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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第六章 想いの在り処(ありか)
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「私、ですか? なぜ、冗談を」

 そうとしか思えなかった。とても信じられなかった。そうでなければ、あの男を守るための何かの策としか。

「冗談なんかじゃないわ!」

 主は激昂して叫んだ。

「あなたが私を妹くらいにしか思ってないのはわかってるわ! でも、私はずっと、出会った時から、あなたが好きなの」

 『好き』。御前会議からこっち、何度、主からそう伝えられてきただろう。だが、情熱に揺れる瞳と、高ぶりに震える声で伝えられたそれは、いつもと違う響きがあった。

 何か、とてつもないことを言われている気がするが、私にはどうしてもわからないことがあった。

「ルディウスではないのですか?」

「どうして彼なの!?」

「台所で会っていらっしゃるのを見ました」

「ええ。会っていたわ。それがなんだっていうの! トラヴィスの息子だもの、兄みたいなものでしょう!?」

 そこまで言って、主は、あっと何かに気付いた表情になった。

「もしかして、あなた、知らなかった?」

「ええ。まったく」

 五年の間に、毎年冬に彼を見かけたが、そんな話は、一度も聞いたことがなかった。主は少しばつの悪そうな感じで、声の調子を落として言った。

「……そうね、そうかもしれないわ。彼、うちの次のスチュワードになるはずだったんだけど、吟遊詩人になりたいって飛び出してしまって、トラヴィスに勘当されたのよ。トラヴィスは私たちに、彼を赤の他人として扱うように頼んできて、それができないなら、彼をこの地に置いておけないって、追い出そうとするの。それで、あなたに紹介しそびれていたのね」

 言われて彼の事を思い返してみると、顔は似ていないが、背格好がトラヴィスとそっくりなのに思い当たった。彼を見た時に、どこかで会ったことがあるような気がすると思ったのは、そのせいだったのだろう。

「そうだったんですか」

「ええ。それで、久しぶりに戻ってきた彼に、ハンナが彼の好物をふるまいたいって、呼び寄せたがって。私はトラヴィスに見つからないように、こっそり彼を台所まで案内したの」

 私はまじまじと主を見つめた。身近な親子の軋轢に、溜息を零しそうにしている姿は、嘘をついているようには見えない。どうやら、私の勘違いだったようだ。しかし、そうすると、ますます合点がいかないことがあった。

「では、彼ではないのですね。ですが、あなたが好きなタイプは、気障な言葉を易々と吐ける優男風の紳士だったと思うのですが」

 それを聞いた主が、なぜかぐっと息を止め、上目遣いの恨めしげな目つきになった。涙声でわめきだす。

「と、遠まわしに断らなくったって、はっきり言えばいいじゃない! おまえなんか、女に見れないから嫌だって!」

「そんなことはありません。私にとって、女性はあなただけですし、嫌ではありません。むしろ光栄です。それより、お願いですから、教えてください。あなたが貸してくれた本は、どれも私にはとてもまねできない男が出てくるものばかりでした。だから、あなたはああいうタイプの男が好きなのだと思っていたのですが」

 主はさっきまでの勢いはどうしたのか、驚いたように目を見開いて、え? とか、あの? とか言葉にならないことをもごもごと口にしだした。挙動不審である。何か言いにくい理由でもあるのかと、辛抱強く待っていると、かなりの逡巡を見せた後、ああ、もう! と声を張り上げた。 

「違うわ! 私が好きなのは、騎士物語よ。私の一番のお気に入りは、『銀月の騎士』! でも、騎士団を首になってうちに来たのを知ってるのに、騎士物語なんか、勧められるわけがないでしょう!?」

 私は、あ、と思った。そのとおりだと。

「だけど、言っておくけど、私は、あなたが銀月の騎士みたいだったから好きになったんじゃないですからね! 傍にいて、一緒に過ごして、あなた自身にどんどん惹かれていったのよ……」

 恥ずかしそうに尻すぼみになっていった主の告白に、私は胸苦しさにおそわれた。主は、私が常に兄たちのまねをしていたことを知らない。そうでもしなければ、気性の激しい本来の私では、この穏やかなトリストテニヤでは、とても受け入れてもらえなかっただろう。そして、主が私を好きになることも、きっとなかった。

