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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第七章 真実は小説よりも奇なり
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 私たちは父の騎士たちに守られて、祖父の屋敷に戻ることになった。父は五十人もの一団を引き連れており、そのものものしさは、華麗な王宮の中ではとんでもなく異質で目立っていた。

 王女の不始末を隠すために、表面上は、縁を切っていた父と私の仲を王が取り持ち、王宮にて歓待した、ということにしてあるようだったが、しかし実際は、私たちの伺候に合わせて、サリーナが呼び寄せておいたのだという。

 馬車の中でやっと二人きりになれて、寄り添いあって、私たちはそんな話を静かにした。

「お二人にも、一緒に結婚を祝っていただきたくて。……ついでに、ハルシュタットの力を誇示してくださるように頼んだの」

 本当のところ、どちらがついでだかわからないが、彼女の企みはうまくいった。王もこんな一団につめ寄られては、気が気でなかっただろう。サリーナの出した要求を、すべて呑むよりほかなかったのだと、察せられた。

「黙っててごめんなさい。……言ったら、反対すると思ったから」

「そうですね。反対したでしょう。それで私はまた、両親の気持ちを踏みにじるところでした。……感謝しています」

 サリーナは安心したように微笑んで頷いた。そうして私の肩にもたれかかって、小さな頭を乗せてくる。

 しばらく私たちは沈黙を楽しんだ。言葉ではなく、お互いの温もりを感じて過ごすひとときも、愛しいものだ。

 サリーナはうつらうつらとしているようだった。昨晩彼女は、私がいつ息をしなくなるかと心配で、夜の大半を枕元の椅子に座って過ごしたと聞いている。見るに見かねた祖父と母が彼女を説得し、朝方にソファに連れて行って横にならせたのだと。

 そのうち、かくん、とサリーナの頭が肩から滑り落ちて、そのまま体ごと前方に崩れ落ちそうになった。私は慌てて彼女の体を抱きとめた。

「サリーナ」

 声を掛けても、眠そうに、ううんと唸るだけだ。私は彼女が少しでも楽なようにと、膝の上に引きあげた。横抱きにして、しっかり抱える。サリーナは無意識になのだろう、目をつぶったまますり寄ってきて、それがぴたりと止まったと思ったら、すうすうと寝息をたてはじめた。

 あまりに気持ち良さそうで起こすのにしのびなく、馬車が停まっても、私はそのまま抱いて馬車を降りた。そして、騎士たちへの挨拶もそこそこに、客間の寝室へと連れていった。

 侍女の手を断り、自分で彼女のドレスを脱がせて、下着姿でベッドの中に横たわらせる。乱れて頬にかかった髪を払ってやっていたら、彼女がぼんやりと目を開け、私をみとめて、すがるような瞳で私の手をつかんだ。

「どこにも、いかないで」

 彼女の目尻に涙がたまり、すうっと零れ落ちる。

「どこにも行かない。あなたの傍にいる」 

 私は指を絡めるように握りなおし、身をのりだして彼女の目尻に口付けた。涙の跡をたどる。

 彼女は、ほうっと満ち足りた息をついて口角をあげた。瞼が閉じられる。また開けるかとしばらく待ってみたが、起きる気配はなく、彼女は穏やかな呼吸を繰り返すだけだった。

 たぶん、サリーナは寝惚けていたのだろう。でも、その夢うつつの中で漏らした囁きが、人前で気丈にふるまってみせていた彼女の、本当の気持ちだったのだろう。

 ……泣かせてしまったな。

 己の不甲斐無さを痛感させられる。だがそれ以上に、こうしてただひたすらに彼女に求められることが、嬉しい。

 私は飽かずに寝顔を眺めて、彼女が深い眠りに落ちるのを待ってから、そっと部屋をあとにした。


 そうして今は、約一日ぶりの食事を、客室の居間で食べているわけなのだが。

 私は居心地の悪さに、げんなりとした気分になりながら、粥を一匙すくって口に運んだ。傍らでは、ラスティがソツのない立ち居振る舞いで給仕をしてる。……その視線が痛い。

 彼は王宮の部屋の外で、父の騎士たちと共に見張りをしていたようだった。いつからそこに居たのかは知らないが、部屋から出た瞬間に、立っていた彼に疲れた顔で睨みつけられて、ぎょっとさせられたのだ。それから今に到るまで、彼は一言も口をきかないで、粛々と私の後をついてきていた。

