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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第一章 幽霊城の一日 
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 一歩一歩階段を登っていく。

 実は『首吊るしの塔』は、城壁上に設けられたただの壁だ。階段は城壁に沿ってつづら折に幅の広いしっかりしたものが付いており、月光に照らされたそれは、城内の階段よりはるかに安全に使用することができた。

 ここに来るまでもそうだったが、主の足運びに注意を向けるのは、彼女の心の動きも覗き見るようで、心が騒ぐ。

 いや、もちろん、何を考えているかなど、私にはわからない。

 しかし、私はここに来る前の騎士団で、人の動きを読む訓練を施されてきた。銃で狙うにしても、剣で相対するにしても、相手が次にどう動くかわからなければ、的をはずすし、斬りつけるのも難しいからだ。

 そうして身に付いた技能は、今では息をするのと同じで、最早使わないということができない。

 だから私は、主の歩く速度に、ただ合わせているだけではないのだ。彼女の視線から意識の向いている方向を察し、ちょっとした体の動きや呼吸の変化から次の行動を予測する。

 そこから、主が何かに心悩ませて気もそぞろなこと、緊張していること、けれど時々、庭の美しい光景に心奪われ、少し気分が浮上してきているらしいことなどが、うかがい知れた。

 我が主は、ある意味無防備だ。私にも、その程度のことが察せられてしまうほどに。

 彼女は領主になってから、若輩であるのを補うために、女性らしい言葉遣いをやめた。娘らしい無駄話に興じることもなくなり、いつでも毅然としたふうを装っている。

 でも、それに反して、その仕草は優しく、まなざしは柔らかく、すべてにおいて細やかで女性らしい配慮が表れている。

 その落差を感じるたびに、そう、昔と何も変わっていない内面を見つけるたびに、私は胸をかきむしられるような感覚を煽られる。

 領主になる前の、前御領主が元気でおられた頃の、彼女に戻してやりたい気がして。

 ふいに主のリズミカルな足取りが乱れた。緊張が過ぎたのか、靴先を段の角にぶつけ、少しつんのめったのだ。私の腕を掴む手に、力が込められた。

 その感触に、いっそ抱き上げて連れていきたい衝動に駆られた。五年前、怖がって私の首にかじりつく彼女を抱えて、ここを登ったように。

 だが、そのまま何事もなかったように、二人で並んで登り続けた。

 彼女は主として、私に弱さを見せるのを厭う。自分の足で立ち、歩いていこうと足掻いている。それを、私の勝手な感傷で貶めるのは許されない。

 私にできるのは、すべきなのは、そんな彼女を支えること。

 だから、私は何度でも繰り返し肝に銘じる。

 私は彼女の、いや、栄えあるライエルバッハ家の、バトラーなのだと。


 ゆるやかな勾配の階段は、とにかく段数が多くて辟易する。私にとってはたいしたものではないが、主は少々息をきらしていた。

 それでも、最後の数段、城壁の外の景色が見えてからは、足早に登りきった。

 私たちは『首吊るしの塔』の横で、声もなくたたずんだ。眼前には、見事な景色が広がっていた。

 空には煌々と輝く大きな月。それに照らされ、地面は豊かな起伏を見せる。色よりは陰影が勝り、思いがけないようなものが浮き上がって見えていた。

 近くの木の葉の一枚一枚、森を成す木の一本一本、月光を反射してきらめく川、城下町の家々の屋根瓦、小さく見える王城の篝火に映しだされたテラスの梁。

 それらすべてが、大地に(いだ)かれ、穏やかにまどろんでいる。

 初めてここに来た時も、彼女はこれを見て、怖さを忘れたのだ。この美しく穏やかな地上のどこに、恐ろしいものがいるのかと。

 恨みをつのらせた幽霊など、どこにもいなかった。

 そもそもいるわけがないのだ。

 初代城主、ジャスティン・ライエルバッハが命じたのは、『捕虜の鎧を剥いで、麦藁の人形に着せ、間に鶏肉を挟んだ物を吊るせ』だったのだから。

 そんなものでも、あんなに遠い王城からでは、毎日一人ずつ犠牲者が増えていくように見えただろう。なにしろ、死肉を狙って鳥がたかる演出までされていたのだ。

 当時、王城を支配していた男は、弑逆の徒であった。故に、臣下まで見捨てる男だと思われるわけにはいかず、ここに吊るされる者を救うために、難攻不落と言われる王城から出て来ざるをえなかった。

