終章
「エディアルド、ロランが贈り物を持ってきたぞ!」
白地に金と銀で刺繍を施した豪華で華美な上着を着、金針水晶のカフスを留めているところに、ノックもなく扉を開け放して、王子が駆け込んできた。
「ラインハルト様、やり直しです。ノックをして、返事を待ってから入室しなさい」
私は振り返って窘めた。王女の不始末の見返りとして、勉強見習いに連れてきた王子は、よく言えば天真爛漫、悪く言えば王子らしい傲慢さを持つ、落ち着きのない子供だった。
「次はやる。いいから早く来いよ! サリーナも、」
「人の妻を馴れ馴れしく呼び捨てにするのは、やめてもらいましょうか」
私はわあわあと騒がしい王子の言葉を、殺気をこめて途中でさえぎった。
その明るさで半日で城に馴染み、領内には三日で馴染んだ。誰とでもうちとけられるコミュニケーション能力の高さは買うが、だからといって無遠慮が許されるわけではない。
私の本気を嗅ぎ取ったらしい王子は、とたんに姿勢をただして、慇懃無礼なほど優雅な礼をしてみせた。どうやらその性格と王妃の生んだ末子であるせいで、そうとう甘やかされて育ったようだが、王子なだけあって最低限の躾は身についていて、こんな時には育ちの良さがさらりと出てくる。
「失礼した。領主殿が客間で師匠が来るのを待っている」
「わかりました、すぐに行きましょう」
私はカフスを留め終え、扉のところで今にも走っていきたそうにしている王子へと歩み寄った。
「ロランはサ、……領主殿に、お約束の品ですと言っていたぞ。なんか、宝石の象嵌された豪勢な箱に入っていた。あれは何なんだ? おまえ知っているか?」
約束の品?
「知りませんね」
多少イラッとしながら答えると、人の心に敏い王子はニヤリと笑って、肘で人の腕を突付いてきた。
「な、気になるだろ? すましてないで、早く行こうぜ」
そう言って身軽く走りだし、私もしかたなくその後を追うことになったのだった。
客間では、とうとうバトラー見習いになったトラヴィスの息子ルディウスが、お茶の仕度をしていた。
彼の勧誘は私がやった。サリーナの許しを得て、初代ジャスティンの竪琴を賭けてカードゲームをしたのだ。彼が勝ったら、竪琴を貸し出し、私が勝ったら、彼にバトラーになってもらうというものだ。一年契約なので、また来年の今頃に賭けをしなければならないが、もちろん負ける気はない。
ソファにはサリーナとロラン・メディナリーが向かいあって座っていて、盛んに談笑しているところだった。私が入っていくと、二人は話をやめてこちらを向き、特にサリーナは嬉しげに笑って私を呼んだ。
「エディアルド、ロランが結婚祝いを持ってきてくれたの」
「そうですか。ありがとうございます。約束の品と聞きましたが」
「そうなんだ。間に合ってよかったよ」
私がサリーナの隣に座ると、王子はメディナリーのソファの後ろにまわって、背もたれに手をついた。同席を許した覚えはないのに、居て当然といった態度である。ただ、席を勧められもしないのに座ったりしないのは、一応礼儀をわきまえているからなのだろう。彼は黙ったまま、好奇心いっぱいに前かがみになり、テーブルの上を覗き込んできた。
サリーナは、くすっと笑って小さな鍵を私に渡した。
「開けてみて?」
美しく装飾された宝石箱だった。上蓋の中央に剣を帯びた騎士の姿があり、よりそうようにして本を抱いた女性の姿がある。その女性が非常にサリーナに似ていて、これはもしかして私たちなのか、と思う。
私はさっそく、側面にある金で象嵌された竪琴の中央の鍵穴に差込み、右に半回転させた。かちりと手ごたえがあった。一度サリーナに目をやって、彼女が頷くのを確かめてから、蓋を開けた。
中に入っていたのは、薄いピンク色をした背表紙の本たちだった。
「これは」
「世界に一組だけの、完全版だよ。見てみてくれるかい?」
メディナリーに促され、私は一巻目を手に取った。サリーナにも見やすいよう、二人の膝の間に持ち、表紙をめくる。そこには、例の甘い表情の私のアップの姿絵があるはずだった。
ところが現れたのは、微妙な距離をあけて並んで立つ、幼いサリーナと私の姿だった。質素なドレスに、棒切れみたいな手足と薄い体、背も私の胸の半ばまでもなくて。……ああ、そうだった、こんな背格好だったと、懐かしく思う。
二人の表情も興味深かった。お互い気になるのに、まだあまり親しくなくて、それ以上近づけない、そんな様が透けて見える。
そうか、私たちはこんなふうに見えていたのかと、少し気恥ずかしく、しかし、愛しく大切に思った。
「中を見ていってくれたまえ」
そう言われて、ページをすすめた。そうして次に出てきた絵は。
