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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第七章 真実は小説よりも奇なり
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 五日後、王から面会の許可をいただいた私たちは、王宮を訪れた。

 王都へ到る要衝の守りを任されているライエルバッハは、馬車で王宮正面の車寄せまで乗り入れる許しを与えられている。正確に言うと、『王のすぐ傍まで馬で駆けつける権利』だ。危急の際の行動を保障したもので、これは辺境伯たる実家も、アルリードもそうだ。この権利を持つ者が、所領の大小にかかわらず、いわゆる大貴族と呼ばれる。

 そうでなければ、正門から正面玄関まである大庭園を囲んだ大回廊を、延々と歩いてこなければならなかっただろう。なにより、大回廊と大庭園は、下位貴族が権力や勢力を得ようと鍔迫り合いを繰り広げる場所だ。そんな場所を、大貴族の若く美しい女領主であるサリーナに歩かせれば、煩わしい思いをさせかねない。彼女が身重であることを考え合わせれば、この権利はとてもありがたいものだった。

 馬車から彼女を抱き下ろし、腕を組んで、案内の者の後に続く。久しぶりに足を踏み入れた王宮は、相変わらず壮麗だった。

 案内の者はよく躾けられており、こちらに合わせて歩みはとてもゆっくりだ。

「素晴らしいわね」

 サリーナが私の腕を引き、首を伸ばして耳元で囁こうとする。廊下に飾られている絵画や置物のことだ。見下ろせば、彼女は楽しげに微笑んでおり、私にとってはどうでもいい品物よりも、よっぽど眼福なのだった。

 彼女が喜んでくれただけでも、来た甲斐があったと言えるのかもしれなかった。さもなければ、特に顔を出したい場所ではない。それでも来なければならなかったのは、婚姻の許しを与えてくださったお礼を申しあげなければならなかったからだ。

 貴族にとって婚姻とは、政略以外のなにものでもない。そうであればこそ、王の許可が必要なのだ。これがないままに結んでも、その間に生まれた子には、貴族の称号が与えられないのだ。

 もっとも、それについては当家は問題ないと思われた。たとえ婚姻自体が認められなくても、当主自身が生んだ子だ。ライエルバッハの血を引くことは間違いない。他に血筋がいないことを考えれば、必ず称号を与えられるにちがいなかった。……たとえ、父親が不詳とされても。

 だが、それも杞憂で、冬の間に祖父を通して願い出たそれは、すぐに許可された。そうして私たちは、書類の上でも夫婦となったのだった。

 ただし、その時にはもう、サリーナの妊娠が判明していたから、お礼の参上がここまで遅くなってしまったのだ。

 取り急ぎ、代理で私のみの挨拶も申し出てみたが、サリーナは領主の就任の挨拶にも行っていない。遅くなってもかまわないから、ぜひに一度本人自ら参内せよとのお達しだった。

 そこまで言われたら、来るほかはない。あまり突っぱねてばかりいると、痛くもない腹をさぐられることになる。

 大謁見室を過ぎ、小謁見室も過ぎる。貴族が好きに出入りし、たむろして、拝謁する者を品定めしている大謁見室は論外として、身分ある者が立ち会う小謁見室での面会になるだろうと思っていたのに、どうやら違ったらしい。

 私は立ち止まり、案内の者に声をかけた。

「どこに案内するつもりだ」

 この先は客間がいくつも続き、ある意味密室内での会談となる。国賓や要職のお歴々でもない、結婚の挨拶に来ただけの者を通すには、物々しすぎる。王宮では、人目のない場所では何が起こっても無いものとされる。私は王家の悪意を疑った。

「爛漫の間にございます」

 その名のとおり花の装飾が施され、淑女方の集まりに多く利用される部屋だ。若い女性を招くにも、季節柄からもおかしくはない。おかしくはないが、いくらライエルバッハであろうと、そこまで特別扱いされるのは違和感がある。

「大丈夫よ、エディアルド。……お話の内容は、見当がつくから。行きましょう」

「どんな内容ですか」

「たぶん、小説の件だと思うの。マイクの書いた」

 マイクロフト・ハリスンの書いた?

