラン・メディナリーの甥である。
後に、軍団を思いのままに動かす高い指揮能力を開花させ、味方からは王国の破城槌、敵からは猪アルフレッドと渾名されるようになる。
しかし一説には、彼はとんでもない方向音痴で、それ故に、戦場では常に迷子状態だったともいう。道を探して駆け抜けたあげく、なんだかいい具合に敵を撃破したとかしないとか。
なににしても、彼もまた、騎士の中の騎士と謳われたエディアルド・ライエルバッハの愛弟子の一人として挙げられる人物である。