 サリーナを抱いて両手のふさがっていた私の代わりに、すべての扉を先回りして開けてくれたのも彼だ。ただただ傍に張り付いて、人の面倒を鬱陶し……かいがいしいくらいに焼きながら、物言いたげな目で、じっと見ている。

 言いたいことがあるなら言えばいいのに、とは思わない。言いたいことの見当はつく。それを言いはじめたら、どのくらい面倒……なだめるのに苦労するか、火を見るより明らかだ。とりあえず、食事をしながら済ませられる話でないのは確かだった。

 食事を終え、お茶が出された。一口飲んで、もしかしたら私より淹れ方が上手いかもしれないと感じる。こんな時なのに、密かに彼に対抗心がわいた。たぶん、グレンにしっかり手ほどきを受けたのだろう。私も帰るまでに、ぜひ一度グレンに師事しようと心に決めた。美味しいお茶を飲んで喜ぶサリーナの顔が見たい。どんなに美味しかろうと、間違っても、こいつが淹れた茶を飲ませたいのではない。私の淹れたもので喜ばせたいのだ。

 幼い頃も、この九ヶ月年上の友人に追いつきたくて、毎日駆けずりまわったものだった。背の高さも、読み書きも、計算も、剣の扱いも、槍も、体術も、馬術も、彼に追いつけるようになったのは、王都に来てしばらくたってからだった。

 猫可愛がりで過保護な兄たちと違って、彼は容赦なく高みから見下ろして、ふふんと笑うから、それが悔しくてたまらなかった。でも、不思議と気があって、いきすぎた行いをして叱られるのは毎回一緒だったし、喧嘩も遠慮なくやりあえる、誰よりも気の置けない友人だったのだ。

 二人で銀月の騎士に憧れてからは、剣の稽古でなかなか彼に勝てない私に、『おまえの従騎士になって守ってやるからさ、大人になったら二人で世界中を旅してまわろうぜ』などと彼はよく言ったものだった。『誰よりも強くなって、永遠に語り継がれるような最強の騎士と従騎士になるんだ』と。

 形は変わってしまったが、幼い日の約束を忠実に守り続けてきた幼馴染。彼の思いに応えられなかったこの五年間、その一途さ、頑固が、たまらなく煩わしかった。

 彼の実力は、誰よりも私が一番よく知っている。その彼が、いつまでも私に手を差し伸べ続け、埋もれていこうとしているのが辛かった。

 私のことなど、忘れて捨て去ってほしかった。見限ってほしいと、そっけない態度をとり続けた。それでも、そんなのはお見通しだとばかりに、何一つ彼は変えようとしなかった。

 いつだったか、私に向かって、おまえは驢馬(ろば)より頑固だと彼は言ったが、本当に頑固なのはラスティの(ほう)なのだ。

「旦那様に、おまえから話があるとうかがったんだが」

 私がお茶を飲み終えるか終えないかのタイミングで、ラスティは聞いてきた。私はカップを置いて、聞き返した。

「うん。だが、おまえこそ何か言いたいことがあるのではないか。座ってくれ。先にゆっくりおまえの話を聞こう」

 向かいの席を示せば、「では遠慮なく」と断って、彼は優雅な身のこなしで座った。ゆったりとかまえた姿勢は、上品で且つ隙がない。ルドワイヤの凶相は、彼に限っては男らしく鋭く整った容貌としてあらわれていて、プラチナブロンドと真っ青な瞳も、極上の(こしら)えをほどこした剣のように彼を飾っていた。

 王宮では、彼はずいぶん女性に人気があったのだ。侍女や女官はもちろん、婿養子をとりたい令嬢にも何人か見初められていた。……仕える騎士である私が身をかためないかぎりは、自分も結婚など考えられないと断っていたようだが。

