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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第七章 真実は小説よりも奇なり
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 サリーナは起きる気配もなく、よく眠っていた。それに安心して居間に戻った。

 ソファではラスティが不満一杯のまなざしで、こめかみをさすっていた。

「おまえさあ、実力行使に出る前に、一言言えよ。騎士団では当たり前の行動だが、世間じゃ通らないぞ」

「そんなのはわかっている。一般人相手に手荒なまねはしない」

 騎士団では、ヘマをすれば言葉より先に拳が飛んできた。説明はない。理屈をこねている間に命を落としかねないからだ。瞬時に状況を認識し、反射的に的確な判断を下す、あるいは即座に命令に従う、そういった訓練がされてきた。

「これからは私ではなく、まずライエルバッハ公の安全が第一という考えを、身に着けてもらわないと困る。トリストテニヤの第一の騎士の、従騎士だというのならば、な」

 というのは、一応本気で言ってはいるが、今回に限り半分は建前だ。たんにサリーナの眠りが脅かされて、腹立たしかったからやったというのが真相に近い。彼女の体には休息が必要なのだ。大事な体なのに、迂闊にこれ以上無理をさせて、体調でも崩したらどうしてくれる。

 ラスティは胡乱な目で私を見た。どうやら私の考えは見抜かれているようだった。

「適当なこと言いやがって。そんなに奥方が大切かよ」

「ああ」

 頷けば、彼は嫌そうに眉を顰めて、やってられないとばかりに背もたれに寄りかかった。そして、ぼやく。

「なあにが、銀月の騎士なんだか。領主の娘と結婚はするわ、奥方を置いて世界中を放浪する気もないわ。この裏切り者め」

「おまえもどうせ、しばらくは王都から動けないだろう」

 シダネルは大きな商会だ。それを取り仕切るとなれば、片手間にできる仕事ではない。ラスティのことだから、恩返しと言ったからには義理堅く尽すだろう。そんな状態で、世界中を武者修行してまわるなど、夢のまた夢だ。

 私だけがどうこうという話ではない。いつまでも、子供の頃の夢を見たままではいられないというだけのことだった。

 私は、強さを求めるよりも、守りたいものができた。ラスティは必要とされ、夢より先に、するべきことができた。それを、私は喜ばしい変化であり成長だと思う。

「おまえは、祝ってはくれないのか?」

 面白くなさそうに半ば睨んでいるラスティに尋ねる。彼は眉間に皺を寄せて、鼻から深い息をついた。口を開きかけて閉じ、さっきよりまだ深くて長い息をつく。それからおもむろに口を開いた。

「おまえなんか、一生女公の尻に敷かれていろ」

 祝いには程遠い悪態だった。だが内容は、一生尻に敷かれていろ、つまりは、末永くお幸せに、ということなのだろうから、可笑しい。

 私は腹筋が震えだすにまかせて、声を抑えて笑った。まったく素直じゃないが、ラスティの気持ちもわかる気がした。私も彼に惚気られたら、おめでとうと言うより、まずは一発脳天に拳を落としたくなるにちがいない。

