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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第七章 真実は小説よりも奇なり
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13

 私はベッドの傍らで、サリーナが起きるのを悶々と待った。正午もたっぷり過ぎた頃、ようやく彼女は睫毛を震わせて目を開けてくれた。

「ん……、エディアルド?」

 横になったまま、眠そうな視線をこちらにくれる。ところが私に焦点が合ったと感じたところで、ふ、と一瞬、サリーナの表情がかたくなった。次いで、すい、と視線がそらされていく。眠る前から何回かあった行動だ。おそらく、王女に付けられた顔の傷を見たくないのだろう。

 そうして彼女は気だるげに起きあがりながら、あてなく視線を彷徨わせた。そのうち、サイドテーブルの上にあるものを見つけ、ぴたりと動きを止めた。

 そこに置いておいたのは、『金の少女と銀の騎士』と『紫の瞳』。理由を聞くのに必要だろうと持ってきておいたのだ。彼女はそれを見た途端眉をひそめて、今度は顔ごとぷいーっと、反対側を向いてしまった。

「謝らないから」

 取り付く島もない、いきなりな反応に面食らう。

 しかし、突っぱねた物言いで謝らないと言い放つ、それがもう(やま)しさを現している気がするのだが、どうなのだろうか。つーんとした口元も、いかにも意地を張っているという感じだ。

 その態度に、こんな時だというのに、なんとも場違いな情動がわきあがった。……ありていに言えば、彼女を抱く時と同じもの。小生意気な口元が可愛く見え、突っ張った様子が面白く、彼女の虚勢を引き剥がして、その下の顔を無性に見てみたくなる。

 男のどうしようもない本能とでもいうほかないものだろう。背を見せるものは追いたくなる。大切に守って愛しんで喜ばせたいと心の底から想う者が相手なら、なおさら。捕まえて、追いつめて(あば)いて泣かせてすがらせて、その爪先、髪の一筋から心の一片まで、自分のものだと、支配したくなる。

 もちろん、そんなことは昼間はしない。夜の大半も。私はこのままのサリーナを愛している。けっして、すべてを支配してしまいたいわけではないのだ。ただ、寝入るまでの短いひとときだけは、この人が確かに私のものだと、心でも体でも満足するまで確認したいだけだった。

 だから今は、そんな劣情はおくびにも出さず、理性的に言い返した。

「謝ってほしいわけではありません。なぜこんなものを出版したのか、理由を聞きたいのです」

 彼女はわずかに身動ぎして、目だけをこちらに向けた。視線が合った瞬間、彼女の顎に、ぐ、と力が入る。それから彼女はまた目をそらして、高慢に顎もそむけると、ことさら強い口調で言いきった。

「エディアルドが悪いんだもの」

 そうきたか、と思う。面白いことを言う。俄然楽しくなってきて、ますます追いつめたくなる。私はよくよく彼女を観察しながら、質問を投げかけた。

「私の何が悪いと?」

「だって」

「だって?」

 たたみかけるように復唱すれば、彼女は肩をこわばらせ、指の下の掛け布団を握りこんだ。

「嘘つきだから。読んでは駄目って言ったのに、読んだのね?」

「読んでいません。見て、あらすじを説明してもらいましたが。見てはいけないと言われた覚えはありませんが?」

 彼女の握った掛け布団がしわくちゃになった。彼女は力をためるかのように少し屈んで、布団の上に視線を落とした。そうして激しい口調で言いつのる。

「でも、どこかへ行ってしまうつもりだったくせに! 傍にいるって、ずっといるって言ったのに!」

「あなたが結婚したらそうするつもりでした。私がしたのは、あなたを一人にはしないという約束だったはずです」

「だからよ!」

 彼女は、どこか泣きそうに、キッと私を睨みつけてきた。

「あなたがどこにも行けないようにやったの! これを読んだら、誰だって私たちのことだって思うわ。架空の物語でもね。誤解するように、わざと設定も主人公たちの名前も似通わせたの。そうすれば、誰もが、あなたが私に命を捧げているって、たとえ離れていても、あなたの心は他の誰のものにもなりはしないって、思わせられるから!」

「……それで、姿絵付きだったんですね。この顔の男は、あなたのものだと?」

「そうよ! 誰にも渡したくなかったんだもの!」

 サリーナは自棄になったように叫んだ。強気にふるまっているが、恐れを隠しているからなのが、よくわかる。

 ……恐れることなんか、何もないのに。そんなふうに疑われる方が不本意だ。

 確かに、あんなものを国中にばら撒かれるのは、正直嬉しくない。できたら勘弁してもらいたい。だが、これほど想う相手から執心されて、嬉しくないわけがない。

 精一杯に虚勢を張る様子がたまらなくて、私はとうとう堪えられなくなって、くすりと笑った。

「何で笑うの!」

 怒りだした彼女へと身をのりだし、もっとわめきだす前に肩を引き寄せて抱きしめる。

「もう、どこにも行ったりしませんよ。一生あなたの傍にいます」

 そう囁けば、彼女の体から力が抜けていき、ふにゃりと力を失った。私はしっかりとベッドの上に腰をおろし、彼女を膝の上に抱き上げた。金色の頭に頬をよせ、その肌触りを楽しみつつ思う。