「ああ、姫君の話でしたか。……まさか、王女殿下をモデルにしたのですか」

「咎められる内容では、けっしてないわ。それの最終巻の見本を、この前、陛下にお送りしたの」

「発売前のものですね?」

「ええ。それの感想だと思うわ」

「だから、個人的な話をしたいと?」

「そうよ」

 彼女の、しれっとした表情に、それだけではない気がするが、私は溜息をついて了承した。

「わかりました。……私も読んでおけばよかったですね」

 おかげで、どんな話になるのか、ぜんぜん見当もつかない。

 彼女は、ふふっと笑って、駄目よ、と言った。

「マイクとロランに、全巻揃ったら特別装丁で贈るから、それまで読まないでほしいと言われていたでしょう?」

 分冊で一冊の内容が短いと聞いていたから、それならば私にも読めるかもしれないと、挑戦しようとしたのだ。しかし、そう言われて、二人に完結するまでは読まないと、約束させられてしまった。

 曰く、どうせ途中で嫌になって、続きを読んでくれなくなるにちがいないから、終わりまで待ってほしい、小説は終わりが重要なのだから、と。

 頷ける理由である。それに、ライエルバッハとしての義務感はあっても、強いて読みたいわけではない。嫌なことを先送りにするいい理由ができて、これ幸いと思った……のは秘密だ。

 近衛の立つ扉の前で、案内の者が立ち止まる。ライエルバッハ公ご夫妻をお連れしましたと、中へ取次ぐ。客間から見覚えのある侍従が出てきて、深く頭を下げた。

「陛下方がお待ちでいらっしゃいます。どうぞこちらへ」

 私たちは一度目を見交わして微笑みあってから、室内へ入った。


 ざっと室内に視線をはしらせ、人の位置確認をする。サリーナと手を離し、それぞれに頭を下げた。

 楕円のテーブルセットに、国王陛下ご夫妻とマルガレーテ王女。少し控えて侍従が一人と、壁際に女官が一人。他は室内のどこにも護衛はひそんでいないようだった。

 もっとも、この部屋には隣室へ続く扉が二つと庭に下りる大きな窓があり、その向こうには恐らく何人も控えているのだろう。自分も護衛任務をしたことがあるから、よくわかっている。私は背筋がすっと冷える心地がして、緊張した。

 ところが、場違いに明るい声が響き渡った。

「ああ、エディアルド、やっと来れたのね!」

 小走りな足音が近付いてくる。私は戸惑って、体を起こした。

「マルガレーテ、よしなさい!」

 王妃が制止しようと声を上げたが、その時にはもう、王女は私の胸に飛び込んできていた。とっさに王女の両肩に手をやり、押しとどめる。

「待っていたのよ」

 手が絡みつくように伸びてきて、私は自分の腕を伸ばし、もっと体を離した。王女の手は私へと届かず、彼女の表情が、一瞬険しくなる。けれど、すぐにまたそらぞらしいほどの笑顔になって、その手を胸元へと戻し、握り合わせた。

「とてもとても長くて待ちくたびれたわ。でも、こうして来てくれたんですもの。待たせたことを咎めたりしないわ。あなたが大変だったのは、理解しているつもりよ。だって、行った先は、あの道化のライエルバッハですものね。どんな苦労をしているかと、心配していたのよ。ああ、それにしても、本当によかった。あんまり待たされすぎて、みんな、もう、あなたのことを諦めろと私に言っていたのよ。でも、私は、私だけは、あなたを信じて待っていたの。きっと迎えに来てくれるって、ずっと、ずっと信じていたのよ」

 何を言われているのか、わからなかった。王女の瞳は私以外のものを映しておらず、異様な何かが垣間見えていて、ぞっとする。王女に触れている手を離したいのに、ぐいぐいと倒れこんでこようとしていて、とても離せなかった。

「……申し訳ございませんが、お話の内容に覚えがございません。どなたかとお間違えではないでしょうか」

 どんな間違え方をしたらこうなるのかとは自分でも思ったが、そう言うほかはない。やっと愛する妻を得て子もできたのに、おかしな言いがかりで失いたくない。

「まあ。エディアルドは本当に忠義者ね。でも、もういいのよ。あなた、領主になったのでしょう? だから迎えに来れたのでしょう? 一介の騎士だった時は身分違いだったかもしれないけれど、今は何も遠慮することはないではないの。ライエルバッハは大貴族なんですもの。私が降嫁してもおかしくない家柄だわ。吟遊詩人の成り上がりごときには過ぎた名だったけれど、これからはハルシュタットと王家の血を引く子が継ぐようになるの。素晴らしいと思わない?」