 彼には、いくらでも選べる道があったはずなのだ。あったはずなのに、今もここに、私の目の前に座っている。

「いや、先におまえの話を聞きたい。俺の話はたいしたことではないから」

 と彼は言った。その言葉が、私には、やるべきことはさっさと済ませて、時間の許すかぎり思う存分愚痴りたおしたいと言っているように聞こえた。

 ……彼がそう望むならしかたない。そうされるだけのことは、さんざんしてきた。

「わかった。私から先に話そう」

 私は彼の気がすむまで付き合おうと、覚悟を決めた。きちんと背を伸ばして彼に向き合い、話すことにした。


 ……したのだが。

 かれこれ数十秒、私は口を開きかけてはまた閉じるという、まぬけな動作を繰り返していた。どうにもうまく言葉が出てこない。話すべきことは決まっているのに、いざ話すとなると、どうやって話しだせばいいのかわからなかったのだ。

 ぐるぐると取り散らかった思考を繰り返す。……なんと言って、もう一度私の従騎士にならないかと誘えばいいのだろう、いや、この場合、なってくれと頼むべきなのか、しかし、騎士と従騎士の誓いはお互いが認めあわないと成り立たないものであって、そもそも彼は、再び私の従騎士になりたいなどと望むのだろうか……。

 根本的な問題につきあたり、私は完全に口をつぐんだ。

 牢に放り込まれて、まず私がしたのは、一方的に彼を従騎士から解任することだった。そうせずに私が処罰されれば、彼は仇討ちをしなければならなかっただろう。けれど、どんな理由であれ、従騎士が騎士を殺せば、彼もまた処罰対象になってしまう。私は彼を守るために、そうしたつもりだった。

 だが、騎士からの一方的は解任は、従騎士にとって、とても不名誉なことである。結局彼は騎士団にいられなくなったし、ルドワイヤに戻りもしなかった。あれほど従騎士としての道を極めたいと言っていた彼を、その道から遠のかざるをえない状況に追いやってしまったのだ。

「……すまなかった」

 迷いに迷って逡巡しているうちに、思いがけず、溜息交じりの呟きみたいな謝罪が口から転がり出た。言っておいて自分でもびっくりしたが、それが一番私が彼に言いたかったことらしい。それでようやく、ラスティの目を見れた。

 ラスティは無表情に私を見ていた。動きもしないし、瞬きすらしない。息も止めているようだった。まるで人形のようだ。ちゃんと人の話を聞いていたのかと思って眉を顰めたら、その瞬間、その表情のまま、彼はぶふっと吹いた。そして体をくの字に曲げて、腹を抱えて、げらげらと笑いだす。

「なぜ笑う」

「だ、だってさ」

 笑いがおさまらないのだろう、声を途切らせながら話そうとしている。

「お、おまえが、あやま、る、なんてっ」

「それの何がおかしい」

「俺、聞いたことないっぞ、御領主様、に、叱られっ、たって、い、一度だって、あやま、ったことなかった、だろうがっ。騎士団でもっ、だっ。それで、さんざん、倍の罰、くらったり、した、じゃないかっ」

「謝らねばならないようなことを、したつもりはない」

 したつもりはなかったから、謝らなかった。それでさらに怒らせ、罰を加算されようと、己の矜持にかけて、謝ることはできなかった。

 私だって、納得して、悔いて、必要ならば、きちんと謝罪する。事実、サリーナには何度謝って許しを請うたことか。そんなのは、人としてあたりまえだ。

「……大人になったな」

 笑うだけ笑って落ち着いてきた息で、そんなことを言われて、反射的にムッとした。その表情を読んだのだろう、また笑いだしそうな顔で、

「と、旦那様がおっしゃっていた」

 と付け加えた。

「すごく真面目に謝ったんだって? 旦那様、笑いをこらえるのに必死だったとおっしゃっていたぞ」

 私はそれには答えずに、苛立たしく息をついて横を向いた。あのジジイ、本当にむかっ腹がたつ。あんな重い過去の話をしながら、そんなことを考えていたとは。

 あの人にかかると、いつまでたっても子供扱いだ。棺桶に両足を突っ込んだ老人にしてみれば、私などひよっ子でしかないのはわかっているが、だから嫌なんだ、と思わずにいられない。