 とうとうラスティはそっぽを向いて、「あーあ、つきあってられねー」と呟いた。


 突然ノックの音が響き、私たちは目を見合わせた。どちらも心当たりがないのを確認して、ラスティが席を立って扉へと行く。

「御領主様」

 彼が訪問者へとかけた呼び名に、私もすぐに立ち上がった。

「父上、何かあったのですか」

 姿を現した父に、性急に尋ねる。すると父は苦笑した。

「いいや、何もない。おまえの顔を見にきただけだ。取り込み中だったか」

「いいえ。ラスティと二人で退屈していたところです。どうぞこちらへ」

 父はくすりと笑い、ラスティは父の後ろで顔を顰めた。上座を父にすすめ、私はラスティと並んで向かいに座った。

「母上はどうされましたか」

「眠った。サリーナ様もそうだが、イーリアも身を絞らんばかりに心配していたのだ」

「申し訳なく思っています」

「うむ。気にやむな。おまえのせいばかりではない。しかたないことだったのだからな。……それに、この一連の出来事は、私のせいでもある気がしてな」

「父上の?」

 父が裏で何かやっていたというのだろうか。

 父はわずかに表情を崩し、どこか情けない雰囲気を醸しだした。

「……外に出たハルシュタットが、ここ二代、血筋を残すことなく死んでいるのを、おまえも知っているな?」

「はい、知っています。だから、何よりも血を残すことを優先しろと、ルドワイヤを出るときに仰いました」

 そのために、騎士団を首になって応えられそうもなくなった時、もう二度と故郷の者に顔向けできないと思ったのだ。

「実は、正確に言えば、この二代だけではないのだ。ハルシュタットの者は、外に出るとなかなか伴侶を得られないのだ。それがなぜかわかるか?」

 深く考えたことはなかったが、叔父と大叔父は、どちらも若いうちに戦で亡くなったと聞いている。

「武の探求に邁進したせい、でしょうか」

 思いつくものを口にしてみた。が、父は横に首を振った。

「まあ、結果的にはそういう状況になったが、根本的には違う。もてないのだ」

 もてない?

 何を持っていなかったのだろうと考え、はたと思いつく。

「まさか、女性に、ということですか?」

「そうだ。ルドワイヤでは珍しくもないこの顔も、他の地では、盗賊か殺人鬼と間違えられる」

 父は自分の顎をさすった。

 私も久しぶりに見て、強烈な凶相だとは思った。それが五十人もそろっていると、あまりの凶悪さに誰も近付いてこようとしなかった。王宮だけでなく、公道でもだ。馬車の窓から覗いたら、道行く者が悲鳴をあげて逃げ惑い、女性の中には気が遠くなる者の姿まで認められた。

「だから、子供らの中から外に出す者を選ぶ時、私は何よりもまず、女性を怖がらせない面相であることを重要視した。おまえは、幼い頃はイーリアにそっくりだったからな。いずれ、アルリード公のようになるだろうと考えた。彼は若かりし頃は、王都でも一二を争う美男子と言われていらっしゃったと聞いているからな。……しかし、まさか、そのせいで、こんなことを引き起こすとは、思いもしなかった」

「え? 私が一番出来(でき)が悪かったからではなく?」

 顔で選んだというのか?

 思いがけない理由に、私は思わず聞き返した。

「そんなふうに思っていたのか?」

 父が驚いたように言った。

「誰も頼りにできぬ場所で、身を立てねばならんのだぞ。出来の悪い者を送り出すわけがなかろう。おまえは幼かったからな。本来なら年齢的にベンあたりを出すのが順当で、ずいぶん迷ったんだが、おまえは兄弟の中でも、誰よりもハルシュタットらしい頑固さと矜持を持っていた。おまえなら、幼かろうと、必ず(ひし)ぐことなく、外でも名をあげるだろうと思ったのだ」

 父の態度に嘘は見られなかった。本当に言うとおりで、他意などなかったのだろう。

 なんだ、そうだったのかと、ぼんやりと思う。長い間、劣等感の元だったものが誤解だったと知れても、すぐにはどう受け止めていいのかわからなかった。

 私は自分の分限というものをわかっているつもりだ。それに比べて、やはり兄たちは立派だと思うし、それらは事実を知ったからといって、何も変わらない。

 でも。

「私は、父上の期待に応えられたでしょうか」

「何を言う」

 父は破顔一笑した。狼が牙を剥いたような、最悪の面相だった。けれどそれは、この人の子である私には、とても上機嫌な時の表情だとわかっている。

「おまえは、これ以上はない奥方を手にしたではないか。そして子も生まれる。こんなに嬉しく誇らしいことがあるか」

 父の言葉の一つ一つが、心の奥の奥まで沁み入るようだった。

「……ありがとうございます」

 私は頭を下げてうつむいて、しばらく顔を上げられなかった。不覚にも、目頭が熱くてしかたなかった。

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