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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第一章 幽霊城の一日 
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 廊下で、主が仕度するのを待った。

 いくばくもなく、主はしっかりとコートを羽織って出てきて、私がランプで二人の足元を照らしながら、階下へと向かった。

 城内は節約と防火のために、どこにも火を灯していない。夜は皆それぞれに、専用のランプを持って歩くのだ。もっとも、慣れてしまって、決まった場所に行くなら、ほぼ必要ないものだったが。

 どこもかしこも深く闇が凝り、すぐそこに、血みどろだったり恨みがましい顔をした幽霊が立っていてもおかしくない雰囲気である。が、あくまでもそんな感じがするだけだ。

 私はここに来て五年になるが、一度として幽霊らしきものも、それらしい声も、見たこともなければ聞いたこともない。この城は、とにかく古くて陰鬱、ただそれだけなのだ。

 階段の上に来たところで、私は主に手を差し出した。

「お手を。危のうございますから」

 下は真っ暗で、まるで奈落の底に下りていくようだ。ただでさえ長く高い階段である。足でも滑らせたら命の保障はできない。

 主の温かな手がのせられた。その柔らかく華奢な掌を包み持つと、心の中まで温かくなる。無防備に信頼して手を任せてくれる、それが嬉しかった。

 主の一挙一動に一喜一憂する自分の単純さに、苦笑するしかない。

 だが私は、僭越ながら、彼女が大切でしかたないのだ。朝から晩まで頭の中を、彼女のことが離れないくらいには。

 その大切な主を安全に導くため、私は一歩一歩を慎重に下りた。そして、闇の中に沈む、玄関ホールに辿り着いた。

 そこはまさに、幽霊城と呼ぶに相応しい場所だ。

 壁には、この城の所以をモチーフにした重苦しいタペストリーと、武器の数々、陰気な領主たちの肖像画。それに置物として、直立不動の甲冑が何両も飾ってある。

 はっきり言って、趣味が悪い。初めて入った時は、あまりの噂に違わぬ猟奇的な雰囲気に、言葉をなくしたものだった。

 でもそれは、前御領主の、せっかく噂を聞いてやってきたのだろうから、期待を裏切ってはいけない、という、もてなしの精神の表れなのだった。

 実は、数両の甲冑には、カラクリでひとりでに動く仕掛けまでしてある。

 夜の戸締りを任されだしてすぐに、悪戯で作動させられた時には、身の毛がよだった。

 私は恐怖のあまり、壁から戦斧を取ってカラクリ甲冑を殴り倒し、床に転がったそれらを動かなくなるまで叩き壊した。本当に、失神してしまいたくなるほど怖かったのだ。

 そして、へたりこみそうな足腰を叱咤して、また動き出さないかと警戒しつつ、肩で大きくぜいぜいと息をついていたところに、前御領主は皆を引き連れて現れたのだった。

 皆で最初から最後まで、物陰から見物していたのだという。まったくこの城の住人は、サリーナ様以外、どの人も人が悪い。

 その上、皆で大爆笑だ。

 なんでも、立ち向かっていった者も、破壊した者も、私が初めてだったらしい。

 呆然としている私に、サリーナ様だけが、ごめんなさいね、やめようと言ったのに、誰も聞いてくれなくて、と謝ってくれた。

 当時は相当腹を立てもしたが、今ではあれも良い思い出である。

 そんな思い出深いホールを横切る主の足取りが、ゆっくりになった。主を窺えば、何かを探すように視線を彷徨わせている。

 私は歩みを止めた。主が、どうしたの、というようにこちらを見上げてきたので、笑って頷いてみせてから、私もあたりを見回した。

 不思議なことに、前御領主が亡くなられてからは、夜にこの場所にくると、懐かしく、慕わしく、楽しい気分になる。

 どこからか前御領主が出てきて、やあ、元気かね? なんて何食わぬ顔をして言いそうな気がするのだ。

 きっと、主も同じだろう。いや、実の親子なのだ。私以上に、出てきてほしいと願っているに違いない。

 しばらく待っても、何かが出てくる気配はなかった。

 ただ、たくさんの思い出を含んだ静けさがあるだけだった。

「行こう」

 主が繋いだ手を前へと押した。

 私たちは再び先へ進み、玄関扉の鍵を開け、庭へと出たのだった。


 庭は、幻想的な姿を見せていた。

 白黒の濃淡に、月光によって微かに色を付けられたそこは、まるで妖精が出てきそうな不可思議さが、濃密にたちこめていた。

 足元は明るかったが、それでも薄暗くはある。私は鍵を開けるためにいったん離した手を、再び主に差し出そうかと迷った。

 そこに、するりと自然に主の腕が絡んでくる。

 驚いた。

 主を見下ろせば、彼女はうつむきがちに前を見るばかりで、私に視線を向けようとはしなかった。

 触れているところから、彼女が緊張しているのが感じられた。なのにどうして、と思ったが、主の求めに、できる限り応えるのが私の仕事だ。

 私はそ知らぬ顔で、歩き出した。

 領主となってからは、それまでのように、一切甘えたことをしなくなっていたのに、どういった心境の変化だろう。

 共に前御領主の思い出に浸って、昔を思い出したからだろうか。あの頃の、兄弟のような間柄を。それとも、やはり幽霊に怯えているのか。

 どんな理由でもよかった。

 私は、いつまでも、こうしていたいと思った。

 しかし、庭は無限ではない。遠回りをする精神的余裕もなかった。二人の間には、薄氷を踏むような危うい均衡があって、それを破ってしまえば、彼女の腕が離れていってしまうのは確実だった。

 結局、私たちは最短通路を歩いた。

 そして、一言も言葉をかわさないままに、『首吊るしの塔』までやってきたのだった。 

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