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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第七章 真実は小説よりも奇なり
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「医師が来ましたよ。まずは診察してもらいましょう」

 祖父の提案に、父は母をソファに連れて行き、私はベッドに腰掛けた状態で医師を待った。

 入ってきたのは、王室医師筆頭のヴァレンティン殿だった。がっしりした体型の白髪の老医師で、筋の通らぬことが嫌いな、信用の置ける人物だ。私は安心して診察を受けた。

 体温や脈や目の色を()、具合の悪いところはないかなど簡単な問診の後、医師は傍らに立っていたサリーナに、いつもの(いかめ)しい顔つきが嘘のような柔らかい笑みで語りかけた。

「ご夫君は、もう心配ございませんよ」

「ええ。ありがとうございました」

「礼を言われるようなことは、何もいたしておりません。公がすぐに毒を吸い出されたのがよかったのです。……勧められる手当てではございませんがな。ごく少量でも危険な毒はございますから」

「はい」

 サリーナは素直に頷いたが、だからといって気に留めたようでもなかった。彼女のことだから、医師の言ったことをわからないでやったとは考えにくい。理解した上。覚悟の上。それでも、やらないという選択はないのだろう。

 私は小さく息をついた。迂闊だった。彼女の身の安全を考えるなら、彼女の目の前で自分を危険にさらすような行動は、これからは極力控えねば。

 私は彼女の手をとり、医師に頼んだ。

「ヴァレンティン殿、妻の診察もお願いできますか。彼女は身重なのです」

「奥様は心配ございません。口から入っても害はないものですから」

「そうでしたか」

 安堵の息をつく。

「いったい、何の毒だったのですか。……王女は殺す気のようでしたが、そのようなものには思えなかったのですが」

「ほう。どうしてそのように思われたのですか」

 医師は興味を惹かれたように聞き返してきた。

「どうしてと言われても。そう感じたとしか」

 まったく死ぬ気はしなかった。私があそこで倒れても、サリーナに危険がおよぶとも感じなかった。私の勘(・・・)は、これでいいのだと告げていた。

「なるほど。ところで、あの毒は先に体の自由が奪われ、その後で、ゆっくりと意識が混濁していくそうですが。抗いようもなく、暗闇に捕らわれていくようだと」

「はい。そのとおりです。彼女が毒を吸い出しているのがわかっているのに、それを止めることができなくて、焦りました」

「意識が遠くなっていくのが恐ろしくはなかったのですか」

「いいえ、特には。死ぬとは感じませんでしたし、後のことは、この人がなんとかしてくれるだろうと思いましたから」

 私の返事に、医師は自分の膝を一つ打ったかと思うと、は、は、は、は、と実に愉快そうに声をあげて笑った。

「いやはや。銀月の騎士の名は伊達ではいらっしゃらなかった。この毒の嫌なところは、体の自由が利かないまま、しばらく意識が残るところなのですよ。普通はそれに恐怖を覚えるものなのです。まして、殺すつもりで毒を使ったなどと言われれば、なおさらでしょうに。なのに、あなたは死ぬ気がしなかったとおっしゃる。なんともこれは、小説どおりなお(かた)だ。面白い」

 面白いと言われても、そういった勘は、私の中では確固としたしたもので、他の者がそれ以外の何を信じるのか、むしろそれを聞きたいぐらいだった。

 実を言えば、シド・ブライスの一件で、私は少し自分の勘を疑っていた。なぜ、彼の横暴をゆるしてしまったのかと。

 あの時は、まったく勘がはたらかなかったのだ。後ろから肘で首を絞められて落とされたというのに、危機感を覚えなかった。それはおそらく、彼に害意がなかったから。認めたくはないが、私を守るためにしでかしたことだったからなのだろう。

 あんな最悪の出来事すら、本来の意味では、もっと最悪の事態にならないための布石だった。何も知らない状態で、それをきちんと嗅ぎ分けていたのだから、私の勘は、やはり信頼できるということだろう。シド・ブライスに再会して、彼の釈明を聞いて、ようやくそう結論が出せた。

 その勘が告げたものを、私は疑わなかったというだけのことだった。銀月の騎士と並び称されるほどのことではない。

「それに、しっかりとした信頼で結ばれていらっしゃるのですね。とても喜ばしいことです。ですが、だからこそ無茶をなさってはいけませんぞ。あなたが倒れられて、奥様がどれほど心配なさっていたか」

