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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第六章 想いの在り処(ありか)
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 夕刻、吟遊詩人たちの謁見を切り上げ、前日に清書された書き取りを確認している主に、届いたばかりの書状を渡した。

「あ。おじい様からお手紙が届いたのね」

 主は差出人を確かめて、すぐに封を切った。神妙な顔で文面を追って、破顔一笑する。どうやらよい返事がきたようであった。

「あなたも読んで」

 受け取って読めば、手紙の前半は主を気遣う言葉が過剰に書き連ねてあった。太陽のようなあなたに会えなくて寂しいだの、可愛らしく涼やかな声が恋しいだの、恋文まがいの文章が延々と続き、後半に入って数行、グリエールハンザの件は承知したこと、借財の取りまとめもほぼ済み、不当な利子の心配もなくなったこと、詳しい話は春以降でよいことが書かれていた。そして、暖かくなったらぜひおいでください、それまでは、あなたからのお手紙を心待ちにしております、寂しい老人の最大の楽しみなのです、どうかお見捨てなく、などと、どうでもいいことが書かれ、最後に、不肖の孫をよろしくお願い申しあげますと締めくくられていた。

 祖父と主は、たった一度の訪問で、おじい様、サリーナ様、と呼び合う仲になっている。自分の孫でもないのにずうずうしい振る舞いはやめろと祖父に注意してやりたかったが、そんなことをすれば、悲しむのは主である。主はどういうわけか、祖父にとても懐いていた。そう、懐く、なのである。どこが気に入ったのかわからないが、本当の孫娘のように祖父を慕っているらしかった。

 良い知らせにもかかわらず、なんとも苛々とする手紙を主に返せば、おじい様の使者はどうしましたか、と問うてきた。

「とりあえず待たせてあります」

「彼の部屋の用意をお願い。今夜中にロランへのお手紙を書くから、それをグリエールハンザまで届けてもらいたいの。おじい様へのお手紙は、帰りに寄る時までに書いておくと伝えて」

「承知いたしました」

 ラスティは、あれ以来、すっかり両家の取り次ぎ役と化している。さすが天下のシダネル商会の用意した装備だと感心するような冬支度に身を包んでいたから、まだ初冬のこの時期、天気さえ選べば、移動に問題はないだろう。

 主がライエルバッハの紋を透かし入れた便箋を取り出すのを見て、私は静かに主の前を辞した。


 グリエールハンザの領主は、未だメディナリーの説得を聞き入れようとしていなかった。兄である彼に対して、家を出た人間には関係ないとまで言い放ったそうだが、粘り強いメディナリーの説得に、アルリード公の許しがあるならば、という譲歩を引き出していた。

 おそらく、許可など出ないと踏んでいたのだろう。領主権とは、本来、富の源だ。それが手に入る好機を、そんなに簡単に放棄するとは、普通は考えられない。

 だが、それは一般的な話であって、アルリードは普通一般でもなければ、グリエールハンザの状況もまともではない。前者は、他者の恨みや嫉みを買うほどいくつも領主権を持っているし、後者は意図的でないにしろ、犯罪者を飼っている状態だ。むしろ、アルリードやシダネル商会でさえ、やっかいだと感じる案件となっている。アルリードもシダネル商会も敵が多いから、うかつにグリエールハンザに係われば、無関係のはずの犯罪者集団と結び付けられて、いらぬ非難を浴び、足を引っ張られかねなかった。

 そうであるにもかかわらず、グリエールハンザからの救援の願いをはねのけなかったのは、犯罪者にまっ先に狙われるのが、ここトリストテニヤの可能性が高かったからだろう。……後継者にと望んでいる、孫の私のいる。

 もちろん、次に狙われやすいのが、裕福なシダネル商会だというのもあるだろうが、私ももう、祖父の私に対する愛情を否定するのはやめた。曲がってようが、歪んでようが、迷惑だろうが、祖父なりに愛してくれていることは理解したし、私も、つきつめてみれば、祖父への愛情がなくなったわけではなかった。

 まあ、そうは言っても、グリエールハンザの件を私に丸投げしたのは、結局、私の昔の繋がりを利用して、面倒事は国王の騎士団に押し付けようという魂胆だったのだろう。私の行動で領主権をふい(・・)にしたにもかかわらず、それに対する嫌味が一つもないのが、その証拠だ。

