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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第四章 こぼれた想い
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 どんな渇水時にも枯れたことがないと言われる泉の前に、一段高い台が造られ、その上に席が(しつら)えられている。

 私は台の前で馬をとめた。先に待っていたトラヴィスが近寄ってきて、馬の轡を取ってくれる。まず私だけが降り、馬の上にいる主に両手をさし伸べた。

 かがんで手を伸ばしてくる主の片手を取り、支えつつ引き寄せる。私の肩に主の手が届いたところで、腰に手をあて持ち上げて、絹のドレスが、慎ましく主の足にまとわりついたままになるように、ゆっくりと降ろした。

 地面に主が降り立つと、拍手喝采がわきおこった。それもそのはず、主の姿は大変に素晴らしいものだったのだ。

 赤紫のドレスが、主の身動ぎと共に、しゃらりと揺れる。金のサッシュから下、たっぷりとした布地ですとんと落とされただけのスカート部分は、あまり体の線を露わにしていない。しかしその上は、胸のすぐ下で絞められているために、胸の大きさも形もそのままに現れていた。しかも胸元が大きく開いているので、実は私の位置からだと柔らかそうな谷間がよく見える。

 華奢な鎖骨が見えるだけでもかなり扇情的なのに、馬に乗っていた時は、体勢的に上からのぞきこむようだった。見ないようにと努力はしたが、……いろいろと、非常にいたたまれなかった。

 言わせてもらえば、一応、この衣装が決まった時に、ストールを巻くようにと進言したのだ。けれど、一顧だにされなかった。特に女性陣からは猛反発を食らった。

「何を仰ってるんですか! このドレスは、首と胸を美しく見せるように作られているんです。それを隠したら、何にもなりません!」

 まあ、確かに、それではなんの面白みもない野暮ったいだけのドレスになるのは、間違いなかった。

 美しい主の姿は誇らしい。が、男の身としては、悩ましいものでもある。……とりあえず、半径一メートル以内に、他の男を近づけないようにしようと心に決めていた。

 トラヴィスが馬を連れ去り、私は主の手を取って台に上った。そこで広場へと向き直る。私は半歩下がって、主の傍に控えた。

 主は、集まった人々をゆったりと見まわした。掌を上にして、彼らへと鷹揚に両腕を開いて持ち上げる。優しく、繊細で、気品があり、慈愛に満ちた仕草だった。

 それはまさしく、滾々と湧きだし人々にきれいな水を与え続ける、泉の女神そのもの。広場は、神威に打たれたかのように、しんと静まりかえった。

「これから、御前会議を始めます」

 主の口から流れ出た声は、無理に張り上げているわけでもないのに、よくとおり、人々の間に響き渡っていった。

「この場での発言は、どのようなものも、領主として、けっして咎めませんし、誰からも咎めさせないと誓います。忌憚なく思うさまその意を述べなさい。ただし、泉の女神もご照覧なさっていることを、ゆめゆめ忘れてはなりません。悪意や偽りは泉を穢すに等しいこと。善意を抱き、真実のみを語るのです。……さあ、誓いを立てましょう」

 主は額に揃えた三本の指を当て、次にそれを心臓に当て、最後に虚空に捧げ物をするかのようにさし出した。私も、領民たちも、一拍遅れて同じ身振りを行う。

 額に宿る心、心臓に宿る魂、命を支えるそれをさし出し、身の潔白を神に誓う仕草である。

「誓いを立てた者から座りなさい。誓えぬ者は、今すぐここを去るのです」

 私もその場で膝を折り、地に片膝をついた。主は、全員が座るのを待ち、それをしっかりと見まわして微笑んだ。

「では、会議を始めましょう。……トラヴィス、司会を」

 紛う方ないトリストテニヤの主人としての資質を見せた主は、優雅に、脇に控えていた当家のスチュワードをさし招いた。

 それから、私に視線を下ろして、笑みを深める。右手が少しだけ上がり、私へと伸べられた。この手を取りなさいと、言われている。……この気高い人に触れることが許されているのは、私だけだと、錯覚をおこしそうだった。

 私は主の手を恭しく取り、立ち上がりながら、愚にも付かない考えに囚われてしまっていた。

 このまま、この人を攫って、私一人のものにしてしまえたら。

 そんなことは、できるわけがない。たとえ体は欲しいままにできても、そうした瞬間に、この人の心は絶対に手の届かないところに行ってしまうだろう。

 充分わかっている。わかっているが、叶わないとわかっているからこそ、あまりに強い望みに、胸が軋んだ。

 ただし、そんなものはおくびにも出さず、私は主を貴人席へと導いた。手を離し、椅子を引いて、腰かけるのを待つ。

 優美なうなじが、目の前で揺れる。触れたいと、唇で辿りたいと、思わずにいられない。衆人環視の中で、いったい私は何に惑わされているのだと、自分の足の甲を剣で刺し貫きたい衝動に駆られた。そこまでしなければ、もう、正気に返れない気がした。

 ……ああ、まったく、なってない。

 座った主に、視線で隣に座るようにうながされながらも、その資格がなさすぎる己の心の在り様に、私は自己嫌悪に陥った。

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