13
私はベッドの傍らで、サリーナが起きるのを悶々と待った。正午もたっぷり過ぎた頃、ようやく彼女は睫毛を震わせて目を開けてくれた。
「ん……、エディアルド?」
横になったまま、眠そうな視線をこちらにくれる。ところが私に焦点が合ったと感じたところで、ふ、と一瞬、サリーナの表情がかたくなった。次いで、すい、と視線がそらされていく。眠る前から何回かあった行動だ。おそらく、王女に付けられた顔の傷を見たくないのだろう。
そうして彼女は気だるげに起きあがりながら、あてなく視線を彷徨わせた。そのうち、サイドテーブルの上にあるものを見つけ、ぴたりと動きを止めた。
そこに置いておいたのは、『金の少女と銀の騎士』と『紫の瞳』。理由を聞くのに必要だろうと持ってきておいたのだ。彼女はそれを見た途端眉をひそめて、今度は顔ごとぷいーっと、反対側を向いてしまった。
「謝らないから」
取り付く島もない、いきなりな反応に面食らう。
しかし、突っぱねた物言いで謝らないと言い放つ、それがもう疚しさを現している気がするのだが、どうなのだろうか。つーんとした口元も、いかにも意地を張っているという感じだ。
その態度に、こんな時だというのに、なんとも場違いな情動がわきあがった。……ありていに言えば、彼女を抱く時と同じもの。小生意気な口元が可愛く見え、突っ張った様子が面白く、彼女の虚勢を引き剥がして、その下の顔を無性に見てみたくなる。
男のどうしようもない本能とでもいうほかないものだろう。背を見せるものは追いたくなる。大切に守って愛しんで喜ばせたいと心の底から想う者が相手なら、なおさら。捕まえて、追いつめて暴いて泣かせてすがらせて、その爪先、髪の一筋から心の一片まで、自分のものだと、支配したくなる。
もちろん、そんなことは昼間はしない。夜の大半も。私はこのままのサリーナを愛している。けっして、すべてを支配してしまいたいわけではないのだ。ただ、寝入るまでの短いひとときだけは、この人が確かに私のものだと、心でも体でも満足するまで確認したいだけだった。
だから今は、そんな劣情はおくびにも出さず、理性的に言い返した。
「謝ってほしいわけではありません。なぜこんなものを出版したのか、理由を聞きたいのです」
彼女はわずかに身動ぎして、目だけをこちらに向けた。視線が合った瞬間、彼女の顎に、ぐ、と力が入る。それから彼女はまた目をそらして、高慢に顎もそむけると、ことさら強い口調で言いきった。
「エディアルドが悪いんだもの」
そうきたか、と思う。面白いことを言う。俄然楽しくなってきて、ますます追いつめたくなる。私はよくよく彼女を観察しながら、質問を投げかけた。
「私の何が悪いと?」
「だって」
「だって?」
たたみかけるように復唱すれば、彼女は肩をこわばらせ、指の下の掛け布団を握りこんだ。
「嘘つきだから。読んでは駄目って言ったのに、読んだのね?」
「読んでいません。見て、あらすじを説明してもらいましたが。見てはいけないと言われた覚えはありませんが?」
彼女の握った掛け布団がしわくちゃになった。彼女は力をためるかのように少し屈んで、布団の上に視線を落とした。そうして激しい口調で言いつのる。
「でも、どこかへ行ってしまうつもりだったくせに! 傍にいるって、ずっといるって言ったのに!」
「あなたが結婚したらそうするつもりでした。私がしたのは、あなたを一人にはしないという約束だったはずです」
「だからよ!」
彼女は、どこか泣きそうに、キッと私を睨みつけてきた。
「あなたがどこにも行けないようにやったの! これを読んだら、誰だって私たちのことだって思うわ。架空の物語でもね。誤解するように、わざと設定も主人公たちの名前も似通わせたの。そうすれば、誰もが、あなたが私に命を捧げているって、たとえ離れていても、あなたの心は他の誰のものにもなりはしないって、思わせられるから!」
「……それで、姿絵付きだったんですね。この顔の男は、あなたのものだと?」
「そうよ! 誰にも渡したくなかったんだもの!」
サリーナは自棄になったように叫んだ。強気にふるまっているが、恐れを隠しているからなのが、よくわかる。
……恐れることなんか、何もないのに。そんなふうに疑われる方が不本意だ。
確かに、あんなものを国中にばら撒かれるのは、正直嬉しくない。できたら勘弁してもらいたい。だが、これほど想う相手から執心されて、嬉しくないわけがない。
精一杯に虚勢を張る様子がたまらなくて、私はとうとう堪えられなくなって、くすりと笑った。
