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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第一章 幽霊城の一日 
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 何かを隠されている気がする。それも、関係者全員に。

 ……と感じるのは、恋愛小説の話に混ざれない私の僻みだろうか。

 私は、安眠効果のあるハーブで香り付けしたホットワインを用意しながら考え込んでしまい、沸騰させそうになって、慌てて鍋を火から遠ざけた。

 少し味見をして駄目だとわかり、そちらは自分用にいただくことにし、もう一度作り直す。

 仕上げの蜂蜜を溶かしきって、スプーンと鍋を洗って伏せて置き、カップをトレイに載せて、主の寝室へ向かった。

 主に寝る前の飲み物を届けるのが、私の一日の最後の仕事だ。

 今日はその前に、主の寝室の隣りにある自分の部屋に寄った。そこにできそこないのワインを置いていく。

 本来なら、私も皆のように階下に部屋を貰うべきなのだが、何分この城は人手不足で無用心だ。階下にいては、主に何かあっても気付けないだろう。

 そこで私には、主の安全を守るために、この部屋が与えられていた。

 ここは、平時ならご家族の誰かが使うための部屋だ。だから、造りが良くて広いし、置いてあるものも使用人には過ぎたものばかりだ。傷を付けたり汚さないようにと、常に細心の注意を払って使わせていただいている。

 私はこの部屋に据え置きの大きな時計を見た。

 時間はちょうどいい。冷める前に、このワインを届けなければ。

 私はすぐに部屋を出た。

 今夜はこの後、特に何もない予定だった。

 結局、あの後、「これはしばらく預からせてくれ」との主の言によって、メディナリーは夕食も食べずに帰っていき、城はいつもどおりの静けさを取り戻していた。

 いや、いつもより静かだったかもしれない。主は居間で本を抱えていたが、考え事をしているようで、ページは思い出したようにしか繰られていなかったから。

 今回はどうも、問題作のようだ。

 メディナリーなどは、大変に革新的な試みなんだ、とかなんとかぶちあげていたが、主の心労を思うと、なんとも言えない気持ちになる。

 主はまだ、たったの19歳なのだ。それも、領主になどならなければ、家族や夫に守られていればいいはずの貴婦人である。

 なのに、領地経営に勤しむ日々。

 その上、結婚しててもおかしくない歳であるにもかかわらず、婚約者さえいない。普通なら、お父上である前御領主がお決めになるはずだったが、そうなる前に亡くなられてしまった。

 そんな、家族も保護者もいない今の主を支えられるのは、傍近くで仕えている私たちだけだ。

 でも、あんなふうに迷い、悩んでいる姿を見れば、私たちだけでは足りないのだと悟らずにはいられない。

 本当の意味で、彼女に寄り添う者が必要なのではないかと。

 彼女を守り、包み、支え、……愛し、愛され、人生を共にする男が。

 私は主の部屋の前に佇み、扉を見つめた。

 ……その時に、私がここにいられるかは、わからない。主の夫君に追い出されるかもしれないし、自らここを去るのかもしれない。

 そうだとしても、今はまだ、私のすべてをもって、お仕えするだけだ。

「御領主様、お飲み物をお持ちしました」

 私は中で待っているだろう主に、声をかけた。


 バトラーである私は、ノックも、ことわる必要もなく、主のいる場所に入っていくのを許されている。だが、主が女性であることを鑑み、寝室へ入る時だけは、声をかけるようにしている。