「それで? おまえの話はそれでおしまいなのか?」

 まだ笑いを含んだ調子でラスティが聞いてきた。

「いや。……もう一度、私の従騎士にならないかと思って」

「俺は、おまえの従騎士をやめたつもりはないがな」

 驚いて彼に視線を戻せば、彼は、やれやれという顔で肩をすくめた。

「実は、御領主様の養子になって、旦那様の跡を継がないかと話をもらったんだが」

 私はもっと驚いた。あの爺さん、そんなこと考えていたのか、と。あてがあるというのは、そのことだったのだ。狸爺め、一言ぐらい言えばいいものを。だったら従騎士になどに誘ったりはしなかった。彼自身が貴族の称号を得れば、もっと自由に道を選べるのだから。

「そうなると、俺が五男で、おまえが六男だ。おまえに兄上と呼ばれるのも、まあ、それはそれで面白そうだったが、アルリードの当主になんかなったって、狸や狐との化かしあいが待っているだけだろう。あいにくだが、まったく興味がない。というより、そんなことをやりたい奴の気が知れない。そこまでして守りたい女もいないしな」

 最後はからかうように言う。

「だから、アルリードの奥方のところに行って、当主印は渡してきた。養子だか若い愛人だかがいるから、そいつが継ぐんじゃないかな」

「……そんなに簡単でいいのか」

「旦那様はそれでいいってさ。アルリードは、もともと自分のものではないからって」

 ああ、それは言っていた。では、本気でそうするつもりなのだ。

「シダネルは」

「あー。それは俺が預かることになった」

 ラスティは、まいったという感じで首の後ろに手をやった。

「あれは旦那様の育てたものだから、アルリードには渡したくないんだそうだ。旦那様にはずいぶん世話になったし、ご恩は返さないとならないから、ぜひにと言われて、それだけは引き受けた。でも、本業は、おまえの従騎士だからな!」

 ムキになって力説される。

「べつに、こちらが副業でかまわないが」

 シダネルがアルリードの庇護を抜け、今度はライエルバッハと繋がりを持つということを、対外的にはっきりと示すために、私たちの騎士と従騎士の間柄は必要になってくる。が、ラスティがその力を発揮できる場所があるのなら、それは形ばかりでかまわなかった。

 ところが、ラスティは目をむいて、人の顔を指差して怒った。

「冗談じゃないぞ。だいたいなんだ、その顔の傷は。よりによってあんな女なんかにやられやがって。死ぬところだったっていうじゃないか。ちょっと人が出掛けているあいだに、油断も隙もあったもんじゃない。そもそもおまえは詰めが甘いんだよ。他人に対して甘いっていうか、妙に寛大で、何をやられても、たいていのことは許してしまうだろう。騎士団で束になっておまえをリンチしようとした奴らを、蹴散らかしただけで許してたよなあ。上に言って処罰させるべきだったのに」

「単なる意見の食い違いだからな。些細なことだ」

「些細じゃない! 何かっていうと絡まれて、ひやひやさせられたんだよ、こっちは! それに、結局、あいつらに命を狙われてたらしいじゃないか!」

「しかたないだろう。それだけ王女を慕っていたんだろう」

 彼らの女の趣味には賛同できないが、惚れた女のためならなんでもしてやりたいという気持ちはわかる。

「この、馬鹿がっ」

 ラスティは立ち上がって怒鳴った。私もすみやかに立ち上がって、テーブル越しに彼の顎をつかみ、これ以上わめかないように口を塞いだ。

「妻が起きる。静かにしろ」

 ぎちぎちと指に力を込めて顎を締めつけてやれば、もがもが言いながら、縦に顔を振る。理解したようなので手を離し、ちょっと待っていろ、と言い置いた。

 彼女が目を覚ました時に傍にいないと、きっとまた心細い思いをさせる。

 私は彼女の様子を見に、寝室へ取って返した。

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