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「ああ、よくいらっしゃいました」
祖父はそう言って大きく腕を広げ、挨拶もそこそこにサリーナを抱きしめた。彼女も祖父の背に腕をまわす。
「お久しゅうございます、お祖父様」
祖父は体を離して彼女の顔を覗き込み、嬉しそうに笑んだ。
「あなたを孫娘と呼べる日がくるとは、嬉しいかぎりです。長生きはするものですね。お体は大丈夫ですか? さあ、こちらへお座りください」
彼女は祖父の手によって座り心地のいいソファに導かれていった。私はその後を、黙ってついていく。彼女が座ると、前回も彼女付きだった侍女が、クッションと膝掛けを整えてくれた。
祖父はすぐさまその横にずうずうしく座り込んで、彼女の手を取って、それのみならず、耳元に顔を寄せた。……内緒話を装っているが、一言一句聞こえるように話しているのが、忌々しさに拍車をかける。
「ところで、エディアルドは粗相を働いておりませんかな。奴は騎士団育ちの不調法者ですからな。さぞかしご不満が溜まっておりましょう。どんなことでも、このジジイの耳にそっと囁いてくだされば、必ずや反省させて、しっかりと躾けなおしましょうぞ」
「まあ。お祖父様ったら」
サリーナは軽やかな笑い声をたてた。
「そんなこと、少しもありませんわ」
そうして私の姿を探して視線をめぐらす。椅子をすすめられないどころか、屋敷の主人との挨拶さえ済ませていないために立ちっぱなしの私を見つけて、こちらに手を差し伸べて微笑んだ。私はその手を取って繋いだ。
祖父はその様子を見て、肩をすくめて立ち上がった。おかしくてしかたないのを我慢しているような顔で人の肩を二度叩くと、よく来た、まあ、座るがいい、と今まで自分が座っていた場所に私を押しやってくる。それから自身は向かいの席に腰をおろし、並んで座った私たち二人を見て、満足気に溜息をついた。
「お幸せそうでなによりです。ところで、本当に無理をしておいでではありませんか? せっかく授かったお子です。こんなジジイへの挨拶よりも、お子のことを大切になさらなければいけませんぞ」
「ええ。大丈夫ですわ。着いてすぐにゆっくりと休ませていただきましたし、それに、当家自慢の馬車に乗ってきましたから」
「前回とは違うものでしたな。ずいぶん手を掛けた物のように見受けられましたが」
「ええ。当家の技術者に作らせたものです。揺れを極力減らす細工がされていますの。お祖父様も、ぜひ乗り心地を試してくださいませ」
祖父は小刻みに何度か頷き、では、ぜひ後ほど、と請合った。たぶんこれで、商談成立だろう。前回来た時には、いくらかぐったり気味だった彼女が、今回は孕んでいてもこの体調だ。どれほど違うか如実というものだ。
「ご自身のお体を一番に考え、ゆっくり滞在なさっていってください。私たちの間柄は、もう、孫夫婦と祖父なのですから、遠慮はなしですぞ。王への挨拶も、体調が落ち着くのを待ってから申し込まれればよい。私から口添えいたしますからな」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。……王宮も、王に会うのも初めてで、緊張しておりましたの。お祖父様の力添えがいただけるなら、心強うございます」
「はい。おまかせくだされ。つきましては、ご紹介したい者がおりましてな。必ずやお二人のお力になる者なのですが、……特にエディアルドの」
なにやら含みを持たせて、途中で口をつぐむ。
「そういったことでしたら、ぜひお会いしたいです、その方に」
「サリーナ様が望まれるのでしたら、今すぐにでもお呼びいたしましょうか。いや、実は、彼もお会いしたいと気が急いてしかたないようでして、ここ一月ほど、どうしてもあなたに取り次いで欲しいと、押しかけてきておるのですよ。そんなわけで、現在もこの屋敷におりましてな」
「まあ。そんなに? いったいどういった方ですの、その方は」
「私から語るよりは、本人にお会いしたほうが早いでしょう。どうですか。体調は大丈夫ですか?」
「大丈夫ですわ」
「では、お呼びいたしましょう」
祖父は、端で控えていたグレンへと頷いてみせた。グレンは会釈一つで、その人物を呼びに出ていった。
これから引き合わせようとしているのは、恐らく私の顔見知りなのだろう。それも、わざわざ『サリーナの望み』と言質をとるくらいだから、会うのに私が渋る相手にちがいない。
いったい誰なのか。見当もつかないが、嫌な予感しかしない。
私は、侍女が淹れてくれた茶を啜って、気を落ち着けるのに努めた。
そうして現れた男を見て、私は椅子を蹴立てる勢いで立ち上がった。
「エディアルド、控えなさい。サリーナ様のお望みだ」
「このような者と面識を持つ必要はない。……いますぐ出ていけ」
私は男に向かって低く言い放った。嫌悪感に、全身が総毛だっている。冗談ではない。こんな奴の存在を、彼女に知らしめるのさえ許しがたい。
だが、奴は出て行くどころか、その場で片膝をつき、深く頭を下げた。
「私はシド・ブライスと申します。不躾ながら、ライエルバッハ公にお聞きしたき事がございます。御夫君との間にお子ができたとは、真でございますか」
「貴様……っ」
私は我慢がならず、奴を追い出そうと足を踏み出した。ところが後ろから手を取られ、引き止められて、驚いて振り返る。
「エディアルド、落ち着いて。私はその方が誰だか知っています。……ええ。本当よ。ここに彼の子がいます」
サリーナは自分の腹に手を当て、奴に微笑みかけた。
「ご懐妊、祝着至極に存じます。つきましては、エディアルド・ライエルバッハ様にこちらをご覧いただきたく存じます」
手に持っていた手紙らしきものを広げ、こちらへ見えるように捧げ持つ。そこには、筆跡の違う短い一文と、その横に赤茶けた丸い染み。それがいくつも並んだ……血判書か?
「当代の外ハルシュタット公にお仕えせんと望む者たちの血判書にございます。どうかお納めを」
ハルシュタット?
私が騎士団を首になった原因、シド・ブライスが口にした生家の名に、私は束の間、拳を握ることも忘れ、眉を顰めた。