 その事実に、改めて打ちのめされて、私は底無しに重くやるせない気分になっていった。だが、だからこそ、きちんと言っておかねばならなかった。

「その私は、本来の私ではありません。……今の私もです。私は、あなたに良く思われたくて、人格者と名高い兄たちのまねをしてきたのです」

「それがなに? それは普通のことではないの? 誰だって、場面や立場に則ったふさわしい言動を心掛けるものだもの。それは、身近な誰かから学ぶものだわ。むしろ、それができない方が問題でしょう?」

 小さく首を傾げ、確認するように問うてくる。それはそうかもしれないが、私は素直に頷けなかった。すると主は、優しい口調で語りかけてきた。

「あのね、演者たちが言っていたことがあるの。ほら、領主としてそれらしく見せるために、彼らに発声の仕方から立ち居振る舞いまで、習っていたことがあったでしょう? あの時に聞いたのよ。どんな役をやっても、最後は演じる者の人間性だから、まずはそれを磨きなさいって。それさえできていれば、多少のことは問題にならないものだって」

 ということは、この領にいる誰からも、傲慢で我儘で聞き分けのない性格を見抜かれていたということか。

 私は、あまりの恥ずかしさに目をつぶって、今度こそ深い深い溜息をついた。

「もう! どうしてあなたは、そうやって、自分を恥じるの? 私は、褒めたつもりだったのに。……じゃあ、これならどう? あなたが来たばかりの頃、父がカラクリ甲冑で悪戯を仕掛けたことがあったでしょう。あの時、自分一人だけ逃げることもできたのに、あなたはその場に留まって、得体の知れない甲冑を壊してくれた。私たちを見つけて、なによりもまず、ご無事でしたかと、真剣に気遣ってくれたじゃない。あの時、あなたは誰かのまねをする余裕なんてなかったでしょう? あれは、素のままのあなただったんじゃないの? 自分の身も顧みず、他の誰かを助けるために力を尽くせる人は、そうはいないものだわ。命が懸かれば、よけいにね。あなたはそれができる人。それは、稀有な人間性と言っていいはずよ」

「そんなのは、騎士として当然の行いです」

「そうだとしてもよ。それは、必ずあなたがそういう行動をとるという証明になるだけだわ。……ねえ、私は思うの。あなたは、騎士団に名を連ねていたから、騎士だったんじゃない。騎士と呼ぶに相応しい人だったから、たまたま王の騎士団に身を寄せていただけなんだって。だから、あんなところ、首になったって負い目に思うことはないのよ。あっちがあなたに相応しくなかっただけなんだから」

 突然出てきた、とんでもない理論の飛躍に、私は言葉もなく主を見つめた。それをどうとったのか、主はさらに熱心に説明してくれた。

「だから、悪いのはあなたではなく、王女や騎士団だったって、ちゃんと国中に広めておいたから、安心して。もう、誰もあなたを悪く言う人はいないわ。堂々と自分を誇ってくれて大丈夫なのよ」

 私は、あっけに取られた。この人は、そんなことまでしていたのか。

 そういえば、『酒と女神』亭の親仁も、そんなことを言っていた。あれが、あの酒場内のことだけでなく、それどころか王都内ですらなく、国中に広まっている話だったとは。

 さすがはライエルバッハと言おうか、我が主と言おうか。……それ以外、何と言えようか。

 私は半ば呆然として、主を見ていた。主は手を敷物について寄ってきて、傍近くで下から覗き込んできた。

「ねえ、他に質問は?」

「……いえ、今は特には」

 ないというより、考えられないだけなのだが。なにか、次から次に思いがけない事実が飛び出し、受け止めかねて、混乱していた。

「だったら、今度はあなたが教えてくれる? さっき、あなたにとって、女性は私だけって、言ったわよね。嫌じゃないって。……その、聞き間違いでなければ、光栄だって」

 私は口をつぐんだ。そんなことを言っただろうか。……そんな、意味深なことを。

「少しは、女として見てくれていると思っていいの?」

 私は答えにつまった。答えてしまったら、とても自制できない。主は今、自分がどんな様子をしているか、わかっていないのだろう。瞳は濡れて煌き、唇は誘うように開かれている。白く細い喉元が見え、その奥の谷間が、見えそうで見えない暗闇となっている。そんな姿を見せられて、血の騒がない男なんていない。……つまり、私も。