 ジャスティンは、進軍経路に罠を張り、見事、男を捕らえた。そうして男は、正統を名乗る王弟によって首を斬られ、内乱は終わった。

 その功により、一介の吟遊詩人だったジャスティンは、ライエルバッハの名と、この城を含む領地を与えられたのだという。

 それ以来、『ライエルバッハ』は知恵者の名として知れ渡り、『触らぬライエルバッハに祟りなし』とまで言われてきた。

 そのおかげで、私は命拾いしたのだ。たかが十八歳の小僧一人を殺すために、ライエルバッハを敵に回そうと思う者はいない。

 あのまま命を落としていたら、私は死ぬに死ねなかっただろう。本当に、拾ってくれた前御領主には、言い尽くせぬほどの恩義を感じている。

「エディアルド」

 主に呼ばれ、はい、と答えた。主は遠くを見たままだった。

 私は主の視線の先を追ったが、何を見ているのかは、さすがに判別できなかった。どのような用件だろうかと主に視線を戻せば、やはりこちらを見もせずに、主は言った。

「あそこに、帰りたいのではないか?」

 この景色の中にあるもので、『帰る』と言われうる場所は、王城しかない。私の故郷は、とてもここからは見えない場所であるから。

 私は十歳から十八歳まで王都にいた。気の合う仲間もいた。信頼のおける上役もいた。王や国を守るため、命を捨てる気にさえなっていた。

 だが、今となっては、そのどれもがどうでもよかった。

 なによりあそこには、奴がいる。そんな場所には、一歩たりとも近付きたくなかった。

 私はあの時のこと(・・・・・・)を思い出しかけ、硬い声で主に返答した。

「いいえ」

「でも、エディアルドは将来を嘱望された騎士だったと聞いた。王女の近衛に推挙されていたと」

 確かにそんな話はあったようだ。しかし、私に打診される前に、話はなくなった。私が直属の上司を殴ったからだ。

「昔のことです。未練はありません」

 ここへ来るためだったのだと考えれば、あれさえ唾棄すべきものだったとばかりは、言えないのかもしれない。

 ……いや、やっぱり、我慢できない。

 私はとうとういろいろと思い出し、鳥肌をたてて体を硬くした。今になってもこんな反応をする自分に腹が立つ。屈辱感に、自然と歯を食いしばった。

 そんな様子が、組んだ腕から伝わってしまったのだろう。主は私に顔を向けた。

「あそこで、何が」

「申し訳ありません。お話できません」

 私は無礼と知りつつ、先回りして主の言葉を断ち切った。

 特にこの人には、絶対に知られたくなかった。

 私があれを話したのは一度きり。前御領主にだけだ。

 きっと奴も、誰にも話していないだろう。後ろめたい奴が、誰かに話せるわけがないのだ。

 主は傷ついた顔をして、忙しなく目をそらした。私は慌てて、もう一度謝った。

私事(わたくしごと)でお心を煩わせ、申し訳ありません。若気の至りでしでかしたことです。お心に留めていただくようなものではないのです。どうぞお捨て置きください」

 主は眼下を眺めながら、小さく頷いた。そして、身を震わす。

 少し冷えてきたかもしれない。

「戻りましょうか」

 そう声をかける。

 また頷いた主は、階段の方へと体の向きを変えた。

 私たちは、城へと帰った。道中ずっと、沈黙の内だった。

 気まずいままに、部屋まで送り届けたのだが、主は最後に微笑んで、おやすみ、と言ってくれた。私も、おやすみなさいませ、と返す。

 こんなはずではなかった。気を晴らしてあげたいと思ったのに。

 目の前で閉められた扉に、私は後悔の念が湧いてしかたなかった。

  

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