 初めから言ってくれれば可愛いものを、そういったことを一言も言わないし匂わせもしないのだから、喰えない厭なジジイである。そうやって、私の資質を観察しているのだ。今回は、リスク管理というところだろうか。とりあえず、シダネルに損はさせてないし、係わったあらゆる方面、グリエールハンザはもとより、騎士団に、我がトリストテニヤ、貸した金が焦げ付きそうになっていた金貸しにも、恩を売った状態になっている。どうにか及第点は貰えたようだった。

 騎士団の方も本格的に雪が降る前に決着をつけると言っていたし、クレマンが見聞きしてきたものを分析して、農業計画も練ってくれている。グリエールハンザは、最悪の窮状は脱せられるだろうという、見通しが立ってきていた。これに、アルリードの申し出を伝えれば、いいかげんメディナリーの弟御も折れるだろう。

 うちも、アルリードが春まで待ってくれるというおかげで、当面、金の工面の苦労をしなくていいのは、大変にありがたかった。例の新しい恋愛小説が出荷され、今は持ち出しが多いのだ。

 実はその小説の販売も、今回はシダネルに委託している。これまでの注文を受けて製本する方式とは違い、出来上がったものを、鍋や釜同様に、店に並べて売らなければならないからだ。

 主は、あの一回の訪問で、祖父にそれも承知させたらしい。私にはまったく思いつかないことである。

 そんな主の才を目にする度に、私がこの人にできることなど、本当にあるのかという気がしてくる。……辛うじて役に立てるのは、この血筋と、剣の腕前くらいだろうか。

 それも、実際のところ、訓練された者を相手にして、私が一度に対応できる人数など、よくて五、六人である。騎士物語に出てくるような、一騎当千のつわものなどというのは、所詮夢物語だ。そんな化け物じみた腕と体力の持ち主など、私は寡聞にして知らない。

 主は私を第一の騎士だと持ち上げてくれたが、まずは、不本意な状況にならない外交努力をするのが、堅実というものだった。そして、それは主の方が腕前が上なのである。

 私は、はあと溜息をついた。時間は深夜。場所はラスティに割り当てた部屋だ。うちの使い走りをさせる彼をねぎらうために、主に言いつけられて酒を持ってきてやったのだ。寒い旅空の下、これで体を温めるようにとのはからいだった。

 せっかく下賜されたそれを私にも勧めつつ、飲んでいくらか酔っ払ったラスティは、さっきから私の花嫁候補選定の苦労話を、くどくどと零していた。

「それが、とてつもなく清楚に見えたんだよ。薄い水色のドレスで、レースが縁取っててさ。真っ青なパラソルさして、ごきげんよう、なんて、にっこりと使用人まがいの俺に言ったんだ。これはと思うだろう。思うよな? な?」

「……そうかもしれんな」

「そうだろう? おまえでさえ、そう思うだろう? だけどな、調べてみたら、出てくるわ出てくるわ、その女、いっぺんに五人の男を手玉に取ってたんだぜ。びっくりしたよ、毎日逢引の相手が違うんだよ、なにが貞淑だよ、どうやって騙してんだよ、良心はないのかよ、……女、怖え(こえー)よ……」

 候補にさえならない女の話など、それこそ全然興味がなかったが、愚痴を聞いてやるのも私の義務のような気がしたので、黙って聞いていた。

「あ、でもな、今度のお人は、まだ埃が出てきてないんだ。目がくりくりしてて、小さくて、仔犬みたいで、なかなか可愛いぞ。こう、おずおず笑ったところがいいんだ。……あれが阿婆擦れだったら、俺は今度こそ女を信用できなくなるけどな。……頼むから、男の夢を壊さないでもらいたいよ……」

 頭を抱えて懊悩している。私は、その肩を叩いた。

「まあ、なんだ。あまり根をつめるな。こういったことは、なるようにしかならんだろう。それに、あちらにも好みというものがあるはずだ。無理強いすることだけはしたくない」

