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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第五章 誰がために 
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「お呼びとうかがい、参上つかまつりました」

 などと大仰に言って貴族らしい礼をしたメディナリーは、放蕩恋愛小説家ではなく、きちんとした貴族の子弟に見えた。顔を上げた瞳には、いつもと変わらない悪戯めいた輝きがあって、一瞬にしてそんな幻想は消えたのだが。

「忙しかったのではなくて? 執筆の邪魔をしてしまったかしら」

「いいえ。新作の方は一段落ついていますし、私の本来の執筆時間は、日が暮れてからです。夜の夢幻の下でしか、私は書けませんからね」

「……そうでしたね」

 主は、なぜかいたわるように相槌を打つと、彼に席をすすめた。私は彼の前にお茶を用意し、城下町から歩いてきた彼が、喉をうるおすのを待った。

「ロラン、つかぬことを聞くけれど、最近、ご実家と連絡はとっているかしら?」

「まさか」

 主の質問に、彼は肩をすくめた。

「二度とあちらとは係わらないという約束で、勘当してもらったのです。家を出てから、一度も連絡はとっていません」

「そうでしたね」

 さっきと同じ言葉を、主は溜息混じりに返した。

「それがなにか?」

「ええ。伝えてよいものか判断に迷ったのだけれど。やはり、知っておいたほうが良いように思えて。……あのね、ロラン。グリエールハンザが経済的に困窮しているようなの。……詐欺に遭って」

 彼は表情を消して、主を見つめた。

「メディナリー公は、領主権をアルリード公に譲渡する意向らしいわ。その詐欺については、王国騎士団に通報して、そちらが動いてくれそうなのだけど、もしも犯罪者たちが捕まっても、かさんだ負債はどうにもならないと思われるの。……お気の毒だけれど」

「どれほどの額になるか、ご存知ですか?」

「ええ。これを」

 主は、私がまとめた借金の表を彼の前に滑らせた。彼はそれを取り上げ、しばらく眺めていた。息をつめていたのだろう、少しして苦しげに小さく吐くと、ゆるゆると横に首を振った。そして目をつぶり、額に手をやった。主と私は、そんな彼の様子を見守り、彼が落ち着くのを待った。

 やがて彼は手を下ろし、主へと顔を向けた。姿勢を正し、いつにない真剣な表情をする。

「我が庇護者、ライエルバッハ公にお願い申し上げます。……『銀月の騎士』を含む、これまでに私が書いた小説と、これから先に私が書く新作の、すべての原稿と原版をさしあげます。ですから、どうかお金を用立てていただけないでしょうか」

 『銀月の騎士』? 私は思いがけないタイトルに息を呑んだ。あの小説の著者『ロー』は、彼だったというのか。

「ロラン、あの小説は、あなたにとって命にも等しいものでしょう。そこまでしなくても、ほかでもない、うちの大切な小説家のために、ライエルバッハは協力を惜しまないわ」

「いいえ、むしろ、ムシのいいお願いをしているのは私です。私は、生涯、フェルミナと添い遂げるつもりです。ですから後継者は得られない。私の死後に、私の小説を管理してくれる者は、あなたがたをおいて他にはいないと、……いえ、あなたがたにお願いしたいと思っていました。それを持ち出して、買い取って欲しいと申し上げているのです。それでもどうかお願いしたい。ご存知のとおり、本来は私が負うべき責を弟に担わせてしまっています。どうあっても、見捨てることはできません。それには、私が使い道がないばかりに貯めこんできた財を、すべてつぎこ込んでも足りないのです。どうかお願いです。お力をお貸しください」

 主もまた真剣な顔で話を聞いていたが、一度目を細めて吐息を漏らすと、心を決めたように彼を見つめ返した。

「……そうね。なんの見返りもなく施しを行えば、あなたはそれを一生恩に着てしまうわね。……わかりました。申し出を受けましょう」

「ありがとうございます」

 彼は深々と頭を下げた。

 これで話は決まった。これから厭になるほど忙しくなる。メディナリー公の説得に、アルリード公との交渉と、借財をした相手への根回し。

 だがその前に、今さっきのメディナリーの発言に、聞き捨てならないものがあった。場違いと承知していても、私は聞かずにはおれなかった。

「フェルミナとは、物語の中の人物ではないのか?」

 そんなものと添い遂げる? それも、自分が書いた物語の登場人物と? 変人だ変人だとは思っていたが、そこまでおかしいとは思っていなかった。信じられなかった。

「ああ、そうか。君は知らなかったね。フェルミナは私の婚約者でね、あの物語は、彼女をモデルに書いたものなんだよ」

 この男、婚約者がいたのか!?

