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今夜の夕食はキジの香草焼きがメインだ。ハンナの料理は味付けを濃くせず、素材の旨みを引き立たせる程度だから、赤では重過ぎる。しかし、白では物足りないだろう。
そこで私は、重くない味わいの赤とフルーティーな香りの白を樽から取り出し、味を見ながら混ぜ合わせた。
ワインは空気に触れることによって、味も変わっていく。そのへんも考慮しながら、仕上げに不純物を濾し、瓶に詰め替えた。
それを待っていたかのように、扉がノックされた。外の音が聞こえるようにと開け放っておいたそこに、スチュワードのトラヴィスが立っていた。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
帽子もコートもまだ手にしている。今帰ってきたばかりなのだろう。
私は手早く使った用具と瓶を籠に詰め、明り取りの窓の鎧戸を閉めた。待ってくれているトラヴィスの許へ急ぎ足で行き、腰に下げた鍵で、酒蔵の扉の鍵をかけた。
「紙草の出来はどうでしたか」
「うん。まずまずでしたね。もっと量が減るかと思いましたが。皆が頑張ってくれたおかげでしょう。今年の水遣りは、本当に大変でしたね」
私もトラヴィスも庭師のクレマンも、一月も雨がなかった日照りの時は、炎天下を農家の男たちにまじって川まで水を汲みにいき、紙草畑に水を撒いたのだった。
「思ったより、質も悪くないと思います。あの程度なら、うちの職人たちなら技術でなんとかしてくれるでしょう。一安心です」
「それはよかった。御領主様も喜ばれるでしょう。今、応接室でメディナリー氏と小説の打ち合わせをしていらっしゃいますが」
「ええ。笑い声が聞こえたので、ご挨拶してきました。女性陣三人も混じって、楽しそうでしたよ」
ハンナとアンとダイナも恋愛小説の信奉者で、主は判断に迷った時に、彼女たちにも意見を求めたりする。きっと今回もそうなのだろう。
私では決してできないことである。
ここに来たばかりの頃に、主は秘蔵のお薦め本を、「私の大好きな本なの。とても面白いから、読んでみて」と貸してくれたものだったが、ストーリーを把握するのだけで精一杯な私を見かねて、四冊目より後はなくなってしまった。
本を読むのは苦痛だったが、はにかみながら手渡してくれる姿も、あれがいいでしょう、ここが素敵でしょう、と楽しげに語る表情も、とても可愛らしくて、それを見られなくなってしまったのは、非常に残念だ。
またあれを読みたいとも、それを楽しめる性格になりたいとも思わないが、同じ気持ちを共有できる彼らを、羨ましいとは思うのだ。
共に台所へ行き、ワインを置いて、二人で茶を淹れ、ハンナの焼き菓子で一息ついた。
それからトラヴィスは着替えに戻り、私は追加の菓子を持って、応接室の様子を見に行くことにした。
中の人数が増えても、女性が身内以外の男性と会う時の慣例どおり開けてあるそこから、今度は、きゃーっという歓声が聞こえた。
とても盛り上がっているようだ。私は入っていきにくくて、足を止めた。
「素敵ーっ。かっこいいですねーっ。本当に、こんな格好をしていたんですか?」
アンのはしゃいだ声がした。
「王都まで行って、ちゃんと取材してきたんだ。間違いないよ」
「すごいですね。この挿絵が欲しいばかりに、字が読めなくても買う子は、きっとたくさんいますよ。分冊にして、一冊を安くするんですよね? 私も欲しいです。おいくらにするんですか?」
これはダイナだ。物静かな彼女も、珍しく興奮気味だ。
「いくらなら買う?」
主が問う。こちらは真剣な声をしていた。
「うーん。それは安ければ嬉しいですけど、こういうのって、それじゃ物足りないですよね。ちょっと無理して手に入れるから、手にした時に、すごく嬉しいんです」
「そうね。私なら、新しいブラウスの生地代くらいかしら」
アンが受け応えた。
「新しい服を一枚我慢して、素敵な本を買う。うん。素敵」
手を打ち鳴らしたのは、ダイナだろうか。
「でも、これを見たら、横恋慕したくなる者が、きっと出ますよ」
ハンナが歳相応に落ち着いて指摘する。
「うん……。あっ、いいえっ、これは架空の物語だから」
主が、一度は肯定したのに、なにやら焦ったように口走った。それから部屋の中が静かになる。しばらく待ってもそのままだったので、私は部屋の中に入ることにした。
「摘む物をお持ち……」
そこで私は口ごもった。ものすごい勢いで、一人をのぞく全員が振り返ったのだ。それも、ぎょっとした、突き刺さるような視線で。
「あ、エディアルド様! ワインはもういいんですか?」
アンが駆け寄ってきながら、手を出してくる。それへ条件反射で、焼き菓子の入ったトレイを手渡してしまった。主への給仕は、私の仕事なのに。
メディナリーも、こちらへと近付いてきた。
「おお、焼き菓子ですね。いい匂いだ。いただきますよ」
アンの手元から一つ摘み上げ、その場で口にする。
「ああ、おいしい! トリス夫人、あなたは天才です!」
もごもごと賛辞を述べ、すぐにごほごほと咳き込みだす。そこへ、ダイナがすみやかにお茶を持ってきた。
そして三人で、私の前で、大丈夫ですかと、わあわあとやりだす。
でも、私はそれを見ていなかった。三人の隙間から見える主の様子を、よく見ようとしていた。
なぜなら主だけは、けっして私を見ようとしなかったからである。
主は常ならしないような乱雑な仕草で慌てたように原稿を集め、紙挿みにしまっていた。それを、胸にしっかりと抱える。
そのうつむきがちにこちらに背を向け続ける姿は、気のせいか拒絶されているようで、私は胃の腑がずんと重くなるのを感じたのだった。