 それについては反省している。私はサリーナの手を握った指に、いくらか力を込めた。彼女がそれに気付いて微笑んで頷いた。

「いやいや、よけいなお世話でございましたな。医者の繰言と思し召しください。……そうそう、何の毒だったかという質問でございましたな。ランティス王国で神への生贄にする猛獣を捕らえるためのものだそうです。かの国では、猛獣と剣で格闘し、死んだ方の血肉を神に捧げるのだそうで。神聖な儀式に必要な猛獣に使われるものですから、非常に完成度の高いもので、目覚めさえすれば後遺症はないと聞いております。ただ、毒でございますから、量が過ぎればその限りではありません。二度と意識が戻らず、衰弱死することもあります。あなたは毒を受けた場所が悪かった。頭に近い場所で、本来ならもっとゆっくり進む意識の混濁が、早く訪れた。けっして、安全だったわけではないのですよ。奥様の機転に感謝なさるべきです」

 ヴァレンティン殿に、厳しい瞳で釘を刺された。

「なににせよ、意識が戻ったのですから後遺症の心配はないと存じます。ただ、お顔の傷は、いくらか残りましょうな」

 私は頬の傷に触れてみた。ちりちりとした痛みがあって、かさぶたらしきものが、数箇所長く盛り上がっていた。

「三本、猫に引っかかれたようになっていらっしゃいます。はじめに針が深く刺さったところは、少しえぐれてしまいましたから、そこが跡になりましょう」

 私は不愉快さに眉を顰めた。あんな女が付けた跡が、ずっと残るというのか。

「それは、どうにもなりませんの?」

 サリーナが医師に尋ねる。

「なに、小さなものでございます。銀月の騎士の二つ名を持つご夫君ならば、この程度の傷は勲章でございましょう。奥様を守られた証なのですから」

 ヴァレンティン医師は、どこか面白がっているように明るくサリーナに言ったが、先程の話を考え合わせれば、やはり毒を受けたのが私でよかったと思わずにはいられなかった。

 サリーナは私より体が小さい。毒の効きも強く出たことだろう。それに、子にどんな影響が出たかわからない。

 医師は携えてきた鞄から小さな壷を取り出すと、私に手渡してきた。

「気休めでございますが、朝昼晩と傷にお塗りください」

「わかりました」

「本当なら、二、三日経過を診たいところですが、こちらには留まらないご予定なのですね?」

「ええ。ここでは気が休まりませんので」

 サリーナが答える。

「そうございましょうな。王都にはいらっしゃいますか?」

「はい。その予定です」

「でしたら、何かございましたら、なんなりとご相談ください。すぐに参ります」

「ご厚意に感謝いたします」

「いいえ、医師の務めですから、お気になさらず。他に何か、心配なことはおありですか?」

 私たちは視線を交わしてお互いの考えを確認し、今度は私が答えた。

「いいえ、特には」

「そうですか。では、これで私は下がらせていただきます。よろしいでしょうか?」

「ええ。ありがとうございました」

「……それでは、おだいじに」

 バレンティン殿は最後に医師らしく締めくくると、ゆったりとした動作で部屋を出ていった。


 馬車の用意ができるまでの間、もうしばらく待たねばならないというので、私は身形を整えて、ソファに座って、意識がなかった間にあったことをサリーナに聞いた。

 彼女が何も無かったかのように泣き寝入りをするわけがない。王になんらかの賠償を要求したはずだった。

「王とはどんな決着をつけたのですか」

「第五王子をうちの学び舎で預かることにしたわ」

 まだ十五歳の、正妃の子だ。人質として最上級である。べつに、王子を人質として扱う気はないが、王家の人間をこちらの思うように教育できる、それが重要だった。

「それから、王女にはボワール王に嫁いでもらうことにしました。……これでしばらくは時間稼ぎができましょう」

 サリーナは途中から、父へ向かって言った。

「それで、お義父様にご相談がございます。ぜひ、一族のご子息を、ライエルバッハが開く学び舎に預けてはくださいませんか。外ハルシュタットからも、子供たちを集めることになっています。学び舎では、文字や計算もそうですが、なにより、各国の情勢や習俗、気候、土地柄、そういった情報を読み解き、有利な外交や戦略を立てられる人材を育成したいと思っています。……いずれ必ず起こる、新しい形の戦に備えるために」