「……二年前は、ほんの小娘で、相手にもしてもらえなかった。でも、二年かけて、少しは成長したと思うの。女としても、領主としても。少なくとも、努力してきたつもり。……だから、お願い、今の私を見て。私、十九になったのよ。もう、子どもじゃないわ。……私にも、あなたに女として見てもらえる可能性はある?」

 主は、一心に私を見つめてきた。

 柔らかそうな体と、可憐なまなざしに、心臓が早鐘を打って止まらない。指の先まで鼓動が脈打ち、体が熱くて、胸をかきむしりたいほど疼いていた。

 私は、片手で自分の目元を覆い隠した。この制御できなくなりそうな欲望が、きっと瞳に出ている。そんなものを、無垢で無邪気なこの人に見せたくなかった。

「エディアルド?」

「頼みますから、ちょっと黙っててください。……心臓が止まりそうです」

 情けない。情けないが、まともに息ができない。気が狂いそうに喜ばしいことのはずなのに、そんなものは飛び越して、死にそうだ、という感想しか出てこない。

 何度も意識してゆっくりと呼吸し、これ以上はないというほど疾駆している鼓動を、なんとか収めようと努める。

 そうして、十数回。ようやく少し落ち着いて、手を下ろして彼女を見れば、彼女は小さく身を縮めて、今にも泣きそうな表情でうずくまっていた。

「なんて顔をしているんですか」

 そんな顔をしてほしくなくて、手を伸ばして、彼女の頬に触れた。

「だって」

「だって?」

「黙ってろって……」

「すみません、ただ、もうこれ以上、あなたに先に何も言われたくなくて」

 よく考えたら、あれは、実質的に求婚だ。主の望む人物と、誰であっても必ず結婚させると、それに二言はないと、何度も言質をとられた。

 それほどに望まれて。あれほどに好きだと力説されて。おまけに、長年抱えてきた劣等感まで払拭してくれた。……ボワール王国との戦を前に、血を残すためという理由を付けて外に出された、兄弟の中でも一番出来の悪い、用無し者だったという負い目を。そんな私にも、彼らに恥じなくていい、騎士としての気概がちゃんとあるのだと。

 だから、これ以上は、この人に何も言われたくなかった。せめて、最後の一言ぐらいは、私から伝えたかった。

 私は彼女の髪の中に指を入れ、掌ですべらかな頬を包んだ。まっすぐに瞳をとらえ、はっきりと告げる。

「愛しています」

 彼女が息を呑んだのが掌に伝わってきた。唇が小さく開いて、何か言いたげに震える。私はそれに惹かれて、彼女へと体を傾けた。

「あなたを愛しています。ずっと。出会った頃から。私の手をとって、笑いかけてくれた時から。あなたのために生きたいと願ってきました」

「ほんとうに?」

 彼女は驚きに瞳を揺らして、尋ねてきた。

「ほんとうです」

 彼女が笑み崩れた。目をつぶって掌へと頬を寄せてくる。私はたまらずに、その体を抱き寄せた。彼女の両腕が柔らかく私の体にまわり、少しの隙間なく体が触れる。首筋に彼女の髪がふわふわとあたってくすぐり、愛しさと欲望に拍車がかかった。

 耳触りのいい彼女の声が、耳からと、触れた場所からも、直接体に響いてくる。

「私と結婚してくれる?」

 どうしてもそれが気になるらしい。私は笑みを含んで頷いた。

「喜んで」

「ずっと、一緒にいてくれる? 死ぬまで傍に」

 涙交じりの囁き声に、私は、いいえ、と答えた。誤解をさそうとわかっていて言ったそれに、思ったとおり、主は一瞬にして固まる。私はその耳元に、思いを込めて、それだけでは足りないのだと囁きかけた。

「死んでも、魂の半分は、あなたと共に」

 この地上だけでなく、『歓びの地』でも、永遠に。

 とたんに、彼女の体がゆるんだ。すべてをまかせきり、とろりと私を見上げてくるその体を、もっと感じたくて抱きしめる。

「エディア……」

 私は、私の名を呼ぼうとした唇に、この魂を半分渡し、愛しい人の魂を半分貰い受けるために、口付けた。

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