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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第六章 想いの在り処(ありか)
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 善は急げである。

 春が来れば、祖父との約束がある。メディナリーの件が思い違いだったと分かった時点で、それとなく進展がないことを書き送ってしまってあるから、祖父も真剣にそれなりの相手を物色してくれているはずなのだ。

 やり手の祖父のことだ。見合い話も、雪がとける頃には、後は主の意志しだいというところまで、準備万端に整えていかねない。そうしたら、婿候補たちの思惑が絡んで、よけいに主の恋の成就は難しくなってしまう。

 今となっては、もう少し様子を見ればよかったと悔いているが、どうこう言ってもはじまらない。とにかく、早急に事実関係を確認し、新しい手配をする必要があった。

 そんな事情もあって、私はその夜の晩餐時に、主に時間の都合を尋ねた。少々お話したいことがございます、今夜、お時間をいただけないでしょうか、と。

 主は、いつにない硬い私の態度に、きょとんとして瞬きを数回繰り返した。

「なあに、あらたまって?」

 そんな返答が戻ってくると思っていなかった私は、とっさに答えられず、ただ会釈した。主はそれに、ただならぬものを感じたのか、表情を改めてカトラリーを置いた。

「わかったわ。場所はどこがいいのかしら。居間よりは、執務室の方が?」

「……込み入った話になるかと思いますので、サリーナ様の寛げる場所で」

「時間がかかりそうなのね。……そう。なら、私の部屋にしましょう」

「いえ、それは、」

 私は言いよどんだ。いくらバトラーといえども、夜に淑女の部屋を長時間訪ねるのはよくない。しかも、今は寒い季節で、扉を開けっぱなしにしておくのを、主は嫌がるだろう。だが、話の途中で主が感情を高ぶらせて泣いたりする可能性を考えれば、その方が都合がよいのかもしれなかった。

「私の部屋以外に寛げる場所は、あとは図書室の閲覧室だわ。でも、あそこは寒いから嫌よ」

 閲覧室はもっと人気がない奥まった場所で、都合がよくない。

「承知しました。では、サリーナ様のお部屋ということで。いつごろ伺えばよろしいでしょうか」

「あなたのお仕事が終わってからでいいわ」

「ありがとうございます。そのようにさせていただきます」

「ええ。待っているわね」

 主は、私ににこりと笑いかけてから、食事を再開させた。


 少し早めに戸締りと火の確認をして歩いている途中で、台所でハンナに声を掛けられた。

「エディアルド様、サリーナ様に言いつかったお品物です。こちらをお持ちください」

 籠を渡される。中をあらためれば、ハンナお手製の香草酒だった。それに二つの杯とチーズも添えられている。

 込み入った話と聞いて、主は気を利かせてくれたのだろう。酒が入ると、誰でも気がゆるむものだ。しかし、だからこそ、私はあまり口を付ける気になれなかった。

 私も、平気でこんなことをしているのではない。それでも、すぐにこうして行動に移しているのは、諸々の事情だけでなく、本当かどうかを考えているだけで耐え難くなってくるからだ。それくらいなら、さっさとはっきりさせた方が、まだ気が楽だと思ったのだ。

 こんな心理状態で酩酊すれば、自分でも何を言い出すかわからない。主の幸せに水を差すようなまねはしたくない、その一念で辛うじて堰きとめているのに、主にだけは絶対に見せられない、身の内に凝るものが、きっと出てきてしまう。私は初めて、酒が恐ろしいと感じた。

 だが、主が言いつけたものを、持っていかないわけにもいかないのだ。結局、私は籠を片手に、主の部屋の扉をノックした。

「エディアルドです」

「どうぞ」

「失礼いたします」

 中に入ると、主は暖炉の前にいた。ソファの上にあるはずのクッションは全部下ろされているようで、主のまわりに散乱していた。それに、あの綺麗な模様の綿入れの掛け布は、客室の備品だ。それが、くしゃくしゃにされて、クッション同様に転がされている。……ありていに言えば、暖炉の前には、主を中心として雑然とした()ができあがっていた。

 実を言うと、主は整理にはこだわるが、整頓には頓着しない。縦の物を平気で横に置くし、さらに言えば、角をきっちり揃えて置くということもない。なにもかもが、なんとなく一纏めにされているだけなのだ。

 だから、いつも主のまわりは、すっきりとしない。……すっきりとは、しないのだが。

「ここへどうぞ」

 主が指し示したのは、隣に人一人分空けられたスペースだった。私は、台風の目のようなそこへ、足を踏み入れた。

 右に主。左にはクッション。後ろには、丸められた掛け布。ごちゃごちゃとしたそこに座ってみれば、どういうわけか、居心地がいい。本当に不思議なのだが、主のしつらえは、乱雑であっても、妙に気持ちが落ち着くのだ。

 もしかしたら、こういうものには、人柄が滲み出るものなのかもしれなかった。大胆でありながら、どことなく繊細で、人を寛がせる。それは、主そのものだった。

「ハンナの香草酒ね。ちょうど仕上がったと聞いたから、頼んでおいたの。今年はどんな出来かしら」

 私が香草酒の入った水差しの蓋を取りはずすと、主は身を乗りだして、くんと匂いを嗅いだ。

 香草酒は薬酒で、夏は夏バテ防止に、冬は冷えを防ぐために、様々な香草や薬草を漬け込み、蜂蜜で味を調えてある。だから薬めいた、つんと鼻をつく匂いがする。だが、慣れてしまうと、これが癖になるのだ。

「やっぱり、変な匂いね」

 主は笑った。酒を注いで杯を渡すと、主はそれを掲げて、少し考える素振りをみせた。

「何に乾杯しようかしら。……そうね、では、冬の神アイオイウスに。良き冬となりますように。乾杯」

「乾杯」

 私も杯を掲げて、口をつけた。香草の匂いと蜂蜜のせいでごまかされているが、強いアルコールが喉を焼く。しかし神に捧げた乾杯だ、途中で息をつくことなく、いっきに臓腑へ流し込むのがしきたりである。杯を空にして主を見遣ると、主もまた飲み干して、機嫌よく水差しに手を伸ばしているところだった。

「とっても美味しいわね。さすがハンナだわ」

「サリーナ様、ほどほどに」

 横から水差しを取り上げようとすれば、つまらないことを言わないの、と手を叩き落とされた。

「いつもいつも、ロランやトラヴィスたちとばかり飲んで、ずるいわ。たまには、私につきあってくれたっていいじゃないの」

 最早酒がまわってしまったのか、主は軽く睨め付けてきた。

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