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「申し訳ありませんでした。あなたに心細い思いをさせてしまった」
少し満たされて唇の距離を置き、彼女の涙をぬぐいながら謝罪した。
「目を覚ましてくれたからいいの。……でも、あんな思いは、二度と嫌」
サリーナは鼻をすすって、背中にまわした腕に力をこめた。
「これからは気をつけます」
「そうよ。あんな女に頬を打たせてやるなんて」
サリーナは腹立たしげに言った。彼女の指摘に苦笑する。
「策に溺れました。あれでこちらに有利に事が運べるかと思ったのですが」
王女の溜飲が下がるのもそうだが、婚姻の挨拶に来た者の頬を打つなど、いくら王家でも非難されてしかるべきだ。王がどういうつもりで王女にあんな行動を取らせたのかよくわからないが、言いがかりをつけられるなら、少しでも有利な状態にしておきたかった。
「あなたが体を張ることはないの。あんなのは、みんな私が黙らせるから」
「ええ。だから、安心して気を失えました。あの啖呵は見事でしたね」
「もう! エディアルドは呑気なんだから!」
サリーナがふくれっ面をした。可愛い顔だ。私はくすくす笑って、ふくらんだ頬を食むようにして、軽くキスをした。
彼女の体からは強張りがとけている。少しは安心してくれたようだ。本当はこのままあれこれしたいところだったが、同じ室内に他に人がいる。そろそろ現実に戻らねばならないようだった。
「ところで、あなたの言っていた策謀とは、その、……あの方たちのことですか」
私は躊躇った末に、父母のことを、あの方たち、と呼んだ。縁を切ってくれと頼んだのは私だ。どの面下げて、今さら父や母と呼べるだろう。
「半分はそう。半分はハッタリよ」
彼女は、さらりととんでもないことを言った。ただのハッタリが、人々の心の中でハッタリでなくなってしまうくらいには、代々のライエルバッハは敵に容赦ない報復を行ってきた。それを考えれば、けっして無謀だったわけではないが、それにしたって、いつもながら大胆である。
私は小さく溜息をついた。彼女は私より、よほど肝が据わっている。あの状況で、たった一人で、あんな啖呵をきってのけたのだから。
「それとね、お父様やお母様を、あの方たちなんて、呼ばないでさしあげて?」
柔らかく語尾を上げた口調で諭されて、思いがけなくて、彼女を見つめる。
「ずっとご心配なさっていたのよ、お二人とも」
「ずっと?」
どうしてそんなことが言えるのか。なんとなく、聞いてしまったらいたたまれなくなりそうな嫌な予感がしたが、聞かずにはいられなかった。
「ええ。あなたがうちに来た時に、ご心配なさったお母様からお手紙をいただいたの。それ以来、文通をしているのよ」
私は絶句した。親とは縁を切ったものと思ってきたのだ。二度と顔など見せられないと。それが、密かに消息を気にしてくれていたなんて。
あまりの恥ずかしさに、私は目元を片手で覆った。こんな親不孝な息子のために、何年も心を砕いてくれていた。両親の愛情が、痛いくらいにありがたく、ありがたいだけ、自分の不出来さがいたたまれなかった。
私は手を下ろし、サリーナと目を見合わせた。微笑んで頷いてくれる。私は彼女から手を離し、両親へと向き直った。枕元にいた父は、ベッドの端までやってきた母の肩を抱いていた。私は彼らに向かって、深く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。どうか、これまでの親不孝をお許しください」
……このところ、謝ってばかりいるな。そんな埒もないことが、頭の中をよぎった。
静かな足音が近付いてきて、頭を下げている視線の先に、両親の足先が見えた。それが、二、三歩の距離をあけて止まる。
「エディアルド」
母に呼ばれた。涙まじりの優しい声に、ぎくりとする。おかしな話かもしれないが、その瞬間に考えたのは、まずい、親父に怒られる、だった。
父が一番怒るのは、いつでも母を悲しませたときだった。母を泣かせただけでもきまり悪いのに、その上、父にどやされるのだ。拳骨をくらって、飯を抜かれたり、罰として一人で大広間の床を磨かされたりする。そうして城中の人間に、お母様を泣かせることだけは、しちゃあなんねーですよ、と耳にタコができそうなくらい、したり顔で諭されるのだ。
十数年も前のことで、私はもう小さな子供でもなければ、悪戯をしたわけでもない。それなのに、母の声を聞いただけで、一瞬にして、幼い頃に戻ってしまった。
本当にどうしようもないくらい、申し訳ないことをしていたのだと、深く深く深く悟る。私はあまりの後悔に言葉をなくし、動くこともできずに、頭を下げ続けた。
「大きくなりましたね。……もしかして、あなたより大きいのではない?」
父に話しかけたのだろう。わずかに二人の気配が動いた。
「とても立派になって。アルのこんな姿を見れる日が来るなんて、本当に……」
涙声に、続きが消えていく。
うわ、と思った。お願いですから、泣かないでください、と。私はうろたえて、なにをどうすればいいのかもわからず、がちがちに体を固まらせた。
そんな目の前で、父の足が方向を変えた。母へと向き、腕が上がり、母の体の向きも変わる。どうやら抱き寄せたらしい。
低く母の嗚咽が響いた。
……頼みます、父上。どうか一刻も早く、母上の涙を止めてください。
私は内心冷や汗を流しながら、父に向かって強く念じた。