「新しい形の戦、ですか」

「ええ。そうです。これからは、銃が戦の中心となりましょう。今はまだ高価で、扱いも難しく、きちんと作動しないことも多いものですが、そういった技術的問題は、すぐに解消されます。そうなりさえすれば、他の武器と比べ、銃ほど攻撃力の高い武器はございません。あっというまに戦の主力となりましょう。国王の騎士団でも、銃を扱える者を幾人か育てているようですが、それでは、とても足りないと私は考えています。その時になって、銃を用意し、戦の方法を考えても遅いのです。緒戦の敗北は、後々まで大きな付けとなるものです。先駆けて他国を制すれば、被害は最小限ですみましょう。そして、できたら、その戦も最低限のものですませたい。武力ではなく、外交で国を守るのが一番と考えています。そのための用意をしたいと思っているのです」

 父は重々しく、ふむ、と一つ頷くと、質問を口にした。

「サリーナ様は、その新しい戦が、何年後に始まると思っていらっしゃいますか」

「早くて三年、遅くても二十年はいかないと考えています。ただ、ボワール王国とのことだけであれば、王女の輿入れによる和平は、七年が限度かと思います」

「なぜそのように思うのですか」

「王女は正妃の器ではありません。ボワール王国が国力を貯めれば、廃妃されましょう。それほどに、かの国にとってルドワイヤは魅力的な土地です。かの国は、冬となれば、ルドワイヤ以外の道を、高い山々のせいで雪に閉ざされてしまうのですから。肥沃な平地と、凍らぬ道を手に入れることは、かの国の宿願のはずです。王女の横暴な振る舞いがかの国で問題となれば、その国力の矛先は我が国へと向けられましょう。……万に一つ、王女が両国の架け橋となることも考えられなくはありませんが」

 あの性格では、その可能性は極めて低い。いずれ、王女はどちらの国からも捨て駒とされるのだろう。

 我が妻にして主は、それを望んだ。……あの誓いのとおりに。私に傷を負わせ、命を奪おうとした者に、それ相応の報いを与えることを。

 それを無慈悲だとは思わない。むしろ公平だとさえ思う。きちんと、そうならないで済ませられる道も、残してあるのだから。これは、王女が王妃として力を示し、両国の和平のために尽力すれば、避けられるかもしれない破滅なのだ。

 サリーナは背筋を伸ばし、硬質な表情をしていた。強い意志を宿し、まっすぐに未来を見つめるまなざしは、凛として美しい。まるごと、この美しさを守りたいと思う気持ちがこみあげる。彼女の望む未来を、叶えてやりたいと。

「なるほど。仰るとおりだ。……では、その頃に一族を担う年代の者を、何人か送ることにいたしましょう」

「ありがとうございます」

「いいえ、世話になるのはこちらです。それに、礼を申しあげねばならないのは、私たちの(ほう)でしょう。……よく、うちの愚息を助けてくださいました。それだけではありません。愚息が一番たいへんな時に、慰め、導き、守ってくださったこと、感謝にたえません。今は亡きアルフォンス様にも、お礼を申しあげたかった。……誠にありがとうございました」

 父が立ち上がり、騎士の礼で頭を下げた。母も倣って頭を下げる。

 するとサリーナも立ち上がり、彼らの許へ行って、二人の手を両の手でそれぞれ取った。

「お義父様、お義母様、感謝しているのは、私の(ほう)でございます。私の一番の幸せは、エディアルドに出会えたことなのですから」

 父と母は微笑んだ。父の人相は見るに耐えない恐ろしいものになったが、サリーナは怖気づいた様子はなかった。母はまた少し涙ぐんだようだ。でも、優しくサリーナに笑いかける。

「きっと、その幸せは、もっと大きくなっていきますわ。私も、子供たちが生まれるごとに、今が一番幸福だと、何度も思いましたもの」

 サリーナも涙ぐんだのだろう、母が握られていない(ほう)の手で、彼女の目尻をぬぐった。

 その傍らで、父が視線だけこちらによこし、微かに頷いてみせた。私もそれに、気恥ずかしい気持ちで、小さく頷き返したのだった。

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