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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第四章 こぼれた想い
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 二人きりの話は、結局そこまでで終わりとなった。

 話が一区切りついたのを見計らったかのように、トラヴィスが相談のある領民を連れてきたからだ。

 その後も、何人か相談事を持ってやってきたが、誰も、先程の私の行動を指摘する者はいなかった。態度も変わらなかった。いつもどおり、微笑ましそうにしていて。

 ……よく考えたら、それが常態なので、今さらそれ以上の何もあろうはずがなかったのだった。

 いったい、彼らの中で、主と私の関係はどうなっているのだろうか、ああ、そういえば、結婚間近だと思われているのだったか、などと思い出したりし。

 何か本当に気が抜けたというのか。何で私はあんなに思いつめてがちがちだったのか、不思議になったというのか。

 たぶん、こういうのを、憑き物が落ちたというのだろう。

 これまでずっと、いつでも罪悪感を覚え、自制ばかりしていた。

 触れるのも、話しかけるのも、時に主の姿を見るのさえ、いけないと自分に言い聞かせて、どう接したらいいのかわからなくなるのも、しばしばだった。

 大切にしたいのに、そうしようとすればするほど寂しい顔をさせたり、我慢させたり、そんなことばかり繰り返して。

 でも、零れ落ちるようにして示してしまった気持ちを、主は拒絶したりしなかった。そうするのが主に対してだけならいいのだと、受け入れてくれた。

 そうして次に迎えた、二人だけになれる時間。騒がしくも退屈な会議がようやく終わり、城へと帰る道行きは、至福の時となった。

 柔らかく、あたたかい、大切な存在を、はじめは恐る恐る、ゆったりと抱きしめてみた。主は拒否することなく、無防備に体をあずけてくれた。

 それが、嬉しくて、愛しくて。もっと隙間なくなるように引き寄せ、心のままに、風に吹かれて主の顔に掛かったベールを、そっと払う。主は顔を傾け、私を見て、にこっと笑った。

 それから、ぽつりぽつりと、会議であったことや、目に映る他愛ないものについて、言葉を交わした。主はくつくつと無邪気に笑い、時折、こちらを見上げては微笑んで。心が通じ合うおだやかさに、満たされた一時(ひととき)を過ごした。

 けれど、心の隅に、どうしても聞いておきたいことがしこりとなって残っていた。さっき、もらえなかった答え。……これからの指針が。

 会話が自然に途切れたのを機に、私は自分の気掛かりを持ち出して、聞いてみた。

「あなたにとって、私は何ですか?」

 夕暮れの雲を目で追っていた主は、一つまばたきして、そのままの無垢な視線を私に向けた。

 まっさらな瞳だった。何も考えずに、私を見ている。

 そこに、ゆっくりと色がのっていく。親しみ、信頼、愛情、慈愛。それから、他は何だろう? 主にも、言葉では表せないたくさんの感情があるのかもしれなかった。私がそうであるように。

 そんなふうに、一心に主の表情に見入っていたから、背にまわされていた細い指が、ぎゅっと強く押し付けられたのに、驚いた。鎖帷子の上からでも感じたそれに、思わず、びくりと背を揺らしてしまう。

 主はくすりと楽しげに笑って、私の胸に顔をうずめた。

「あなたは、私の一番大切な人よ」

 心臓が、どっと波打ち、息がつまった。信じられない思いで見下ろす先で、もっと奇跡のような言葉が重ねられる。

「……誰よりも。一番好きな人」

 血がすごい勢いで体をめぐり、眩暈がおきた。

 あまりに幸福すぎて、おかしくなりそうだった。ぎりぎりと胸が痛み、悲しみと錯覚しそうなほどに、切なくなる。

 私は胸元の小さな頭に、手を伸ばした。伏せたその下で、どんな表情をしているか見たかった。私が感じているものが夢や幻ではないと、ちゃんと確かめたかった。情けなくも震える指で、静かに撫ぜる。

 主はむずかるように、小さく横に首を振って、もっと強く抱きついてきた。

 酷い人だ、と思う。すごく、すごく、その顔を見たいのに。

 でも、顔を見せてはくれなくても、彼女の仕草が、全身が、嘘ではないと語っていた。

 私は息苦しさに、は、と息を吐いた。はちきれんばかりにどんどんと膨れあがる思いを、伝えずにはおれなかった。

「私も、です。私も、あなたが一番大切で、好きです。……サリーナ様」

 かすれる声で、私は二年ぶりに彼女の名を呼んだ。この人が領主に就いて以来、絶対に口にしなかった名だった。

 それを、彼女も気付き、理解したのだろう。すすりあげるような息をして、すり、と頬をこすりつけてきた。その場所から、全身に疼きが広がる。

 ……この人にとって、私が何であるのかなど、愚かな問いだったかもしれなかった。

 出会って、五年。一日たりと離れることなく、それだけの年月を、毎日共に積み重ねてきた。

 楽しいことも、嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも、辛いことも、数え切れぬほどたくさん、私たちはわかちあい、支えあってきた。そうして、かけがえのない相手となっていったのだ。それを、たった一つの名に決めつけることなど、できはしない話だろう。

 兄妹ではない、恋人でもない、主従の枠にすらおさまらない。そのどれにも似た、でも、それ以上の何か。

 それは、私たちにしか紡げなかった関係。

 願わくば、このまま、この人の心の一部を占める者でいたかった。……彼女に他に恋うる人ができても。いつか離れ離れになっても。永遠になどとは言わない、彼女のこの一生涯だけでいいから。

 私は、どの神とも定めず祈ろうとして、……やめた。それは、彼女を私の偏狭で縛りつけてしまうことになるから。

 彼女は彼女であるべきだった。たとえ、私を思い出の中にしまってしまうとしても。忘れ去ってしまうとしても。それがありのままの彼女なら、その彼女をこそ、想っていけるだけの男でありたかった。

 彼女を想うなら、彼女に想いを捧げるに足る人間でありたい。そして、捧げる想いもまた、それに足るものを抱いていたい。

 それが、私の矜持だった。

 主は結局、城に戻るまで顔を見せてはくれなかった。私にしっかりと抱きついたまま、ずっと離れようとはせず、私も、彼女を抱く手をゆるめたりはしなかった。

 主は、馬が止まって、降りる段になってやっと体を起こし、伏目がちに離れた。私とけっして目を合わせぬようにして。

 だが、私が先に降りて、手をさし伸べた時。

 彼女は恥ずかしげに頬を染め、照れた微笑みで、私の手をとったのだった。

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