「お言葉でございますが、私はもう結婚しております」

 とてつもなく不愉快だった。苛立たしさを表に出さないのに、一苦労する。

「ライエルバッハの娘でしょう? 領主の地位を手にいれるために必要だったとわかっているわ。すぐに離縁して放り出すのは世間体が悪いから、いいのよ、同じ城に住まわせてやっても。私は寛大ですもの、一生面倒を見てやってもいいと思っているの。だって彼女、身寄りが一人もいないんですものね、かわいそうじゃないの」

 私は目も眩むような怒りに、ふっと頭の中が白くなり、瞬間的に眩暈をおこした。聞けば聞くほど、怒りがわきあがってくる。腸が煮えくり返るとはこのことだった。

 この女が王女でなかったら、はり倒して、鞭で打ちすえてやりたかった。なんと卑しい性根だろう。これでは、王女という皮を被ってそれらしく見せているだけの詐欺師と変わらないではないか。

 ……私は、いや、王家に仕える騎士たちは、こんなものを命懸けで守っていたというのか。虚しさと怒りを感じ、押しとどめている手に力が入る。冗談ではなかった。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。私は怒りのままに、力の加減なく王女の肩を握りあげた。

「痛い! 痛いわ! やめて、痛い、……痛いと言っているじゃないの! 離しなさいよ!」

 王女は両手で私の腕を振り払って、(あと)退(ずさ)った。怒りの形相で私を見据え、その視線がサリーナへと向けられる。そこに危険なものを感じて、私は視線を遮り、サリーナを背後に庇うように立ち位置を変えた。王女の顔が、さらに険しくなる。

「エディアルド、あなた、その女に騙されているのよ。ライエルバッハの女よ。人を欺くのに長けているの。あなたの前ではしおらしい振りをしていても、裏では何をしているかわからないわ。だいたいその女の先祖は、吟遊詩人の身でありながら、王家の血を引く者を……」

「マルガレーテ、やめよ。その言は許さぬ」

 王がそれまでつぐんでいた口を開き、王女を諌めた。しかし、王女は叫び返した。

「こんな泥棒猫に、エディアルドが騙されているなんて、許されないわ! 私の方が美しく、私の方が、血筋もいい! 私の方が寛大で、詩人たちから、いくつも賞賛する詩を捧げられているのよ! こんな血の卑しい、」

「やめよと言っている」

 するどく低い声に、王女の唇がわなないて止まった。王へと振り返る。

「お父様! この女が悪いんじゃないの! お父様は国王でしょう! こんな女は早く罰してやってよ!」

「いいかげんにしなさい。彼らを目にしても、まだわからないのか」

「わかったわよ! とてもよくわかったわ! 何もかも、小説のとおり、五年もかけて、すっかりエディアルドは騙されてしまったってね! 恐ろしい女! たった十四で、もう男をたぶらかす術を身に付けていたなんて。おお、怖い。こんな女を大貴族に置いておいたら、お父様、絶対に後悔することになりますわよ」

 王は眉を顰めた。侍従に命じる。

「王女を連れ出せ」

 侍従はすぐに、廊下の護衛を呼び入れに動いた。

「お父様!」

「これ以上、私に恥をかかせるな」

「お父様、ひどいわ。悪いのは、私じゃないでしょう!?」

 王は聞く耳を持たず、冷めた視線で王女を射抜いた。王女は不安定に肩を揺らすと、こちらへと向いて、すがりつくように言った。

「エディアルド、思い出して。私たち、愛し合っていたじゃない」

「そのような覚えはございません」

「どうしてそんなことを言うの。私達、毎日朝と夕に会っては、思いを確かめ合っていたでしょう」

「そのような覚えもございません。強いて申しあげるならば、警護任務中に殿下がお通りするのをお見かけいたしましたが、それのみでございます」

「何を言っているの。あなたは、私の影に触れられるのを喜んでいたではないの」

「そのようなこと、思ったこともございません」

 なぜ、影に触れて喜ぶなどという発想ができるのか、まったく理解できなかった。ますます、王女のすべてが、得体の知れない気味の悪いものにしか感じられなくなる。

 近衛が二人入ってきた。王女はそれを見て顔を歪める。私は、こんなに醜い人の顔を見たことがなかった。まるで、内面がそのまま滲み出たような。そう思った瞬間、思いもよらない素早さで、王女が動いた。

