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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第四章 こぼれた想い
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 私は席に着く前に、首に巻いていたストールをはずした。主の髪や瞳の色にあわせた金糸で、ライエルバッハの竪琴の家紋を細かく縫いとってあるものだ。

 女性から戦場におもむく騎士に贈られるストールは、守護の(まじな)いだ。銀月の騎士もフェルミナからもらっている。これも仮装の一部だった。

 それを、断りも入れず、問答無用で主の肩にふわりと掛ける。

「じっとしていると寒いものです。会議の間は、どうかこれを羽織られてますよう」

 人前で寄せられた厚意を、主は無碍にする人ではない。驚いて肩に掛かるそれを指で触って確かめはしたが、はずそうとはしなかった。

「そうね。ありがとう」

 主は横に立った私を見上げ、微笑んだ。

 その時、わああああっとも、おおおおお、ともつかない、(さざなみ)が幾重にも重なったような騒ぎが起こった。何事かと、私と主は集まった人々へと向き直った。

 おおむね領民たちは笑顔のようだが、ひどい興奮状態だった。この束の間に、いったい何が起こったのか。

 問い質そうとトラヴィスに視線を向ければ、早く席に着くようにと身振りでうながされる。しかし、何が起こるかわからない状態で、おとなしく座るわけにはいかない。

 私が渋ると、トラヴィスはやってきて、早く座ってください、と言った。

「貴人席が埋まらないと、御前会議は開けません。皆、待ち望みすぎて、あの状態なのですよ」

 ああ、なるほどと、ようやく私は納得した。本当に、お祭り騒ぎが好きな者たちである。

 私が座ると同時に、トラヴィスは前へ出ていき、意見のある者は、と領民たちに語りかけた。

 私は議事録をとるべく、手甲の付いた手袋を脱ぎ、鎖帷子の袖が手首まで覆うように引っ張っている指入れ部分から掌を抜いて、とりあえず、テーブルの上にある筆記用具を引き寄せた。


 意見のある者は前に集まるようにと申し伝えてある。前のひとかたまり十数人が、いっせいに手を挙げた。たいへんな意気込みようである。

 が、お互いに何やら目で会話し、そのうち壮年の男が、送り出されるようにして前に出てきた。

「御領主様に、お願い申し上げます。今度の豊穣祭では、ぜひ、恒例のダンスパーティーを開かせていただきたく、お許し願いたく存じます」

 トラヴィスが振り返り、軽く手を挙げた主に、ご意見を拝聴しますと、恭しく礼をした。

「許可します。城からは振る舞い酒を出しましょう。私も、皆と楽しみたいと思っています」

「それはご出席していただけるということで!?」

 発言の許可もないのに、彼は勢い込んで尋ねてきた。主も鷹揚に頷く。

「ええ」

「もちろん、エディアルド様とでございますよね!?」

「そうです」

「かしこまりました!! 特別な舞台を用意させていただきます!!! どうぞ楽しみになさっていてください!!!!」

 彼は主に深く頭を下げると、三歩退いてから、集まった者たちへと振り向いた。そして、拳を握った両手を力強く突き上げ、

「ご出席くださるそうだーっ。準備に関わりたい者は、集まってくれー!」

 と怒鳴った。そこから、伝言ゲームのように、主の答えが伝わっていく。伝わった場所から、拍手と歓声が湧き、人員が集ってきた。

 そんな調子で、歌だの、演奏だの、踊りだの、詩の朗読だの、寸劇だのが提案され、許可されると、参加したい者が三々五々集まり、披露演目が検討されだした。

 おかみさんたちはおかみさんたちで、地区ごとに振舞う料理の相談に余念がない。

 誰も彼も、こうなると、領主そっちのけである。

 前御領主は、時々やってくる彼らの相談にのりながら、トラヴィスに酌をさせ、よく鼻歌など歌っていたが、私たちはそこまで剛毅になれない。ただ暇をもてあましていた。

「皆、楽しそうね」

 隣で主が独り言めいて言った。主も暇なのだろうと思い、そうですね、と私も気の抜けた返事をした。

「ねえ、エディアルド」

 少し改まった口調に、はい、と主に顔を向ければ、主は一度私を見て、テーブルに視線を落とした。

「……申し訳ないのだけれど」

「はい」

 いつになく思いつめている様子に、私もにわかに緊張する。

「……当日は、ダンスのフォローをお願いします」

「はい。おまかせください」

 本題は何だと思い巡らせながら、次の言葉を待つ。待つこと数拍、主が少々窺うような目を私に向けた。

「皆が見てる中で、足を踏んでしまうかもしれないけれど」

「かまいません」

「頭突きするかもしれないし」

「そうならないよう、しっかり支えます」

「肘鉄も……」

 私は思わず笑った。主が、むっと口を尖らす。私は急いで理由を付け足した。

「私も、今まで以上に練習に真剣に取り組もうと思っています。本当に上手い踊り手は、初めての者でも踊らせる技量を持つそうです。そこまでとはいきませんが、あなたが不安なく踊れるよう、腕を上げる所存ですので」

 そうして、少しでもこの人が楽しいと思ってくれれば。

「あ、ありがとう」

 真面目で、なんでも自分でなんとかしようとする主は、私の申し出を、思ってみなかったのだろう。あたふたと礼を言ってうつむいた。

「私も、もっと頑張りますね。弱音を吐いてごめんなさい」

「この程度、弱音でもなんでもございませんよ」

 主は領主になってから、すっかりそういったものを口にしなくなってしまった。上に立つ者として当然の態度だが、私には、それがもどかしい。

「あなたは、よく頑張ってらっしゃいます。だからダンスは私にまかせて、楽しむことを考えてください」

 主が不意に息を止めた。胸元に手をやり、ストールを握りしめ、心臓の位置に押しあてる。

「どうなさいましたか」

 苦しそうなそれに、私は身を屈めて主の顔を覗き込もうとした。しかし、主はもっとうつむいて、素早く首を振った。どうやら、顔を見られたくないようだ。

 そんなに苦しいのかと、私は足元からすっと冷えるような焦慮に腰を浮かし、主の肩に手をかけた。びくりとして、主が顔を上げる。近い距離で、目が合う。

 主は涙ぐんでいた。それに、今度は私の息が止められた。

 苦しそうでは、なかった。顔色も、悪くなかった。でも、……目を離せなくなる、艶やかさ、が、あった。

 まっすぐに向けられる、潤んだ琥珀色の瞳に魅入られる。その瞳以外、世界のすべてが遠ざかっていく。

 二人だけで構成された、完璧な世界が、そこにあった。

 幸福で、満たされた、でも物足りずに、もっとと願う、世界が。

「えでぃ、ある、ど」

 たどたどしく私の名を呼んだ人の眦から、一粒だけ涙がころげ落ちる。

 それが、あまりに綺麗で。とてもとても、綺麗で。慕わしくてたまらなくて。

 私は。

 ……気がつくと、唇で、その涙を吸いとっていた。

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