 ただでさえ、こちらには他に想う人がいるのだ。案外、その阿婆擦れとやらの方が、お互い気楽にいられるかもしれなかった。

「おまえがそんなだから、心配なんだろう! おまえの妻は、俺の主筋になるんだぞ、とんでもないのに居座られたら、たまらないからな! 俺がえり好みして、なにが悪い!」

 言ってることが、無茶苦茶である。たとえ実際そうであっても、口にしている時点で、良識を逸脱している。

「……ラスティ、飲みすぎだ。もう寝ろ。明日、グリエールハンザまで行くのだろう」

「おお、行くさ! 麗しの女御領主様の思し召しだ! 風の冷たさなんて、気にならないさ!」

 どうやら行きたくないらしい。

「ああ、おまえは、さすがはルドワイヤの男だ。風の冷たさを気にするような脆弱な男じゃないな。さあ、グラスを置いて。そうだ。立って。ベッドへ入れ」

 酒を遠ざけて急かせば、ラスティはおとなしくベッドへ向かった。そして、数歩先のそこへ腰掛け、急に私の腕を取る。ぎょっとしてとっさに振り払うと、そんなに邪険にすることないだろうとぼやきつつ、首元から紐でぶらさげた小袋を引っぱり出した。

「なあ、もう、これはおまえが持ってろよ」

 アルリードの当主印だろう。私は捕まらないように、二歩身を引いて言った。

「もうしばらく、おまえが持っていてくれ」

「アル」

「頼む。今は主に誠心誠意仕えたいんだ」

 まだ、あんなものを持っていたくなかった。あれはまるで、主との別離の象徴のようだった。

「……アル」

 ラスティが、急に酔いの醒めた顔で、真剣な声を出した。

「寝ろ」

 何も聞きたくも話したくもなかった私は、素早く近付いて、ラスティの額をつかんで彼の体をひっくり返した。枕に頭を押しつけてやる。彼が、わっと叫び声をあげた。

「なにするんだ!」

「酔っ払いは寝ろ。それとも、気絶させられたいか」

「なんだよ、わかったよ、寝るから靴くらい脱がせろ」

 私が退くと、ラスティはぶつぶつ文句を言いながら、寝る仕度に取りかかった。

「ちゃんと、ランプは消せよ」

「わかってる」

「冷えるぞ、布団は掛けて寝ろよ」

「わかってるって! おまえが俺の面倒をみなくてもいい!」

「鬱陶しいもんだろう?」

「相変わらず辛辣な仕返しをしやがって。悪かったな、鬱陶しくって!」

 べつに悪くはないさ、と私は笑って、おやすみ、と就寝の挨拶を口にした。

「おやすみ、よい夢を!」

 やけっぱちの声を背に、彼の部屋を出た。

 暗い、本当に暗い、真っ暗闇の廊下を歩く。それはそのまま、今の私の心情だった。

 足りないものばかりのこの身で、あの人を守り、そして、あの人と最後まで共に生きるには、どうすればいいのか。

 私には、その答えが、未だ見つかっていなかった。

 ……あの人を守るということは、どういうことかというのは理解している。あの人の体だけでなく、大切に思うものまで守らなければ、本当に守るということにはならないのだと。

 それは、このトリストテニヤも、私自身すらも、守らなければならないということ。

 そのために、力を求めた。傍にいても、今の私にたいしたことはできない。せいぜい危急の際に、主の盾になれる程度だ。だから、主の傍を離れ、アルリードやシダネルの力を手に入れようと考えた。今も、それ以上に良い方策は考えられない。

 でも。なぜだろう。それが、誤った道に感じられるのは。理性ではなく、感覚が、肌や呼吸から得られる勘が、そう告げているのだ。

 理由の説明できないそれに、今まで私は従って生きてきた。生きるか死ぬかの境目では、そうした勘こそがものを言う。

 だが、これは本当に、いつもの勘と同じものなのだろうか。ただ単に、自分の感情に引きずられているだけではないのか。

 ……わからない。想いが深すぎて判断がつかないのだ。

 どうしてこれほど、あの人の傍を離れてはいけないと感じるのだろう。

 ただ、自分の勘を疑うたびに、あの人の泣き顔が脳裏にちらついて、焦燥感が引きずり出される。傍にいろと、二度と離れてはいけないと、体の中に響く囁き声が大きくなる。

 暗闇の中、私は、眠ってしまっているだろう彼女の姿を追い求め、探した。今、彼女に触れたら、答えが得られる気がした。

 この勘が嘘ではないと。

 私は自分の部屋の前で、叩けるはずもない、主の部屋の扉のある場所を、しばらく眺めて立っていた。

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