「おまえなんか!」

 視線は私の後ろへと定められていた。サリーナを呪い殺しそうな目で見て、つかみかかろうとしている。私は王女を引きずり倒すわけにもいかず、左手で後ろ手にサリーナを庇いながら、ただ王女の前に立ち塞がった。振りあげられた王女の指が頬に引っかかり、痛みがはしる。

「エディアルド!」

 サリーナが大きく声をあげて、私の前に出てこようとした。それを背中に押し付けるように止め、びっくりしたように自分の手と私の頬を交互に見ている王女を、冷徹に見据えた。

 そうしているうちに近衛たちが動き、両側から王女の腕をとる。

「殿下、どうぞご退出ください」

 王女は近衛たちを無視し、ふ、と笑った。それが端緒。その後は、人も憚らず、高い声で楽しげに笑いだす。

 誰もが困惑する。なぜ王女が笑うのか、わからないのだろう。だが、この場に居合わせる者のうち、私だけは、その笑いの意味がわかった。

「ああ、そうね、どうせなら、これで良かったわ。他の女にとられるくらいなら、死んでくれた方がまし。……ああ、嬉しいわ。私がこの手であなたを殺せるなんて」

 ぐらりと視界が揺れる。なんとも言えない具合悪さに脂汗が浮かんできて、指先が冷えていくのを感じる。

 指輪か何かに、毒を塗った針を仕込んでいたのだろう。それでサリーナを刺すつもりだったのだ。そんなことになっていたら、子供ごと殺されていた。

 私でよかった、と思う。ただ、一度殴られれば、少しは王女の溜飲も下がるのではないかと考えたのが、甘かった。手で払っておけば、何事もなかったものを。

「エディアルドッ」

 体に力が入らず、立っていられなくなって、崩れるようにしゃがみこんだ。サリーナに頭を抱え込まれるのを感じる。抱きしめられているのか、と思ったとたん、頬に濡れた柔らかいものが触れ、強く吸われて、頬の傷がびりびりと痛んだ。

 うまく定まらない視界で金の頭が揺れて離れていき、何かを吐き出すような音がする。……それでようやく気付いた。毒を吸い出してくれようとしているのだ。

 私はサリーナを押しやろうとした。口から毒が体に入ったらどうするつもりなのか。彼女の体に障りがあったらいけない。大事な体なのに。

 しかし、もう腕を思いとおりに動かすことができなかった。二度、三度と、されるままに、彼女に体をまかせてしまう。

「早く医師をお願いいたします! それから、陛下、王女が何の毒を使ったか、早急に聞きだしてください。どんな手を使ってもです。もしもわたくしたち二人が無事に帰ることが叶わなければ、陛下の命運もここまでと思し召しください。わたくしはライエルバッハです。たとえこの命が失われた先のことになろうと、ライエルバッハに手出しした者の末路を決めておくのは、わたくしにとって造作もないこと。ライエルバッハの策謀から、陛下お一人が逃げられると思し召さるな」

 自国の国王を脅す、聞いたこともないほど冷たい、威圧感に満ちたサリーナの声が聞こえた。

 私は具合悪いのも忘れて、くすりと笑った。さすが我が主にして我が妻である。また惚れ直した。

 だというのに、ろくに目が見えないのが惜しい。とんでもない啖呵を切る彼女の姿が見たかった。きっと、怒りにきらめく彼女は、とても、とても美しかっただろうに。

 ……私がきちんと認識できたのは、そこまでだった。あとは耳に入ってくる会話も、体の感覚も遠くなっていく。苦しくはなかった。恐ろしくもなかった。ただゆっくりと、冷たい暗闇の底が近付いてくる。

 私は為す術もなく、沈むままに意識を失った。

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