「どうぞ」

 主の返事を受けて、私は部屋の中に入った。主は暖炉の前にあるソファでくつろいでいた。

 暖炉に火は入っていない。まだそれほど寒くないからだ。

 ゆったりとしたネグリジェに、波打つ髪がそのまま下ろされていた。

 私は、そうしているのが主に一番似合うと、心密かに思っている。赤みがかった金髪は本当に豪奢で、まるで神話で謳われる豊穣の女神のようだ。

 主の前で膝をつき、テーブルにワインを置いた。

「ありがとう」

 主はカップを手にした。一口飲んで、微かに笑む。

 よかった。お気に召したらしい。

「では、これで失礼いたします」

 私は挨拶をして、前を辞そうとした。

「あ」

 主は弾かれたように顔を上げた。私を見て、何か言いたげにする。けれど迷っているようで、揺れる瞳はしばらくすると、またカップへと戻されてしまった。

「何かご用ですか? 何なりとおっしゃってください」

「……いや、何でもない」

 思いつめた表情をしているのに、横に首を振る。

 何をそんなに思い悩んでいるのだろう。

 まったく、メディナリーの奴め、余計なことをしてくれる。

 私は頭の中でメディナリーを踏みつけにし、現実では主に問いかけた。

「私ではご相談にのれないことですか?」

 主は顔を上げ、私を数秒見つめた後で、淋しげに微笑んだ。

「ええ。……たぶん、きっと」

 そう言われるのではないかと、わかっていた。確かに私には、恋愛小説について相談にはのれない。しかし、ならば、

「では、あなたの憂いを除くために、私にもできることはありませんか?」

「ありがとう、エディアルド。その言葉だけで、充分。たいしたことではないんだ。心配しなくていい」

 そう言って、主は不器用に笑った。

 人の胸を突く、そんな表情をしていると、気付きもせずに。

 こんな顔をさせたまま前を辞すなど、できるわけがない。きっと、いつまでも思い悩んで、眠れぬ夜を過ごすに違いないのだ。

 そうなれば、どうせ私も、二つの部屋を隔てる壁を見ながら、その向こうにいるこの人を心配して夜を明かすことになる。

 だったら、いっそ、

「これから、『首吊るしの塔』まで散策しませんか」

「え?」

 憂いを忘れて、きょとんと不思議そうな顔をする。

「旦那様がおっしゃっていました。良い思いつきは、歩いている時に降ってくるものだと」

「ああ、そうね。お父様は、よくそうおっしゃっていた……」

 主は無意識なのだろう、昔の口調に戻って、遠い目で懐かしそうに言った。

「今宵は良い月も出ております。塔からの眺めも、素晴らしいかと」

 丘の上に建つこの城の塔からは、周辺一帯どころか、山の切れ目からその向こうの平野にある、王城の明かりさえ見えるのだ。

「ただし、幽霊が怖くないなら、ですが」

 澄ました顔で、煽るためにからかえば、主は見事に、むっとした顔をした。

「あそこに幽霊なんかいないって、もうわかっている」

 私がここに来たばかりの頃に、主は幽霊やら怪物やらの不思議な話を集めた本を読んで怯え、暗くなると布団を頭から被って、泣きながらハンナにくっついて離れなくなったことがあった。

 そして三日目に、業を煮やした前御領主に、幽霊が出ると言われている『首吊るしの塔』へ行くように命じられたのだった。

 そこでは大昔の戦時中に、敵の首に縄を掛けて上から突き落とし、腐り落ちるまで、見せしめのために吊るしておいたのだという。その被害者が、恨んで塔に現れるというのだ。

 怖い、嫌、できないと泣き叫ぶ彼女を、首に縄を付けてでも連れていきなさい、と命じられ、半ばひきずるようにして、私が連れていった。

 私にとっては、愛くるしいサリーナ様を堪能した、良い思い出の一つである。彼女にとっては、苦いものかもしれないが。

「いつまでも子ども扱いするな」

 昔のことに思いを馳せていたら、主が怒った口調で言葉を吐き出した。そこに、怒りよりも傷ついた響きを感じ取り、私は驚いて弁解した。

「私はあなたを、子どもだなどと思っておりません」

 だったら、男と面会する時に、髪を一番似合わない三つ編みになど、結ったりしない。

 主は私を疑り深そうに見ていたが、目を少しそらすと、小さく頷いた。

「……いいだろう。行ってみよう」

 いつも領主に相応しい振る舞いを心掛けている主にしては珍しく、その姿は拗ねた子供のようで、久しぶりの微笑ましさにゆるんでしまう口元を、私は意識的に引き締めたのだった。

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