「何で笑うの!」
怒りだした彼女へと身をのりだし、もっとわめきだす前に肩を引き寄せて抱きしめる。
「もう、どこにも行ったりしませんよ。一生あなたの傍にいます」
そう囁けば、彼女の体から力が抜けていき、ふにゃりと力を失った。私はしっかりとベッドの上に腰をおろし、彼女を膝の上に抱き上げた。金色の頭に頬をよせ、その肌触りを楽しみつつ思う。
この小さな頭の中で、この人は私を捕まえようと、必死に悪巧みをしていたのだな、と。
うまくいったからよかったようなものの、そうでなかったら国中の笑い者になっていただろう。なりふりかまわないとはこのことだ。本当に、この人は私が欲しくてたまらなかったのだろう。
彼女の気持ちに煽られて、体中の血がざわめいてしかたなかった。……この人への劣情が抑えられなくなるほどに。
私はしっかりと彼女を羽交い締めにして、欲望のままに、こめかみから耳、次いでうなじへと唇でたどった。
「あ、……んん、エディアルド」
サリーナが吐息をこぼし、抱く腕に手をからめ、しがみついてくる。
「あなたに命を捧げていますよ。この心もあなたのもので、他の誰のものにもなりはしない。……そうでしょう?」
あなたも知っているはずだと、問いかける。二度と疑ってくれるなとの懇願でもある。
「う……、ん、そう、そうよ……」
心の中から自然にあふれてこぼれ落ちたような返事にも、私の思うままに翻弄されて体をまかせきっている彼女にも、強烈な満足感を覚える。それにもっと溺れたくて囁く。
「私はあなたのものだ」
「ええ。エディアルド……」
返った甘い呼び声に、心臓が震えた。鼓動が早鐘を打ち、胸が痛い。
彼女が愛しすぎて、泣きたいような気持ちになった。
心も体も、こんなふうに囚われてしまうのは、この人だけ。この人だけしかありえないのに。
私は彼女の手に手を重ねて持ち上げた。それを、頬へと持っていく。細い指を、理不尽に付けられた傷の上に導く。
触れたものが何であるのか気付いた彼女の体が、びくりと揺れて、瞬時に蕩けるような甘さがかき消えた。
「でも、この傷は、一生消えない」
彼女も知っていることを改めて言えば、彼女の体が強張る。私は手を離して、彼女の体を抱き変えた。後ろから抱きしめていたのを横抱きにし、かたくなにうつむいている頬に手を添え、こちらを見てくれるようにうながす。上目遣いに、拗ねたような、悔しそうな、泣きそうな、複雑なまなざしが現れる。
彼女もまた、この傷を見るたびに、あんな女のことを思い出すのだろう。覚えている価値もないもののために、心を煩わせ、私から目をそらす。
そんなことを、一生許し続けるのか。……できない。冗談ではない。許しておけるものか。
「私は、あんな女に付けられた跡を、一生付けて生きるのは御免だ。お願いだ。あなたが新しい傷を付けてくれないか、この上から」
サリーナの表情から険が消え、小首を傾げ、頬へと視線を移した。
「これを? ……どうやって?」
「爪でひっかいてくれてもいいし、」
私はもう一度彼女の手を取り、小さな薄い爪を指先で弾いた。でもすぐに離して手を上げ、顎を捉えて、親指で唇をすうっと撫でる。すると、応えて唇が少し開かれる。私はそこに指を入れ、白い歯を軽くこすった。
「歯で噛んでくれてもいい」
「でも、きっと痛いわ」
気遣わしげに、のぼってきた彼女の指が、そっと傷を辿った。一つ、二つ、三つ。左の上から右の下へと。どれもひりひりとする。ねえ、痛いでしょ、とばかりに、彼女が私の瞳をのぞきこんだ。それに、自然と微笑みがうかぶ。
「あなたに刻んでほしい」
サリーナが目を丸くした。それがすぐに、とろりとした笑みに変わった。
彼女はもう片方の手も上げて、私の顔を両手で包んだ。顔を近づけてきて、……ざらりと傷を舐め上げる。まるで味見するかのように。
「いいの?」
「ああ。あなたがいいんだ」
彼女が喉の奥で溜息のように笑うのが聞こえた。切なさを宿したまなざしが伏せられ、首元に額を押し付けてくる。
「あなたが好きなの。気が狂いそうに好きなの」
「ああ。私もだ。サリーナ」
私は彼女の腰を持ち上げて、向かい合うように膝を跨らせて抱き直した。短い下着の下から現れたふくらはぎを撫でると、彼女はくすぐったそうに笑って、両腕を首にからめてきた。
吐息のかかる距離で目を見交わし、お互いの意志を確認する。
それから彼女は私の頬に一つキスをすると、舌で丹念に傷を探しだしたのだった。