 この小さな頭の中で、この人は私を捕まえようと、必死に悪巧みをしていたのだな、と。

 うまくいったからよかったようなものの、そうでなかったら国中の笑い者になっていただろう。なりふりかまわないとはこのことだ。本当に、この人は私が欲しくてたまらなかったのだろう。

 彼女の気持ちに煽られて、体中の血がざわめいてしかたなかった。……この人への劣情が抑えられなくなるほどに。

 私はしっかりと彼女を羽交い締めにして、欲望のままに、こめかみから耳、次いでうなじへと唇でたどった。

「あ、……んん、エディアルド」

 サリーナが吐息をこぼし、抱く腕に手をからめ、しがみついてくる。

「あなたに命を捧げていますよ。この心もあなたのもので、他の誰のものにもなりはしない。……そうでしょう?」

 あなたも知っているはずだと、問いかける。二度と疑ってくれるなとの懇願でもある。

「う……、ん、そう、そうよ……」

 心の中から自然にあふれてこぼれ落ちたような返事にも、私の思うままに翻弄されて体をまかせきっている彼女にも、強烈な満足感を覚える。それにもっと溺れたくて囁く。

「私はあなたのものだ」

「ええ。エディアルド……」

 返った甘い呼び声に、心臓が震えた。鼓動が早鐘を打ち、胸が痛い。

 彼女が愛しすぎて、泣きたいような気持ちになった。

 心も体も、こんなふうに囚われてしまうのは、この人だけ。この人だけしかありえないのに。

 私は彼女の手に手を重ねて持ち上げた。それを、頬へと持っていく。細い指を、理不尽に付けられた傷の上に導く。

 触れたものが何であるのか気付いた彼女の体が、びくりと揺れて、瞬時に蕩けるような甘さがかき消えた。

「でも、この傷は、一生消えない」

 彼女も知っていることを改めて言えば、彼女の体が強張る。私は手を離して、彼女の体を抱き変えた。後ろから抱きしめていたのを横抱きにし、かたくなにうつむいている頬に手を添え、こちらを見てくれるようにうながす。上目遣いに、拗ねたような、悔しそうな、泣きそうな、複雑なまなざしが現れる。

 彼女もまた、この傷を見るたびに、あんな女のことを思い出すのだろう。覚えている価値もないもののために、心を煩わせ、私から目をそらす。

 そんなことを、一生許し続けるのか。……できない。冗談ではない。許しておけるものか。

「私は、あんな女に付けられた跡を、一生付けて生きるのは御免だ。お願いだ。あなたが新しい傷を付けてくれないか、この上から」

 サリーナの表情から険が消え、小首を傾げ、頬へと視線を移した。

「これを? ……どうやって?」

「爪でひっかいてくれてもいいし、」

 私はもう一度彼女の手を取り、小さな薄い爪を指先で弾いた。でもすぐに離して手を上げ、顎を捉えて、親指で唇をすうっと撫でる。すると、応えて唇が少し開かれる。私はそこに指を入れ、白い歯を軽くこすった。

「歯で噛んでくれてもいい」

「でも、きっと痛いわ」

 気遣わしげに、のぼってきた彼女の指が、そっと傷を辿った。一つ、二つ、三つ。左の上から右の下へと。どれもひりひりとする。ねえ、痛いでしょ、とばかりに、彼女が私の瞳をのぞきこんだ。それに、自然と微笑みがうかぶ。

「あなたに刻んでほしい」

 サリーナが目を丸くした。それがすぐに、とろりとした笑みに変わった。

 彼女はもう片方の手も上げて、私の顔を両手で包んだ。顔を近づけてきて、……ざらりと傷を舐め上げる。まるで味見するかのように。

「いいの?」

「ああ。あなたがいいんだ」

 彼女が喉の奥で溜息のように笑うのが聞こえた。切なさを宿したまなざしが伏せられ、首元に額を押し付けてくる。

「あなたが好きなの。気が狂いそうに好きなの」

「ああ。私もだ。サリーナ」

 私は彼女の腰を持ち上げて、向かい合うように膝を跨らせて抱き直した。短い下着の下から現れたふくらはぎを撫でると、彼女はくすぐったそうに笑って、両腕を首にからめてきた。

 吐息のかかる距離で目を見交わし、お互いの意志を確認する。

 それから彼女は私の頬に一つキスをすると、舌で丹念に傷を探しだしたのだった。

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