私は驚いて手を止めた。少女の表情に目を奪われる。絵の中で、恥ずかしげにはにかんだサリーナが、私に本を手渡していた。
「よく描けていると思わないかい? ジェンは本物の天才だ」
「ああ、そうだな」
そのとおりだった。これは確かに十三、四の頃のサリーナそのものだった。
私は最後まで挿絵を見てから一巻をサリーナに渡し、二巻目を手に取った。そこには、もう少し成長して、楽しげに私と肩を並べて屈託無く笑う彼女の姿があって。
「うわ、出た、師匠の激甘にやけ顔!」
ラインハルト王子の、思わずといったように口から飛び出した独り言に、過去に没入しそうになっていた私は、我に返って不機嫌に顔を上げた。
「あ、元に戻った」
「静かにできないなら、出て行きなさい」
「静かにすると誓う。貝のように口を噤んでいよう」
左手を胸にあて、二度叩いて、誠心誠意誓う仕草をした。ずいぶん軽い誠意である。
それを見て、メディナリーが声をあげて笑った。
「さすがのエディアルドも、ラインハルト様には手を焼いているようだね」
「手を焼くようなことはしていない。殿下はまっすぐで明るい、良い才気をお持ちだ。私はただ、殿下が学ぶ手伝いをしているだけだ」
メディナリーの後ろで、王子が驚いた顔をした。次いで、はい、はい、と意見を述べたそうに手を挙げる。しかたなく私は、なんですかラインハルト様、と話しかけた。
「エディアルドは本当に、私に良い才気があると思っているのか!?」
「はい」
頷けば、光がはじけるように王子は笑った。
「そうか! 私は、兄たちではなく、おまえの言うことを信じる! おまえは生真面目で頑固でいかんともしがたい奴だが、信頼できる。私はこれから、この才気を磨くべく、真剣に学ぶぞ!」
「そうですか。良い心掛けです。ぜひ、そうなさってください。私も、できる限りの助力をお約束します」
「うん。頼む。実はここに来て、学び、自分を磨くというのは、楽しいことだと思っていたんだ。サリー、じゃなくて、ライエルバッハ公、この地に招いてくれて、とても感謝している」
「殿下のお力になれるのなら、嬉しいかぎりですわ」
サリーナは慈愛のこもった微笑を浮かべた。
ちょうどそこに、ノックの音が響いた。返事をすれば、トラヴィスが現れた。
「馬車の用意が整いました。辺境伯様と騎士様たちも外でお待ちです」
今日は花祭りの日で、これから幌を取り払った馬車に乗って、騎士の一団を従え、泉の広場に登場予定だ。
そんなわけで、サリーナと私は、白を基調にした花嫁花婿の揃いの衣装を着ている。派手で目立つことは好みではないが、ライエルバッハの心意気とやらだ、果たさねばなるまい。なにより、お祭り好きな領民たちが、楽しみにして待っている。
ロランがさっと立ち上がって、深々と優雅に、芝居がかって礼をした。
「領民を代表して、僭越ながら、私、ロラン・メディナリーが口上を述べさせていただきます。……ご結婚おめでとうございます。心よりお祝い申しあげます。こちらはご結婚祝いにと、皆が少しずつ資金や技術を持ち寄って作りました、心尽くしの品でございます。どうかお納めくださいませ。……いやあ、細工師のじいさんどもが、凝りに凝って、今朝方まで手を加えていたのだよ。本当に間に合ってよかったよ。やきもきしてねえ、って、急いでいたんだったね。失礼。えー。お二方の末永いお幸せを、領民一同、心よりお祈り申しあげます。我らが慈悲深く英明なる御領主様方に、神々の祝福のあらんことを」
「まあ」
口元を押さえて、喜びと驚きに目を潤ませたサリーナの横で、私は軽口をたたいた。
「どおりで、金のない君にしては、豪勢な贈り物だと思った」
「酷いな。金のないは、よけいだよ」
「冗談だ。とても嬉しいよ。ありがとう」
私は立ち上がってメディナリーに手を差し出した。彼としっかりと力強い握手を交わす。言葉では尽くせない感謝が、伝わるようにと。
それから私は、サリーナに向き直って手をさしのべた。最早、バトラーとしてではない。いつでもこの人の傍近くにある第一の騎士として、また、生涯を共にする夫として。
そして、とりあえずは、花祭りの先陣を切る出し物の主役として。
「では、参りましょうか、我が御領主様」
彼女は知性に瞳を煌かせながら、羽根のように軽く手をのせてきた。深い愛情をたたえて見上げるまなざしと目をあわせたまま、その指先にキスをする。
サリーナがひときわ艶やかに微笑んで、ふわりと立ち上がった。その体が、甘い匂いをたててよりそってくる。
「あなたが連れていってくれるところなら、どこへでも、喜んで。私の騎士様」
私たちは腕を組んで、領民たちの待つ広場に向かうために、歩みだした。
了