 新たな事実に、私は目をむいた。女の影など、欠片も見たことがなかったのだ。

 思わず主に視線をやってしまうと、主は寂しげな顔をしていた。主は全部承知しているようだった。

 どういうことなのだ。ここでこれほどの人がこの男を見ているというのに、この男は他の女を追いかけているというのか。

 その女は、いったいどこの誰だというのだろう。不躾な質問であるとわかっていて、私は彼を問い詰めた。

「そのフェルミナ嬢は、どこでどうしているんだ」

「亡くなったよ。二十年前に」

 けろりととんでもない答えが返ってきて、私は言葉を失った。

「あの話はね、病気の彼女を慰めるために書いたんだ。ほら、僕は跡継ぎだったから、騎士の道には行かせてもらえなかったけれど、やっぱり幼い頃は憧れててねえ。だから、彼女の相手役を、騎士になった僕にしたんだよ。……いやあ、君を前にすると、おこがましくて、恥ずかしい限りなんだけどね。ほんとに若気の至りだよねえ」

 彼は首の後ろに手をやり、恥ずかしげに言った。……問題はそこではないというのに。

「その女性を、その、」

 二十年たっても、未だ想っているのか。

 そう聞きたかったが、主の前である。私は口ごもった。が、察しのいいメディナリーは、それだけで理解したようだ。

「ああ。そうだよ。彼女は今でも僕の最愛の人だ。……僕が小説家をしているのは、彼女と会うためなんだ」

 死んだ人間と会うなど、まったく意味が通らない。大事なところで、はぐらかすような物言いに、私はイラッとした。

 これだから小説家はいけない。なぜいちいちそんな言い方をするのか。日常会話は、婉曲(えんきょく)的表現ではなく、直截(ちょくせつ)的にしてもらいたいものだった。

 少々顔をしかめて首を傾げてみせると、彼は鮮やかに幸せそうな笑顔を浮かべた。

「僕は夜な夜な、夢幻の中で彼女と逢瀬(おうせ)を交わしてるんだよ。僕の小説はね、すべて彼女と僕の物語なんだ。……ああ、今回の新作をのぞいてね。今回は、初めて他の人を主人公に据えてみたんだよ。人生の半分以上、小説家としてやってきたってのに、初めての新しい試みなんて、笑ってしまうよね」

 実際彼は、ははっと笑った。私は笑えなかった。言葉どおりの意味だったことに唖然としたというのもあったが、二十年たっても、それほどに忘れられない想い人がいるなんて聞いて、さすがに笑えるわけがなかった。

 私にだって、そのくらいは理解できる。……主を先に失うなど、気の狂いそうな話だった。

「そんな顔をしないでくれたまえ。同情なんて、されたくないからね」

 メディナリーは、笑いを引っ込めると、少々冷たく聞こえる声で、右肩だけすくめて言った。

「僕は最愛の人を得た。彼女は先に死んでしまったけれど、僕は一生をかけて、彼女との愛を永遠のものにしていく。小説という形でね。彼女は、それだけのものを僕に与えてくれた。彼女の魂の半分は、ここにあるんだ」

 彼は自分の胸を押さえた。それは言葉は違えど、『銀月の騎士』の中で語られていたものと同じだった。たぶん、彼の魂のもう半分は、彼女と共に『悦びの地』に行ったとでも言うのだろう。

 ……そんなものは、小説の中だけの、まさに夢物語のはずである。だいたい、魂をどうやって半分にすると言うのだ。銀月の騎士とフェルミナがしたように、口付けでとでも?

 馬鹿馬鹿しい話だった。しかし、彼の姿には、夢物語と言えないものがあった。もしかしたら、と思わされる何かが。

 ふと、焼けつくように、羨ましいと思った。

 彼は、この心の(うろ)を、本当に最愛の人に埋めてもらったのかもしれない。……知らぬ間に、いつのまにかできてしまっていた、相手を想うほどに大きくなっていくように思える、これを。

 メディナリーは、私を見たまま数回まとめて瞬きしたかと思うと、急にふにゃりと情けない顔になった。

「うん、まあ、そんなわけで、とても他の女性を妻に迎えるなんてできなくてね。領主が跡継ぎをもうけないなんて、許されないだろう? それで勘当してもらって、弟に家を継いでもらったんだ。弟はね、騎士になる道を諦めて、領主になってくれた。金勘定とか、ぜんぜん向いてなかったってのに」

 どことなく自嘲めいた物言いに、なんとなく歯がゆい心持ちになった。私ならば、私が兄のためにしたことで、兄にこんな顔をさせたくない。

「……それだけ、君は弟御(おとうとご)にとって、良い兄だったんだろう」

「どうなのかなあ」

 自信なさげな態度に、歯がゆさが、いっきに腹立たしさに変わった。

「君、弟御(おとうとご)に会うときに、そんな顔をするなよ。君の幸せを願って、彼は領主になってくれたのだろう。だったら、申し訳なさそうな顔をするな。胸を張って、いつもの能天気な顔をさらしていろ」

 我を忘れてきつく言い切ったところで、主が身動ぎするのが目の端に映り、あ、と思い出す。私は傷心の主そっちのけで、彼と何を話しているのか。あまりに彼の話が想定外だったとはいえ、後で主のいないところで話すべきだった。

 後悔と焦慮で、主はどうしているかと、さりげないくうかがうと、どうしたことか、主はくすくすと笑っていた。悲しい様子を見せられるよりずっといいが、なぜ笑っているのかわからなくて、戸惑う。そうしているうちに、メディナリーからも低い笑い声が聞こえ、私は彼に怪訝な目を向けた。

「能天気って、酷いなあ」

 彼のぼやきに主のくすくす笑いが大きくなり、とうとう声をあげて笑いはじめた。

「でも、ありがとう。君の言うとおりだ。弟と会うときは、そうするよ」

「そうね。それがいいわ。……『いつもの能天気な顔をさらす』のが、きっと」

「そうですね。『いつもの能天気な顔をさらして』きます」

 二人に自分の言ったことを繰り返されて、揚げ足を取られているような気分になってくる。……いったい、何がそんなにおかしいのやら。

 私はいつまでも笑いやまない二人を前に、不機嫌に黙りこんだのだった。

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